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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第4章 亡霊の足音
97/239

2年目9月「保健室の先輩」


 その事件は9月中旬のとある火曜日に起こった。


「ういーっす」

「おや、不知火くん」


 保健室のドアを開けると、いつもの白衣に身を包み、いつものコーヒーカップを手にした山咲先生が椅子を回してこちらを振り返った。

 メガネの奥の知的な瞳が俺をとらえる。


「なにか用ですか?」

「歩の最近の様子でも確認しようかと思って」

「なるほど」


 最近元気になってきたように見えるとはいえ、それでも歩はちょこちょこ保健室の世話になっていた。

 あいつの近況をこうして定期的に確認するのは保護者としての俺の義務なのである。


「それは殊勝なことだと思いますが、なにも6時限目をサボって来る必要はないですよ」

「善は急げというじゃないですか。思いついたら即が俺の信条です」


 ケロッとそう返すと、山咲先生はため息をついた。


「これが英語以外の時間で、さらに小テストのない授業だったりするなら、キミの言葉をもっと信用してあげる気にもなるのですが」

「げ。なんでそんなことまで知ってんですか」

「これでも一応教師ですので」


 ちなみに山咲先生は保健の授業も受け持っている。


「一応ってことは、まともな教師じゃない自覚はあるんですね」

「キミのサボリをこれだけ容認してしまってはそれも止むを得ないでしょう」

「人聞き悪いなあ」


 俺はそう言ってボロボロのソファに腰を下ろした。


「その毒舌、梓さん直伝ですか?」

「まさか。彼女には遠く及びませんよ。……それで、神崎くんのことでしたね」


 山咲先生がそう言って、先を続けようとしたときだった。


「……すみません」


 保健室のドアが開いてひとりの女生徒が入ってくる。

 山咲先生が言葉を止め、視線を動かした。


 俺もなにげなくそっちを振り返り、


(……あれ?)


 その女生徒を見て、記憶のどこかが刺激された。


 今どき珍しい日本人形のようなおかっぱ頭。

 おとなしそうな外見とは対照的な、揺らぎのない強い瞳。


 校章を見るとどうやら3年生だ。

 3年に知り合いの女生徒はいないはずだが、どこかで見た覚えがあった。


 山咲先生が声をかける。


綾小路あやのこうじくん。キミもサボリですか?」

「人聞きの悪いこと言わないでください」


 俺と同じようなことを言いながら、綾小路と呼ばれた女生徒が中に入ってきた。


「……あら? あなたは」


 そして俺の存在に気づき、ハッとした顔をする。

 その声を聞いて、思い出した。


「ああ、あんたは確か電車の中で会った……」


 夏休みの旅行の帰り。

 電車の中で一緒になったふたり組みの片割れで、確か晴夏はるかと呼ばれていた少女である。


 俺の中では、瑞希と同属性の女としてインプットされていた。


「優希くん、だったかしら」


 どうやら向こうも俺を覚えていたようだ。

 名前までさらっと出てきたということは、あのとき本に集中していたようでいて、しっかり俺とあの大学生風の兄ちゃんの会話を聞いていたということだろう。


 しかし高校生だという話はあのときにも聞いたが、まさか同じ学校の上級生だったとは思わなかった。


「お知り合いですか?」


 山咲先生は別にびっくりした風でもなく、俺と先輩を交互に見て、


「不知火くんはてっきり年下趣味かと思っていたのですが、どうやらなんでもいいみたいですね」

「……先生、なんか俺に恨みでもあります?」


 俺が憮然としてそう言い返すと、


「ええ。まともな教師の道から外されてしまったというささいな恨みですが」

「……」


 その切り返しに、俺は黙るしかなかった。


 そんな俺たちの会話に晴夏先輩が割り込んでくる。


「先生。そんなことより、保健室に来た生徒に事情を聞かなくていいんですか?」


 その言葉に非難するような響きはなく、どちらかといえば友好的な雰囲気があった。

 察するに彼女もこの部屋の常連なのだろう。


 山咲先生もそんな晴夏先輩の言葉に反論せず、しかも彼女のほうを見ようともせずに言った。


「数学の授業が終わったら戻ってくださいよ」

「うっ……」


 晴夏先輩の顔にタテ線が入ったように見えた。

 確認するまでもなく図星のようだ。


「……ま、いいか。お許しが出たことだし。ああ、ほらほら。そんな真ん中に座ってたら私が座れないでしょ」


 と、晴夏先輩は俺が座るソファの前までやってきた。


「は?」


 俺は怪訝な顔を向けて、


「別にここに座らなくても」

「じゃあ地べたに座れっての?」

「いや、別にそういうわけじゃないですが」

「じゃあ座らせてよ」

「はあ」


 無理してこんなボロいソファに座らなくとも、ベッドだとかパイプ椅子だとか、休むところは他にいくらでもあるはずだが、どうやら彼女はこのソファにこだわりがあるようだった。


