1年目11月「この関係はいつまで」
(……ふーむ)
中央公園のベンチで缶ジュースを片手に俺は考えていた。
「どうしたの、優希くん?」
右隣では手にクレープを持った由香が怪訝そうに俺の顔をのぞき込んでいる。
「またアッチの世界に行っちゃった?」
左隣には相変わらず失礼なことを口にする直斗。
いつもと変わらないふたりだ。
ラブレターの件があってその翌日、つまりは金曜日の放課後。
俺たちは最後の仕上げとして"3人仲良し遊んで帰ろう作戦"の実行中だった。
これはつまり、ふたりで遊びに行くこともあるけど俺たちは3人揃って仲良しグループなんだよというアピールなのだが、正直な話もうあんまり必要ない気もしている。
昨日までの作戦が功を奏したのか、あるいはもともとそんなもんなのか。あのうわさが聞こえてきたのはせいぜい水曜日ぐらいまでで、今はもうそんなことが本当にあったのかどうかもわからないほど周りは静かになっていた。
俺がこんなことを計画したきっかけの斉藤も、冷静になってどうやら誤解らしいと勝手に納得したようだし、そしてなにより今の俺の関心ごとはそれとは別のところ、つまり昨日のラブレターがいったい誰かのものなのかというところに移ってしまっていたのである。
そして、そのラブレターの件だが――
(……いつもどおりなんだよなぁ)
直斗と由香の態度はあまりにもいつもどおりだった。
昨日のあれが"仮定その1"、つまり由香から直斗への告白の類であったとすると、このいつもどおりはいくらなんでも不自然だ。
ふたりがそれをきっかけに付き合い始めたとか、あるいは断られたとか、そのどちらであっても対象なりとも態度の変化はあるだろう。
直斗はともかく由香はそういうことを隠しきれる性格ではない。
未回答という可能性もあるが、それなら由香がもっとそわそわしてそうなものだ。
(一応、探りを入れてみるか)
ターゲットはもちろん由香だ。
俺は直斗がベンチから離れた隙を見て話を切り出した。
「なぁ、由香」
「……えっ?」
それまでずっと黙り込んでいた俺に声をかけられてびっくりしたのか、由香はちょっと大きな声を上げてこっちを振り返った。
その様子をつぶさに監察しながら、さりげなく切り出す。
「デートは楽しかったか?」
「え? あ、うん。楽しかったよ。ふたりであんなに遊ぶのって最近はなかったから」
突然の質問に由香は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにそう答えた。
不自然なところはない。
(……どう判断すべきかな)
こいつのことだから『つまらなかった』とは絶対に言わないだろうが、今の言葉を素直に受け取ると――
「それに優希くんとプールに行くのすごく久しぶりだったし。ホントに誘ってくれてありがとね」
「……は?」
「え?」
どうもかみ合っていない。
少し考えて、
(……あ、そっか)
どうやら言葉が足りていなかったらしい。
俺は言い直した。
「日曜日の話じゃなくて、昨日までの直斗と遊んでたやつだっつーの」
「あ……」
「だいたい俺たちのはデートじゃないだろ。たまたまふたりになって適当に遊んできただけだ」
そう言うと、勘違いしたのが恥ずかしかったのか由香は少しあたふたしながら、
「あ、で、でも、それだったら直斗くんともデートじゃないよね?」
「いいや、あれはデートだ」
「どうして?」
「いいんだよ、細かいことは。で、楽しかったのか?」
由香はまったく納得できていない様子だったが、それでもそれ以上反論してくることはなく、
「うん。もちろんそれも楽しかったけど」
「そうか。そいつは良かった」
「……」
少し歯切れが悪い。
やはり直斗との間になにかあったのだろうか、と、少しだけ疑問が首をもたげてくる。
そこで少し切り口を変えてみることにした。
「俺らってさあ。どういう縁だか知らないけどもう10年近くも一緒だよな?」
「え? うん、そうだね」
