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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第1章 悪魔と双子の兄妹
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1年目4月「血の暴走」


-----


 この町の夜は、ある時間帯を境に急激に深くなる。 


 ド田舎というわけではないが、夜になっても人が絶えないほどの都会でもない。

 夜の8時を過ぎれば人通りは極端に少なくなるし、駅前や一部の主要な道路を除いて車の数もゼロに限りなく近づく。


 中でも町の西側にある山のふもと辺りや、南側の工業地帯、それ以外の住宅地でも廃墟となったボウリング場やアパートなど、ところどころにぽっかりと深い闇が口を開けていた。


 悲鳴を上げても誰の耳にも届かない深い闇。

 地元の人間は滅多に近付くことはないが、時おり外の人間が好奇心交じりにそこに足を踏み入れることがある。


 この日は月が厚い雲に覆われていた。






 ――まるで飢餓感だ。


 生物である以上は逆らうことのできない強烈な欲求。

 その衝動はそれにとてもよく似ていた。


 不思議だ。

 これまで警察の世話になるようなことは一度もなかった。

 いじめられていたわけでもなく、いじめる側に回ったこともない。友人は多かったが、親友と呼べるほど親しい者はなく、中学、高校、大学でそれぞれ友人の顔ぶれはがらりと違っていた。


 社会に出て二年目。

 その衝動は、ある日突然に襲ってきたのだ。


 すでに4人を手にかけていた。

 終わるたびに深い罪悪感に襲われたが、それは日を追うごとに薄れ、さらに衝動は強まる。


 そして今日も。

 はちきれそうになった衝動を抑えきれなくなった俺は、一人暮らしのアパートを飛び出していた。


 周りに人の気配がたくさんあるうちはまだよかった。

 だが、足は自然と人の少ない方角へ向いていく。


 たどり着いたのは5年以上も前につぶれ、建物がそのままになっている2階建てのボウリング場。


 その駐車場の跡地にスポーツタイプのワゴン車が1台止まっていた。

 真っ暗になった建物の窓から、懐中電灯と思われる明かりが覗いている。

 辺りに人の気配はない。


「う……ガ……」


 自分のものとは思えない声が口から漏れた。

 心臓の鼓動が早くなる。

 口の端からよだれがこぼれた。


 衝動が、おさまらない――


 そして俺は、その建物の中に足を踏み入れたのだった。




-----




 ……パチッ!


 耳鳴りが一際強く鳴り響き、俺は目を開けた。


「……わかった。郊外のボウリング場だ」


 目を開けると街灯の明かりが目に入ってくる。

 辺りはしんと静まり返っていた。


 すでに日が変わっている。

 この辺りでこの時間帯に外を出歩く人間はまずいない。


「車が止まってた。中に入った人を襲うつもりだ。急ぐぞ、雪」


 そう言って立ち上がり、俺は地面を蹴った。


 腹の中心から熱が産まれ、全身がそれに包まれた。


 闇が浅く。

 風の香りが強く。

 遠い虫の羽音が聞こえる。


 五感が研ぎ澄まされていた。


 ボウリング場までは1キロ強の距離。

 急げば5分もかからないはずだ。


「今度の人も、やっぱり?」


 問いかける声が後ろから聞こえる。


「……ああ」


 俺は意識して抑揚なく答えた。


「もう手遅れだ。"血の暴走"を起こしてる」

「そう……」


 沈んだ声。

 斜め後ろに視線を送る。


 銀色の髪と冷たい目。

 それでも、その瞳の奥には少しだけ悲しみの色が宿っているように見えた。


 未だに慣れていないのだ。

 いや、慣れるわけがないのか。


 ――見えた。


 ボウリング場の駐車場にワゴン車が止まっている。

 さっき――血の暴走を起こした男の意識の中で見たものとまったく同じだった。


 果たして間に合うだろうか。


 懸念したちょうどそのとき、建物の奥に懐中電灯の明かりが揺れているのが見えた。

 誰かが動いている。


「雪! 1階を頼む!」

「うん! ……気をつけてね」


 俺は無言でうなずくと、渾身の力を込めて地面を蹴った。

 宙に浮かんだ体は悠々と2階の窓まで達する。

 窓ガラスは割る必要のない状態だった。


 ダン!


