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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第5章 保健室の少女
38/239

1年目10月「今日からは」


「……あ、やべ! 悪い、伯父さん! 待ち合わせの時間に遅れっちまう! 話あんがとな!」


 ところで学校の成績はどーたらこーたらとかいう受話器の向こうの伯父さんの声をボタンひとつで強制終了させ、俺は慌てて自分の部屋を飛び出していった。


 玄関へと続く階段の途中。

 窓の外から見える空はあいにくのくもり空だった。


「あ、ユウちゃん! 傘、傘!」


 バタバタという俺の足音に気づいた雪がリビングから出てきた。

 俺は右足に靴を引っ掛けながら、


「傘ぁ? 今日はせいぜい霧雨ぐらいじゃねーの? 平気だって」

「ダメダメ。ユウちゃんが平気でも向こうが平気とは限らないんだから。……ほら、ポケットちゃんとしなきゃ」


 そう言って、裏生地が少し飛び出していたズボンのポケットを直し、ポンポンと叩く。

 そうしながら雪は上目づかいに俺を見た。


「せっかくのデートなんだもの。女の子をガッカリさせちゃダメだよ」

「デートって、お前なぁ」


 我が妹は昨晩からずっとこの調子だ。


 ちなみに今日の俺はいつものヨレヨレシャツに穴あきのジーパン姿――などではなく、白のシャツにライトグレーのニット、ダークブラウンのジャケットとピシッとした新品のジーンズ。

 普段なら面倒くさくて絶対に着ないようなこの服装は、昨晩このおしゃれ好きの妹に着せ替え人形させられてしまった結果である。


「それじゃ行ってらっしゃい、ユウちゃん」


 そんな俺の全身を眺めてどこか満足げな雪に追い立てられるように家を出た。


(……やれやれ)


 腕時計を見ながら目的地へ向かって歩き出す。


 あまりにも俺らしくない格好に、途中で偶然会った仲田というクラスメイトに怪訝な顔をされてしまったが、適当にあしらって、目的地である駅前広場に到着したのは待ち合わせ時間である午前10時のちょうど10分前だった。


(なんだ。意外と早く着いたじゃないか)


 いや、むしろ早すぎたかもしれない。

 一応、待ち合わせの相手を探してぐるりと辺りを見回してみた。


 休日の朝はこの駅前広場が一番にぎわう時間帯である。

 中学生から大学生までの様々な年齢の男女が、明らかに待ち合わせという様子でそこかしこに立っている。もちろん中には友だち同士の待ち合わせもあるだろうが、その多くはこの休日を恋人と過ごそうというカップルの片割れだろう。


(……ホント、平和なもんだ)


 なんて。

 周りから見れば俺も明らかに同類に見えるのだろうが、そのことはとりあえず考えない。


 結局、待ち合わせ相手の姿は見当たらず。

 彼女がやってきたのはそれから約5分後のことだった。


「不知火さーん!」


 赤い傘を片手に、俺の名を呼びながら駆け寄ってくる少女がひとり。

 我が校きっての天才少女、神崎歩様である。


「おい、転ぶなよ!」


 と、俺が声をかけた途端。


「あっ……」


 段差もなにもないところにつまずいて、フラフラと前のめりになる歩。


「おいっ!」


 とっさに手を出す。


「わっ……っと、っと……」


 転ぶ直前、まさに間一髪のところで歩が俺の手をつかんだ。


「たはは……ごめんなさい。ちょっと浮かれすぎましたー」


 顔を上げて照れ笑いを浮かべる歩。

 なんともまあ、どんくさいヤツである。


「足、ひねってないか?」

「うん。不知火さんが支えてくれたから大丈夫だよー」


 歩は俺から少し離れ、つまずいた方の足だけでピョンピョンと軽く飛び跳ねてみせた。


「……ったく。危なっかしい」


 本当に天才なのかと疑ってしまう一連の行動に、俺は呆れ顔でもう一度ため息をつくのだった。


 ……実はこうして直接歩と会うのは実に2週間ぶりだった。

 歩の叔母さんと初めて会ったあの日以来である。


 もともと学校で会うのも、歩が俺たちの教室に遊びに来るか、あるいは俺が保健室に行ったときに偶然そこにいるかのどちらかだったのだが、俺はあれからあまり保健室には行ってなかったし、歩のほうもちょっと気まずかったのか自分からウチのクラスを訪ねてくることはなかったのだ。


