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始業式ショック

 長野を訪れ、寮に入ったのは三月末も末だった。四月七日に始業式を行うまで猶予はそれほど多いわけではなかった。その間に教科書を買いそろえ、細々とした生活必需品を買いに行くことをくりかえした。生活をすればするほど、あれも必要これも必要と気づき、非効率ながら何度もバスを使って麓まで降りなければいけなかった。

 奏介も買い物にはつきあってくれたが、彼は男性なので女性的なものを買うのにつきあわせるのは忍びないし恥ずかしかった。何着か洋服や下着を買うとすぐ持ち運ぶには重くなるので、何回かに分けて買いに行っていた。結局春休みは買い物で終わってしまった。宿題がなかったのが、せめてものの救いだ。


「お疲れさん」

「あ、ただいま」


 始業式を明日に控えながら、ノート類がないことに気づいたので急遽また午後に買い物に下りた。文房具屋でまたいくつか買いそろえ、戻ってきたのは七時過ぎである。まあ、バスに乗り遅れて一時間待たされたのが主な原因だが。


「ご飯作ったけどすぐ食べるか?」

「うん、食べる。ありがとう!」


 最近気づいたことだが、奏介は二人部屋にすんでいるにもかかわらず、一人で居た時期が非常に長かったらしい。曰く、小学五年生の時には既に半一人暮らしを開始していたらしい。彼とルームシェアをしていた相方は、父親が遠くに行く影響で出て行ってしまったようだ。

 そこから食堂を使用しながらも、自炊の割合も多くなった結果、手際よく、うまく料理をしてくれる彼に作ってもらっている。ちょっと神奈ですら、ああ料理の修業しなきゃ、と思っていた矢先にこれである。


「明日は始業式だけど大丈夫か?」

「ぜ、ぜんぜん。段取り聞いてないんだけど何なのよ。明日教えてくれるのかな?」

「それは俺が聞いているから大丈夫」


 ここ一週間のつきあいで思ったのだが、どうも彼は先生からの信任が厚い。と言うよりもそういった面倒ごとを任されている。彼は事実、去年学級委員であり、今年もなるつもり、とのことだが、そういった生徒の領分を超える仕事を頼まれている気がする。

 教師に詳しいわけではないから、実は生徒の領分を超えていない仕事なのかもしれないが。


「段取り教えてくれる?」

「はいはい」


 適当な紙を引き寄せ、時間を含めた当日の流れを書き出してくれる。始業式を終えたあとは、教室に直行すればいいらしい。てっきり始業式で挨拶しなきゃいけないのかと思ったが。


「奏ちゃんは始業式出るの?」

「いや、神奈についてくし大丈夫。遅刻にならない」


 そちらの心配はしていなかったが、良かったねと返す。個人的には、ろくに学校の下見に行けなかったため迷わないか心配だったのだが、彼が居るなら大丈夫だ。彼には面倒をかけっぱなしである。


「今日はカツ丼にでもしようと思ったけどさ」

「いや、受験じゃないし。重いよそれは」


 まるでおばさんみたいな夕食のチョイスに、神奈は笑ってしまう。そんな重いものを食べては、肝心の明日に胃もたれしそうだ。そんな今日の夕食は、野菜炒めとハンバーグである。


「明日は、まあ……。なめられないように喝! 喝! 喝!」

「そんな大げさなぁ……」


 振り返ってみると、実はそれほど大げさでなかった。カツ丼の一つでも食べておいた方が良かったのかもしれなかった。





 時間は八時二十五分。奏介は神奈の一歩前を歩いている。どの教室も始業式のせいか、ものすごい盛り上がっていて煩い。神奈の学校も、始業式は相当煩くて担任が扱いに困っていたのを思い出した。


「えと、確か2-2だから……」


 教室を指すプレートを見上げ、しっかり確認したあと、彼は振り返った。


「ん、まあここな訳だが」

「じゃあ早く入った方が……。あ、担任の先生待たなきゃいけないの?」


 五分前にもかかわらずこんな悠長な会話をしている理由は、そういうわけだと神奈は思っていた。しかし奏介は目をそらし、神奈の予想に答えなかった。

 どう見ても肯定している雰囲気に見えない彼の姿に、神奈は嫌な臭いというものを感じ取った。しかも特別ぷんぷんにおう嫌な臭いだ。


「よく聞いてくれ、神奈」


 ぐいっと身を乗り出し、神奈との距離を詰めてきた。神奈は思わず身体を硬くする。


「たぶん担任は三十分には来ない。おそらく別の手の空いた人がちょっと遅れてやってきてすぐ帰るだろう。とりあえず紹介とかは俺たちが自力でやると見て良い」

「え、あの。何で担任いないの? まさか、長期療養……とか?」


 何となく思い浮かんだ単語を振り払うためにも、一番すっきり納得できる単語を言う。ぶっちゃけ、これは結構無理があると神奈でさえ思う。学校によって様々、とはいえ、奏介の行動は担任が居ないのを想定しての行動だし、奏介の先の言い分はまるで他の教師は教室には出来るだけ居たくないと言いたげだ。


