プロローグ
「なんだと……!?」
圧倒的優位にあった男の表情が驚愕にゆがんだ。
「その程度?」
目の前にいたのは姿こそ悪魔の形をしてはいたが、せいぜい10歳そこそこの少女。
それと対峙する男は20年近くも悪魔狩りとして一線を戦い続け、"当主を影で支える者"を意味する役職を得た組織のナンバー2だった。
年齢による微妙な衰えがあったとはいえ、悪魔狩りとしての実力はいまだ組織内でも指折り。
しかも、この場で戦っていたのは彼ひとりではなかった。
「まさかこんな小さな子が、これほどの魔力を……」
後ろには20代半ばほどの女性がいた。
当主の護衛を主な任務とする、やはり組織内でも指折りの実力者、緑刃だ。
そんなふたりが、気圧されていた。
まだ年端もいかない、10代前半の雷魔の少女に。
「なにを勘違いしていたのかしら」
と、少女は言った。
悪魔とはいえ子供は子供、できれば殺さずに済ませたい。
そう考えていた悪魔狩りたちの心中をあざ笑うかのように。
「お前たちは私を追い詰めたつもりだったのかもしれないけど、それは違うわ」
少女は目を見開き、幼さを残す口元に歪な笑みを浮かべた。
それはおおよそ子供とは思えない、見ただけで死を意識させるほど負の感情に染まった死神の微笑。
「私は遊んであげてただけ。お前たちに、恥辱と、恐怖と、そして気が遠くなるほどの数え切れぬ後悔を与えるために。お前たちが地獄の苦しみの中で悶え、喘ぎながら死んでいけるように」
ほとばしる雷光が、ふたりの悪魔狩りをその場に釘付けにした。
痙攣する空気。
うなりをあげる地響き。
……動けない。
これまで感じたこともないほどの圧倒的な魔力を目の当たりにして、ふたりはそこから少しも動くことができなかった。
「……絢女。お前は撤退しろ」
歯を食いしばり、引きつる頬を強引に動かして影刃はそう告げた。
「これからここは死地となる。悪魔狩りの宿命とはいえ、あの娘が最初の誕生日も迎えぬまま母親を失ってしまうのは、あまりにも忍びない」
「……いいえ、影刃様」
しかし緑刃は動揺を隠して答えた。
「私は悪魔狩りです。娘に会うために敵前逃亡したとあっては、長く御門に仕えてきた神楽の名が泣きましょう。夫もそれは覚悟の上。私は、あの雷魔が御門の今後の脅威とならぬよう全力を尽くすのみです」
「しかし、絢女――」
「緑刃です。私は光刃様をお守りする2枚の盾の片割れ。影刃様。どうか最期まで私の使命をまっとうさせてください」
影刃が一瞬言葉に詰まる。
「……すまない、緑刃」
「お祈りは、済んだかしら?」
白い稲妻がふたりの足下を撃った。
「喜びなさい。お前たちはゆっくりと地獄に送ってあげる。手動のポンプで空気を送り込むように、ゆっくり、ゆっくりと。……ねぇ、悪魔狩りのおふたりさん。あの裏切りの夜を、お前たちはいったいどんな気持ちで過ごしていたの?」
それまで淡々としていた少女の声色が、やがて少しずつ憎しみの音を刻み始める。
「あの日を境に、私の"太陽"は決して途切れることのないぶ厚い雲の中に隠れてしまったわ。……すべて。すべてお前たちのせい」
少女が見据えた先で、ふたりの悪魔狩りが身構える。
「だから私は許さない。……絶対に。私は、お前たちを絶対に許さないッッ!!」
周囲を埋め尽くす、閃光のごとき雷。
ふたりの悪魔狩りを襲う、戦慄――。
そのできごとより後、少女は悪魔狩りの中にその名を轟かせることとなる。
そして悪魔狩りはまだ幼き雷魔の少女のことを、畏怖を込めてこう呼ぶようになった。
雷を統べる者、すなわち"雷皇"――と。