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最強の呪文を手に入れたんだけど、詠唱必須な件について

作者: シュバルツ

 「呪われし暗黒の王、深淵の闇よりきたり。の王の瞼が開かれし時、世界は灰燼と化す。身を持って思い知るがよい。邪眼解放!」



 呪文の詠唱が終わると同時に敵の上空にブラックホールが出現し、数十匹単位で群れが吸い込まれていく。

 今回の敵は小型モンスターである甲虫種だ。見た目はクワガタとバッタが混ざって出来たような昆虫系。個々の攻撃力は大したことはないが、いかんせん数が多い。




 湿地帯に甲虫種が大量発生したとの報を受け、政府から我がゴヤール学園に駆除が依頼された。ゴヤール学園は国内きっての名門魔法学園だ。掃討は実地演習の名目で行われる。

 成績を考慮した2~5人組で班編成が組まれ、各班には見守り役として教師がそれぞれ一人ずつ付く。私のいる第13班は2人組だった。

 授業の一環なので、成果は当然評価対象だ。ごくわずかな一部を除いて生徒は皆、意欲的に甲虫種に立ち向かっていく。

 パートナーが連綿と攻撃呪文を唱えて敵を殲滅させていく姿を、私は後列から何も出来ずにただ見守っていた。そう、一部の例外というのは私だ。不甲斐無いと言われても仕方のない態度だが、その実、私の心は一つの強い想いに埋め尽くされていた。



 ないわー。

 この厨二臭い呪文、ドヤ顔で詠唱するとか、ないわー。



 そんな私の胸中を知ってか知らずか、弾かれた一匹の敵がバッタのように飛び跳ねながら私の足元に飛来した。やつの体躯は成人男性の腕一本分程ある。跳躍で勢いづいた鋭い二本角に足首を挟まれそうになったが、間一髪、後ろに跳び退って避けた。手にしたポールアックスで甲虫の背を叩き割ろうとしたものの、予想よりも固い甲殻に弾き返された。


 「っち」

 「クロエ!」


 仲間が振り返ったのが気配で分かる。

 しかしそちらを見ずに、私はもう一度、今度は相手の関節部を狙って斧を振るった。固い殻に覆われた甲虫種の弱点部分だ。ぱきり、と乾いた音がして甲虫の動きが鈍る。その機を逃さず背中にもう一撃。ようやっと敵の甲殻は粉砕され、動きが止まった。


 「何やってんだお前。魔法使えよ!」


 敵前からエトロが舞い戻ってきた。髪を振り乱して、嚙み付かんばかりに文句を言われる。

 毎度の事なので言い訳も今更だと思い、私は誤魔化しの笑みを浮かべた。


 「クロエ、あなたは後ろに下がっていなさい」

 本来オブザーバーであるはずの仲間、ヴェネタ先生も呪文で敵を薙ぎ払いながら後退してくる。

  

 「ったく、足手纏いなんだよ……っ!」

 舌打ち音を響かせながらも、エトロはヴェネタ先生と並んで私と敵の間を遮った。右手を地面と平行に前方へ伸ばし、淀みも無くすらすらと呪文を唱える。


 「太古より伝わりし炎撃の烈槍よ、一切の慈悲なく敵を貫け!! 焔弾槍!」


 甲虫種の集団が火だるまになって消え去る。相も変わらず見事な手腕だった。炎そのもののような紅い髪から受ける印象の通りに、エトロが最も得意とするのは火系の魔法だ。

 対してヴェネタ先生は、出自の所為か、光系の魔法を好む。銀髪紫眼に尖った耳。特徴的な容姿は、ヴェネタ先生がエルフ族であることを示している。


 「永遠なる淑光の精霊よ、この身を糧とし闇を蹂躙せよ!! 聖光降臨!」


 光の柱が数本立ち、それらの根本に位置していた甲虫種の群れは忽然と消滅した。




 それから小一時間ほどで、湿地帯に異常発生した甲虫種群の掃討は終わった。




 「怪我はありませんか、クロエ」

 「はい、先生」

 「エトロ、あなたも無事ですね?」

 「当然ですよ。あんな雑魚」


 肯いた私達を見、言葉通りに無傷である事を確認すると、帰路でヴェネタ先生は重い溜息を吐いた。

 

