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密談

「いい春風だな……」

 しんみりと男はつぶやいた。八畳ほどの部屋の真ん中に腰掛ける男は、後ろから来る春風に鼻をふるわせる。桜の木が近くにあったら、さぞ風情のある光景になっただろう。

「春眠、暁を覚えず。寝るのは家に帰ってからにしてください」

 もわもわと風を含んで膨れあがるカーテンをまとめ、もう一人の男が楽しそうに言った。

 ここは校長室。生徒が入ることは滅多にない、いわば秘密の花園。職員室とは圧倒的に違う待合い机、ソファ、文机などの豪奢な設備。目の前にあるお客様用には、生徒と親を座らせて膝をつき合わせることもあるので、いつもきっちりとカバーを掛けてある。いつでも来客の準備は完璧。トロフィーが壁にずらっと並べてあるのも、愛国心ならぬ愛校心を持たせるためだ。

 春風はいいものだが、いかんせん花粉を運びむずむずする。おまけに少々寒い。

「あ、ああ。ありがとう」

 ことりと置かれた休憩用のコーヒーは、暑い湯気を立てている。シュガーポット、ミルクがご丁寧に添えられていた。支度をした男は後ろに回ると窓を半分閉めた。相変わらず気の利く男だ。

「古詠君」

 写真のついた何かを見せながら呼ぶと、気の利く男――――古詠はやって来た。

「春の季節だからな。また大変なことが起こりそうだ」

 言外に、何でこんな時期に、と告げてくる男に、古詠は肩をすくめた。

「春は出会いの季節ですから、こういう出会いも構わないでしょう?」

「構わない。だが、去る者拒まずなのは、知っているな」

 現状の問題を鑑みて、将来を心配してくれるのはわかるが、悪い方向にばかり考えるのはいかがなものか。

「先生。去る者追わず、だったかと思います」

「元々ここは来るものを多少拒んでいるだろう」

 届けに貼り付けられている写真は、しっかりと写真屋さんでやってもらったらしく、血色も良いし、スピード写真とは比べられない質感がある。しかしそれでもどこか就活中の学生のごとき堅さがあるのは、この年代の少女としてほほえましい。身内びいきも含め、それに苦笑すると、大丈夫なのか、と再度重ねた。

「といっても、この時期を逃すと次はまた面倒になりそうなので」

「どこぞの誰かも、高三の秋頃に開発しただろう。様子見はいいのではないか」

 それは云われるだろうと思っていた。いくら力が、幼少の頃から測定できるほどなのに、ここ十年ほどそれに関する音沙汰がない。まさか黙っているってことはないだろうが、それならむしろ問題はない。

「彼とは違うんですよ」

「そうか」

「彼は最初から学校に滞在している故にスローペースでも問題はなかったとして、彼女にそんなことを適用しても、彼女は受験を理由に編入を断るでしょう」

「そんなものか。大学受験がゴールではないんだぞ」

「そりゃ……。大人からすればそうでしょうが、高校生は違いますよ」

 高校生のゴールは大学の春色合格だ。そこからスタートを切るまで多大な犠牲を払うかどうかは本人次第だし、実はさらなるゴールという名の就職が待っているが、高校生にそこまで考えさせるのはある意味酷だ。とりあえず、学校からすれば高校生のゴールは合格。それで問題ない。

「そこまで考えているのか。その割には計画がTHEいい加減! だが」

「まあ当たって砕けよ、ですよ……。フォローはするつもりです」

「そのフォローの付けは回り回って俺か」

 ぐしゃぐしゃと頭を抱える。これから起こりうること、彼が言うこと、それを考えると、あまりに憂鬱だ。これから暫く忙しくなりそうだ。

「お願いしますよ。……The()、じゃなくて、The()です。母音なので」

「日本語だからいい加減でいいだろう」

「英語でもirresponsible. こちらも母音です」

「責任がない、というのは自覚しているんだな」




 新幹線でおよそ二時間ほど。そこから地元の電車を使ってどんぶらこ。そこからまたスクールバスで……。

「そろそろげんなりだよ……」

 かれこれろくに旅行もしない神奈にとって、電車電車バスの旅が辛い。おしりが痛くなるし、バスなどは道――――神奈からすれば獣道――――をものともせず、獣のように突き進む。何度も言うが尻が痛い。