 並んで歩き出すと、歩はすぐに言った。


「私、不知火さんが怒ってると思ってずっと会いに行けなかったの。だから昨日電話もらったときはホントに嬉しかったんだー。受話器持ったままお辞儀しすぎて頭ぶつけちゃった」


 と、額に手を当てながら笑う。


「大げさなやつだな」


 昨日の電話で、どこか遊びに行かないか――はい、の後にゴツンという音がしたのは、どうやら気のせいではなかったらしい。


 そうして歩とのデートが始まった。


 目的地は特に決めてなかったのだが、歩はこの辺をあまり歩いたことがないのか、駅前に並ぶ店にところどころで足を止めては、


「あ、ねえねえ、不知火さん。あれ見てー」


 などと、たびたび俺の袖を引いた。

 最初のうちはそんな歩に黙って付き合っていたのだが、あまりにもそんな状況が続いたので、


「どこか行きたいとこないのか? そんなの眺めてたって楽しくないだろ」

「えー? 楽しいよー? ……あっ!」


 と、今度は女の子向けファンシーショップの店頭に並んだアクセサリーに駆け寄っていく。

 といっても買う気はどうやらなさそうで、俺には理解できないがそれで本当に楽しんでいるらしい。


「今度はあっちー」

「……あー、わかったわかった」


 俺を引っ張る歩はずっと笑顔のままで。

 その明るい表情は、自宅で身内に冷たくされているというような暗い影など微塵も感じさせないものだった。


 きっと切り替えが上手なのだろう。

 たとえ後に辛いことが待っているのだとしても、今を素直に楽しむことができる。だからこうして見せる笑顔は本当の笑顔だし、俺のような周りの人間に暗い影を感じさせることもない。


 だから俺も、自宅を訪れるまでこいつが抱える問題には気づけなかった。

 周りの大人たちも、たぶんそう。


 そういう意味ではきっと、本当に頭のいい娘なのだ。


「……なぁ、歩」


 そうして特に起伏のない時間を2時間ほど過ごした後。


「ちょっと休まないか?」

「え? あ、疲れちゃった? ごめんね。ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたいー」


 たはは、と照れ笑いを浮かべる歩。


「いや、別に疲れたってわけでもないんだが」


 俺は真顔で、歩に引かれている右手首を指して言った。


「あんまり引っ張られすぎて、手首が外れそうだ」

「え?」


 歩がきょとんとした、その瞬間。


 俺の右手首がスポンと抜けた。


「!?」


 歩の表情が凍りつく。

 すっぽ抜けた俺の右手首を持ったまま1回、2回……その手首と、ダラリと垂れ下がった俺の右袖を見比べる。


 そして、


「あ……え、と……抜けちゃった……」


 困った顔で俺を見上げた。

 その反応に俺は吹き出して、


「ふふん、引っかかったな!」


 そう言いながら、服の袖から本物の右手をにょきっと出現させる。


「……あーッ!」


 それを見て、歩はようやく自分がからかわれたことに気づいたようだ。


 よくよく見れば、歩の持っている右手首が本物によく似た触感の作り物であることがわかる。

 それはいわゆるジョークグッズで、中学の修学旅行先で売っていたのを衝動買いしたものだ。本来は手品とかで使われるらしいが、今までそんな高尚な(?)目的で使ったことは一度たりともなかった。