「お察しの通り、このクラスはな、ここ数年」


 そこで言葉を切り、罪悪感が浮かんだ目で神奈を見つめる。重い口を開いた。


「学級崩壊寸前、なんだ」


 うん、何となくわかってた、と言っても良いのだろうか。少なくとも言えるのは、何で転入するクラスがそういう問題のあるクラスなんだろう。


「なんていうかさ、担任の先生こなくなっちゃってさ。いや、良い先生なんだよ。他の授業はやって居るんだけど、俺たちのクラスの『担任』だけはボイコットしてるんだ」

「それは……。本当にこのクラスが原因だね」

「そう。まあそれを狙ってやっている訳じゃないのが良いのか、悪いのか……」

「え、それはどういう意味?」


 担任が嫌だとか、そりが合わないだとか、そういう理由で担任に接していたわけではないのか。


「っていうか、どいつもこいつも自分の思うがままにやっていたのが原因なのと、担任がそういう能力者じゃなかったのが原因だな」

「え……それは……」


 さっきのと比ではない嫌な予感がわき上がる。それはつまり。


「そ。能力者であるやつが上で、それ以外は下。そういう鼻っ柱が強い、鼻持ちならない集団なんだよ、天狗ってこと」

「それは、鼻につくわね……」

「……。まあそんな冗談が言えるならいいや。とりあえずさ、俺は君の味方だから、守るよ」


 奏介は教室の扉に手をかける。スライド式の扉をバンと開いた。奏介が部屋に入り、一歩下がっていた神奈も教室をくぐろうとした瞬間、何かヒュンと風が吹き、とんでもない音がした。


 自分のすぐ横にした音は何なのか。


 扉はへこみ、わずかに亀裂が走っている。その原因は机だ。磨き上げられた机も今は目も当てられない傷が入っていた。机が扉にぶつかった。いや、ぶつけられたのだ。

 それが自分を狙ったものではないか、そう神奈が考えるのも無理はなかった。

 思わず目の前にいた奏介の服をつかむと、奏介は大声で怒鳴った。


三枝(みつえ)!」


 その言葉に反応したのは、黒髪の少女、女の子だった。あれは女の子の仕業だとはとうてい思えない。三枝と呼ばれた少女も、身体は小さく華奢だった。


「あら奏ちゃん。おはよう、遅刻だね」

「遅刻じゃなくてちゃんとあとで救済措置は取られんの。それより、机なんか投げんな、誰だってわかるようなこと言わせんな!」

「あいっからわずの委員長ぶりね!」


 三枝はうっとうしそうな顔をした後、表情をころっと変えて神奈を見た。


「もしかして、転校生!?」


 にわかにざわついた。驚き、喜び、やじるような声がかけられる。神奈が答えあぐねると、奏介が素早く神奈のそばに近寄った。


「自己紹介できる?」


 小さく語りかけられた言葉に、神奈はすぐにはうなずけなかった。先ほどの行動よりも、その行動を起こせた少女、それに何の違和感も抱かないクラスメートに少し萎縮していたのだ。

 ごめんと謝ると、大丈夫、と彼は笑った。


「彼女は古詠神奈。前は東京の方に居たんだと。余り最初から飛ばすんじゃねえぞ」


 東京と言うと、歓声はさらに大きくなった。東京かぁ、と言う羨望の声まで聞こえはじめる。神奈はよろしくお願いします、と丁寧に頭を下げた。


「ね、ね。あなたは何の能力?」


 先ほどの三枝という少女が近寄ってきた。しかしその三枝と神奈の間に、奏介がしっかりと割り込んだ。


「そういうのは空気読んで訊けよ」

「空気読んで訊いたつもりなんだけどなぁ。ね、教えてよ、特別にさぁ~」


 まさか、そんな能力なんか無い、なんて言えない雰囲気だ。

 陽聖学園は能力開発も兼ねた機関であるため、多少遅くとも開花は出来るだろうとは、父の意見だったが。


「そぉだ! こうすれば、口開いてくれる?」


 ガタ、と音がする。おそるおそる後ろを振り返ると、先ほど扉にぶつかった、ヒビだらけの机が浮き上がった。ぐいっと、まるで糸のように不必要な揺れなく浮かぶ。


「それ!」


 子どもと遊ぶ時のような無邪気なかけ声とともに、机が神奈の方へ飛んでくる。


「ひぃあ!」


 ブンと、勢いもろくに殺さず向かってきた机を、神奈は思わずしゃがんでかわす。避けられた、と言う事実に気づき、今になってすさまじい冷や汗に震えた。


「ほれ!」


 机が床の上を蛇のように這いつつ、迫る。しゃがみ込み、身体も動かない神奈になすすべはなかった。痛みに耐えようと身体を丸める前に、ばしゃりと場違いな水音が響いた。


「調子のるのもいい加減にしろよ」


 白い紙をくっつけた木製の棒が神奈には見えた。その棒を振った奏介に呼応するかのように、あたりに飛び散った水たまりに波紋がたった。


「あ、ありが……」


 礼を言おうとした瞬間、身体の側面にすさまじい衝撃を受けた。まるで横っ面を張られたかのような、そんな衝撃。身体がふわっと、ほんのわずかだけ浮いた、気がした。


「ごめ……避け……とおもっ…………」


 声がとぎれとぎれだな、と注意深く聞こうと思っても、視界は暗くなるばかりだった。

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