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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第5章 保健室の少女
36/239

1年目9月「家庭訪問」


 歩がフラフラと倒れたのは、9月も末に近づいたとある木曜日の6時間目。

 1組と4組合同の体育の授業で、バスケのゲーム中のことだった。


「……歩!」


 膝をついて崩れ落ちた歩に真っ先に駆け寄ったのは俺だった。

 といっても、別に彼女の動向をずっと気にしていたわけではない。俺もちょうど男子側のゲームに参加していて、たまたま近い位置にいたからだ。


「歩。大丈夫か?」

「う……」


 倒れたといってもいきなりバタンといったわけではない。

 フラフラとその場に崩れ落ちただけで意識はあり、貧血のような症状に見えた。


「先生!」


 すぐに視線を上げて体育の栗田先生を探す。

 先生もちょうど異変に気づいて駆け寄ってくるところだった。


 男子も女子もゲームが中断している。


「うぁ……あれ……不知火さんー……?」

「おぅ、歩。わかるか?」

「は、はいー……」


 返事はしっかりしている。

 とりあえず大丈夫そうだが、なんにしても保健室に連れて行くべきだろう。


 そう思い、俺は4組の保健委員の姿を探した。

 他クラスの保健委員が誰なのか俺が知っているはずもないのだが、この状況なら自分からこっちにやってくるだろう――と。


「……?」


 そう思っていたのだが、4組の生徒は誰ひとりとして近づいてこなかった。

 男子も女子も、みんな揃って遠巻きにこちらを眺めている。


 不思議な空気。

 不思議な視線。


(……俺のせいか?)


 確かに俺は同級生、特に多くの女子からは敬遠されている。

 そんな俺が来てしまったせいで、近寄りにくくなってしまったのだろうか。


「大丈夫か?」

「大丈夫、歩ちゃん?」


 結局やってきたのは栗田先生と、藍原や由香をはじめとする1組の生徒ばかりだった。


「先生、保健室に」


 俺がそう言うと先生はすぐにうなずいて、


「そうだな。じゃあ……不知火。お前、連れて行ってくれるか?」

「俺が? ……ああ、いや」


 こういうときはクラスの保健委員が連れて行くものじゃないのだろうかと思ったが、すぐに些細なことだと思いなおす。


「わかりました。歩、立てるか?」

「え……あー……はい……」

「ほら。保健室に行くぞ」

「え、あ……」


 差し出した俺の手を見て、歩の目の焦点がようやく安定する。

 そうして一瞬、自分の手を伸ばしかけたが、


「あ……い、いえー……自分で立てますー」


 慌てて手を引っ込めると、その手を膝に当ててゆっくりと腰を上げていく。


「おい、無理すんな。ほら、俺の手を――」

「だ、大丈夫ですからー!」


 珍しく強い調子で拒否し、歩はフラフラと立ち上がった。

 そしてそのとき、


「……?」


 再び、周囲からの不思議な視線を感じる。


 そして俺は気付いた。

 俺に向けられているものだと思っていたそれらの視線が、俺ではなく目の前の小さな少女に対して向けられたものだということに。


 それがどういう意味を持つのか、そのときの俺にはまだわからなかった。






 今にも雨が降り出しそうな空。

 右手には今朝雪に無理やり持たされた傘。

 左肩にはカバンをかけて。


 背中には――


「……いつもごめんね」

「大したことないから気にすんな」


 背負った歩に向かって俺はそう答えた。


 あの後保健室まで歩を運んだ俺は、体育がこの日最後の授業だったということもあり、山咲先生の勅命を受けてそのまま歩を家まで送ることになっていたのである。


「もっと体が強ければ、不知火さんにも迷惑かけずに済むんだけどなぁ……」


 歩は消沈している。


「バカだな。俺様はお前が想像する以上に大きな男なんだ。お前ごときがなにしたって迷惑なんてかけられねーよ」


 冗談交じりにそう言うと、歩は特に突っ込みを入れてくることもなく、ただ小さく笑って俺の後頭部に頬をこすり付けてきた。


「……なんだ。甘えたってなにもいいことないぞ」

「違うよ。ただ甘えたいだけー」


 そう言って子犬のようにさらに頬をすり寄せてくる。


 ……妙な話だ。

 こいつと初めて会ったのは体育祭の日だから、たった半月前のことなのだ。にも関わらず。こいつとのやり取りはまるで古くからの友人か、あるいは親子、兄妹だったかのように錯覚してしまう。