「まだまだ甘いな、天才少女くん」


 笑いながら歩の頭をポンポンと叩くと、


「ひっどーい! 本気で心臓止まるかと思ったー!」


 歩はふくれっ面をして、最初は本気で怒ったような顔をしていた。

 が、やがて自分でもおかしくなってしまったのか吹き出すように笑うと、


「……でも、これすごい。ホントによく出来てるねー」

「俺の秘密の7つ道具のうちのひとつだからな」

「他の6つは?」


 ニセモノの手をプニプニさせながら聞いてくる。

 どうやらその感触が気に入ったらしい。


「もちろん秘密だ。なにしろ秘密道具だからな」

「じゃあこれで秘密の6つ道具になっちゃいましたねー」


 まあ、そんな余興も繰り広げつつ。


 14時近くまでブラブラしていて、かなり遅い昼食をとるために俺たちが入ったのは、駅のそばにあるファミレスだった。

 待ち合わせ場所からは目と鼻の先で、結局俺たちが大して移動していないことがわかる。


 窓際の席に座るなり、俺はメニューをチラッと眺めて言った。


「ここはおごってやろう。好きなものを選ぶがいい」

「ホントに? ……なんだか今日は不知火さん優しいねー」

「いつも優しいの間違いだろ」

「そうだけど、今日はもっとかなー」

「……」


 冗談を無邪気に返されるとなんともいたたまれない。

 そんな俺の気持ちをよそに、歩は嬉々としてメニューを選び始めた。


「なに頼んでもいいの?」

「太らん程度にな」

「うーん、どうしようかなー」


 歩は真剣に悩んでいる様子だった。


 ……で、結局。


「一応、昼飯のつもりだったんだが」


 俺は自分の頼んだきのこスパゲッティをフォークでつつきながら、歩の手元を見た。


 透明なグラス。

 山盛りになったアイスクリーム。


 それは見ただけで胸焼けがしそうなチョコレートパフェだった。


「だって食べたかったんだもんー」


 歩は幸せそうな顔でパフェの一番上のアイスを口に運んでいる。


「やっぱお前も女の子なんだねぇ……」

「女の子だよー」


 歩はニコニコしながらそう答えた。


 ちなみに俺は甘いものがあまり得意ではない。

 嫌いなわけではないのだがたくさん食べることができず、目の前のこのパフェなら上に乗っかっているアイスクリームですでに致死量寸前だ。


「……」


 俺は自分のスパゲッティを速攻で平らげ、あとは黙って歩の食べっぷりを眺めることにする。


「ふんふん~」


 歩はときどき鼻歌を歌いながら、途中からはちょっと遊んでいるのか、かき混ぜたり底のほうを突っついたりしていた。


 あまりこういうものを食べたことがないのかもしれない、なんてのは勝手な想像か。

 ただ、少なくとも今のあの家の状況では、こんな風に家族で町を歩き回るということもないのだろう。


 ……そろそろ、頃合だろうか。


 俺はそう決心して、口を開いた。


「歩、ちょっと聞いてくれないか?」

「?」


 歩は手の動きを止めた。


「どうしたんですか? なんだか眉間に皺寄ってますよー」

「いや……」


 そんな歩の様子に、俺は少しだけ言葉に詰まった。

 思考をまとめるためにいったん間を置く。


 ピークの時間を過ぎているファミレスは、俺たちの他に2~3人の客がいるだけだった。

 厨房の陰には、暇そうにしているウェイトレスの背中が見える。


 窓の外は相変わらずのくもり空。

 それでもまだ雨は降り出していない。


 俺の視線はぐるりと一周して、再び歩のもとへと。


「?」


 その間も歩はずっと笑顔のままだった。


 もしも俺が次の言葉を発すれば、この笑顔はあっという間にくもってしまうに違いない。

 楽しい時間も幕引きとなってしまうだろう。


 だけど。

 こいつの笑顔にほだされて、その背後にあるものを見て見ぬふりするわけにはいかなかった。


 神村さんとも約束したし、俺自身、歩には俺たちの前だけでなく、どこでも笑っていられるようにしてやりたかった。


『……なぜ、そんなに神崎さんを?』


 神村さんに言われた言葉が頭の中をグルグルと泳ぎ回る。


 なぜだろうか。


 神村さんに答えたように、単に友だちだからかもしれない。

 妹の雪にどこか似ているところがあるからかもしれない。

 あるいは、彼女が非日常的な力の所有者であることを知って親近感が湧いたからかもしれない。


 思いつく理由は色々ある。

 色々あるが……そんなことは本当はどうだっていいのだ。


