必定
二〇一六年八月二三日。
昼下がりの店内。
琅の趣味で集められた歴史書や絵画集、小説、その他ありとあらゆる書籍が天井一杯まで詰め込まれた本棚。蓄音機を模したプレーヤーから流れる退廃的な美しさを忍ばせたジャズミュージック。どこか懐かしさを感じさせる赤墨と苔色、葡萄色でまとめられたアンティーク調のインテリア。
ひっそりとしていて、寂静という言葉が一番似合い、ただゆっくりと流れゆく時間を愉しむここは、いつしか『懐古館』と呼ばれるようになった。
その店に深々と佇む若き店主――琅。
ミステリアスな微笑みで客を出迎え、店に恥じぬ妙なる珈琲を提供してくれる。だが、琅の真の姿を知る者はない。常に浮かべている微笑の下に隠された感情を、誘い出せる者はない。だからこそ人は琅に魅かれ、この店に惹かれ、幾度となくここを訪れる。
*
珈琲の香ばしい香りが店内に漂う。
本棚脇の定位置に陣取る老齢の紳士は開店当初からの常連で、琅よりも味にうるさくわずかな味の差異をも見抜く。不味い時は珈琲を半分以上も残すが、逆に気に入った時は二杯目の催促をする。そして、飲み終わると代金をテーブルに置いて消え、また忘れた頃にふらりとやってくるのだ。琅にいわせれば、この紳士も充分謎に満ちていると思うのだが、客はそうは思わないらしい。
それはいつもと変わらない日常だった。
あと幾許か経てば、近所の主婦たちがおしゃべりをしにやってくるだろうし、金曜日の今日は夜遅くまで開店することになるのだろうと思う。だが、何かが変わる時というものは、いつも唐突にやってくる。
平凡で何事もなく過ぎ去っていったこれまでの時が、一つの出会いによって簡単に崩れ去ることも、現実にはあり得ることなのだろう。ゆえに扉についた鐘が鳴って、新たな訪問客を迎えたとき、琅は悟った。
必定と名づけられた運命が、再び廻り始めたことを。