2年目8月「晴れの日の落雷」
少し時間は前後して。
「お兄ちゃーん。遊びに来たよー」
「え? お兄ちゃん?」
夕食後、部屋の外から聞こえた声に俺より先に反応したのは唯依だった。
(……あの野郎、外でその呼び方はやめろと言ってんのに)
唯依が怪訝そうな顔でこっちを見ている。
将太がどこかに行っているのは不幸中の幸いだった。
「誰か部屋を間違えたんでしょうか?」
「さぁな」
畳の上に転がったまま俺が知らん振りをしていると、一瞬間があって、
「……優希さーん。入るよー」
どうやら自分でミスに気がついたらしい。
遠慮がちな声とともにドアが開き、そこから歩が顔を出した。
「あれ? 神崎さんだったんだ?」
「唯依さん、どうもです。約束どおりトランプ持ってきたよー」
と、歩はやや大きめの浴衣のそでをブラブラさせながら入ってきた。
「あれ、ふたりだけ? 他の人たちは?」
「さぁ。直斗と京介は自分の部屋にいるんじゃないか?」
あるいは将太に連れられてどこかに出かけたか。
とはいえ、この辺は夜に出歩ける場所がそれほどあるわけでもない。
行ったとすれば旅館の中、おそらくは風呂か売店、卓球場ぐらいだろう。
「あ、由香さんはさっきお風呂からあがったから、すぐこっちに来るよー」
ゲームは人数が多いほうが面白いもんね、と、歩は布団の上に正座する。
「よければ唯依さんも一緒にどうですかー?」
「あ、うん、いいよ。もちろん」
そうこうしているうちに由香もやってきて、その4人でテーブルを囲むことになった。
種目は"大富豪"である。
「これ、地元ではみんな大貧民って呼んでましたけど、こっちだと大富豪なんですね」
一応ゲームのルールを説明すると、唯依がちょっと興味深そうな顔でそう言った。
「唯依くんって、この辺の出身じゃないんだっけ?」
由香がそう尋ねると、
「あ、はい。北のほうです」
「じゃあ雪国なんだ。それで肌白いんだね」
「肌はあんま関係ないんじゃないか? 向こうだって年中くもってるわけじゃねーんだし」
俺がそう突っ込むと、唯依はちょっと笑って、
「白いのは単にインドア派なだけかもです」
「インドアねえ。まあ確かにそんなイメージあるな、お前」
カードを配りながらさらに尋ねる。
「ちなみに、あの3人はどうなんだ?」
「亜矢たちですか? えっと、真柚と舞以は体を動かすの好きみたいですね。亜矢は本とかゲームが好きなんで、用事がないとあまり外には出ません。たまにフラッと散歩に出かけたりはしますけど」
そんな唯依の言葉に歩が意外そうな顔をする。
「へー。私のイメージだと舞以さんと亜矢さんは逆でした。舞以さんは物腰も穏やかだし、しゃべってても深窓のお嬢様って感じでー」
「お前、あいつと話したことねーだろ。口を開いたらビビるぞ、あいつ」
お嬢様はお嬢様でも、毒舌サディストという属性のついた特殊なお嬢様だ、あれは。
「はは……」
唯依も俺と似たようなことを考えていたのか乾いた笑いを浮かべながら、
「でも、舞以のことはともかく、亜矢は確かに見た目活発なイメージあるかもですね。……あ、パスです」
「亜矢ちゃん、美術部だったっけ?」
由香がちょっと首をかしげながら自信なさげにそう尋ねる。
「そうです。真柚は野球部マネで、舞以は弓道部で」
僕だけ帰宅部です、と、唯依は少し自嘲気味に笑った。
ただ、この旅行に来ている2年生組は全員帰宅部なので、むしろあっちがマイノリティである。
「あ、それ、ジョーカー出すわ」
「ええーッ!?」
残り2枚のところから、一応の最強カードである"2"を出してドヤ顔していた歩が抗議の声をあげる。
「優希さん、まだ早いよー。そんなに残ってるのに……」
「いや、だって俺、残りの手持ち全部ペア以上だし」
「うぇぇ!?」
俺がペア以上を出し続ける限り、残り1枚の歩は絶対に上がることができない。
「そ、そんなぁ……」
がっくりとうなだれた歩に、由香が笑いながら言った。
「大丈夫だって、歩ちゃん。私なんてもう絵柄より大きいカード持ってないし」
「笑いながら言うことじゃねーよ、それ?」
10枚近く残っててそれはマズすぎる。