 「クロエ。入学試験で、あなたの潜在魔力量は歴代生徒中最高位であることが証明されています。授業の成績も悪くはない――いえ、むしろトップクラスです。なのに何故、実技だとこうも振るわないのでしょうか……」


 先生、それはですね―――私の中の"羞恥心"が邪魔をするからです。


 指導者として責任を感じているのか、落ち込みを見せるヴェネタ先生に申し訳なくなって、私は心の裡でだけだったけれど、そう返事をした。だって、本当の事は到底言えないから……。




 * * * * * * * *




 私こと、クロエ・ホランド・ウォールデンは、転生者だ。前世はごくごく普通の日本の女子高生だった。死因は覚えていないが、気が付いたらここ、魔法文明の発達した異世界ミュウミュウに転生していた。


 生まれ変わった私には魔法に対する天賦の才能があったらしく、就学時の適性検査にて魔法使いコースへの進学が決定された。この世界では一般的な職業だ。魔力量の多かった私は、その中でも名門のゴヤール学園に入学した。


 この世界ミュウミュウでは、魔法の発動には呪文の詠唱が必要不可欠だった。

 ごく少量の水とか光とかを発現させるような簡単な魔法なら、単語一言でも良い。しかし攻撃魔法――特に、精霊の部分召喚を兼ねた強力な魔法――では、効果の大小は難易度、つまり呪文の長さに比例する。文言が長ければ長いほど、複雑であれば複雑であるほど、使える魔法は強力となるのだ。

 必然的に学校の授業内容は呪文の暗記が中心となる。


 もともとの潜在魔力量が多かったのと、転生前の真面目な日本人気質を引きずっていたのもあって、学内での私の成績は優秀だった。暗記は前世から得意だったしね。

 でも、実践だけがどうにも不得手だった。何故かと言うと。



 ――呪文詠唱が、死ぬほど恥ずかしいのだ。 



 実際の敵相手に赤面物のあんな台詞、私には真面目に言えそうもない。あの綺羅綺羅しい言葉の羅列を臆面もなく素面で口に出来るのは、前世の日本では厨二病患者くらいだろう。

 前世の記憶を引きずり過ぎだって事は、よく分かってる。詠唱はこの世界では当たり前の風景で、むしろ難しい呪文を一言一句違えずにそらんじれる事が誇らしいという事情も理解している。

 でも、駄目だ。駄目なのだ。

 授業中、ドヤ顔で自分に酔った台詞を放つクラスメイトの姿に耐えられず、何度体調不良を装って教室を抜け出したことだろう。

 恥ずかしいと思う感情をコントロールする事は難しい。

 筆記試験ならまだなんとか堪えられる。でも、口に出して呪文を唱えたりしたら、絶対に私は吹き出すか、羞恥に口ごもるかするだろう。戦闘中に笑い死に、もしくは悶絶死……すごく嫌な死に方だ。



 私がこれほど呪文魔法に拒否感を覚えるのには訳があった。



 実は、前世の私には弟がいたのだ。

 私が高校生の時、3つ下の弟は中学生で、まさに厨二病罹患中。ソレ系の漫画やアニメ、小説に熱中しており、机の引き出しには自作の呪文を綴った創作メモが、ベッドの下には手作りの剣が隠してあったりした。その上、クローゼットには設定ノート集と黒づくめの衣装に仮面まであったっけ……。うわ、偶然見つけてしまった時の事を思い出すと全身がむず痒くなる。その後しばらくは弟の顔が正視できなかった。

 ウウン、オ姉チャンハ何モ知ラナイヨ? 何モ見ナカッタンダヨ? 

 禁断の扉を開けてしまった痛過ぎる思い出が、転生してまで付いてくるなんて恐ろしい。厨二病、侮り難し。




 * * * * * * * *




 「何やってんだ、クロエ」


 昼休み。学園の中庭で植え込みに埋もれるようにして座り込んでいたら、エトロに声を掛けられた。通路を通り掛かったら私の姿が目に入ったらしい。隠れてたのに何故分かったのだろう。


