1年目1月「不穏な気配」
最近、どうも歩の様子がおかしい。
最初は気のせいだと思っていたのだが、聞いてみると雪や瑞希も同じことを感じていたそうだから、どうやら気のせいではない。
具体的には、とにかくボーっと考えごとをしていることが多いのだ。
そしてたまになにか聞きたそうに俺たちのところにやってきては、結局なにも切り出すことなくまたひとりで考え込んでしまうのである。
まあ、ここ最近の行動から考えて、悩みの種が病院の男の子であることは間違いないと思っていた。
歩から聞いた話だと、その男の子は事故で母親を亡くしたというから、もしかするとその子との接し方なんかで悩んでいたりするのかもしれない。
とはいえ。
「行ってきまーす」
別にずっと悩み続けているというわけでもなく。
1月も終わりに近づいた日曜日。
今日も歩は元気に病院へと出かけていく。
「おぅ、気をつけてな」
俺も突っ込んで事情を聞くつもりはなかった。
本当にどうしようもなくなったら改めて相談にくるだろうと思っている。
と。
まあ、そんなわけで俺はいつもどおり送り出そうとしたのだが――
「あ、そうだ」
ドアを開けて外に出たところで、歩は急に思い出したように振り返った。
「ね、お兄ちゃん。今日はこれからヒマ?」
「ヒマじゃねーぞ。昼寝してメシ食って夕方寝してメシ食って風呂入って本寝しなきゃならないからな」
「あはは、そんなに寝れないよー」
「いや。来るべき決戦の日に備え、俺は普段から寝貯めすることを心がけてるんだ」
俺がそう言うと、歩はなぜか得意げな顔になって中指を眉間の辺りに当てた。
「ふふ、残念でしたね、不知火くん。人間の体というのは寝貯めができないように作られているのです」
そう言って、ありもしない眼鏡をくいくいと上げる仕草をする。
誰かの物まねのようだったがちっともわからない。
あえて言うなら養護教諭の山咲先生だろうか。だとしてもあまりにも似てなさすぎる。
とりあえずスルーしておくことにした。
「で? ヒマだとなにかあるのか?」
「あ、うん。よかったら今日は一緒に来て欲しかったんだ」
「病院にか? その心は?」
「あ、えっとね。私、真くんにお兄ちゃんのこといっぱい話したの。そうしたら会ってみたいって」
「ほー」
どんな話をしたのか気になるところではあったが……さて、どうしたものだろう。
予定というほどのものじゃないが、今日は直斗でも誘って駅前通りのゲーセンに新作のゲームをやりに行くつもりだった。
新作ゲームと歩のお願い。
天秤に架けてみると、これはなかなかに微妙な判定だ。
「しゃーねーな。付き合ってやろう」
「え、ホント? やったぁ!」
断られると思っていたのか、歩はちょっと大げさに喜んで右腕にしがみついてきた。
「ああ、わかったわかった。わかったから離せって」
なんだか日増しにスキンシップが激しくなっている。
こうして女の子に懐かれるのはもちろん悪い気分じゃないのだが、相手がこいつだと色々なところがアレすぎて、くっつかれてもまったく役得感がないのが残念なところだ。
……と。
「あれ? お兄ちゃん、私のことバカにしてる?」
「おまっ……勝手に心読んでんじゃねーよ!」
「あぅっ!」
ぺちんと額を叩かれて、歩は泣きそうな顔をした。
「ご、ごめんなさいー。つい油断して……」
「つい、じゃねーよ……ったく。俺がアレな妄想をしてる最中とかだったらどうすんだ」
「アレな妄想?」
きょとんとした顔。
「なんでもねー。ほら、上着取ってくっから少し待ってろ」
「はーい」
パッと手を離す歩。
俺はため息をついて、階段を上っていった。
病室に入ると特有の匂いが鼻をつく。
白い壁。白い天井。
個室のせいか少し閉塞感を感じる部屋だった。
こういう場所に縁のない俺としては、あまり居心地のいい感じではない。
そんな部屋の奥。
ベッドの上には幼稚園か小1ぐらいの少年が上半身を起こして待っていた。
「あ、いらっしゃい、おねえちゃん!」
「真くん、こんにちはー。今日はねえ……」
「おっす」
歩の横から顔を出し、少年に向かって軽く手を上げる。
少年は目をパチクリさせていたが、やがてパッと表情を明るくして、
「あっ、もしかして、おねえちゃんがいっつもはなしてる、おにいちゃん!? ホントにつれてきてくれたんだ!」
「うん。約束だったからねー」
ふたりが話している間に、俺はパイプ椅子をふたつ持ってきてベッドの横に並べた。
少年の顔に近い場所に歩を座らせ、俺はその隣に腰を下ろす。
「俺は優希っていうんだ。よろしくな」
「うん! ぼく、まこと!」
「お、元気いいな。それで? この姉ちゃんは俺のことをなんて言ってたんだ?」