「というか、今回は優希先輩に強いカード集中しちゃった感じですね。僕もあんまり」
結局、そのゲームは俺がトップを取り、なんだかんだで唯依が2位。
最後に弱めのカードを残してしまった歩が3位で、由香が当然のごとく最下位となった。
この大富豪の面白いところはここからで、次ゲームから下位の人間は上位の人間に強いカードを1~2枚献上しなければならない。
つまり最初にトップを取ったものは、基本的にその次のゲームからの戦いを優位に進めることができるのだ。
……が。
「上がりー」
「うげ、またお前かよ……」
1時間後。
俺はあの後すぐに最下位に転落し、逆にトップになった歩が長く頂点に君臨して、最終順位は歩、唯依、俺、由香の順となってしまった。
神経衰弱ほどではないにしろ、これも結局は、それまでどんなカードが出されたかの記憶力が結構重要なゲームなのである。
「あー、やめだ、やめ。他のゲームにしようぜ」
しびれを切らして俺がそう提案すると、唯依が申し訳なさそうに言った。
「すいません、僕いったん抜けますね。そろそろお風呂入ってきます」
「おー、まだ入ってなかったのか。行ってこい行ってこい。そんなに広くはねーけど悪くないぞ」
そうして唯依が抜け、残った3人でポーカーを始める。
由香も歩も手札の強さがすぐに表情に出るので、これは俺の圧勝だった。
……そうこうしているうちに。
「あ、いたいた! 由香さん! 歩ちゃん! 女子全員、緊急招集だよ!」
バタバタとやってきた真柚が、半ば強引に由香と歩を引っ張っていってしまう。
そして――
(誰もいなくなった、か)
俺だけ部屋に取り残されてしまった。
片づけたトランプをテーブルの上に放り、壁時計を見る。
まもなく夜の9時だ。
風呂は寝る直前にもう一度入るとして。
(……直斗たちでも探しに行ってみるかな)
俺はそう思い立ち、誰もいない部屋を後にしたのだった。
夜の砂浜。
昼間に比べると暑さはかなりやわらいでいて、海から吹いてくる湿った風は強い磯の香りがした。
「……お?」
どこか不気味な感じのする暗い海を眺めながら歩いていると、波打ち際にポツンと座っている直斗の姿を発見することができた。
「よぅ。なにやってんだ、直斗」
「え? ……ああ」
なにか考えごとでもしていたのか、微妙な間があって直斗がこちらを振り返った。
「どうしたの。こんな時間に」
「そりゃこっちのセリフだろ」
そう返すと、それもそうだね、と、直斗は笑って、
「僕はなんとなくかな。夜の海が見たくなって」
「じゃあ俺もなんとなくだな」
「お互い、ヒマなんだね」
直斗はそう言いながら視線を海のほうへ戻した。
そこになにかあるのだろうかと思ってその先を見てみたが、あったのは暗く染まった海と空、そしてその両方に浮かんでいる丸い月だけである。
「……あとはまあ。こういう雰囲気、考えごとをするにはピッタリかなと思ってね」
「考えごと?」
「そう。昔のことを思い返したり、この先のことを考えてみたりね」
「なんだよ。えらく感傷的だな」
「そういうんじゃないよ。ただ色々と考えることがあるなと思って」
「ふーん」
気のない返事をすると、直斗はチラッと横目でこっちを見た。
「他人事みたいだけど、君は僕よりよっぽど考えなきゃならないことがあるんじゃないの?」
「はあ? なんのことだ?」
「たとえば……神崎さんのこととか」
「歩?」
「いつまで一緒にいてあげられるのかな、とか」
そんな直斗の言葉に、俺はすぐに答えた。
「いつまでって、あいつがどっか行くまでだろ。俺が考えることじゃねーや」
「ずっとどこにも行かなかったら?」
「だったらずっといるんじゃないか? ま、そんなことにはならんと思うが」
今はアレだが、あんなヤツでもいずれは大人になる。
俺たちの庇護が必要なくなって、自分だけの力で巣立つときがいずれ来るだろう。
それでも万が一。
あいつがいつまで経ってもそれを必要とするのであれば、いつまででも応えるつもりではいる。
それが、半人前の分際で保護者を気取っている俺の最低限の義務だと思うし、そうならないようにあいつの成長を促してやることも俺の役割のうちだ。