 着地と同時に床が大きな音を立てる。


(これでこちらに気を取られてくれれば――)


 悲鳴が聞こえた。

 敵はどうやら2階にいるようだ。


 散らばったガラスの破片を踏み壊しながら駆ける。

 駆ける。


 ――いた。


 床に転がった懐中電灯。

 地面に腰を下ろした男。

 そして――


 明らかに人外の、赤い瞳の青年。


(夜魔――か)


 その赤い瞳は、空間を操る夜の一族――"夜魔"の証だ。

 手はへたり込んだ男に伸びようとしていた。 


「待てッ!」


 牽制の言葉を放ち、俺は右腕を夜魔へ向ける。


(集え――ッ!)


 心の中で強く念じると、全身を包んでいた熱が血液とともに体を駆け巡り、右腕へと集まった。


 ゴォ……ッ!


 うなる熱風。

 俺の右腕から噴水のように炎が溢れ、夜魔へ向かって一直線に伸びていく。


「!?」


 突然現れた俺に驚きながらも、夜魔は目を見開いて後ろへと飛んだ。

 同時に、その瞳がさらに赤く輝く。


 ざわ、と、空間が歪んだのがわかった。

 夜魔を追いかけた炎が気の抜けたような音を立てて四散する。


(衝撃波か……)


 衝撃波は夜魔が得意とする力だ。

 その力が自由に使える相手となると、少々手ごわいかもしれない。


 俺はとりあえず床に座り込む男と夜魔の間に割り込んだ。

 男は大学生だろうか。

 幸い大きな怪我もなく、意識ははっきりしているようだ。


「動けるなら早く逃げろ」


 俺はそれだけ言い放ち、敵の動きを注視した。


「あ、う……」


 腰が抜けているのか男は動けない。

 どうやらこのままやるしかなさそうだ。


「う……ガ……」


 夜魔の注意は完全に俺に向いている。

 生存本能が殺しの欲求を上回ったのだろう。


 つまり夜魔は俺を、自らを危地に誘う敵であると認識したのだ。


(雪は……)


 なかなか上がってこない。

 少し嫌な予感がしたが、敵もそうは待ってくれない。

 とりあえずここは俺ひとりでやるしかなさそうだ。


「ガァァァァァッ!!」


 理性を失った赤い瞳が俺をにらみ付ける。

 それが再び輝きを放った。


 空間が、歪む。


(来る――っ!)


 夜魔の衝撃波は高威力だ。相殺することは不可能ではないが難しい。

 だが、その代わり――


(直線的で、避けやすい!)


