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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第8章 進むべき道
58/239

1年目3月「発端」


-----


 ――ああ、またこの夢か。

 薄っすらと開いた眼でその光景を見た瞬間に嫌気が差した。


 夢であることを自覚できる夢を明晰夢というらしいが、こう毎度毎度同じ内容だといささかありがたみがないな、と、夢の中の俺はため息をついた。……つもりになった。


 実際には夢の中の俺は少し息を切らしていて、ため息などつく余裕もないらしい。


 しかし同じ夢を何度見るのだろうか。

 昨日も、一昨日も、その前も。


 その前もその前もその前も。


 もう何度見たのか忘れてしまった。


 狭い部屋。

 ひんやりとした明け方の空気。

 風に揺れるレースのカーテン。


 俺は手にしていたものをフローリングの床に放り投げ、クローゼットの前に立った。

 ここは3階だが、上下左右いずれも無人なのでうるさいと苦情を言ってくる隣人もいない。


 クローゼットを開けると中には同じデザインの服がずらりと並んでいた。

 我ながら悪趣味な服ばかりだなと苦笑しながら、新しい服をその一番隅っこにかける。


 中はぎゅうぎゅうになっていてそろそろ隙間がなくなっていた。

 新しいクローゼットを買うことも考えたが、この部屋は玄関の入り口が小さいので大きな家具を入れるのに苦労する。それなら古い服を処分することを考えたほうがいいのかもしれない。


