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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第7章 誰かを守りたくて
51/239

1年目1月「もしも弟がいたならば」


-----


「こんにちはー」


 ノックをして声をかけながら歩は病室のドアを開いた。


 こぢんまりとした真っ白な壁の部屋には少し大きめのベッドがひとつ。

 ひとりの少年が横になったまま漫画の本を読んでいた。


「あ、おねえちゃん!」


 少年は歩の姿を見ると、漫画の本を放り投げて嬉しそうに上半身を起こす。


「真くん、今日も元気そうだねー。お姉ちゃん、安心したよ」


 歩は壁に立てかけてあったパイプ椅子を持ってベッドの脇へ移動し、そこに腰を下ろした。


 あれから1週間。

 3学期も数日前に始まっていたが、歩はあの少年――真のことが気になって、毎日学校帰りにここ足を運んでいた。


 真はどうやら発作中のことはすべて忘れてしまうらしく、歩のことも覚えていなかったようだが、改めて自己紹介するとすぐに仲良くなった。


「今日はなにして遊ぶ?」

「えっとねぇ。えっと、えっと……」


 あの日の取り乱しようが嘘だったかのように、真は歩の前ではいつも明るく、彼女がやって来ることをずいぶんと楽しみにしているようだった。

 そしてそんな真の態度に、歩もこれまでにない喜びを感じている。


 誰かに必要とされること。

 誰かの役に立つこと。

 自分が誰かのお荷物だとばかり思っていた歩にとって、それは新鮮な喜びだったのだ。


(弟って、もしかしたらこんな感じなのかなぁ)


 なにをして遊ぶか。ただそれだけのことを真剣に考え込む真の姿に、歩はなんともいえない幸せな気持ちに浸っていたのだった。




-----




「……嫌な予感がする」

「どうしたの、ユウちゃん?」


 ひとり言に、台所にいた雪がすばやく反応した。


 俺がいたのはカウンターを挟んだリビングのソファ。

 つぶやきは小さなものだったし、雪は近くで水を流したりしているので聞こえるはずはないと思っていたのだが、どうやら地獄耳な妹にはしっかりと聞こえてしまったようだ。


「悪い。ただ言ってみただけだ」

「え?」

「ほら。嫌な予感がする、とかって言うとなんかカッコいいだろ?」

「んー」


 どうやらピンと来なかったらしい。

 雪は首をかしげたまま、結局なにもコメントせずに夕食の支度へと戻っていった。


 トントン、という、包丁とまな板が奏でる打音を聞きながらソファに転がる。


 静かだ。

 家の中には俺たちしかいない。


「瑞希のやつはまだ部活か? 今日もボディビルダー目指して奮闘中か。歩は……また病院か?」

「うん。さっき電話来てた」


 あいつが足しげく通っている病院の少年のことは俺も雪も報告を受けている。

 普通の子どもにしては強い思念とやらを持っていて不安定だから、それが落ち着くまで様子を見てあげたいという話しだった。


「あいつもまぁ、お節介というかお人よしというか……」


 再びひとり言をつぶやくと、雪がやはりそれを聞きつけて、


「女の子はお父さんに似るっていうしね」

「それ、性格の話じゃないだろ?」


 もしそうだとしたら、世の中はオヤジくさい女ばかりということになってしまう。

 それじゃあまりにも夢がない。


「あー。でも、ま、歩の本当の親父のことは知らねーけど、あの頼りなさそうな叔父にだったら似てないこともないかもな」


 俺がそう言うと、雪はクスクスと笑って、


「違うよ。私が言ったお父さんって、ユウちゃんのこと」

「……おい。歩とは3つしか離れてねーぞ」


 憮然としたが、まあ俺があいつの保護者のつもりでいることは確かだ。

 そういう意味なら雪の言葉も決して的外れではない。


「歩ちゃん、周りに年下の子がいないから、小さい子の面倒を見るのが楽しいんだよ、きっと」


 再び包丁のリズミカルな音が聞こえてくる。


「そういうもんかね」

「きっとね」

「ふーん」


 一応納得してリビングの天井を見上げた。


 先ほどの嫌な予感――もとい"耳鳴り"のことが少し気になってはいたが、歩には遅くなるようなら連絡しろと言ってあるし、おそらくは大丈夫だろう。


 俺はソファの上で寝返りを打って、テレビのリモコンを手に取った。




-----




「じゃあ、また明日ねー」

「うん。ばいばーい」


 真の元気な声に送られて、歩は病室を出た。

 別れ際にはいつも寂しそうな顔をするが、また明日も来ると約束するとすぐに笑顔になる。


 慕われていることが実感できて、歩は無性に嬉しかった。


(……明日はなにかおみやげ持ってきてあげよっかな)