 仕方なく少し横にずれてスペースを空ける。

 ちなみにこのソファはもともと3人用なので、並んで座ったからといって狭いというようなことはない。


「よいしょ、っと」


 晴夏先輩はスカートをうまく畳んで腰を下ろすと、


「はぁ、やっぱ保健室の空気は最高ね!」


 と、思いっきり背伸びをする。


 どう見ても具合が悪い生徒の行動ではない。

 山咲先生がなにか言うかと思ったが、特になにも言わなかった。

 きっといつものことなのだろう。


「ところで、君」


 伸びをした体勢のまま、晴夏先輩は思いついたようにこっちを見た。


「なんで敬語なの? あなた、こないだ純に対してタメ口じゃなかった?」

「そりゃまあ、行きずりの年上と学校の先輩じゃ話が違いますよ。生意気な口を利いて帰宅途中に強面の先輩方に囲まれちゃたまったもんじゃないですからね」


 だらしなく背もたれに寄りかかった体勢でそう答え、逆に尋ねてみる。


「先輩のほうこそ、今日はずいぶん愛想がいいですね。前に会ったときなんて本を読んでばかりで目も合わせようとしなかったのに」

「ああ。あれは雨に降られて気分が最悪だったから」

「なるほど。気まぐれなヒステリーに巻き込まれた連れの人も災難でしたね」


 俺がそう言うと、晴夏先輩はピクッと眉を動かして、


「あなた、口調の割には結構きついこと言うわね」

「そういう性格なもんで。先輩のアッパーほどきつくはないですけど」

「その口調で嫌味言われると、かなり腹立つんだけど」

「もちろん計算済みです」

「……ホントいい性格ね」


 そう言って晴夏先輩は小さくため息をつく。

 幸いアッパーカットは飛んでこなかった。


 俺は続けて、


「で? 俺はあんたのことをなんて呼べばいいんだ?」

「なんでいきなりタメ口?」

「そりゃ腹立つっていうから」


 晴夏先輩は今度は大げさなため息をついて、


「なんでもいいわ。好きになさい」

「悪いな、晴夏」

「調子に乗りすぎ」


 さすがにちょっと怖い目でにらんでくる。


「……悪かった」


 どうやらこの辺が限界らしい。

 とりあえずこぶしが飛んでこないうちに謝っておくことにした。


 と、そこへ。


「ふたりとも」


 机で作業をしていた山咲先生が手にした書類の束をトントンと揃えながら立ち上がる。


「ちょっと出てきます。留守番、頼みますよ」

「屋上で一服ですか?」

「不知火くんにはこれが見えていないようですね。仕事の用ですよ」


 山咲先生は書類の束を手に机を離れ、お願いします、と言い残して出て行った。


「……相変わらずマイペースね、あの先生も」


 遠ざかる山咲先生の足音に、晴夏先輩はゆっくりとソファから立ち上がり、なにを思ったのか先生の座っていた椅子に腰を下ろした。

 そしてクルリ、と椅子を回してこちらを振り返る。


「でもちょうどよかった。先生が出て行ってくれて話しやすくなったわ」

「は?」


 その彼女に。


 ――俺は戸惑った。


(……なんだ?)


 なにかが変わった。

 そう感じたのだ。


 といっても目に見えて大きな変化があったわけではない。

 目の前にいる女生徒が男子生徒に変化したわけじゃないし、いきなり老婆になったとかそういうドッキリもない。


 ただ……そう。

 彼女の中のなにか。目に見えないなにかが変わったと、そう感じたのである。


 そして、俺はハッとした。


「気づいた?」


 そんな俺の表情の微妙な動きを見逃さなかったらしい。

 晴夏先輩は口元にかすかな笑みを浮かべた。


「思ったとおり相当敏感ね、あなた」

「……誰だ、あんた」


 俺は警戒の色を隠さずに言い放った。


 彼女の体から微妙にもれ出す気配。

 それは紛れもなく悪魔の力――魔力の気配だったのだ。


「自己紹介は必要ないでしょ? あなたが感じているものが、私の正体よ」


 警戒する俺とは対照的に、晴夏先輩の口調は先ほどまでと変わらなかった。


「でも心配することはないわ。私はあなたを簡単に殺せるだけの力を持っているけど、そんなつもりはこれっぽっちもないし、第一そのつもりならこんな簡単に正体を明かしたりはしない」