『陽聖学園高等科~』

「降ります!」

 ボタンを押して、ようやく解放された、とバスの段差を軽やかに飛び降りる。トランクを引き下ろし、最後に運賃を払った。ありがとうございましたー、運転手が言う。ひどく明るく、若い運転手が運転しているバスは、また車体を左右に揺らしながら次の駅へ向かった。

「よいしょっ。……それにしても本当に降り場が三つあるのね」

 乗るときもしっかり確認はしたが、陽聖学園は、幼稚園・初等科、中等部、高等部で場所が違い、バスの降り場も異なる。そこを気をつけて、とメールで今朝届いていた。父はいつも手紙だったから、メールは新鮮だった。

 トランクを自分の近くに付けて顔を上げると、舗装された道路、道沿いに添えられた桜の木。桃色の花で彩られ、風に吹かれてはひらひら舞い散る様は大変美しい。自分の学校にあった、あの木を思い出した。いや、元学校か。そこの敷地に一本だけ植えられていた、桜の木。あの木が寂しそうに、切なげな花を咲かすのに比べ、こちらは仲間が居るとばかりに力強く咲き乱れている。神奈の門出を祝ってくれるようにも感じて、思わずほっこりと微笑み……。

「おはよう」

「ひぃ!」

 いきなりの挨拶に心の底から驚いた。てっきり一人だと思ってアホ面をさらしていた神奈は、桜以上に顔を真っ赤にする。

「おはよう」

「お、おはよう……ございます」

 改めてその人に向き合うと、自分と同じ年頃の、制服を着た少年だった。無造作な髪に、人好きのする笑顔。特に笑うとみえる歯が美しい。矯正を考えている神奈は、最近人の歯を見る癖が付いてしまった。いつか治そうとは思っている。

「古詠……かんなさんだっけ」

「かなです」

「ああ、かなさんね」

 そう読むのかーと、独りごちている少年に、神奈は非常に警戒していた。怖いとすら思う。いきなり人に名前を言い当てられて、動揺しない人間は居ない。訂正なんてせず、かんなさんでやり過ごせば良かった、と後悔する。いつでも逃げられるように足踏みし、学校までの距離を目測した。

「俺の名前は赤音奏介(あかねそうすけ)。よろしく」

「……。えと、どちら様?」

「だから、赤音奏介」

「……」

 少年は平然とこちらに話しかけているのだから、思わずこちらの過失で実は二度目の、いわゆる再会なのかとも疑った。しかし少年はこちらの名前を間違えるし、自然な流れでの自己紹介をした。少年はなぜ、自分のことを知っているのか。

「えと、初めて、ですよね?」

 おそるおそる、勇気を振り絞って声を出すと、少年――――奏介――――は事も無げに頷いた。が、次に首をかしげた。

「本当に古詠神奈さん?」

「は、は……」

 はい、と答えあぐねた神奈に、少年は頭をかいた。彼の頭の上にのっていた花びらが何枚も落ちる。

「お父上に言われてきたんだけど」

「お父、上?」

古詠水夏(こよみみなつ)せんせ……、さんに」

 聞いてない? と心配そうに言う彼に断りを入れ、急いでメールを確認する。サーッと文章を読んで、最後に、迎えに行くから、と書かれていた。しかし書き足したかのように、知り合いが、とあった。神奈の紅かった顔が一気に青くなる。マナーモード状態の神奈を見るに見かねて、奏介がさりげなくフォローを入れた。

「ま、まぁ。事故はなかったし、来れて良かった」

 フォローそこかよ! と心中で叫び、直角三角形真っ青の謝罪をした。

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