三人 赤嶺魔法事務所
「暑い……」
事務所に帰る道中、いよいよ辛抱たまらなくなったので髪をくくる。
背中まで垂れる黒髪は必要以上に太陽光線を吸収し、次のターンにはビームが撃てそうだった。
「縛るの? ポニテにしようよポニテ」
「それだとおそろになっちゃうじゃないですかヤダー」
ちゃちゃっと、大まかに肩口で二つに縛る。所長は不満げだったが放っておく、所長の思い通りにはさせないぜ。
「所長、それで結局どうするんですか?」
結び目の位置を確認しながら所長に問いかける、街の人々の魔力がなくなるという違和感に気づいてから、実際には特に行動を起こしているわけでもなく、私は今日みたいに所長に連れられて街の様子を視るばかりだった。
所長個人でも何か行動を起こしているわけではないと、事務所のもう一人の仲間が言っていたし、そろそろ気になる頃だったのだ。
所長は今晩の夕飯の献立でも選んでいるかのように答える。
「んー色々考えてはいるんだけどねー……。魔力が無くなっても即やばいってほどでもないんだけど……なんにせよ規模が規模だろうからなあ……」
「……そういえば所長、魔力が無くなるとどうなるです? さっきも聞いたんですけど」
事務所が『魔法』事務所だということは事実、それを裏付ける証拠もある。
しかし当初私自身に魔法についての知識はほぼ無く、私は本当にただの女子高生事務員として事務所に所属しているようなものだったのだ。
「そうだね……魔力は誰しも持っている、そのことは知ってるよね?」
私が所長の事務所に来たのが四月、それから四ヶ月の間にある程度の知識は教えられていた。
「ええまあ、生物なら大小関係なく、基本的に持ってるものなんですよね」
「そう、生物としての自我を保つ為の保護の役割として魔力はある。決して魔法を使う燃料としてだけに存在しているんじゃなくて、キチンと普通に生きる上での役割があるんだよ」
そこまでは私も知っている範囲だった、ではそれが無くなるということはどういうことになるのか。
「ん……もしその魔力が無くなるとね、まず精神面で病にかかりやすくなる。情緒不安定になったり、鬱、妄想、幻覚幻聴。表向きにはそういった疾患が現れやすくなる。だけどあくまでかかりやすくなる、というだけで別に魔力があったからって鬱になる人はなるし、ならない人は例えクラスメイトにえぐく虐められてもならない」
「そういうもんですか……。じゃあなんで魔力が無くなってるんですか? 明らかに自然に無くなったものじゃないんでしょう?」
「それがわかれば、という話しなのだよワトソン君。人為的な力が働いてるのは間違いないが、目的も手段もまだ不明瞭だ。いずれにせよ慎重に行動することが重要なのだよ」
もちろん私の名前はワトソンなんかじゃない、誰だそれは。
どうにも今の時点で何を話しても推測の域をでないらしいので、そこから私と所長との会話は脱線していったのだった。
乱歩さんはエドガーさんが好きだけど、コナン君は探偵じゃなかったらしい。それに所長はそもそも探偵じゃないから私はワトソンには成りえない。百歩譲って七瀬美雪ちゃんだ。
「名探偵がいる限り事件は無くならない、亡くなる人が増えるばかりだ。連載を続ける限り罪も無いキャラクター達が生を受けは死んでゆく。人の命って本来そう簡単に扱っていいものでもないだろうに」
「フィクションだからしょうがないんですよ、彼らがいないと作者が首をくくることになりますし。浮気調査ばっかりやってる高校生探偵なんて嫌過ぎます」
とまぁそんな感じに話しに適当に合わせて不毛な会話を続けていると、もう事務所は目の前だった。ああ、やっとクーラーの利いた室内へ入れる……。
「あ、あいつに何かお土産でも買ってくれば良かったな」
「……買うにしても何買うんですか? キャットフードとか?」
半笑いになりながらそんな事を言う、そんなもの食べないのは知っていたが。
四階建て雑居ビルの二階のポストには『赤嶺』の文字。赤嶺千歳、それが所長の名前だった。
その中には一通の便箋。所長は確認もしないで事務所に入ってしまったので、しょうがないから私がそれを取り出す。
「ただいまー」
「ただいま」
私が所長に遅れるように事務所に入り、既に奥の扉の向こうの作業室に向かおうとしている所長を後ろから呼び止める。
「所長ー、なんかポストに入ってましたよ。差出人の名前は書いてないですけど」
「ん? おう、あにがとコトちゃんっ。はいぎゅー」
「ぅわっ、帰ってきた途端、なんですか! あつい、あっついですからほんと、やめてぇ……」
最近になって頻度の増した、所長によるセクハラホールド。きっと訴えたら勝てる。
そして私と所長が乳繰り合っていると呆れたような、少年のような声が一つ。
「嫌がってるんだから止めてやれ……。そのうち本気で避けられるぞ」
所長の机の上で寝転びながらそいつはそんな事を言う。
そこにいたのは厚めのシャツにオーバーオールを着てどこか牧歌的な雰囲気を醸し出した人形、しかしその袖から覗く手やこちらを見る翠色の瞳を持った顔は――黄金の毛並みを持った猫。名前をレオという。
「コトも油断してないで敵から身を守るくらいの力は身につけなきゃな、せっかく良い魔力もってんだから」
「敵て! 私はコトちゃんの誰よりも味方だよ! 失礼な!」
言いながらも所長は私の事を離さない。
せっかく……涼しい室内に戻ってこれたと思ったのに……。
そんな風にこの事務所には所長であり胡散臭い魔法使いの赤嶺千歳さん、魔力で動く黄金猫人形レオ、そしてザ・女子高生の私、与那城孤都の三人が、世間の隅で隠れるように、それでも割りと楽しげに生きていた。
セクハラ