2年目4月「青天の霹靂」
その昼の話は、その日のうちに歩の耳にも入ってしまったようだ。
「いよいよマンガみたいな話になってきたねー」
「歩。そうやってごまかしながらピーマンよけるのやめなさい」
瑞希が歩の手元を指摘する。
うっ、と、歩は言葉に詰まって、
「たはは、見られてましたかー……」
笑ってごまかしながら箸を戻す。
「子供か、お前は」
「子供だよー」
笑いながらピーマンを口に運んで苦い顔をする歩。
少し我慢すれば食えるのに、ちょっと苦手だとあわよくば残そうとする。
なんとも自堕落なやつである。
「……優希。あんたもよ」
「あ、いや違うぞ。これは生焼けで」
聞こえてきたため息の深さはいつもの2倍だった。
無理矢理食わされたピーマンの苦さに口元をゆがめながら、リモコンでテレビの電源を入れる。
ちょうど地方版のニュースをやっている時間帯だった。
「そういや隣町に遊園地できるんだっけか。いつオープンだ?」
テレビから流れてきた映像を見ながら、飯を口の中にかき込む。
「行儀悪いわよ。見るか食べるかどっちかにしたら?」
「なんだよ、さっきから。お前は俺のカーチャンかよ」
「少なくともあんたの生活習慣を見張るように言われてはいるわね。ママから」
「……」
宮乃伯母さんの名前を出されちゃ仕方ない。
俺は茶碗をいったんテーブルに置いて、
「結構デカそうだな。へぇー、来月の末にオープンか」
「私、これ楽しみー。オープンしたらみんなで行こうねー」
はしゃいだ声の歩に、瑞希は意外そうな顔をして、
「歩、あなたこういう乗り物は大丈夫なの?」
「うん。大好きー」
「あ、そう……」
「瑞希お姉ちゃんは?」
「え? ……ああ、もちろん平気だけど」
虚勢を張る瑞希の声に重なるように、テレビから流れてくるキャスターの声のトーンが変わった。
どうやら事件関係のニュースに切り替わったようで、近場の路上で起きた強盗事件と昨日の落雷のニュースを淡々と伝えている。
地元のニュースが終わると、瑞希は俺の手元にあったリモコンでテレビの電源を切った。
「ちょっ! おい、俺はこの後のクイズ番組を見るつもりで――」
「食べてからになさい」
「く……」
こんな横暴が許されていいのか、と、俺と同じくクイズ番組を楽しみにしているはずの歩を見ると、
「ごちそうさまー」
「はやっ!」
「あんたが遅いのよ」
見ると、瑞希もとっくに食べ終えていた。
どうやら俺がテレビに夢中になりすぎていただけのようだ。
「くそ……」
仕方なく、残っていたメシを急いでかき込んでいく。
そんな俺の様子を眺めながら、瑞希が言った。
「それにしても由香ちゃんも災難ね。そんなわけのわからない勝負に巻き込まれちゃって」
「ひっほふへほ――」
「……話しかけて悪かったわ。終わってからしゃべって」
呆れ顔の瑞希。
「これ、下げちゃうねー」
歩が空いた食器類を持って台所へ消えていく。
ゴクリ、と、俺は口の中のものをすべて飲み込んで、
「言っとくけど、その話は俺も巻き込まれ側なんだからな?」
「わかってるってば。別にあんたを責めようなんて思ってないわ」
「でも、私は由香さんがちょっと羨ましいなー。男の人が自分を取り合う、みたいなのって、女の子にとってはちょっと憧れだったりするもん」
蛇口をひねって水を出しながら歩がそう言った。
「ふぅん。そんなものかしら?」
「瑞希お姉ちゃんは思わない?」
「そうね。本人抜きでそんなことやるなんて、私だったらバカバカしいとしか思わないわ」
実にこいつらしい発言だ。
バカバカしいという意味では俺の意見とも一致している。
それはつまり、
「おい、歩。こいつに女の子的な感想を求めること自体間違ってんぞ。体はともかく、中身はほとんど男みたいなもんだからな」
「……久々に痛い目に合いたいようね?」
すっ、と、瑞希の目が細くなる。
ぞくっとした。
「あ、いや、今のはある意味褒め言葉――って、んなことより、そうだ、雪のやつはどこ行った? さっきから姿が見えないぞ?」
思いつきで言った俺の言葉に、ふくれ上がっていた瑞希の闘気がふっと和らいだ。
こういうときに雪の名前はそこそこ効果があるので重宝する。
ただ、雪の姿がずっと見当たらないのは事実だった。
俺が帰宅したときは台所に気配があったから、家の中にいることは間違いないのだが。
「雪ちゃんなら部屋よ。夕食の支度だけしてすぐ戻っちゃったわ」
「……なにかあったのか?」
深刻なことかと思い、少しドキリとする。
が、返ってきたのは瑞希の苦笑だった。
「今日、身体測定だったのよ。それで」