 そのときの歩の心情は、ほぼ雪の推測どおりだったといえるだろう。

 兄弟がおらず、小さいころから年上の人間とばかり接したきた歩にとって、それはこれまでに経験したことのない新鮮な喜びだったのである。


 そうして少々浮かれ気味の歩がエレベーターに向かって歩いていると、


「……あ、えっと。君?」

「え?」


 突然見知らぬ男性に声をかけられ、歩はびっくりした。

 その男性が廊下の端に立っていたことはもちろん気づいていたが、まったく知らない顔だったし、まさか声をかけられるとは思っていなかったのである。


 歩は立ち止まって姿勢を正すと、


「なんでしょうか?」

「君、あの子の友だちなの?」

「はい?」


 その問いかけに歩はさらに戸惑ったが、あの子というのが真のことを指しているらしいと気付き、そこで初めて歩は男性の様子を深く観察した。


 年齢は20歳前後だろう。髪は少し茶色がかっていたがきちっとした背広を身にまとっていて、どうやら大学生ではなく社会人のようだった。


 体格はかなり細身。……というより少しやつれているようにも見えた。

 顔色もあまりよくはなく、歩に向けてくる笑顔もどこかぎこちない。


 なにか悪いことを考えているか、あるいは笑顔を浮かべていられる心理状態ではないのか。

 そのどちらかだ。


 ……いや。

 おそらくは後者だろう。


 歩はその時点で、その男性の正体を察していた。

 だから歩は正直に答える。


「はい。真くんの友だちです」

「そうか。……じゃあお願いがあるんだけど」


 と、男性は手にしていた小さな箱を歩に差し出した。


「これをあの子に渡してくれないか? 看護婦さんの許可はもらってるんだけど、ちょっと理由があって僕は……」

「えっと」


 歩はそこから見えるナースセンターのガラス越しに、中にいる看護師長の顔をうかがう。

 するとどうやら彼女もこちらの様子を気にしていたらしく、目が合うとすぐに小さくうなずいた。


 それを確認して、歩はうなずく。


「わかりました。ちょっと待っててくださいね」

「……あ、いいのかい?」


 事情を聞かれるとでも思っていたのか、逆に男性のほうが少し驚いたようだった。

 歩は箱を受け取ると、きびすを返して真の病室へ戻っていく。


「……あれ? おねえちゃん、どうしたの?」

「えへへ。あのね、今日は真くんにおみやげがあったの」


 歩は笑顔でベッドまで近づいていくと、男性から受け取った小さな箱を差し出して、


「じゃーん。これ、なんだと思う?」

「え? えと……」


 箱には駅前通りにあるケーキ屋の名前が書いてあるのだが、どうやら真は知らないようだ。

 そして散々迷ったあげく、急になにごとかひらめいたような顔で歩を見上げてきて、


「あ、わかった! ケーキだ!」

「せいかーい!」


 歩が箱を開けると、真はさらに表情を輝かせた。


「わぁ! ありがとう、おねえちゃん!」

「どういたしましてー。あ、看護婦さんからいいよって言われてるけど、食べたあとはちゃんと歯を磨かないとダメだよ?」

「うん!」


 真は力強くうなずいた。


「よろしい。じゃあ今度こそさよならだよー。また明日ねー」

「うん! あしたもまってる!」


 そんな真の頭を軽く撫でて、歩は病室を出た。


 パタン、と、ドアを閉じる。

 目の前には男性が立っていた。


「……すまないね」

「いいえー」


 見上げた男性は相変わらず暗い顔をしていた。

 無理もない、と歩は思う。


(……ここだと真くんに聞こえちゃうかな)