 ――なにをバカな。


 そこで俺はこれが夢であることを思い出した。

 夢なのにクローゼットの整頓を気にするなんてバカげた話だ。どうせ次に同じ夢を見るときはまたひとつ分のスペースができているに違いないのだから。


 ただ、どうやら夢の中の俺は真剣にクローゼットのことを悩み続けているようだ。

 バカバカしい。


 毎晩見る夢がこんな地味なことで真剣に悩んでいるだけというのは本当につまらない。

 どうせ見るのなら競馬で万馬券を当てるとか、どこかの女子大との合コンに参加する夢とか、そういう楽しい夢にしてもらいたいものだ。


 ……ああ、腹が減った。


 これは夢の中の俺だろうか。

 現実の俺だろうか。


 時計を見ると4時42分だった。

 なんとも現実味のある時間だ。


「腹が減った……」


 しゃべった。

 つまり腹を空かせていたのは夢の中の俺だったのだ。あるいは現実の俺が腹を空かせているから、夢の中の俺がそれに引っ張られたのだろうか。


 現実の俺と夢の中の俺には、それほど大きな違いはないのかもしれない。


 パタン、とクローゼットの扉を閉める。

 ぐらりと視界がななめになって、頭の中にノイズが走った。


 窓を閉めよう。

 コン、と、なにかを蹴飛ばしてしまったようだが、なに、どうせ夢の中だから気にする必要はない。


 窓は閉まっていた。

 冷たい風が入ってきていたと思ったのは気のせいだったらしい。

 それとも気づかないうちに窓を閉めていたのか。


 ああ、いや。

 きっと今閉めたのだ。


 だから次は鍵をかけよう。

 カラスが鳴いている。スズメだったかもしれないが、まあどっちでもいい。


 朝が近づいているのだ。

 そろそろ寝て起きなきゃならない。


 夢の俺から、現実の俺に。


 ……腹が減った。


 きぃぃ、とドアがきしんで。

 ばたん、と閉じる。


 夢の中の俺は、




-----




「……優希くん? ど、どうしたの!?」


 玄関のドアを開けた瞬間、由香がびっくりした顔でそう言った。


 3月も中旬にさしかかった木曜日の朝。

 時刻は午前7時55分。


 いつもここから10分以上待たされるのに、俺がすでに登校準備をきっちり終えていたから驚いた……ということではなさそうで。


「す、すごい顔してるよ。徹夜でもしたの?」

「あー……やっぱわかっちまったか。珍しく夢見が悪くてな」


 顔色が悪いというのは、起こしに来た歩と、玄関ですれ違った瑞希と、台所で出迎えた雪の全員から指摘されていたので充分に自覚していた。


「大丈夫? 風邪? 直斗くんのが移っちゃったのかな」

「あぁ、いや、そんなんじゃ……って、あれ。直斗はどうした?」


 いつも隣にいるはずの直斗の姿がなかった。


「今朝になって熱が上がっちゃったみたい。今日はお休みだって」


 そんな由香の言葉に、昨日マスクをして辛そうにしていた直斗の姿を思い出す。

 ただ、俺には風邪の症状らしきものは出ていないので、それとはおそらく関係ないだろう。


(……変な夢見ちまったなぁ)


 改めて思い出すと、本当に支離滅裂な夢だった。


 夢ってのは大体どこかおかしかったりするものだが、それでも普通、夢の中の自分には現実の自分らしさが多少なりとも残っているものだ。

 夢の中とはいえ意識の主体は自分自身なのだから当然である。


 しかし、今朝の夢はとてもそうは思えなかった。


 だいたい、夢の中の俺はしきりに"また同じ夢か"みたいなことを独白していたが、こんな夢を見るのはもちろん今日が初めてだった。


 それだけじゃない。


 明け方の薄暗い、まったく見覚えのない部屋。

 クローゼットの中を見てデザイン云々言っていたが、俺にはそんなこだわりはない。

 起きたときも別に腹は減っていなかったし、むしろ吐き気を感じたぐらいである。


 これらのことからわかるように、今朝の夢の俺は現実の自分との共通点を見つけるのが大変なほどに違っていて、まるで俺の体が夢の中の自分にのっとられてしまったのかような、なんともいえない気持ちの悪さだけが残っていた。


 ……ああ、いや。

 夢ごときで、俺はなにを真剣に考えているのだろうか。


 夢は夢だ。夢の中の自分に体を乗っ取られるとか、夢の中に引きずり込まれるとか、そんなことは絶対に起こらない。


 夢ってのは結局、俺の脳みその中のフィルムが意識の銀幕に映し出されただけのもので、ホラー映画よろしく登場人物がそこから飛び出してくるなんてことはあり得ないのだ。


「もうすぐ2年生だね」

「……あー? あれ、なんだっけ?」


 考え事をしていて、隣を歩く由香の話を完全に聞き漏らしていた。


 ただ、それでもさすがは幼なじみ。

 そんな俺の反応も慣れっこという感じで、


「今年1年どうだった? って」

「あぁ。まあ別にいつもと変わらんというか……」


 春日和の空を見上げる。

 夢見が悪かったおかげで、体調はともかく時間的には余裕があった。


「……そんなこともねーか」


 思い返してみれば、この1年はむしろ色々とありすぎたぐらいだろう。


 悪魔狩りや神村さんのこと、楓との再会、雪や瑞希、直斗が狙われた事件、そして歩との出会い。

 どれかひとつとっても大事件である。


「逆にいろいろありすぎて、ひとつひとつのインパクトが薄まっちまった気がするな」

「そんなにいろいろあったの?」

「まーな」


 その非日常的なできごとのすべてに関わっていない由香にしてみれば、俺の言葉に不思議な顔をするのも当然のことだろう。


 だが、それでいいのだ。


 悪魔だの悪魔狩りだの、退治するだの殺すだの。

 こいつがそんなことに関わっている姿は少しも想像もできないし、関わらせちゃいけないとも思う。

 もちろん本来は雪を含めた他の連中についても同じことが言えるのだが、こいつの場合には特に強くそう思うのだ。


 なぜなら、こいつは俺にとって"日常のシンボル"みたいなものだから。


「いかにも平凡な日常って顔してるしなあ」

「……え? なに?」


 きょとんとした顔。

 そんな由香を見て、俺は思わず笑ってしまった。






 1年生最後の定期テストが先週で終わり、残りの2週間ほどはいわば消化試合である。

 すでに予定のカリキュラムをすべて終え、余談的な内容となっている授業も多くなっていた。


 そんな中、この日は1時間目に英語、2時間目に数学と、この時期になってもガチな内容の授業が並んでいて、3時間目の古典の授業が始まるころには、今朝からの調子の悪さも手伝って俺の意識はややもうろうとしていた。