そう言うと、直斗はポツリとつぶやくように言った。
「……そういうとこ。ホント普通じゃないよね、優希って」
「バカにしてんのか?」
「感心してるんだよ。君はきっと、そうやってたくさんの人を助けることができるんだろうなって」
「……はぁ?」
「神崎さんは――」
直斗はいったん言葉を切った。
海から心地よい潮風が吹いてくる。
「本当に明るく笑うようになった。……僕はあのころ、神崎さんのことは色々と知ってたけどなにもできなかったから」
申し訳なさそうにしつつも、その言葉は自嘲的ではなかった。
「でも僕はね。自分が情けないヤツだったなんて思っていないんだ。他人の人生を動かして、それを後々まで背負っていくなんて、口で言うほど簡単じゃないと思ってるから。だから……優希はすごいなって、そう思う」
「んなことねーよ。お前みたいにややこしいことを考えたりできないだけだ」
俺はそう答えた。
別に謙遜でも照れ隠しでもない。本当にそうだと思っている。
歩のことだって、あいつの将来のこととか、周りに与える影響とか、そういうことを深く考えて結論を出したわけじゃない。
ただ、そのときはそうするのが一番だと思い、それを実行に移しただけのことなのだ。
それによってあいつの人生を背負うとか、運命を変えるとか、そんな大それたことは――薄っすらと感じてはいたにせよ、明確に認識していたわけじゃない。
「結果がどうなるかって予想できるほどの頭がねーんだよ。だったら考えても仕方ないしな。お前ほど頭がよけりゃ意味があるのかもしんねーけど、俺には無理だ」
俺は鼻を鳴らして笑うと、
「だから、そういう面倒なことはお前や雪に任せてる。俺がとんでもなくバカなことをやろうとすれば、どうせ寄ってたかって止めてくれんだろ? だったら俺は、お前らに止められるまで好き勝手にやるだけだ」
だろ、と、同意を求めると、直斗は苦笑した。
「……らしいね。そういうとこも、ホント、らしいと思うよ」
「で?」
俺はこの湿っぽい話題の終わりを宣言するように尋ねる。
「結局、なにが言いたかったんだ?」
「体を大事に、ってことかな」
「はぁ?」
眉をひそめて直斗を見ると、直斗は笑っていた。
「君がいなくなると、きっとたくさんの人の運命が変わっちゃう。他人の人生を背負うっていうのはそういうことでしょ?」
「たくさんって、そんなにはいないだろ。せいぜい歩ぐらいじゃ……」
「雪もそうだし、僕だってそうだよ。それに……きっと、唯依くんや一ノ瀬さんもね」
急にとんでもないことを言い出した。
「おい。雪はわからんでもないが、お前とか、あまつさえ会って何ヶ月かの後輩まで入ってるのはどういうこった?」
「なんとなく、そんな気がしただけだよ」
「あのなあ……」
なんとなくで他人の人生を勝手に押し付けないでもらいたいもんだ。
「それが君の運命なんだよ。きっとね。……さ、そろそろ戻ろうか。物騒な連中がうろついてるかもしれないからね」
「物騒な連中? ……ああ」
その言葉に、俺はここに来る途中の旅館で聞いた話を思い出す。
暴走族のような連中が辺りで色々迷惑をかけている、というようなうわさだったか。
「昨日の夜もうるさかったのか?」
「少しかな。でも昨日はそれよりも……って、そっか、優希は知らないんだね」
「なにをだ?」
直斗は表情を少しだけ険しくして、
「昨日の夜、近くの峠の駐車場でちょっとした事件があったんだよ」
「事件?」
「うん。ほら、そのうるさい連中が駐車場で事故を起こしたとかなんとか。5~6人病院に運ばれたみたいでね。だから昨日はむしろ救急車のほうがうるさかったかな」
「駐車場で? 何人も怪我するような事故があったってのか?」
走行中だというならともかく、妙な話である。
もしかすると事故じゃなく、仲間割れとか、あるいは暴走族同士のケンカでもあったんじゃないだろうか。
そんな疑問を直斗にぶつけると、
「まあ僕も聞いただけだから詳しいことは知らないよ。新聞を読んだわけじゃないしね。でも、事故にしろ事件にしろ、僕らが帰るぐらいまでは大人しくなってくれるかも……って」