唐突な話題の変化に、由香はまたもや困惑したようだ。
構わずに俺は続けた。
「で、まぁ、たまに思うわけだ。これっていつまで続くのかね、なんてさ。10年も続いたんだからこれからも続くんじゃないかと思うこともあるし、なにかのきっかけであっさり切れてしまったりもするんじゃないかってな」
「急に……どうしたの? 優希くん、どこか行っちゃうとか?」
由香が少し不安そうな顔をした。どうやら俺の言葉を深読みしてしまったらしい。
それを見ると、こいつがどれだけ俺たちとの関係を大切に思っているかがわかる。
「いや、そういうんじゃねーから。ただほら、たとえ話でさ」
俺は少し間を空けて言った。
「お前と直斗あたりがくっついたりすると、案外いいんじゃないかと思うわけだ」
「……?」
由香は不思議そうな顔だった。
どうやら俺の言葉の意味するところがわからなかったらしい。
「いや、だから。たとえばお前が俺らのよく知らない男と付き合い始めたりしたら、この関係ってたぶん自然消滅しちゃうんじゃねーかなって。その点、相手が直斗だったら今までとそんなに変わらないわけだろ?」
と、その意図を説明する。
ただ、由香はそれでもきょとんした顔のままだった。
あまりにも反応が薄いので、俺は眉をひそめて尋ねる。
「……なんだよ。そんなに変なこと言ったか、俺」
「あ、うん。そんなことないけど……ううん。それ私も考えたことあって、優希くんでもそういうこと思ったりするんだなーって、ちょっと意外だっただけ」
でも、と、由香は少し言いづらそうに下を向く。
「それならきっと、私と優希くんで、雪ちゃんと直斗くんが一番いいんじゃないかな、なんて……」
「む……」
思わず言葉に詰まってしまった。
(まぁ、確かに……)
一理ある。
だいたい直斗と由香がくっついただけだと、俺との関係が必ずしも続くとは限らないのだ。
その点、由香の考えた組み合わせだと全員が義理の兄弟姉妹のような関係になるわけだから、俺と雪が兄妹の縁を切りでもしない限り半強制的に関係が続くことになるだろう。
由香は照れくさそうに笑いながら続ける。
「私、昔からそういうこと考えてた。そうなったらきっといつまでも一緒なんだなぁって。それって夢みたいな話だよね」
まるで空想世界の物語を語っているかのようだ。
どうやらパッと思いついた俺とは本当に年期の入り方が違うらしい。
「いくらなんでも大げさだろ」
俺は苦笑すると同時に、やはり昨日のラブレターは由香が書いたものではないだろうと確信した。
こいつはその状況で今みたいな素知らぬ会話ができるような器用な人間じゃない。
そして確信しつつ尋ねる。
「昨日の直斗あてのラブレターはお前が書いたのか?」
「……え?」
ワンテンポ遅れて反応が返ってくる。
「え、あ……優希くん、見てたの?」
「たまたまな。いや、びっくりしたぜ。懐かしくなってあの公園に行ってみたらお前らがいて、しかもお前が直斗にラブレターなんか手渡しているんだからさぁ」
案の定、由香は慌てた。
「あ、あれは私の知ってる子から頼まれて……」
「俺らの仲で隠し事はなしだぜ。結婚式には呼べよ」
「ち、ちがっ――」
「どうしたの?」
ちょうど直斗が戻ってくる。
「また優希がおかしなこと言った?」
顔を赤くして慌てている由香に気づいて、直斗は責めるような目で俺を見た。
「いや別に。ただ婚約おめでとうって言っただけだ」
「婚約? 君と由香が?」
「んなわけないだろ。なんで自分で自分におめでとうを言わなきゃならんのだ」
「あ、あのね、直斗くん。昨日の公園のこと、優希くんが偶然見てたみたいで……」
由香が説明すると、直斗は納得顔をして、
「ああ、僕とってことか。それなら優希の冗談だから安心して。本気で勘違いしてるなら軽々しくそんなことは言わないよ。……だよね?」
「……んなこともねーけど」
いや、おそらく図星だ。
相変わらず鋭い。
「え、冗談? ……冗談なの?」
そしてこいつは相変わらず鈍い。