 このクラスの担任でもある古典の岩上先生のマイペースな声を聞いていると、意識がウトウトと舟をこぎ始める。


(今日の昼休みは食欲より睡眠欲が勝ちそうだな、こりゃ……)


 むしろここまで起きていた自分は褒められるべきだ。


(……おやすみなさい)


 とまあ。

 そんな甘えたことを考えながら、俺が夢の世界へ侵入しようとしたときだ。


 コン、コンと、教室のドアがノックされて岩上先生の声が途切れた。


「どうぞ」


 生徒たちの視線が注目する中、教室に入ってきたのは白衣姿の女性。

 養護教諭の山咲先生だった。


(あれ……珍しいな)


 その姿を見て少し覚醒する。

 ちらっとこちらを見た山咲先生と一瞬だけ目が合ったが、先生はそのままなにも言わず岩上先生へ歩み寄っていった。


 女性にしてはかなり背の高い山咲先生と、定年間際で小柄な岩上先生だと10センチほど山咲先生のほうが大きくて、少し身を低くして何事か耳打ちしている姿はちょっとだけ滑稽だ。


「水月」


 そして顔を上げた岩上先生が、相変わらずののんびりとした口調で由香を呼ぶ。


「え? はい」


 由香はびっくりした顔だった。

 教室内の視線がすべて集まる。


「自宅から電話だ。ちょっと山咲先生に付いて行ってこい」

「家から? あ、はい」


 身に覚えがないらしく、由香は困惑した顔で席を立つ。


 教室内が少しだけざわついた。

 どうということでもないのだが、授業中にこうして呼び出されるのはそこそこ珍しいことだ。


(……自宅ってことは梓さんからか)