 放っておけない、と、俺が今そう感じていることがすべて。


 だからこそ。

 歩にとっておそらく触れられたくない話題であっても避けて通るわけにはいかないのだ。


 俺は心を決め、再び切り出した。


「歩。この前の話だ」

「この前?」


 歩は怪訝そうに聞き返してくる。

 ただ、その表情は少し芝居がかっていた。

 おそらくは、俺がなにを言い出すのか見当がついているのだろう。


「事情は神村さんに聞いた。お前の両親のこと。一緒に住んでるのが叔父さんと叔母さんだってこと」

「……沙夜さんに?」


 歩の表情が見る見るうちにくもっていく。

 俺を見つめる瞳は、その話題に触れないでと懇願しているようにも見えた。


 それでも俺は先を続ける。


「それに、お前があの家でどんな扱いを受けてるのかってこと。俺も実際に見たけど、もうちょっと詳しい話も聞いた。前からそうだったってことも」

「……そっか」


 沈んだ声だった。

 歩の手は完全に止まり、残っていたアイスクリームが静かに溶けていく。


「けど、勘違いはしないでくれ。俺は別に好奇心でそんなこと聞いたわけじゃないし、神村さんだって面白半分で話してくれたわけじゃない」

「……」


 歩がうつむく。

 俺は大きく息を吸い込んで言った。


「神村さんはきっとお前のことを心配してる。俺だってそうだ。どうにかしてやりたいと思っている。だから、俺はお前がどう思っているのかを知りたい。今日は本当はそれが目的でお前を呼んだんだ」

「……どう、って?」


 うつむいた歩が、ほんの少しだけ上目づかいにこちらを見る。


「お前だって自分の受けている扱いがまともじゃないってことぐらいわかってんだろ? その状況をどう思ってるのか聞きたい」


 嫌だ。

 辛い。

 どうにかしたい。


 言葉はなんでもよかった。

 この現状を打破したいという意思さえ確認できればそれでよかった。


 客観的な事実は揃えた。

 それを解決するための力も用意した。


 それでも。

 それでも俺はまだ部外者だ。

 今のままではなんの権利もない他人に過ぎない。


 だから歩の言葉が必要だ。

 あの家での暮らし、そしてそこで一緒に暮らしている人々について、どう思っているのか。

 これからどうしようと思っているのか。


 そうして、2~3分ほど沈黙が続いただろうか。


「……私、疫病神だから」


 ぽつり、と、ひとり言のように歩がつぶやいた。


「叔父さんと叔母さんに不幸を持ってきたいけない子だから。普通の子じゃないから。だから仕方ないの」

「だからどんな扱いを受けても我慢する。そういうことか? お前はそれで辛くないのか?」

「……」


 歩が顔を上げる。

 泣いているのかと思ったが、寸前でこらえているようだった。


「だって、仕方ないよ……仕方ないの……」

「どうして仕方ない?」


 俺は少し声を低くして言った。


「お前はなにも悪いことしてないんだろ。仕方なくなんかない。俺はお前の叔父さん叔母さんのことはほとんど知らない。けど、実際に見て、聞いて。お前が受けている扱いが不当なものだってことぐらい、バカな俺にだってわかる」

「……」


 歩が再びうつむいた。


「会社がつぶれたとか、家が火事になったとか。それを全部お前のせいにして、やつあたりして。最低じゃねえかそんなの。大人として、いや人間として――」

「……やめてッ!」

「!」


 聞いたこともないような、ヒステリックな声だった。


 そんな声が出せたのか、と。

 驚きながら歩を見つめる。


「やめて、やめてやめて!」


 歩は耳を塞ぐと、小さい体から声を絞り出すようにして叫んだ。


「歩――」

「だって、私が来るまでは幸せに暮らしていたんだもん! 叔母さんだって優しくて、いっつもお菓子を持ってきてくれて!」

「……」


 俺は黙った。

 少し焦りすぎたかもしれない。

 が、こうやって吐き出させでもしないと、歩は本音を語ろうとはしないだろう。


「そんなの辛いよ! 辛いに決まってるじゃない! あんなに優しかった人たちが……あんなに――!」


 膝の上に置いた歩の手が、興奮で小刻みに震え出す。


 カタ、カタ。


(……なんだ?)


 俺はそこで異変に気付いた。


(これは……)


 空気が震えている。

 歩の感情に呼応したかのように、俺の肌にははっきりと空気の振動が伝わってきていた。


(まさか、歩の"超能力"……?)


