お願い事
今までは、状況が少々特殊だったが、たいした何かもなく人生を過ごしてきた。その少々特殊な状況とは、母が例の戦争で亡くなったこと、父とここ十数年顔を会わせていないことだ。しかし、金銭面で何ら支障は無いし、保護者の面でも遠縁のおばさんがいたお陰で保護者会等の行事は乗り越えた。それをのぞけば、同年代の女子と変わらない。恋愛要素は皆無だったが。
その転換期は一月半ば。来年高校二年生になる、まあちょっとのんびりしている頃合いだ。冬の寒さはいっそう厳しく、友人たちとどこか遊びに行ったりするのも減ってきたところで、父から郵便――――簡易書留――――が来た。A3の封筒を開けてみれば、出てきたのは転入に関する書類と、毎度おなじみの手紙だった。始まりは必ず『神奈へ』。つづられていた文章は、目どころか差出人の頭さえ疑いたくなるような代物だった。
曰く。学校に早急に転学を届け出ること、手続きを経て転入をすること、それが将来の君のためになる、今の学校がどうしてもいいなら無理強いはしない、だが大学への進学率は相当のもので、資格等もとれる、編入試験も君なら問題はない。だが、肝心の学校の場所は長野だった。長野、と口に出して呟く。
その県は神奈にとって馴染みがあるようで、遠い、そういう複雑な場所だった。幼い頃、長野に神奈は両親とともに暮らしていた。平和だったらしいが、能力者同士の暴走とテロ行為により、戦争のような惨状を呈した。だからあの戦争は“長野戦争”と呼ばれた。実際は暴動の範疇であっても、死者は百数名。暴動というには多すぎる数だった。かくいう神奈の母親も、その戦争で命を落とした。
能力者といえば、神奈にもいろいろ思い出すものはある。最初から力が発現しているものは専門の学校に行き、研磨する。神奈の中学時代の友人でも、急に力が現れて、別のランク上の学校に行くのを見た。羨ましい、とまでは思わなかったが、一度でいいから体験してみたいと思った。たとえば、空を飛んでみたい、とか。力が社会的に信用されるようになって、もう百年ほどらしい。国の専門機関がそれを管理し、伸ばし、使えるようになってから、“魔女”と呼ばれても仕方ない力は公的に認められた。
「……」
神奈は転入するよういわれた学校の名前をぼおっと見つめた。“陽聖学園高等科”。聞いたことがない名前だ。もっとも、東京住まいの方が圧倒的に長い神奈にとって、長野県にある高校名などほとんど言えないが。
長野は本当の昔。何歳だったか……というくらいの昔だ。もしかしたら十年ほど前、それ以上かもしれない。
そしてその頃から父の顔も、直には見ていない。手紙やメール等、文字媒体のつながりが多く、ビデオレターも数えるほど位しかもらっていない。捨てられた! と荒れに荒れまくったハリネズミの中学時代に初めてそれをもらって、ようやく何年越しの再会とも言えない再会を果たしたのだ。父もそれは理解しているらしい。あれまくった中学時代から筆まめさはいっそうまして、今では週一。もう手紙を書く仕事しているんじゃないか、と思うくらいだ。もしかしたら仕事をしていないのかもしれないが、金銭面の問題が生じたことがないからそれはないだろう。
いつもの手紙の始まり『神奈へ』。締めは『ごめんね』。謝ってばかりの父がした唯一の“お願い”“命令”。手紙に書かれた切実な……。
「……。おばさんに聞いてみよう」
目に付くように手紙と封筒を食卓においた。
性懲りもなく書いてしまいました……。
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