 「……ヘコんでるの」

 「ああ?」


 言外に"放っておいて欲しい"と伝えたつもりだったのだけど、エトロは茂みをガサガサかき分けてこっちに近付いてきた。


 「ちょっと」

 「うるせえ、詰めろ。俺の髪は目立つんだから、見つかりたくないならもっと奥に行け」


 もう、だったら来ないでよ。言い掛けた言葉はエトロに睨まれて立ち消えた。


 「何で落ち込んでるんだよ。また学園長にしぼられたのか」

 「……うん」

 「この間の実地演習の件か」

 「……そう」

 「まあ当然だな。学科は優等生なお前が実技になると皆目ダメなんだから、そりゃあ手を抜いているんじゃないかって疑われるだろう。俺だって前回の武器には呆れたよ。魔法使いが物理で戦ってどうする」


 エトロの言う事はもっともだった。


 ……まあ、あれだ。毎回毎回ペアになってエトロに迷惑を掛けているのがあまりにも申し訳なくて、私なりに呪文を使わずに戦う方法を模索していたんだけど。

 今にして思えば、ポールアックスはなかった。エトロとヴェネタ先生が数百匹の甲虫種を仕留めている間に一匹倒すのがやっとだったもんなあ。我ながら非力さに嫌になる。


 「はき違えるなよ。魔法使いは呪文を唱えてナンボだろ」

 「エトロは凄いと思うよ。さすが学年二位なだけのことはある」

 「……一位のお前に言われても、嫌味以外の何物にも聞こえないな」

 けっ、とエトロは横を向いて唾を吐き捨てた。

 「気に入らないんだよ、お前。その気になれば強いくせに、戦闘では毎回役立たずだ。なんで呪文詠唱しない? 俺のこと、いつも一歩引いた目で見てるだろ」


 うん。私、お荷物だよね、ごめん。

 正論すぎて弁解も出来ない。私はエトロの強い眼差まなざしから目を逸らした。

 私から見れば魔法使いの言動は厨二臭くて恥ずかしいものでしかないんだけど、本当はこの世界ではそうじゃないんだよね。私の価値観の方がおかしいんだ。

 魔法使いであるという事に躊躇いも迷いも全く持たない彼の前にいると、時折、前世の記憶に惑わされてばかりの自分が、ひどく中途半端な存在に思える時がある。


 まあどちらかと言えば、"一歩引いた目"じゃなくて"生温かい目"で見てるんだけどね。

 ……エトロには絶対言えないけど。


 「私、向いてないんじゃないかなぁ……」


 ぽつりとこぼした言葉は、エトロの癇に障ったようだった。


 「俺より成績良い癖に何言ってる? 適性検査で魔法使いに振り分けられて、国一番の魔法学園で首席まで取っておきながら、他の職業になんて就ける訳ないだろ。怠惰者と見なされて再教育コースに送られるのがオチだぞ」


 くしゃり。

 私の頭に手を置いて、エトロは茂みから立ち上がった。


 「くだらない事悩んでないで、さっさと同じ舞台に上がってこいよ、クロエ。このまま俺の不戦勝なんて面白くない。お前はもっと強い魔法使いになれるはずだ。その上で正々堂々とお前を負かすのを、俺だって楽しみにしているんだから」


 ……う、わぁ……。

 さすがに躊躇いもせず呪文をキメられる人種だ。前世の少年漫画に出てきそうな煽り文句を残して、エトロは私の隠れ場所から出て行った。


 「……好敵手と書いてライバル、強敵と書いて『とも』、ってやつ?」


 どうしよう。それはそれで恥ずかしい気がする。




 * * * * * * * *




 「先週出しておいた課題を集めます。皆さん名簿順に提出して下さい」


 ヴェネタ先生の担当科目は呪文学だ。先週のレポートの課題は『呪文の成り立ちについて』。

 講義が終わって廊下に出たところで、私は背後からヴェネタ先生に呼び止められた。


 「もし良かったら手伝ってもらえませんか、クロエ」


 日頃の恩があるので、私は二つ返事で引き受けた。

 大量のレポートを先生2:私1の比率で分け合って持ち、先生の部屋まで運ぶ。ゴヤール学園では教室とは別に、教師一人につき個室が一部屋、各人に与えられている。さすが名門。