 竹を割ったような性格の由香の母親を頭に思い浮かべ、あの人が授業中に呼び出すってことはそこそこ大事な用件なんじゃないだろうか、なんてことを直感的に感じた。


 そして、どうやらその予感は当たっていたらしく。

 由香はその後、教室には戻ってこなかった。


 そして昼休み。


「ちわー」

「ようこそ。不知火くん」


 保健室のドアを開けると、部屋の主はまるで俺が訪れることをわかっていたかのようにこちらを振り返った。


「あれ、どうしたんすか? 保健室は休憩所じゃないって言わないんですか?」

「だって休憩しにきたわけではないでしょう?」


 見透かしたかのような顔。

 俺はなにも答えず後ろ手にドアを閉めて、部屋の奥のベッドへ目を向ける。


 それを見た山咲先生が言った。


「誰もいませんよ。さっきまで仮病の生徒がひとりいましたが、先ほど追い出しました」

「仮病とか決め付けは良くないっすね」

「さすが、エキスパートは言うことが違いますね。コーヒーでもどうです?」


 珍しく歓迎してくれるようだ。

 ソファに座ると同時にコーヒーが出てくる。


「インスタントですか」

「質よりも量を重視するほうでして。キミもどうせそうでしょう?」

「どうせって、失礼な。俺は常に両方を追い求める派です」

「ああ、なるほど。だからキミは周りにたくさん可愛い子がいながら、ひとりを選んだりせず全員をはべらしているわけですね」

「人聞きの悪いこと言わんでください!」


 そもそも俺の周りに可愛い子なんて……少しぐらいはいるかもしれないが、別にはべらしてなどいない。


「ま、それはいいでしょう。キミが聞きたいのはその中のひとりのこと。でしょう?」

「いや、だから……あぁ、もういいや。つか、先生が呼んだんでしょうに。あのときの視線、明らかにあとでここに来いって言ってましたよ」

「さあ。知りませんけど」

「まあ、どっちでもいいっすけどね」


 どっちにしても俺はここに来ただろうから。

 出されたコーヒーをひとくち飲むと、口の中を焼くような熱さと濃厚な香り、舌の付け根辺りには独特の苦味が広がった。


「あの呼び出し、ただ事じゃないですよね。あいつカバンも置きっぱなしですし」


 俺はそう言って、持ってきた由香のカバンをテーブルの上に出した。

 ぶら下げられたストラップがテーブルにぶつかってカチャリと音を立てる。


「ただごとじゃない……まあ、そうですね。正確には、そうなりかけました」


 コポコポ、と、自分のカップにコーヒーを注ぐ山咲先生。


「なにがあったんです?」

「鉄也さんが職務中に大怪我をして救急車で運ばれたんです」

「おじさんが?」


 鉄也さん――水月鉄也さんは由香の父親だ。

 刑事で、奥さんの梓さんとは20歳以上も歳が離れている。

 その職業の割には温厚な性格で、俺や直斗も小さいころはよくおもちゃを買ってもらったり遊びに連れていってもらったりしたものだ。


 だから山咲先生のその言葉は、多少予想していたとはいえ少なからず俺を動揺させた。


「なりかけた、ってことは大丈夫だったのか? 命には別状ないってことなんだろ?」

「と、つい先ほど梓から連絡があったんです。ただ、頭蓋骨を含め全身何ヶ所か骨折していて、全治は2ヶ月から3ヶ月になりそうとのことです」

「……そうか」


 ホッと胸を撫で下ろす。

 心配であることに変わりはなかったが、命に別状がないということならそう慌てることもない。


 まずは一息。


「ちなみに原因は?」

「はっきりとは聞いていません。ただ……」


 山咲先生はコーヒーカップの上に視線を落とした。


「彼が最近、殺人事件の容疑者を追っていてなかなか家に帰ってこないという話は、梓からよく聞いていました」

「殺人事件か……」


 となると、その容疑者に襲われたのかもしれない。


「一緒にいた同僚の刑事ふたりも重体のようです」

「ってことは、刑事3人で?」


 驚いた。

 容疑者は複数なのだろうか。


 ……いや、それとも。

 つい最近調べた未解決事件のことが頭をよぎる。


 そのうちの何割かは"あちら側"の存在が関わっている可能性がある――


 まさか。

 いや、まだわからない。


 わからないが――


「……」


 俺が考え事をしている間、山咲先生はなにも言わずに外を眺めていた。


 ……まずは神村さんに確認してみるべきだろう。


 時計を見る。

 昼休みが終わるまではまだ時間があった。

 神村さんを屋上に呼び出して話を聞くぐらいの余裕はありそうだ。


「不知火くん」


 俺が無言でソファから立ち上がると、山咲先生はちらっとこっちを見て、


「入院先は隣町の公立病院です。学校が終わったらカバンを届けてあげてください。梓も多少動揺していたようですし、あなたの顔を見れば少しは安心するでしょう。ふたりのことをお願いします」


 山咲先生は梓さんと幼なじみの関係だ。

 表情こそ変えないが、やはり心配なのだろう。


「……相変わらず人使い荒いっすね」


 憎まれ口を返して、俺は由香のカバンを手に取る。

 もちろん先生に言われなくてもそのつもりだった。


 そうして保健室を出ようと、ドアの取っ手に手をかける。


 と。

 ドアは向こうから勝手に開いた。


「え……」


 目の前にはお下げの少女が無表情に立っていて。


「不知火さん」


 いつもよりほんの少し、ほんのわずかに早い口調で神村さんは言った。


「協力をお願いします。楓さんの身に危険が迫っています」

「え……」


 高1終了間際の3月中旬。

 どうやら2年生に上がる前に、俺には大きな試練が待ち受けているようだった。


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