2年目8月「逆襲」
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「で、結局のところ誰なんだ?」
「え?」
いきなり正面から顔を寄せてきた将太に、唯依は反射的に体をのけぞらせた。
風呂場から戻る途中で京介とともに拉致され、1時間近く卓球に付き合わされてようやく部屋に戻った直後のことである。
部屋の中央には、不在にしている間に旅館の人間が敷いていったらしい布団が3つ。
唯依はその中で入り口に一番近いところを自分の場所と決め、そこに腰を下ろしていた。
「だから、どの子を狙ってるんだってことだよ」
「狙ってるって……」
唯依が戸惑いをそのまま表情に出すと、将太はもどかしそうな顔をする。
「お前なぁ。もう2日目の夜だぜぇ? 3泊4日っつっても4日目はほとんど帰るだけだ。となると、女の子と仲良くなるには明日がほぼ最後のチャンス。少なくともターゲットぐらいはそろそろ決めとかなきゃな」
「そ、そういうものですか」
ついうなずいてしまったものの、唯依はこの旅行にそういうことを求めていたわけではない。
だいたいよく知っている3人の少女たちは(目の前の将太には話していないが)彼の姉だし、他の3人に関しては昨日がほとんど初対面である。
その性格どおり恋愛に関しても奥手な唯依にとって、そんな彼女たちの誰かとこの旅行中に深い仲になろうなんてのは、まったく考えもつかないことだったのだ。
しかし将太は言った。
「別に深く考えなくてもいいんだよ。あの子かわいいなとか、ちょっと気になるなとか、なんでもいいんだって。そういうのがひとりもいないってんならしゃーねーけど、そんなこたぁないだろ? 俺が言うのもなんだが、お前が連れてきた3人含めてみんなかわいい子ばっかじゃんか」
「ええっと……」
そんなことを言われてもという気持ちだったが、どうやらなにか答えなければ解放されない雰囲気だ。
(……気になる人、かぁ)
そう言われれば答えはすぐに出た。
「あの、別に狙ってるとかそういうんじゃないですけど、神崎さんはちょっと不思議な人ですよね」
「神崎さん?」
将太がきょとんした顔をする。
数秒の空白。
「……あ、そっか。歩ちゃんのことか」
ポンと納得顔で手を打った。
「いや悪い悪い。正直意外だったもんでよ。……なるほど。お前は歩ちゃんが本命なわけだな。ま、よく考えりゃ、お前となら歳もふたつしか違わないもんなぁ」
「あ、いえ。だからそういう意味では……」
単に飛び級で高校に通っているという珍しさと、そのイメージからは離れた普段の性格とのギャップが印象深い、というだけのことだったのだが、案の定、将太はそういう意味には受け取らなかったらしい。
「いやいや、別に照れるこたぁねぇよ? 確かに歩ちゃんかわいいよなー。なんつーか、こう、膝の上に乗せてナデナデしてあげたいっつーか、意味もなくぎゅっと抱きしめたくなるっつーか。うんうん、お前の気持ちは俺にもわからんではない」
「い、いえ、ですから……」
唯依は誤解を解こうと試みたが、無駄な努力だった。
将太はびっと親指を立てて、
「ま、そういうことなら俺は邪魔をしないから頑張ってくれ。……しかしそうなると、一番の強敵はやっぱ優希のやつだな」
歩ちゃんはなぜかアイツによく懐いてるからなぁ、と、腕組みする。
唯依は誤解を解くのを早々に諦め、逆に質問することにした。
「……あの。そういう先輩はどうなんですか?」
「む? なにがだ?」
「いえ、その……昼間もナンパばかりでしたけど、そんなことしなくても近くにいるのにって」
そもそも唯依が亜矢たち3人を連れてきたのは、京介を通して将太に依頼されたからである。
にも関わらず、当の本人はまったく見知らぬ子ばかりをナンパしているというのだから、唯依がそれを不思議に思ったのも無理からぬことだった。
「ん……あー」
将太は少し意表を突かれたような顔で考え込んだ。
そして首をかしげながら、なぜか自信なさげに、
「まぁ、なんつーか……たぶんアレだな。万が一お前らとかぶったらマズいから、全員の本命が確定するまで動けないっつーか」
「……はあ」
いまいちよくわからない理由である。
将太はちょっと調子が狂ったように頭の後ろをかきながら、
「ま、あとは成功率ゼロパーセントが混じってるからってのもある。京介のやつにも言ったけど、お前も雪ちゃんだけはやめとけよ。あの子はホントに特別だからな」
「雪さんですか? えっと……」
正直なところ、唯依の中では印象の薄い少女だった。
京介が信奉しているという話は事前に聞いていたし、実際に見てかわいい子だという感想は持ったが、逆にいえばその程度だったのである。