 歩がドアから離れると、男性もそれに気づいたのか黙って後ろをついてきた。


「あのケーキ、私が持ってきたことにしちゃいましたけど良かったですか?」

「あ……ああ。そのほうが都合が良かったよ」


 男性はそう言って笑ったが、影は消えないままだった。


 そんな男性の様子に、歩は少し迷いながらも口を開く。


「あの、私が口を挟むことじゃないかもしれませんけど……」

「うん?」

「いつかは直接会ってください。気持ちはわかりますけど、でも……」

「え?」


 男性が怪訝そうな顔をする。


「事故の、関係者のかたですよね?」

「え……ああ」


 男性は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに納得顔でため息をつく。


「君は頭の良い子みたいだね」

「いいえ、なんとなくそう思っただけです」


 精神感応力テレパスで心をのぞいたわけではない。

 ただ、そういう力を持っているがゆえに、歩はそれを使わずとも他人の心情を察する能力に長けていた。


 この男性が車を運転していた本人なのかどうかまではわからない。が、真に会えないということは、少なくとも事故を起こした車に乗っていた人物なのだろう。


「……いや、確かに君の言うとおりなんだけどね」


 男性は小さく首を横に振って、


「前に一度来たとき、僕の顔を見るなり急に暴れだしちゃってね。それ以来、直接病室に行くことは看護婦さんにも止められてるんだ」

「暴れた……ですか」


 真に初めて会った日のことを思い出す。


(……そっか。じゃあやっぱり、あの思念はこの人に向けられたものだったんだ)


 そう思いながら、歩はじっと男性を見つめる。


 決して悪い人ではなさそうだった。

 ただ、まだ小さい真にはあの事故がどういうものだったのか判断できるはずもなく、この男性の乗っていた車が母親の命を奪ったという事実以外を理解することは難しいだろう。


 いや、仮に理解できたとしても。

 母親を失ったという事実がくつがえるわけではない。


 歩はなんともやるせない気持ちになった。


「看護婦さんに聞いたんだけど、あの子は事故当時の記憶がなくなってるみたいでね。僕が顔を出したらそれを思い出しそうになって暴れるんじゃないかって。だから」


 現時点で、その判断はおそらく正しい。

 ただ――


「……真くん、記憶がなくなっているわけじゃないです。お母さんが死んだことはちゃんとわかってると思いますよ。だって変じゃないですか。本当に忘れているなら、お母さんが顔を見せないこと絶対不思議に思うはずです」

「……」


 歩の言葉に、男性は黙り込んだ。


 そのぐらいのことはこの人も気付いていたはずだ、と、歩は思う。

 だが、おそらくはそう思い込みたかったのだ。


「忘れたフリをしてるだけだと思います。もちろん無意識でしょうけど、そうじゃないとおかしいんです、やっぱり」


 そう言いながら、歩は自問していた。


 ……自分はこの男性にいったいなにを求めているのだろうか、と。


 真に直接会って謝罪をして欲しいのか。

 あるいは二度と姿を見せないようにして欲しいのか。


 どうすることが真にとって1番いいことなのか、歩自身もわかってはいなかったのである。


「……」


 男性はもう口を開こうとはしなかった。

 いや、なにか言いたげにはしていたが、結局なにも言葉が思いつかなかったようだ。


 そんな彼の苦悩の表情を見て、歩は小さく頭を下げる。


「……ごめんなさい。偉そうなこと言ってますけど、どうするのが1番いいのか私にもわからないんです。お兄さんが色々大変なのもわかってます。不運な事故だったって、そう聞いてます。でも、私はなんとか真くんに立ち直って欲しい。そのためにはどうしたらいいのか……」


 答えは出てこない。

 歩はもう一度頭を下げた。


「ごめんなさい。わかりもしないのに勝手なことばかり」

「……いや、いいよ」


 男性は力なく首を振る。


「じゃあ……私、失礼します」


 最後にもう一度頭を下げると、歩はその男性の前を離れた。


 そしてその数秒後。

 力なく廊下にしゃがみ込む音が、歩の耳に聞こえてきた。


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