「働きたいけど働けない」は二流。「働きたくないから働かない」が一流
一面に広がるのはうっすらと白い雲がかかる大きな陸地。遠くの方には微かに街が見える。
それはまるでおもちゃのセットのように小さく見えて、俺が今どれほど高い所にいるのかを嫌ほど実感させた。
ごくり。今からこの断崖絶壁を飛び降りるのか。
いやなにも自殺しようとしている訳ではないんだ。俺も≪飛翔≫できるはずだし。たぶん。
そういえば最後に空を舞ったのっていつだろう? 引きこもる前だから、5年くらい前か?
ヒュオオオオ。と、風が吹く。
やっばい。怖い。
よし、まずはこの場に浮けるかどうか試してみよう。
目を瞑り、全身の力を抜く。俺は龍だ俺は龍だ俺は龍だ。空を飛べる空を飛べる空を飛べる。
……あれ? どうやって空って飛ぶんだっけ?
おかしい。俺の予定ではぶわーっと青いオーラが出て、ふわーっと空を飛ぶはずなんだけど。ただただ感じるのは風が下から吹き付ける音とその風圧くらいだ。
もういっそ普通に下山しようか。わざわざ崖から飛び降りる必要もあるまい。
「リックあんた何してんのー?」
「のうわぁ! ビックリした……って落ちる落ちる!!!!」
突然下からマリ姉が現れた。その拍子に足を踏み外しそうになる。
「……殺す気か、くそ姉貴!! ってユミーカは!?」
その腕の中にユミーカの姿はない。もしかして下に置いてきたのか?
「下よー?」
何か問題でもある? とでも言いたいかのように肩をすくめてみせるマリ姉。
「一人にして大丈夫なのか? 下には魔物がかなりいるんだろ?」
それもそうとう凶悪なやつ。
「まぁ大丈夫よ? 召喚獣も置いたし。それよりリック。あんたがノロノロしてるからいけないんでしょ? 早く来なさいよ」
と、ふわふわ浮かんだまま俺を責める。それができたら苦労しないんだよお姉さま。
「何? まだ家に帰りたいとか思ってるの? もういい加減諦めなさいよ」
と、全く違う方向に俺が躊躇する理由を予想してくる。違うよ。そうだけどそうじゃないんだよ。
「ほら行くよ! もう諦めなさい!」
「いややめて? なんで手を掴んでんの? 引っ張らないで? やめて? いやそれ以上引っ張ったら落ちちゃうから! やめろぉぉぉぉ!」
「そおれ!」
グイ! と、マリ姉が俺の腕をいきなり強く引っ張った。
俺の体重を支えていた地面が、足元から消える。
「うわぁぁぁぁぁ!」
まるで、空気の絨毯が俺を包み込むような感覚。落ちているというよりは、地面が近づいてくる。耳元では風が吹き荒れ、風の音以外何の音も聞こえてこない。
やばいやばい! 落ちてる! 俺落ちてるって!
うわぁぁぁぁ! 都合よく目覚めよ俺の竜人の血! てか俺もともと竜人だから目覚めるも何もないや! 飛んで! 早く空の飛び方思い出して俺!
しかし俺の願いも虚しく、地面はどんどん大きくなってくる。このままだと地面と激突してしまう。
「いやだ! まだ死にたくない! マリ姉! 赤爆龍様! お助けくださいー!!」
と言った瞬間。辺りから風の音が消えた。だが落下はやんだ様子はない。
とうとう俺の耳が恐怖でおかしくなったか。
『やっと我を求めたか。仕方がない、助けてやろう』
脳内で何か声が響く。なにこれ幻聴?
と思った瞬間。俺の体から、赤い粒子状のオーラが一気に迸った。それと同時に、風が耳を叩く音も再び聞こえ始める。
だがもうそこは地面だ。激突まであと数秒ってところだろう。
いくら地面が草原といっても、このスピードでぶつかればひとたまりもない。
咄嗟に、赤い粒子を使って俺の体を引き上げる。
すると下向きに落下していた俺の体が、一気に水平方向へと進みを変える。
続いてその粒子を使って、体を後ろ方向へと引っ張ると、みるみる速度が低下していく。
いける! これなら着地できる!