「身体測定? そういやウチもそうだったな」
ただ、それと雪がこの場にいない理由との関連はすぐにはわからなかった。
それに瑞希が答える。
「体重が増えてたんだって。2キロ。それで今日からしばらく夕食我慢するって」
「……アホか」
体重計に乗ってショックを受けている妹の姿が脳裏に浮かぶ。
あいつは普段のんびりおっとりしているクセに、そういうことにだけは妙に敏感なのである。
「だいたい体重増えたのはメシのせいじゃなくて、その後のデザートのせいだろ」
時期だから、と、昨日まで楽しそうにイチゴのタルトだのミルフィーユだのケーキだのを作っては、毎日振る舞っていたあいつの姿を思い出す。
食べても太らない体質の歩や、すぐにカロリーを消費してしまう瑞希と違い、あいつの場合はそれが正直に跳ね返ってきてしまっただけだろう。
「女はやせる必要もないのに、ダイエットだのなんだのってよく言うよな」
2キロ太ったかどうかなんて、俺の目から見ればまったくわからない話である。
しかし歩がそれに異論をとなえた。
「女の子にとって2キロは重大だよー。そもそもダイエットというのは女の子にとってはですね――」
「ああ、はいはい」
唐突に始まった歩の"女の子論"を適当に聞き流し、俺はガラス戸の外に視線を移した。
その瞬間。
外が白く光った。
「雷?」
瑞希が反応する。
「みたいだな。……けど」
かなり近くの落雷だったように思えたが、外は雨どころか月が見えるほどの晴夜だった。
ガラス戸を開けて外に出てみる。
目をこらしても、夜空には薄っすらとちぎれちぎれの雲が見える程度だった。
「まさに青天の霹靂ってか?」
ガラス戸を閉じて中に戻ると、歩も少し不思議そうに窓から夜空を眺めていて、
「珍しいねー。これから雨になるのかな?」
「そんな予報じゃなかったと思うけど……」
と、瑞希も首をかしげている。
(青天の霹靂、か。よくわからんけど、気持ちのいいもんじゃねーな……)
結局その日、雨が降り出すことはなかった。
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――じっとしていられない。
テレビで、新聞で、そういった記事を見るたびに得体の知れない熱が胸を焼く。
頭の中を焦がす。
だから私は、今日も家を抜け出した。
「ば、化け物――ッ!」
40代後半ぐらいと思われるその男は完全に腰を抜かしていた。
顔には恐怖の色を浮かべ、私から逃げるように後ずさっていく。
「失礼ね。化け物はあなたのほうでしょう? 思いやりのカケラもない醜悪な心。この場で殺してあげたいぐらい」
冷たい声。
自分でも信じられなかったが、それは紛れもない私の声だった。
細く白い帯が男の足もとを撃つ。
「ひぃっ!」
男が引きつったような声を出した。
ただ、それは威嚇でしかない。さすがに痴漢程度のことで殺すつもりはなかった。
「今回は見逃してあげる。だけど次は殺すわ。私はいつでも見ているから」
髪が逆立つ。
全身が帯電していた。
それがほとばしり、再び男の足もとに落ちる。
「っ!」
声すらも出せなくなった男が必死に後ろに下がっていく。
「感電して死にたくないなら、これからをどう生きるべきかよく考えることね」
男の精神が完全に屈服したのを確認し、私はその場に背を向けた。
(……どうなっているのかしら)
町は夜闇に包まれていた。
路肩にたたずむ街灯は、そんな暗闇のほんの一部を照らしているに過ぎない。
ここはとにかく事件の多い町らしかった。
殺人、強盗といった凶悪事件の多さも異常だが、それに輪をかけて突出しているのが失踪事件の多さである。
しかしこの町のさらに不思議なところは、その大半がどうやら誰も知らないうちに"解決"され、誰もがすぐに忘れ去って行く、ということだ。
なんの証拠も証明もなしに、その事件は解決したことになっている。
それを疑問に思う者は少なくとも表面上はあまりおらず、そしてそれらの事件はどうやら実際に解決しているらしいのだ。
犯人は誰なのか。
誰が、いつ、どこで捕まえたのか。
その後、どうなったのか。
ほとんどの場合、それらのことは一切明らかにされない。
(……公開できないような事件が多発してるってことかしら)
それがこの1ヶ月余りで出した私の結論だった。
もちろん誰がどんな目的で隠ぺいしているのかはわからないし、そこまで探ろうというつもりもなかったのだが。
私はただ、この町が少しでも平和になればそれでよかった。
だから――
今日も夜空に、霹靂が鳴り響く――。