 「まだ流し読みの段階ですが、今回のレポートもあなたの出来は非常に良いようですね」


 荷物を置いてお礼がてらに勧められたお茶を味わっていると、向かいの椅子に腰掛けてレポートをめくっていた先生が何やら難しい表情で顔を上げ、私を見た。


 ていうかこの短時間にもう一通り目を通されたんですか。読むの早過ぎです先生。


 「これほど魔法の真髄を理解しているあなたが呪文詠唱を苦手にしているとは……実に惜しまれますね……。クロエ、幾度かあなたと実地演習に出てみて気が付いたことがあります。もしやあなたは、何か訳があって呪文を口に出来ないのでしょうか」


 「……!」


 先生のエルフならではの鋭い視力には、目の前の私の動揺具合はあからさまだったのだろう。

 ヴェネタ先生は、ふ、と張り詰めた頬の筋肉を緩めた。


 「やはりそうなのですね」


 「せ、先生! 先生、あの……!!」


 「落ち着いてクロエ。――その訳が何か、とは訊きません」


 はい、訊かないで下さい。非常に説明しづらいです。


 「これは私からの提案なのですが。今ある呪文の詠唱が憚られるのであれば、あなたが新しい呪文を作ってみてはどうでしょうか」


 え?


 「新しい……呪文?」


 のろのろと先生の言葉を鸚鵡返しにした私は、ひどく間抜けな顔をしていたはずだ。けれどヴェネタ先生は笑いもせずに生真面目な言葉を続けた。


 「呪文の成り立ちを調べてみて、気付いたでしょう? そもそも呪文とは、精霊に願いを聞いてもらうための符号なのです。耳に心地よい言葉の並び、リズム、音階を言挙ことあげする事で彼らの注意を引き、自らの魔力を代償に力を貸し与えてもらいます。現在我々が学び頻用している呪文の数々は、過去成し遂げたアプローチ事例の集大成に過ぎません」


 「新しい呪文の開発……」


 目から鱗だった。恥ずかしい言葉が嫌なら、そうじゃない言葉を作ればいいだなんて。

 ……あれ、でもそれが難しいからこそ、呪文の成功例を皆が必死に暗記しているのでは?

 眉根を寄せた私を見て、ヴェネタ先生は優しげに微笑みを浮かべた。


 「簡単な事ではないでしょうが、クロエ、私はあなたならやれるのではないかと思っていますよ」




 * * * * * * * *




 「呪文……呪文ねぇ……精霊の好きそうな言葉なんて浮かばないなー」


 先生の部屋を退室してから、私は頭を捻っていた。

 厨二臭の無い言葉の羅列で一定のリズムがあり、覚えやすい文言といったら何だろう?

 咄嗟に甦ったのは、前世の記憶だった。中高教育課程で脊髄反射的に叩きこまれた語呂合わせだ。


 「あり・をり・はべり・いまそがり!」


 ―――いや、ラ行変格活用なんか出してどうする私。


 「ヒー・ヒズ・ヒム・ヒズ、シー・ハー・ハー・ハーズ!」


 ―――だから、三人称単数なんか出しても、以下同文。


 その後私は、『平家物語』や『枕草子』の出だしを暗唱したり、アルファベットの歌を歌ったり、円周率を言ってみたりしたんだけど、すべて梨のつぶてだった。


 「駄目だ、使えない……」

 私は頭を抱えた。



 と。

 ガサガサと葉擦れの音がして、目の前の茂みが掻き分けられた。私の瞳に映った侵入者は、日の光に縁取られた逆光のシルエットだけだったが、雰囲気でエトロと分かる。そもそも私が中庭のここの植え込みに隠れる癖があると知っているのは彼くらいのものだし。


 「ここにいたか。探したぞクロエ、午後の授業は差し替えになった。またモンスター駆除だそうだ」


 急遽、実地演習か。余程被害の大きいモンスターなのだろうか。種類は何だろう。

 ん、でもなんでわざわざエトロが呼びに?