 こいつが人なつっこい性格であることを考慮したとしても、それはやっぱり妙な話で。


 そうそう。

 妙な話といえば、もうひとつ。


 歩はこのとおり人なつっこくて、誰とでも仲よくなれそうな性格だ。

 実際に由香や藍原とはあれ以来仲よくなっていて、保健室なんかでおしゃべりをしている姿もよく見かける。


 しかし不思議なことに、自分のクラスである4組の人間と話しているのを見たことがないのだ。


 たまたま俺が目撃していないだけかと思っていたのだが、今日歩が倒れたときのことを思い返すと、どうも自分のクラスには友だちがいないんじゃないかと思えてしまうのである。


 年齢が違うとはいえ、これだけ人なつっこければ友だちのひとりやふたり、すぐにできそうなものなのだが――


「……」


 遠巻きに歩を見つめる、あの空気。


 俺は自分のクラスにいるこいつの姿を見たことがない。

 いや、正確に言うと、今日の体育の合同授業まで見たことがなかった。

 だから自分のクラスでのこいつの立ち位置はまったく知らないのだ。


 少し嫌な想像が頭を過ぎったが、それ以上の仮説を立てる材料もなかったのでひとまず振り払う。


 歩の家は結構遠い。

 学校から駅とは反対の方向に歩き、途中にあるこの町唯一のデパートを通り過ぎて、さらに少し歩いたところに公営住宅と民間のアパートの立ち並ぶ一角がある。学校から普通のペースで歩くと、軽く30分はかかってしまう道のりだ。


 そんな少し古めかしいアパートの中のひとつ。

 その2階に歩の自宅があった。


「ほら。着いたぞ」

「……ありがとー」


 ドアの前にかがみこんで歩を下ろすと、俺は立ち上がって軽く肩を回した。

 さすがに少し疲れた。


「大丈夫? やっぱり重かった?」

「俵を背負ってるのかと思った」

「……ひどい。私60キロもないよー」


 不満そうに言いながらも歩はコロコロと笑う。

 どうやらだいぶ調子は戻ってきているようだ。


「ほら、鍵」

「あ、うん」


 歩は首にぶら下げていた鍵を取り出し、鍵穴に入れてクルッと回す。

 カチリと金属質の音がして、ドアが開いた。


 さて、俺はこれでお役御免だ。


「じゃあな。中で倒れんなよ」

「あ、ちょっと待って!」

「ん?」


 階段に踏み出そうとしたところで呼び止められた。


「せっかくだから少し上がっていって。この前も送ってもらったし、今日は飲み物ぐらい出すよー」

「んー……」


 それは俺にとって魅力的な提案でもあった。

 ここまで歩を運んでもちろん疲れていたし、喉も渇いている。家の中には人の気配もなかったし、あまり気兼ねする必要もないだろう。


 俺は簡単に考えて、


「そうだな。じゃあちょっと邪魔するわ」

「どうぞどうぞー」


 歩はニコニコしながらドアを大きく開けて俺を迎え入れた。


 靴を脱いで中へ。

 間取りはなんの変哲も無い2DKだった。どちらかというと家具は少なめで、古くて壁紙の汚れが目立つせいか若干薄暗く感じる。


「どうぞー」


 飾り気のないリビングの丸テーブルの脇に腰を下ろすと、歩が台所からオレンジジュースの入ったコップを持ってきた。


「おぅ。サンキュ」


 受け取ったジュースを半分ぐらい一気に飲んで、小さく息を吐く。

 少し火照った体が食道と胃の辺りから冷却されていく感じが心地よい。


「じゃあ、着替えてくるからちょっと待っててねー」


 そう言って、歩はふたつある部屋の片方へと消えていく。


(……ふむ)


 俺は冷たいジュースのコップを片手に、特に目的もなく家の中を見回していた。


 女子の家に招かれてのこのシチュエーション。

 これが同級生の可愛い女の子だったりするならドキドキなのだろうが――


(……ああ、いや。あいつも一応同学年の女の子だったか)