真はうーん、とうなり声をあげて、
「やさしくて、おもしろいって」
「よし、アメ玉をやろう。ほら、口開けろ」
「え? あー……んむ」
ポケットから出したソーダ味のアメを放り込んでやると、真は最初梅干を食べたときのような酸っぱい顔をしたが、すぐに気に入ったのか口の中で転がし始めた。
「飲み込まないように気をつけてな。で? なにか悪口は言ってなかったか?」
「んむ?」
不思議そうな真。
歩がちょっと不服そうな顔をする。
「私がお兄ちゃんの悪口なんて言うはずないよー」
だが、俺は無視して、
「なあ、真。この機会に正直に言っといたほうがいいぞ。実はこの姉ちゃんにいっつもいじめられてるとか、失敗作の酸っぱいクッキーを食わされたとか」
「すっぱいクッキー?」
「もう、お兄ちゃん。真くん困ってるじゃない」
真が困惑顔になったのを見て、歩が俺の袖を引っ張る。
「それにアレは酸っぱかったんじゃなくて、ちょっとしょっぱかったんだよ」
「知っとるわ。けど、ちょっととかのレベルじゃねーかんな、アレ」
なにしろ俺は、こいつが我が家に来て最初に作った創作菓子"塩クッキー"の最初にして唯一の犠牲者だ。
塩クッキーといっても、塩味のクッキーなどではない。
クッキーの形をした塩の固まりのようなものだ。
「あ、あああれは別に塩と砂糖を間違えたわけじゃなくて、おしるこにお塩を入れるみたいに甘さが際立つかなと思っただけで……」
「甘味成分がカケラも入ってないのに際立つわけねーだろ!」
「そ、それは確かに盲点だったけど……」
これほどに素人の浅知恵という言葉が似合うやつも珍しい。
「で、でも私が味見する前につまみ食いしたお兄ちゃんも悪いよー……」
歩は情けない声でそう言った。
「……お。面白いか?」
ふとベッドの上を見ると、真はおかしそうにケラケラと笑っていた。
「うん。なんかおねえちゃんが、いつものおねえちゃんじゃないみたい」
「あー、気づいてしまったか。実はこれがこの姉ちゃんの本当の姿なんだ」
「……うぅ、なんだか私の株が急降下している気がー」
「柄にもなくお姉さんぶったりするからだろ」
「短い夢でした……」
歩ががっくりとうなだれると、真はやはりおかしそうに笑った。
……よく笑う子だ。
そんな真を見て、素直にそう思う。
このぐらいの年齢になると、むしろ人見知りし始める子が多い気がするのだが、俺の前でもこうして無邪気に笑っているところを見ると、どうやらそういうものとは無縁の性格らしい。
そんな真を見ていると、むかし隣の家に住んでいた子どものことを思い出した。
こいつを放っておけない歩の気持ちもよくわかる。
……ただ。
ひと通り自己紹介を終えると、俺は空になっていたコップに水を汲んでくると言って、いったんその場を離れることにした。
気になることがあった。
少し距離を置き、楽しそうに話しているふたりを眺める。
今日はなにをして遊ぼうか、と話しかける歩。
変わらぬ笑顔で答える真。
元気だ。
そう、元気すぎるのだ。
その笑顔は、母親を亡くしたばかりの子どもが見せるような表情ではなかった。
歩が言うには、本人はどうやらそのことを忘れている、あるいは無意識のうちに記憶の底に閉じ込めて思い出さないようにしている状態、らしい。
その両者にどれほどの違いがあるのか俺にはわからないが、この様子を見る限り、少なくとも表面上は確かに母親のことを忘れているようだ。
その状態が真にとっていいことなのか悪いことなのかは俺にはわからないし、それについては医者に任せておくしかない。
ただ――
もうひとつ、気になることがあった。
この雰囲気。
この気配。
ほんのわずかに匂っている程度で、歩はおそらく気付いていないのだろう。
だが、間違いない。
これは魔力の気配だ。
ここには俺たち3人しかいないのだから、発生源はおそらく目の前のこの少年だろう。
つまり、真は悪魔の血を持っている。
それ自体は別に珍しいことじゃない。
伯父さんの話によれば、この町では半数近くの人間が多少なりとも悪魔の血を引いているそうだし、その中の数パーセントは微弱ながらも魔力のようなものを発しているらしい。
真はおそらくその数パーセントのところに属する人間で、それでもこの町じゃせいぜい20人にひとりとか、その程度のレベルに過ぎない。
もちろん自分の意思で魔力を行使できるレベルじゃないし、実態は人間となんら変わりないのだ。
だから気にするようなことではない。
気にするようなことではないはずだが――
「……」
その日、俺と歩が帰るときまで、少年はずっと笑顔のままだった。