「歩、落ち着け……!」


 これはさすがに予想外だ。

 危険を感じ、歩を落ち着かせようと手を伸ばす。


「でも、仕方ないの……!」


 しかし歩は顔を上げて俺の手を振り払った。

 その目はあふれ出した涙で濡れていた。


「……私が壊しちゃったんだもの! お父さんとお母さんも、叔父さんと叔母さんだって、全部、全部、私が――ッ!!」


 ピッ……

 鼓膜に届いた、小さく甲高い音。


「っ……!」


 テーブルのコップに小さな亀裂が走っていた。

 それを確認したのとほぼ同時に、パリン、パリン! と、目の前のコップが立て続けに割れていく。


「なっ、なんだぁ!?」

「なに、これ……」


 周囲のどよめきが聞こえる。

 店内のあらゆるところで同じ現象が起きているようだ。


(……これが念動力か!)


 神村さんから話を聞いていた俺はすぐにそれを理解した。


「歩! やめろ!」


 俺はそう叫び、歩の肩を両手で押さえる。

 だが、それでも歩の興奮は止まらなかった。


「私がいなければ……私が――!!」

「歩ッ!」


 俺が歩の肩を大きく揺さぶった、その瞬間。


 ……パァンッ!!


「!」


 俺たちの頭上にあった蛍光灯が破裂した。

 興奮している歩は、降り注いでくる蛍光灯の破片に気付いていない。


「……歩!」


 俺はとっさにテーブルを乗り越えて歩を抱きしめると、その上に覆いかぶさった。


「……え? あ――ッ!」


 歩がそう声を発するのと、蛍光灯の破片が降り注いでくるのはほぼ同時。


「ッ!」


 頬と首筋に鋭い痛みが走った。

 蛍光灯が地面に落ちて砕け散る。


「し……不知火さんッ!」


 耳元で歩が悲鳴のような声をあげた。


「……大丈夫だ」

「で、でも……ッ」


 心配そうな声。

 どうやら今のショックで興奮は少し収まったようだ。

 空気の振動もなくなっている。


「不知火さん! 血が、血が……!」

「だから大丈夫だって」


 俺の頭についた蛍光灯の破片を払おうとする歩の手を止め、ゆっくりと上体を起こした。

 頬と首筋にちくりと痛みが走ったが、大した怪我ではない。


 大騒ぎの店内を見回す。

 ところどころで同じような現象が起きて混乱しているようだったが、どうやら怪我人はいないようだ。


 それを確認した俺は歩の手を取って、


「よし、歩。とりあえず逃げるぞ」

「え? で、でも……」

「いいから。話がややこしくなるだろ」

「えっ? えっ?」


 戸惑う歩の手を強引に引っ張って、混乱の続く店内から逃げ出す。


 店はどうやら窓ガラスも割れていたようで、外には少しずつ野次馬が集まりかけていたが、正面から店を出た俺たちにまだ注意を向ける人間はほとんどいなかった。


「し……不知火さん! その、御代もまだ――」

「いいから黙って走れ!」


 そうして俺たちは野次馬に紛れながら、逃げるようにその店を離れたのだった。






「……大丈夫か?」


 歩は疲れた様子でベンチにうなだれていたが、買ってきたジュースを目の前に差し出すと少しだけ顔を上げた。


「ありがとー……」


 お礼の言葉にもいつもの元気はない。


 あの後、俺たちは駅前通りを離れて通学路の途中にある中央公園まで逃げていた。体の弱い歩にはこのダッシュが相当きつかったらしく、ただでさえ色白な顔がさらに青白くなっている。


 ……とはいえ。

 元気がないのはダッシュが原因ではないだろう。


「今ごろ騒ぎになってるだろうなぁ、きっと」


 歩の隣に腰を下ろし、俺は自分のジュースの缶を開ける。


「……」


 歩は受け取ったジュースを両手でにぎりしめたまま固まっていた。


「ま、怪我人はいなかったみたいだし、窓とコップと蛍光灯についてはとりあえず心の中でゴメンなさいだな。まさか弁償しに戻るわけにもいかないだろうし」


 そう言って俺は笑う。


「でも、ああいう場合って原因の説明はどうすんだろうな。案外、後で心霊スポットとして有名になって客足が増えたりして――」

「……不知火さん」

「ん?」


 俺はジュースに口を付けたまま歩を見る。

 歩は真剣な表情だった。


(……まぁ、当然か)