「……そうかもな」


 その言葉には確かに一理あった。が、殺すなんて単語をこんなにもさらりと口にできる相手に対し、警戒を解くつもりはさらさらない。


 俺は油断なく彼女を見据えたまま、


「けど、だったらなおのこと、ここで正体を明かした理由があるってことだよな?」

「そりゃそうよ。といっても今はちょっと聞きたいことがある程度」

「ご趣味とかか?」

「……あなた、この空気で冗談とかホントいい性格してるわね」


 ため息とともに晴夏先輩の気配がゆるんだ。

 どうやら俺と敵対する気がないというのは嘘ではなさそうだ。


 そして先輩は続けた。


「私はね。あなたが私たちの敵となり得るかどうかを確かめたいのよ」

「敵? 私たち?」

「ええ」


 その発言は、彼女がなんらかのグループに所属していることを明かすものだったが、そのこと自体は別に失言ではなかったようだ。


「私たち。私や純が所属するグループのね」


 俺は問いかける。


「どうしてそんなことを、わざわざ俺に?」

「どうして、ですって?」


 晴夏先輩は逆に怪訝そうな顔をした。


「当たり前じゃない。あなた、わかってないの? あなたとあなたの周りにいる存在の力は、私たちにとって無視することのできないレベルなのよ」

「……なるほど」


 それはつまり、俺だけでなく雪や楓、もしかすると唯依たちのことまで知っているということだろう。


「それで?」


 俺は少し挑発的な目を向けた。


「俺が敵か味方か、どうやって確かめるつもりだ?」

「言ったでしょ、今日は荒っぽいことをするつもりはないわ」


 逆向きに座った椅子の背もたれに両手を乗せ、晴夏先輩はやや上目遣いにこっちを見た。


「ただ質問するだけよ。あなたが私たちの目的に反対でないのならいい。敵でさえないのなら、味方である必要はないわ」

「その目的ってのは?」


 問いかけると、先輩は微笑んだ。


「私たちのような濃い悪魔の血を持った者が、この世界で安全に暮らしていけるようにすること」

「……具体的には?」

「色々よ。血の暴走を起こした悪魔を退治するとかね」

「……」


 それでは悪魔狩りと変わらない。


 俺のことを詳しく知っているぐらいだから、悪魔狩りの存在を知らないということはないだろう。

 そして口ぶりからして、彼女が悪魔狩りの一員だという可能性もおそらくはない。


 彼女は悪魔狩りとは別の組織に所属している。


 とすれば、その組織と悪魔狩りの間には明確な違いがあるはずだ。


「あー……ひとつ聞いていいか?」


 考えた末、俺は慎重に切り出した。


「あんたたちの活動内容がそれだけのもんなら反対する理由なんてあるわけがない。……そりゃそうさ。あんたが言ったのは、自然を大切にしましょうとか、差別をなくしましょうとか、そういう類の主張だからな。そもそも反対するヤツなんかいないだろ」


 ピクッと晴夏先輩の眉が動く。


「それは、あなたがなにも知らないだけだわ」


 予想外に大きな反応だった。

 続いた言葉は、かすかな怒気をはらんでいる。


「いるのよ。その反対するやつらが。人間を殺すことを楽しむ悪魔がいるように、その逆も……」

「……なるほど」


 俺が冷静にうなずくと、晴夏先輩はハッとした顔になった。

 どうやら今のは彼女にとって、少し不用意な発言だったようだ。


 しかしそのおかげで俺は、悪魔狩りと彼女たちのグループの違いをなんとなく予想できていた。


(逆……ってことか)


 人間の側に立つか、悪魔の側に立つか。

 少なくともその程度の違いはあるのだろう。


 俺は少し力を抜いてソファの背もたれに身を預けると、


「俺はさ。悪魔とか人間とか関係ねーから」

「……どっちつかず、ということ?」

「そう取られるならそれでも仕方ないな。難しいことはわかんねーけど、とりあえず極論に走るのは好きじゃない」


 そう言うと晴夏先輩は黙った。


 表情はやや険しいまま。

 失言を悔やんでいるのか、あいまいな俺の態度にいらだっているのか。


 ……やがて。


「わかったわ」


 先輩は椅子から立ち上がり、保健室の出口へと歩いていく。


「戻るのか? 数学の授業、終わってないんじゃないか?」

「……」


 ピタッと足を止めて。

 晴夏先輩はこちらを振り返らずに言った。


「あなたはなにも知らないのよ。あいつらのことを」

「あいつら? それって……」


 聞こうとしたが、すでに晴夏先輩の背中はドアの向こうに消えるところだった。


 パタン、と、ドアが閉じる。

 そして、静寂。


(……あいつら、って、やっぱ悪魔狩りのことかな)


 憎しみのこもった言葉だった。

 もしかすると主張の違い程度ではなく、俺が想像した以上の溝があるのかもしれない。


 溝。


 心当たりはなくもなかった。


 俺だって、悪魔狩り"御門"のすべてが味方だとは思っていない。

 神村さんや緑刃さん、青刃さんに楓あたりのことは味方だと考えているが、組織そのものについてはまだ疑心暗鬼という段階だ。


 当然だろう。

 あの組織に、雪が殺されかけたことがあるのだから。


 そして俺の胸中に浮かぶのは、ひとつの仮定。


 ――もし、殺されていたなら?


 ゴロリ、とベッドに横になる。

 遠くから山咲先生のものと思われる足音が近づいてくるのがわかった。


(……私たちのグループ、か)


 そんな先輩の出現が俺の周囲になにをもたらすのか。

 そのときの俺にはまだ予測もできていなかった。


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