 「俺とお前が同じ班だからだ」


 「ええ、またエトロとペア!?」

 「……不満なのかよ」


 驚きに口から漏れた私の叫びに、エトロが不機嫌そうに口の端を歪める。

 こういう時、内心で思っていなくてもついついフォローしてしまうのは、和を尊ぶ日本人のさがだ。


 「嫌とかそんなんじゃなくてさ……いくら学年一位と二位だからって、おかしいよ。ちょっと頻繁過ぎない?」

 「うっせえな、敵を倒せばいいんだから誰と組んでも同じだろ。ほら、行くぞクロエ」

 「ちょ、待ってよエトロ!」


 私は茂みから引きずり出された。




 * * * * * * * *




 ジュウウウ。密閉空間に、不吉な音と、隠しようもなく肉の焼ける臭いが充満する。


 「エトロ!!」


 背後のエトロに向けて必死に叫ぶが、応答はない。エトロの咥内は異物に侵入されて塞がれていた。呪文を紡ぐことも出来ない。否応なしに圧し掛かる彼の重みに、呼吸困難で意識を失ったのかと肝が冷える。


 ―――油断した報いだった。





 実地演習に来た森で、敵の第一波を退けた後。ヴェネタ先生が偵察に場を離れ、私とエトロは現場待機となった。手持無沙汰に、近くの木立につい凭れ掛かったのがいけなかった。


 「クロエ!」


 呼ばれてハッとした時には、頭上の枝から巨大なスライムが滴り落ちてくる所だった。咄嗟に私はしゃがみ込んでしまう。すぐに横に逃げるべきだったと気付いたが、もう後の祭りだった。パラシュートの傘状に広がった粘体に包み込まれる寸前、エトロが滑り込んできて私の上にかぶさった。

 視界の総てが半透明のピンクに遮られる。スライムに粘着されたのだ。

 「っ……!」

 エトロの声がくぐもって聞こえ、肉の焼ける醜悪な臭いが立ちこめた。

 私とスライムの接触面はエトロのおかげで最小限と言って良い。にもかかわらず、顔や手等の、服から露出している部分がひりひりする。エトロの惨状が容易に想像できた。

 おそらくはスライムの溶解液が分泌され始めたのだ。己の体内に閉じ込めた私達を、ゆっくりと溶かして吸収しようとしているのだろう。このままでは、私を庇うように背を覆うエトロから先に餌食にされてしまう。


 なんで。エトロの馬鹿、なんでなの!?

 何故私を庇ったりしているの!

 いや、馬鹿なのは私だ。私が油断した。私がエトロを巻き込んだ。


 泣き出したいくらいの自己嫌悪もエトロの行動への疑問も、ひとまず棚上げだ。今、このスライムを倒さなければどんな感情にも意味が無い。共倒れになるだけだった。



 なにか。

 何か、呪文を。

 恥ずかしいとか思っている場合じゃない、何でもいい、この現状を打破したい。私達を閉じ込めてエトロを苦しめているこの粘液の化け物を木端微塵にしてやりたい、そうだ、こんなやつ元素レベルに至るまでバラバラにしてやる……!

 元素。

 その瞬間、脳裏をよぎった言葉に私は溺者のようにしがみ付いた。記憶の海から掬い上げたこの一文は確かに呪文だと思った。怒りのままに言葉を唇にのせる。精霊よ、応えて!

 

 

 「スイ・ヘイ・リーベ・ボクノフネ・ナナマガル・シップス・クラーク・カ。元素分解!」



 閃光が走り、私とエトロを食らい尽くさんとしていたモンスターが、体組織の一片に至る迄分解された。さっきまで半透明のピンク色に遮断されていた、青い空が見える。新鮮な空気が肺を満たす。

 「エトロ!」

 覆い被さって守ってくれていた彼は、私の背中から力無く地面へと滑り落ちた。横転してしたたかに身体を打ち付け、一瞬呼吸が止まる。駆け寄った私にも、手足を丸めて苦しみに歪むエトロの表情が見えた。


 「ぐっ、げはっ、ごほごほっ!」


 エトロが胃液を吐き出した。咥内に侵入したスライムは本体同様に原子分解されたようで黄色い液の中にゲル状の物質は見当たらなかったが、強酸に喉の奥まで焼かれたのだろう、少しだけ血も混じっていた。