「特別ってどういうことですか? もう彼氏がいるとか?」
「ん? あー、そういうわけじゃねーけど……直球で聞かれると答えに困るなぁ。ま、そうそうたる顔ぶれが実際フラれまくってるってのが一番デカいけど、そういうことに心の底から興味がなさそうっつーか。いや、実際はそんなことないんだろうが、玉砕した連中はみんなそういう手応えらしいな。……ああ、そうだ」
言いながら、将太は親指で部屋の壁を示す。
「さっき女の子たちがあっちの部屋に集まってたから、今まさにそういう話をしてるかもしれん。壁の向こうの声を聞くのは無理だが、あとでお前と仲良しの3人に聞いてみりゃいいんじゃないか?」
「いや、それは……」
そんなことを聞いたら亜矢には変な顔をされ、真柚と舞以にはからかわれるのが目に見えていた。
……それからも将太の恋愛談義は続き、唯依は多少ゲンナリしながらも律儀にそれに付き合っていた。
が、ふと会話の合間に壁時計を見て、
「あ、先輩。僕もう一回お風呂入ってきます。卓球で汗かきましたんで」
時間は午後9時半を回ろうとしていた。
「ん? お、そうか。なんだお前、ずいぶん綺麗好きだな」
「そういうわけじゃないですけど、寝る前に入るのがクセみたいになってまして」
半ば将太の演説を切り上げるための方便ではあったが、実際に唯依が育った家では全員必ず寝る前にお風呂に入るかシャワーを浴びる習慣があった。
「じゃあすみません。面白い話をありがとうございました」
「おぅ。優希のやつもいるかもしんねーし、いたら引っ張ってきてくれよ」
今日こそは誰が本命なのかを云々、という将太の言葉に曖昧な返事をして、唯依はタオルを手に部屋を出た。
「……ふぅ」
自然と安堵のため息が口をつく。
唯依は将太のことを話しやすい先輩だと好意的に思っているが、一緒にいると疲れてしまうのがたまにキズだった。
旅館の廊下はひと気も少なく、シンと静まっている。
遠くでは数十分ほど前から、途絶えることなくうなるようなエンジン音が聞こえていた。
どうやらうわさに聞く暴走族が今日も峠の辺りにいるらしい。
(……昨日落雷事故があったってのに、今日もいるんだなぁ)
そんなことを考えながら京介や直斗のいる部屋の前を通り、さらにその隣の部屋――亜矢と舞以、それに雪が泊まる部屋の前を通り過ぎる。
と。
通り過ぎたところで部屋のドアが開いた。
「あれ、唯依くん?」
顔を出したのは真柚だった。
その部屋は本来彼女が泊まる部屋ではない。
どうやら将太の言っていたとおり、女子は全員がそこに集まっていたようだ。
……と、思ったのだが。
「あ、そうだ唯依くん。亜矢ちゃん見なかった?」
「え、亜矢? そこにいるんじゃないの?」
当然のように唯依がそう聞き返すと、真柚は小さく首をかしげた。
「30分ぐらい前に出て行ったきり戻ってこないの。なんか急に夜の海が見たくなったとかなんとか。またいつものやつだと思うんだけど。唯依くんが見てないならいいんだ」
真柚はそれほどこだわりもせず、本来の彼女の部屋である隣の客室へ入っていくと、すぐにスナック菓子の袋を持って出てきた。
「あ、唯依くんもこっちに参加する? 今ならみんなの赤裸々な恋愛話が聞けちゃうよ?」
「え、遠慮しとくよ」
本気ではないことがわかっていながらも、唯依は少しうろたえてしまった。
「じゃあ誰かに唯依くんのこと推薦しておこうか? 誰がいい? 雪さん? それとも由香さん?」
「やめてよ、もう……」
困惑する唯依を見て真柚は笑う。
「ごめんごめん。でも……」
そっと唯依の耳元に口を寄せる。
「唯依くん、結構みんなから好印象みたいだよ。よかったね」
さすがは私の弟、と、真柚は笑いながら唯依の肩を叩き、そのまま部屋の中へ戻っていった。
(……好印象、か)
やれやれと思いつつも、ちょっと嬉しくなった。
いくら恋愛に積極的でないとはいえ、この年ごろの高校生男子が女子に好印象を持たれて嬉しくないわけがないのである。
やや足取りも軽く、大浴場へ。
(……でも)
ふと、先ほどの真柚の言葉が急に引っかかった。
亜矢が夜の海に出かけたらしいという話である。
真柚が『いつものやつ』と言ったとおり、自宅でも亜矢には急に姿を消すクセがあった。
そうすることで絵を描くためのインスピレーションが湧くらしいのである。
夜、しかもかなり遅い時間にいなくなることが多いので、唯依たちも最初は心配していたのだが、自宅が駅近くでコンビニなども多く、比較的安全な環境であるということもあって、最近ではみんなあまり気にしなくなっていた。
しかし――
唯依は廊下の窓から外を見た。
晴れの日に起きた落雷事故。
