11.
彼は口を閉ざしたまま後をついてくる。
遥か高くまで伸びた木々のせいで、どれくらい日が落ちているのか分からない。夜は、嫌だ。恐い。怖い、体が、冷たくなる。
「僕の話をしても良い?」
「……ん。うん」
ラギと繋がっている場所から、熱が、戻る。ラギがいれば、私は、私でいられる。私はワタシじゃない。
「僕には兄がいた。兄は優秀で、僕は劣っていて常に比較された。けれど、この島に来て兄は死んだ。連続殺人事件の被害者になったんだ」
殺人事件の被害者の一人目は、男子高校生だったらしい。以降、男の被害者はいない。
「無惨な殺され方をした兄が『可哀想』と言われるようになって、兄に劣等感を抱いていた事が無意味に思えた」
殺害方法は決まって同じ。ナイフや包丁ではない凶器で滅多刺し。誰か判別出来ない程、抉られ、切りつけられる。拷問に近い殺され方らしい。
「悲しまない僕を、皆は異常だと決めつけた。僕はその感情がなかっただけなのに」
絞り出す、悲痛。
「僕からすれば、皆の方が異常だ」
私も、ラギと同じ言葉を浴びせられた事がある。
小学生の時、クラスで飼っていたウサギが変死した。皆が泣く中、私は気持ちが理解出来なくて遠巻きに眺めていたら『アンタは異常だよ』って。
私は、異常じゃない。アンタらが異常なんだ。
「兄は、死ぬべきだった。兄が死んでくれて、清々している。そう、思わない?」
「…………え?」
死を悲しめないのは、理解出来る。けど、それは、違うでしょ。ラギと兄は血が繋がってるんだから。
「僕を虐めてきた兄はいない。誰にも比較されない。僕は解放されたんだ。殺人鬼のお陰で」
暑さとは違う汗が背中を伝って落ちた。暑い筈なのに、背筋が冷たい。
時折ラギから感じていた異変が固まって、一つの仮定を作り上げる。
それは、Bが断定した結論と同じで必死に否定する。違う。ラギは違うって言ったのは自分自身だ。皆がラギを疑う中で、私だけはラギを信じた。
私が疑ってどうするんだ。
はたと足を止めた。
「ラギは人を殺すのを躊躇わない」
「それがどうしたの?」
「嫌……、近付かないで」
「サエ。何で?」
人を、殺すのを、躊躇わない。
ラギの事を信じるのなら、これだって。疑いたくない。信じたくない。疑うしかない。信じれない。
初めて屋上で話した時、ラギは足を引きずっていた。その前日には女子高生が殺されていた。
最初の被害者は、ラギが疎ましがっていた兄。
離れる事への、異様なまでの不安感。ラギが犯人だと勘づいていたからなのか。いや、待て。まだ何かを見落としている。
「……サエ。しゃがんで」
「っあ」
肩を抱かれて、地面に膝を付いた。剥き出しの膝小僧に、草木が刺さる。
「しっ。誰か来る」
複数の足音が聞こえる。木々のせいで、どちらから来ているのかが分からない。小さくなって、見つからない様にする事しか出来ない。
暫くして、音が小さくなっていった。
「いなくなったみたいだ。早く行こう。時期に夜が来る」
「っあ、うん」
手を取り走り出したのは、ラギの方だった。何かに怯える様に、ラギは前へと進む。私はラギの方が怖かった。ラギが犯人なら、私を殺すのは簡単だ。もしかしたら、殺害に最適な場所を探しているのかもしれない。
「待って、痛いよ」
「僕はサエが好きだ」
「何でこんな時に言うの?」
「今しかない。僕の推測が正しければ、僕らに明日は来ない。正確には君には僕と共に過ごす未来が来ない」
ラギの真剣な目。暗くなってきた林の中の明かりとなる。ゆらり、揺れて、綺麗。……抉り出したい。ダメ、頭が変なこと考えてる。
意識が引っ張られる。もう、夜なの? 早く屋内に隠れないと、ワタシが覚醒してしまう。
「…………あ、……あ、あ」
「限界か。思い残す事はないよ。サエと過ごした日々は結構楽しかった。死んでもこの気持ちは変わらない」
視界がゆらり、ぐらぐら。夜が来れば、ワタシが目を覚ましてしまう。何をしようと、ワタシの自由だ。
あ、見つけちゃった。ラギが殺人鬼になるには足りないピース。ワタシが持っていたんだ。
ラギを連れて逃げたのは犯人のラギを守るためではない。心の底では分かっていた。犯人の、自分自身を守るためだって。
「憎き兄を殺してくれてありがとう。感謝してるよ。サエになら、殺されても良い」
あ、あ。あ、思い出す。初めてワタシが覚醒したのは、ラギが転校して三日後。あの日ワタシはラギを付けていた。見れば見る程、私に似るラギを苛める兄。
『彼を苦しめるのはアイツ……?』
ワタシが目を覚ました。近くにあった釘抜きがやけに手に馴染んだのを覚えている。一人になった兄目掛けて、釘抜きを振り下ろした。
鈍い音が水音交じりになる頃には、ワタシは泣いていた。私は、傍観者の立ち位置で全てを見ていた。何故泣くのか、分からなかった。
味をしめたワタシは一人だけじゃ物足りなくなり、二人目三人目と手を出す。その頃には、夜に近付くと殺害衝動が増大するのが感じていた。
日に日に私が生きていられる時間が少なくなって、ワタシが私を支配しようとしている事も。
殺人が起こった夜、必ずラギが近くにいた。一人目の時は家の中に、二人目以降は全てラギのバイト先の近くを歩いていた。五人目の時には、ラギにつけられていた。知らずに、ワタシは目を覚まして、殺った。
何となく感じてた。ラギがいない夜ならワタシは寝ている。ラギが間接的でも存在すれば、ワタシは起きる。
山道に逃げ込んで夜を迎えない確証はなかった。夜になれば、絶対にワタシは起きる。そして、いつもの如く生命を終わらせる。分かっていた筈なのに、連れ出したのは……ワタシがラギを殺したかったから?
ダメ、やめて。ラギは私の大切な人なの。お願いだから、殺さないで。必死の声はワタシには届かない。ワタシは鞄から釘抜きを取り出すとーー振り下ろした。
「くぺ」
私はただの傍観者。叫ぼうと、喚こうとワタシの体は意思と反して殴り続ける。唯一、涙腺だけは私が支配出来た。
「十年前と同じだね」
ワタシは誇らしげに笑っていた。