 「エトロ、エトロ、ごめん。私がヘタレだったから、私なんかを庇って、私と同じ班になった所為で……!」


 苦しげに嘔吐を繰り返すエトロの背を擦りながら、私の目からとめどなく涙が溢れた。


 「エトロ! クロエ!」

 ヴェネタ先生が舞い戻ってきた。エトロの状態を一目見て顔を顰め、治癒の呪文を口ずさむ。


 「恵愛深き癒しの女神よ、愛し児に慈雨を降らせ給え……エトロ? 大丈夫ですか?」


 「……あ。……はい」


 別人のようにしわがれた声でエトロが返事をした。嘔吐が止まったようだった。次第に呼吸も落ち着いていく。

 私は気が抜けてそのまま地面にぺたりと座り込んでしまった。

 良かった。もう声が出なくなるんじゃないかと思って怖かった。エトロが、し、死んじゃうんじゃないかと……。

 涙で頬を濡らす私を見て、きまり悪そうにエトロは咳払いをした。


 「……俺が頼んだんだよ」

 「え?」

 「だから! クロエと同じ班になれるように、毎回俺が申請していたの! お前が呪文に開眼する瞬間が来るなら、絶対に誰よりも早く一番近くで見届けたかったし。二人組なのも希望! その方が優劣つけるのに分かりやすいだろ」


 エトロ、あなた今結構な重傷なんだけど。どこまで勝敗に拘るの……。


 「だから、気にするな。お前を守ったのは俺の勝手だから。将来有能なライバルになるはずの人材を失いたくなかっただけだから」


 溶解液を被ったエトロの皮膚はいまだ赤く爛れて、髪の毛の一部は燃えて縮み、独特の嫌な硫黄臭を醸している。痛い、はずなのに。そんな気配を微塵も感じさせずに、エトロは得意気に口角を上げた。


 「――聞いたこともない言葉、新しい呪文か。お前でなければ不可能だっただろうな。良くやった、クロエ」

 「……!」


 エトロに褒められた事など、今までに一度だってあっただろうか。不意打ちのような賞賛に、思わず私は息を飲んでしまう。その様子を見てエトロは、擦れた声を上げて笑った。


 「ほらな。俺の目は確かだっただろ?」

 「……馬鹿!」

 呆れて私の涙も引っ込んでしまった。


 「ちなみに私も希望を出したクチですが……それはともかく、クロエ、構えて。第二波が来ます」

 そんな私達を庇うように前方を睨んでいたヴェネタ先生が警告を発する。

 先程の攻撃を受けて一旦は引いた敵が、木の影に紛れてじりじりと再接近していたのだ。


 今回の討伐対象である中型モンスター、牙獣種の群れだ。

 四足歩行の哺乳類、ライオンや狼の群れを想像すると近いと思う。先の甲虫種とは異なり、群れにはリーダーがいて統率された動きをする。鋭い牙と爪を持ち、発達した四肢と凄まじい跳躍力を持つ。油断できない相手だ。


 「エトロは休んでて」


 私の指示に、エトロは不満げな顔を隠しもしなかった。ヴェネタ先生に諭されて不承不承従う。

 もうホント、怪我人の癖に何やってんだか。


 私はヴェネタ先生の横に並び立ち、迫り来る牙獣種に向かっておもむろに右手を掲げた。

 もう、迷わない。私なりの呪文で戦うと決めたのだ。



 「スイ・キン・チ・カ・モク・ド・テン・カイ…………(あれ、メイは入らないんだっけ。ま、いいや)。惑星直列!」



 伸ばした私の腕の延長線上、おそらく数百メートルに亘って超重力場が形成され、範囲内に存在した牙獣種の集団が圧縮されてぺしゃんこに潰れる。

 太陽系の惑星が直列しても実際にはそこまでの重力変動は起こり得ないはずなんだけど、どうやら魔法効果は術者のイメージに左右されるらしい。私の呪文に反応してくれた精霊――誰なのか知らないけど、聞いた事のない言葉の響きを面白がっている気配がする――は、よほど太っ腹なんだな。


 これなら。

 いける。

 このまま一気に敵を殲滅してやる。


 「もう新呪文を会得したのですか。さすがですね、クロエ」

 ヴェネタ先生が驚いたように目を丸くした。


 私は、にやり、とまるで少年漫画の悪役のような笑顔で応えた。

 



 うん。負ける気がしない。






……一周まわってカッコいいと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] むしろ呪文の内容がアホすぎてこっちの方が恥ずかしい件
[一言] これが呪文になるとはw 今までこんなの読んだこと無いですw
[一言] サ・シ・ス・セ・ソ 調理! ゲツ・ゲツ・カ・スイ・モク・キン・キン 過労死! 最強のような気がしてきました。
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