ちょうどそこへ、うなるような低音が遠くから聞こえてきた。
「……そうでも、ないみたいだね」
そうつぶやいて軽く手を広げる直斗。
「あれか……」
その音の方角。
暗闇に包まれた峠のほうを見る。
うなるような低音は明らかに改造した車両の排気音だ。
ここからだとまだ少し距離があるのでそこまで気にはならないが、神経質な人間だと気にするだろうし、この辺りの旅館にしてみればいい迷惑だろう。
そんな俺の表情を察したのか、直斗が言った。
「気にしないほうがいいよ。こっちのほうにはほとんど来ないみたいだから」
「……わかってるって」
もちろん俺だって、そんな連中にわざわざケンカを売りにいくつもりはなかった。
旅館に戻った俺と直斗はそのまま大浴場へ直行し、俺としては珍しく1時間ほども風呂場にいて、直斗と部屋の前で別れたとき、時間は夜の10時を大きく回っていた。
「ん?」
部屋に入ると、将太が布団の上に寝転がってスナック菓子を食べていた。
こいつがこうしてマッタリしているということは、他の連中もそれぞれの部屋へと戻ったのだろう。
「……お? どこ行ってたんだ?」
「見りゃわかんだろ。風呂だよ」
将太にそう答えると、俺は部屋の中を見回して、
「唯依はどうした?」
「んー? 今さっきまで俺とワイ談してたんだけどな。女子の部屋に夜ばいにでも行ったんじゃねーの?」
「ありえねーよ」
状況的にも性格的にも。
俺は部屋の隅に寄せられたテーブルのそばに腰を下ろし、将太が見ているバラエティ番組をしばらく眺めていたが、あまり面白くなかったのでテーブルの上にあった今日の夕刊を手に取った。
先ほどの直斗の話を思い出す。
(昨日の夜、峠の駐車場で事故、だったっけな……)
記事を探してみることにした。
目当ての記事は地域欄のページですぐに見つかったが、そこに書かれていた内容は直斗から聞いた話と少し違っていた。
事故ではなく、落雷によって6名が重傷を負い病院に運ばれた、と書かれている。
(落雷、ねぇ……そういえば)
昨日の夜、花見旅館でこっちの方角に稲光を見たことを思い出す。
空が晴れていたこともあってそのときは気のせいかと思ったのだが、もしかするとそれがこの記事の落雷だったのかもしれない。
……と。
「ユウちゃん? いる?」
「ん?」
「お?」
俺と将太が同時に反応した。
「雪ちゃんか? 優希のやつなら戻ってるぜー」
だらしなく転がっていた将太が体を起こしてそれなりに身なりを整える。
ドアがゆっくりと開いて雪が顔をのぞかせた。
「どうした?」
「うん。ちょっと……」
と、手招きしている。
少し困った顔だ。
「……」
俺は手にしていた新聞を畳んでテーブルの上に置き、将太に一言残して部屋の外へ出た。
時間が時間だけあって、廊下はしんと静まっている。
「……唯依くん、いないの?」
「ああ。今さっきまで部屋にいたみたいだが」
そう答えると、雪の表情の困惑はますます濃さを増した。
「……実はね。亜矢ちゃんも1時間ぐらい前から見当たらないの」
「亜矢が? 他のふたりは?」
「いるんだけど、どこに行ったかは知らないみたい。亜矢ちゃんって普段からフラッと夜の散歩に出かけたりすることがあるみたいで、いつものことだから心配ないって、あまり気にしてないみたいなんだけど」
「夜の散歩……ねえ」
俺もついさっきまでやっていたが、あの年ごろの女子がひとりで夜に出歩くのは確かにあまり好ましいことではない。
が、しかし。
どうやら雪が心配しているのはそういうことではなさそうだ。
「ユウちゃん、今日の新聞見た?」
「ああ」
そこまで来ると、俺もピンと来ていた。
亜矢は雷魔の力を持っている。
そして雪から聞いた話によれば、その力で犯罪者を取り締まる正義の味方みたいなことをやっているらしい。
辺りに迷惑をかけている暴走族。
晴れの日の落雷。
そして、亜矢が姿を消した1時間前というのは、ちょうど例の排気音が聞こえてきたころだ。
と、すると――
俺は廊下の窓から外を見る。
「……まずいかもな」
空は雲ひとつない夜空。
遠くにはまだ、低い排気音が聞こえていた。