昨日見たその稲光の輝きが、ふと先月出くわした銀行強盗事件のことを唯依に思い出させた。
そして胸に浮かぶ疑問。
疑いつつも、これまで明らかにしようとはしなかったこと。
(……もし亜矢が、僕と同じような力を持っているのだとしたら)
手元に落とした視線。
その指先にぼんやりとしたオレンジの炎が灯る。
(昨日のが、実は事故なんかじゃないんだとしたら……)
遠く聞こえてくるエンジン音。
それが聞こえてきたのと、亜矢が部屋を出て行ったという時間はほぼ一致していた。
「……」
少しのためらい。
唯依は決心し、そのままきびすを返した。
(……昨日、あれだけ痛めつけてやったのに)
海にほど近い山中の駐車場。
広々とした駐車場には、亜矢が昨日見たのとほぼ同じ光景があった。
ピカピカと派手に点滅する車が1台、バイクが2台。
亜矢は車の知識はほとんど持ち合わせていなかったが、それがいわゆるスポーツカーを改造したものであることぐらいはわかった。
車の周囲には3人の人間がいる。
20代前半と思われる派手な金髪の男。
同い年ぐらいの、やはり金髪の女。
それに30代半ばぐらいのスキンヘッドの男だ。
亜矢はその光景を、少し離れた茂みの中から見ていた。
車やバイクに貼られているステッカーは、亜矢が昨日見たものと同じだ。
つまりそこにいる男たちは、彼女が昨日"説教"してやった連中の仲間ということになる。
(あれでも懲りてないのかしら。それとも……)
3人の男たちはなにをするでもなく、ずっとそこでタバコを吸ったりボソボソとつぶやいたりしていた。
彼らには他にも仲間がいるようだったが、その仲間たちは自由に峠の中を走り回ったり、たまに駐車場に入ってきてはその男たちと言葉をかわしてまた出て行ったりしている。
そんな彼らの行動に、亜矢は不自然なものを感じていた。
(……報復しようってことかしら)
自分をおびき出そうとしている。
亜矢の目には彼らの行動がそんな風に映っていたのだ。
それを匂わせる要素もある。
男たちは、夏にも関わらず長そでで厚手の服を着ていた。
懐に武器を隠しているか、あるいは亜矢の武器がスタンガンかなにかだと思ってそれを防ぐための装備をしてきたという可能性もある。
その推測が正しければ、男たちは亜矢を返り討ちにする気まんまんということだ。
が、しかし。
(だったら……)
亜矢の体が変化していく。
額に薄っすらと小さな角が浮かび上がり。
耳が大きく尖る。
悪魔の姿へ。
(今度はもっと徹底的に痛めつけてやるわ。二度と逆らおうなんて気を起こさないように)
彼らのそんな思惑は、亜矢にとってはなんの関係もなかった。
たとえ懐に隠しているのが拳銃であろうと、あの服の下に絶縁体のスーツを着込んでいようとも。
人ならざる彼女にとって、その程度の装備はたいした問題ではないのだ。
……彼らの仲間らしき1台の車が駐車場に入ってきて、そして出て行く。
それにタイミングを合わせ、亜矢は駐車場へと足を向けた。
「……おい」
スキンヘッドの男が茂みをかき分ける音に気づき、他のふたりに目配せした。
3人の視線が一斉に亜矢の姿を捉える。
亜矢はそんな彼らの視線を真正面から受け、駐車場のアスファルトの上に足を踏み入れた。
「どうやら懲りていないようね」
「……なんだ。ガキじゃねーか」
3人の中のひとり、若い金髪の男が手にしていたタバコを足もとに落とし、かかとで踏み潰した。
「ホントね。高校生ぐらい?」
隣にいた女が相づちを打つ。
……そんな彼らの反応に、亜矢は思わず足を止めた。
(こいつら、怯んでない……?)
今の亜矢はすでに悪魔としての姿をさらしている。
にも関わらず、目の前の3人はそれに対して特別な反応を見せなかった。
「……」
パリ……ッ、と、亜矢の右手が白いものを帯びる。
それでも男たちは動じない。
それどころか、女が亜矢の意図を見透かしたかのように言った。
「その脅し、あたしたちには通じないよ」
「ああ、そうだ」
金髪の男が続ける。
「なぜなら……」
言い終わる前に、スキンヘッドの男の足もとから風のようなものが吹き上がった。
「……!?」
亜矢は驚きに目を見開く。
そしてようやく気づいた。
(こいつら、まさか……!?)
「俺たちも"お前と同じ"だからな」
目の前にいる3人の姿が次々に変化していく。
亜矢と同じ、悪魔の姿に。
「……ガキでもなんでも関係ねぇ」
スキンヘッドの男が車のエンジンを止める。
駐車場に不気味な静寂が訪れた。
「なめた真似をしてくれたな。生きて帰れると思うなよ、てめぇ」
ドスの効いた声。
鋭い風が渦を巻く。
「……」
かつて敵対したことのない圧力。
初めて出会う対等の敵に、亜矢の体は無意識に小さく震えたのだった。