だが、その瞬間赤いオーラは消失した。
「ウソでだろ!? 普通このタイミングで消える!?」
そのままひゅるるーと地面に落下する俺。そして、ずるるるる、とまるでヘッドスライディングするかのように地面に着地した。
「うぎゃあああ! いてぇぇぇ!」
すーっと、マリ姉が横に着地する。着地と同時にマリ姉を包んでいた青いオーラは霧散した。
「何してんのリック? なんで着地しないの?」
「しないじゃなくてできないの! 殺す気か! 飛び方も忘れてたっての!」
「ウソでしょ!? ……あんたそれでも竜人?」
と、若干非難の目を浴びせてくる。理不尽だ。むしろ奇跡的に助かったっていうのに。
それより、途中で俺を包んだあの赤いオーラなんだったんだろう? まさか俺の眠れる力とか?
まぁ、あんな魔法チックな事は専門家のマリ姉に聞いてみるのが一番だろう。
「なぁマリ姉俺の赤いオーラ見た……?」
「あ! ユミーカちゃん忘れてた! ちょっと連れてくるからここで待ってて!」
「人の話聞いて!?」
完全に俺の事を無視して、青いオーラをまき散らしながら颯爽と飛び去ってしまった。
まぁいい。それほど時間もかからないだろうし、一人のんびりしとくか……。
……あれ? 俺一人? ここって結構魔物出るよな?
警戒して、ざっと辺りを見渡してみる。何もない。あるのはムカつくくらい眩しい太陽と、青々と茂る草原がどこまでも続いている事くらいだ。
とりあえず周りに魔物はいないみたいだ。これならマリ姉が帰ってくるまでは一人でいても大丈夫そうだ。
ふと山を見上げる。周りが平坦なせいか異常に高く感じる。俺あそこから落ちたんだな。
目を凝らすと、頂上付近に俺が今さっき飛び降りた広場がうっすらと見えた。
……俺よく助かったな。あぁよかった。
なんとなく、大きく深呼吸してみる。すると、様々な香りが俺の鼻腔を刺激する。おぉ、魔法ネットで聞いたことはあったけど、本当に下界の空気の味って変わるもんなんだな。
その時、目の端で何かが動くのを感じた。あれ? 気のせいか?
と思ったその刹那、カキン! という小気味よい音とともに背中に大きな衝撃が走ったと思うと、俺は体ごと吹き飛ばされた。
「ぐはっ!」
思わず肺から空気が漏れる。どうやら背中に装備してある刀、『黒雲母』に何かがぶつかったらしい。
体はほとんど無傷だ。初めてこのくそ重たい刀を装備しててよかったと思った。
それより何に攻撃されたんだ? いつから敵がいた?
すぐさま後ろを確認する。するとそこには、大きな棍棒を持った緑色の小さいゴブリンが、にやけた面をしながらこちらを見ていた。
やべぇ。またしても絶対絶命じゃないか。確かこいつは『擬態ゴブリン』だ。竜人山付近に住むタチの悪いゴブリンで、竜人山に近づこうとする輩は真っ先にこいつの餌食になるらしい。
まぁ竜人の俺が餌食になってたら世話ないんだけど。
『擬態ゴブリン』は、擬態を駆使して獲物を一撃で仕留めることが特徴だ。その移動速度は、一撃にかけている以上極めて遅い。
その一撃を逃してしまった以上、こちらにも勝機はある。
俺も竜人の端くれだ。腐ってもあの天下の将軍『剛剣の武神』と呼ばれたジョナサンの息子であり、その誇りも髪の毛程は存在する。
となると、俺がとる行動はたった一つだけだ。
「マリ姉ぇぇぇぇ! 助けてぇぇぇぇ!!」
背を向けて逃げる事! 相手は足が遅いからな! 逃げて逃げてマリ姉が来るのを待てばいいのさ!
☆
少し走ると、高さ4メートルほどの大きめの茶色の岩を発見した。
よし、あそこに隠れよう! 『擬態ゴブリン』は緑色だから近づいてきたらすぐにわかるはずだし。
岩に近づき、登ろうと岩肌に手をかける。
その瞬間、岩は大きく起き上がり人型へと変形した。
ウソだろ。これゴーレムじゃないか……。
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