 軸を大きく横にずらす。

 背後の壁が破壊の音を立て、ひっ、という男の息を呑む音が聞こえた。


「!?」


 一撃で仕留められなかったことに、夜魔は戸惑ったようだ。

 すぐに次の一撃は来ない。

 戸惑っているせいか、あるいは溜めが必要なのか。


 いずれにしてもチャンスだ。


 ためらうことなく、俺は夜魔との距離を詰めた。

 力を込めた右腕が炎をまとう。


「俺を恨むなよ――」


 ああ。

 俺もきっと――慣れてはいないのだ。


 炎の拳が夜魔の腹部に吸い込まれていく。

 ゴリ……という、嫌な感触。


 ケンカで相手を殴るのとは根本的に違う。

 俺の右手が砕くのは肉でも骨でもない。


 命だ。


「っ……!」


 奥歯を噛み締める。

 握った拳に力を込めると、夜魔の全身が一瞬で炎に包まれた。


 断末魔の叫び。


 ――いつ聞いても、気持ちのいいものではない。


「あ、う……お前ら、いったい……」


 助けた男の震える声を無視して、俺は階段へと足を向けた。


「……ユウちゃん」


 1階に下りる途中で雪とはち合わせる。

 雪は俺の表情から戦いが終わったことを察したのか、ホッと胸を撫で下ろし、そのあと少しだけ悲しそうな声で言った。


「女の人が下で……間に合わなかったよ」

「……そうか」


 ひとりじゃないだろうとは思っていた。

 雪がなかなか上がってこなかったのは、その女性を助けようと試みたからなのだろう。


 あるいはまだ息があったのかもしれない。


 ただ、普通の人間が先ほどの夜魔の衝撃波を受けたとすると、たぶん内臓はぐちゃぐちゃだ。

 助かる見込みはほとんどなかっただろう。


「暴走夜魔をひとりやっつけた。今日はここまでだ」


 俺はつとめて明るい声を出し、雪の肩を叩いてやった。


 俺たちにできるのはここまで。

 あとは警察の仕事だ。


 あの大学生らしき男はきっと警察に見たままをしゃべるだろう。

 だが、不思議とその内容が新聞に載ることはない。

 たわ言だと切り捨てられているのか、あるいは何か別の力が働いているのか。


 いずれにしろ俺たちには関係のないことだ。


 俺たちはただ、戦うだけ――


「……うん。帰ろう、ユウちゃん」


 そっと、雪が俺の袖をつかんで身を寄せてきた。


「だな」


 外に出ると、火照った体に冷たい風がまとわりついてくる。


 月は厚い雲の奥だった。

 明日は雨だろうか。


 駐車場には1台のワゴン車。

 助手席に残されたスカーフが、俺の古い記憶を刺激した。


 雪が微かに息を詰める。

 俺と同じことを思い出したのだろう。


「……」


 耳鳴りはもう聞こえなくなっていた。

 それでも――そう。


 一人でも、助かって良かった。


 俺はそう思った。


「……ずいぶん遅くなっちゃった。見つかったら補導されちゃうかな? 私たち」

「あー、そうだな」


 雪のそんな言葉に、ようやく緊張がほぐれてきた。


 もう深夜の2時近くなっているだろう。

 明日はおそらく寝坊確定。また早朝マラソンをするはめになるかもしれない。


「朝ごはん、どうする?」


 隣を見ると雪の髪はもう銀色ではなくなっている。

 俺を見つめたのは、いつもどおりのふわりとした笑顔。


「たぶん起きれないし、いいわ」

「ん」

「お前は朝強いよなー」

「双子だもの」

「ん? どういう意味だ?」


 聞くと、雪はくすっと笑った。


「ユウちゃんが弱いところは私が強いの。それでちょうどいいでしょ?」

「そういうもんかね」


 だとすると、神様はパラメータ配分をだいぶ間違ってしまったのだろう。

 やり直しを要求したいところだ。


「ね、ユウちゃん」

「なんだ?」

「あんまり瑞希ちゃんをいじめちゃ、ダメだからね」

「……はぁ?」


 何を言い出すのかと思えば。


「どっちかっつーと、いじめられてるのは俺の方……ってか、今言うことなのか、それ」

「うん」


 と、雪は真顔でうなずいた。

 我が妹ながらわからないヤツだ。


「ま、今日のアレは確かにやりすぎたかもしれん。お前もいい年だし、ああいうのはそろそろ嫌だもんな」

「私は嫌じゃないよ。別に」

「その気遣いの何割かでも瑞希に分けてやれよ」


 どうでもいい話に完全に緊張がほぐれ、眠気も襲ってきた。

 以前は、こういう日は一睡もできなかったものだが――やはり少しは慣れてきているのかもしれない。


 雲に覆われた暗い空を見上げる。

 あと2~3時間もすればこの深い夜も明け、またいつもの日常が始まる。


 今夜のようなできごとはただの悪い夢。

 そして明日からはまた、なにごともなかったかのような日常に戻るのだ。


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