プロローグ
目の前にお金が落ちていたら、拾いますか?
それが一円五円だったら無視しますか? 十円だったらポケットですか? 百円や五百円でもラッキー度が増すだけでしょうか。千円二千円五千円一万円……紙幣だと、ひらり飛んで行ってしまうやもしれないので、大慌てで踏みつけときましょう。
でも、それが、見たこともない外国の銀貨だったら?
いや、原材料が銀なのかどうかもあやしいところ、あちらこちら傷やへこみがあるあたり、さぞや人の手を解しただろうに、曇り一つないなんてこと、普通の銀ではありえない。もちろん、ずっしりとした重みから、最近アクセサリーなんかで良く見るステンレスってこともないだろう。かといって、プラチナの硬貨というのは、さすがに高価すぎてありえない気がする。
五百円玉よりもうちょっと大きいそのコインは、柔らかな微笑みを浮かべた女性の横顔が描かれている。波打つ髪に巻きつくように蔦が這い、ちょうど耳の辺りでバラが花開いている。裏を返して見れば、ローマ字のような丸みのある文字が刻まれているが、何を書いてあるのかはわからない。はっきり言って、英語が赤座布団な私には、難易度が高すぎるようです。
なんだろうとためつすがめつしていると、ふいに、まるでコインに糸でもついていたかのように、ピッと引かれた。思わずつまむ指に力を込めたとて、本当に思い切り引っ張られたら、指からすっこ抜けていただろうに……あろうことか、私の体もそれにつられて引っ張られ、たたらを踏んだ足が何かに蹴つまづいた。
なんともいえぬ浮遊感は、このままずっこけてアスファルトに膝に擦り傷を作るコースまっしぐら。それぐらいですめばまだしも、鼻先や額や頬にまで擦り傷をつけたら、花も恥らう時期はとっくのとうに過ぎているとはいえ、だからこそ、目も当てられたものではない。
わたわたと手を振り回すものの、コインをつまんだままの指ははがれもせず、逆の手が何かをつかむことも出来ず、その上、この妙な浮遊感の中に放り出されたまま、中々地面にたどり着かない。私の身長は153cm程度なのだから、ここまで地面まで距離があるというのもおかしなもの。普段通りなれた道だから、階段とか坂道があっただなんていう可能性もない。
おかしいと、冷静に考えるだけの間があって、一瞬、ふわっと何かに支えられたような気がした次の瞬間、バキバキバキーッとけたたましい音がして、腕に足に枝が引っかかり折れてゆく。何がなんだかわからぬうちに、お尻に柔らかな地面がぶつかり、ようやく私の体が安定した。
見上げれば、低い立ち木にすっぽり私が抜けてきた穴が開いている。その向こうは青空が広がり、私がついさっきまでいたはずの道もアパートも見えはしない。お尻の下はむき出しの土で、あたりは木々が生い茂り、目の端を羽のついたウサギが通り過ぎていった。