 これでヘラヘラ笑っていられるようなら、かなりの大物か単なるバカのどちらかだろう。

 歩はそのどちらでもないようだ。


「不知火さんは……どうして平然としていられるの?」

「んー、なに? さっきのことか?」


 歩はうなずいた。


「だって不知火さん、わかってるんだよね? さっきのこと、私のせいだって」

「ああ、わかってるぞ」

「不気味じゃないの? だって私は――」

「疫病神、か?」

「……うん」


 歩は目を伏せて小さくうなずいた。

 不安そうなその仕草に、俺は苦笑する。


「つまりさ」


 種明かしをすべく、俺はポケットからティッシュを1枚取り出した。


「こういうこと」


 それを丸め、ポン、と、軽く宙に浮かせる。

 そして手の平に力を集中させた。


「……燃えろ」

「え……?」


 丸めたティッシュは歩の目の前で燃え上がり、一瞬のうちに燃え尽きてしまった。


「今のって……」

「見てのとおりだ。普通じゃないって点じゃ、お前より俺のほうがずっと上だ」


 手の平に残った黒いティッシュの残骸をふっと吹き飛ばす。

 そして、驚いた顔のまま俺を見上げる歩に視線を戻すと、


「お前はそんな俺が普通の人間のように暮らすのはおかしいと思うか? 俺には普通の人間のように暮らす権利がないと思うか?」

「う……ううん! そんなこと思わないよ!」


 歩は慌てて首を横に振った。

 ここで"うん"と言われたら俺も少なからずダメージを受けるところだったのだが、幸いそんな展開にはならなかったようだ。


「じゃあ俺より普通に近いお前には、俺よりももっと普通に暮らしていく権利があるはずだ。違うか?」

「それは……」

「お前さっき辛いって叫んだよな。辛いに決まってるけど仕方ないって。それがお前の本心ってことでいいんだよな?」

「でも……違うの。全部私が――」

「そこでだ」


 歩がなにか言おうとするのをさえぎり、俺は言葉を続けた。


「俺に考えがある。お前が悩むことなく、お前の叔母さんたちもきっと納得できるんじゃないかって妙案だ」

「……妙案?」


 それは神村さんの話を聞いたときからずっと考えていて、なおかつ今日の朝になってようやく現実味を帯びた作戦だった。


「家出するんだよ」

「い、家出?」


 歩は驚きの声をあげた。


「そ。いまどき珍しいことじゃないだろ」

「そ、そんな。私、叔母さんにずっと迷惑かけっぱなしなのに、家出なんて……」

「ただの家出じゃねーぞ。ちゃんと叔父さん叔母さんの許可を取って家出するんだ」

「……どういうこと?」


 歩は困惑した様子だった。


「だからさ。今の状況ってのは、お前にとってもあの叔母さんにとってもいいもんじゃない。けど、家出すりゃお前が叔母さんに変な気を遣う必要はなくなるし、こう言っちゃなんだが、叔母さんも頭を冷やすいい機会になる。……別に永久にあの家から離れろって意味じゃねーんだ。お互いに色々なことを考え直すきっかけにしろってことさ」

「で、でも私、ひとり暮らしできるようなお金ないし、この歳じゃ部屋だって……」


 歩は俺の言葉が本気なのか冗談なのか判断しかねているらしい。

 が、もちろん本気だ。


「バカだな、お前。行くとこ? あるだろ、ちゃんと」


 ベンチから立ち上がってまっすぐ歩と向き合った。

 歩が不思議そうに俺を見上げる。


 ……この作戦は言うまでもなく俺のワガママだ。


 俺自身の力ではどうすることもできなくて、伯父さんの力を借りることになった。

 そして俺の周りには、たまたまそれを実現できる環境があった。

 今後のこととか、色々な細かいこととか、そういったものもほとんどよくわからない。


 だからそれらはなにひとつとして俺の力じゃなかった。

 俺がやったのだと胸を張るどころか、こんなワガママを聞いてくれた伯父さんや、妹や、従姉に頭を下げて回らなきゃならないことだ。


 だけど、それでも。


 それでも俺は、この明るくて優しくて、そしてちょっとだけか弱い少女のためになにかしてやりたいと思ったのだ。


 日は少しずつ西に傾き始めている。

 そして俺は、彼女に向かって右手を差し出した。


「ウチに来い、歩。今日からは俺が。俺たちがお前の家族だ」

「……え?」


 ぽかん、と。

 歩は惚けたように口を開いたまま固まってしまったのだった。


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