この差ははたしてどこからやって来るのだろうか。一般的にそういうのは男より女のほうが優れているんじゃないかと思っていたのだが。
いや。
雪のことも考えると、むしろ由香が特別に鈍いだけなのかもしれない。
直斗は俺の隣に腰を下ろして、
「でもそれを見てたってことは、昨日僕たちの後をつけてきてた?」
「いや、ただの偶然だ」
あの公園での目撃は本当に偶然だった。
嘘は言っていない。
「だいたい、なんで俺がお前らの後なんか付けて回らにゃならんのだ」
「元はといえば君のお願いだったんだから。少しくらい気にしたってバチは当たらないと思うけどね。……ね、由香?」
「え? あ、うん?」
「……なにやってんの、お前」
見ると、由香は直斗が買ってきたジュースのプルタブを開けるのに四苦八苦していて、俺たちの会話は耳に入っていなかったらしい。
「子どもかよ……ったく」
こいつは昔からこの缶ジュースを開けるのが苦手だ。
特別なコツが必要なわけでもないので、単純に指先の力が弱いということなのだろう。
呆れつつ、由香の手からジュースの缶を奪って開けてやる。
「ありがとう、優希くん」
由香は申し訳なさそうにしながらも微妙に嬉しそうだった。
「……にしても」
俺は急に思い立って、空いていた由香の左手を取った。
由香は驚いて反射的に手を引っ込めようとしたが、すぐに手の力を抜く。
「ふにゃふにゃだな。これならプルタブごときに苦戦するのもしゃーないか」
「そ、そんなに貧弱かなあ?」
「ひのきのぼうぐらいだな」
「え?」
ピンとこなかったらしい。
そこへ直斗がフォローに入る。
「仕方ないよ。僕らと違って女の子なんだから」
そんな直斗の主張に、俺は大いに異論があった。
「バカだな、お前。俺が知ってる女なんてうっかり岩を叩き割っちまいそうな手をしてるんだぞ?」
「……ああ」
「あはは……」
ふたりともピンときたようだ。
どうやらあいつの凶暴さ加減はこのふたりも認識しつつあるらしい。
なんだか同志が増えたような気がして、俺はさらに続けた。
「こぶしもアレだが、それより問題なのは足のほうだな。気を抜けばところ構わず殺人キックが飛んでくる。あいつと一緒に暮らすってのはまぁ、腹ペコなライオンの檻の中で生活してるようなもんだ」
「……あー」
「……」
直斗の声のトーンが少し下がって、由香は反応がなくなった。
俺は調子に乗って続ける。
「そんな猛獣と何ヶ月もひとつ屋根の下で生活してみろ? ワニの口の中に頭を突っ込めるあの人だって荷物まとめて逃げ出――あれ?」
「……」
「……」
ついにはふたりとも無反応になっていた。
そしてよく見ると、直斗も由香も俺の顔を見ていない。
その視線は俺の背後、つまりはベンチのすぐ後ろに向けられていた。
(……あれ?)
そこで初めて感じた嫌な予感。
「……で?」
「!?」
ずんッ、と、空気が沈み込んだ。
地の底から響いてくるような、ド迫力の低音。
「……」
額を汗が伝う。
俺は直斗の苦笑いを見つめたまま、後ろを振り返ることができないでいた。
(これはまさか、いつものアレか……)
わかっている。
もうわかっているのだ、この圧迫感の正体がなんなのか。
しかしおかしい。
この中央公園は桜花女子学園の下校ルートからは離れているし、ヤツのテリトリー外だ。
この時間、こんなところに出没するはずがないのに――
「……あ、優希さーん」
そこへ、遠くから手を振りながら駆け寄ってくる歩の姿が視界に入ってきた。
「今帰りですかー? 私は瑞希お姉ちゃんに付き合ってもらって買い物に行く途中ですー」
(お前の仕業か……ッ!)
天災少女の本領発揮である。
「さてと。優希?」
そして背後の殺戮兵器がついに動き出した。
「肩甲骨を破壊するこぶしと、膝の皿を粉砕する蹴り、どっちがお好み?」
「……」
生々しすぎて、岩を叩き割るとかよりよっぽど恐ろしい。
「どっち?」
「……」
満面の笑顔を浮かべてそう言った瑞希の言葉に、俺は自らの死期を悟ったのだった。