 しかし残念ながら、そういう意味でのドキドキ感は皆無である。

 俺たちぐらいの年ごろの3歳差はそれほどにデカいのだ。


「……どうしたの?」


 ほどなく戻ってきた歩はクリーム色の薄手のニットと薄いピンクのスカート姿に装いを変えていた。

 どちらも無地で飾り気は少ない。それだけに歩にはよく似合っていた。


「いや。お前の家だからもうちょっとファンシーな雰囲気を想像していたんだが、イメージと違ってな」


 歩はおかしそうに笑って俺の向かいにちょこんと腰を下ろした。


「そんなわけないよー、私だけの家じゃないんだから」

「そりゃそうか。アパートでそんな無茶するわけにもいかねーもんな」

「あ、そういえば……」


 と、歩はなにごとか思いついた顔をする。


「私、不知火さんの家のことぜんぜん知らないなー。ここには何度か来てもらってるのに」

「上がったのは初めてだけどな。……まぁ、ウチのことを話した記憶は確かにない」

「じゃあ、せっかくだし色々と聞いてもいいですか?」

「構わんけど」


 別に進んで語るようなことはないのだが、歩は見るからに興味津々といった表情だった。


「じゃあ、まずご兄弟は?」

「妹がひとり」

「歳は?」

「同い年」


 そう答えると歩は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、


「あ、双子の妹さん? じゃあ不知火さんの家は4人家族?」

「ん。あー、えっとなぁ」


 そこのところは少々説明が難しい。


「3人家族ってことになるかな。父親も母親もいなくて、うるさい従姉が一緒に住んでんだ」

「え?」


 歩はきょとんとした顔をする。


 まあ、改めて考えてみれば確かに奇妙な家庭環境だ。

 俺は付け加えて説明する。


「両親とも小さい頃に死んでんだ。で、その従姉の両親が保護者で……ま、あとの事情は適当に想像してくれ」

「う、うん。なんとなくわかった」


 一応、納得したらしい。


「じゃあじゃあ、妹さんはどんな人? あ、同じ学校じゃないよね?」

「桜花女子に通ってるよ。どんな人か、ねー……難しいな」


 と、頭の中に雪の顔を思い浮かべる。


 周りからの一般的な評価といえば"おっとり"とか"誰にでも優しい"とかだろう。もうちょっとアレな連中に言わせれば"女神様"だったり"未来の妻"だったりもするが、それは置いといて。


 あいつは確かに一見穏やかで大人しそうに思えるが、実は私生活では結構口うるさかったりもする。

 いつも泰然としているかと思えば、体重計の数字がショックだったという理由で衝動的に断食を始めることもあるし、特定のアイドルや俳優が好きだったりとミーハーなところもあるのだ


 もろもろを考えると、簡潔に表現するのはなかなか難しい。


 と。

 そんな俺の悩める様子に気付いたのか、歩が助け舟を出してきた。


「じゃあ、ほら。趣味とかそういうのでもいいよー」


 それならすぐに思いついた。


「料理は結構うまいんじゃねーかな。家事だから趣味といえるかどうかは知らんが」

「あ、そうなんだ?」


 歩は嬉しそうな顔をした。


「実は私も好きなんだー、お料理」

「へぇ。そりゃ偶然だな」


 そういや由香のヤツも料理好きだ。

 どうやら俺の周りには料理好き女子が集まるらしい。


「して? 腕のほうは?」

「う……」


 歩の反応はあまりよろしくない。

 完全に"聞かないほうがよかった"系の反応だった。


「もしかして、下手の横好きってやつか?」

「ち、違うよー! 今はただ、その、臥薪嘗胆の時というか、日進月歩の真っ只中というか……」


 つまり、ダメらしい。

 俺は眉をひそめて言った。


「先に言っとくが、俺を実験台に使うのはやめてくれよ」

「えー!」


 と、歩は不満そうな顔をした。

 もしかしてそのつもりがあったのだろうか。


「不知火さんは、私が一生料理できなくてもいいっていうんですかー!」

「おおげさだろ。それにいいんじゃねーの、別に。今どきそれほど困らんだろ」

「うぁ、あっさりと……」


 ガックシとうなだれた。

 そんな歩の様子に俺は少しほだされて、


「まあアレだ。あまりうまくないのを自覚してるってことは、少なくとも味覚音痴じゃないってことだろ。ってことはうまくなる可能性もあるわけだから、そうなったら食べてやらんこともないぞ」

「じゃあ……私が納得できる料理ができたら、ちゃんと食べてくれる?」


 歩は期待感のこもった目で見つめてきた。

 俺は早まったかなと思いつつも、


「納得できるものができたら、な」

「じゃあ、約束ー」

「ああ」


 なんて、たわいもないやり取りをしながら家庭環境に関する質問を浴びせられ続けること1時間。

 いつの間にか時計の針は午後5時を指そうとしていた。


(……いいかげん帰るか)


 歩のペースに乗せられてつい長居してしまったが、体の調子は完全によくなったようだしそろそろいいだろう。


「じゃあ俺はもうそろそろ――」


 俺がそう言いかけた、そのときだった。


 ……カチャ。


 玄関から鍵の開く音。


「!」


 歩がピクッとする。

 どうやら誰か帰ってきたようだ。


 俺は玄関のほうへと視線を向けつつ、


「おい歩。お前の親か?」

「え。あ、でもまだ――」


 歩は困惑した表情で時計を見て、それから立ち上がって足早に玄関へと向かう。

 明らかに慌てた様子だった。


(……あれか。もしかして友だちを家にあげたらダメとか、そういう厳しい家なのか)


 だとしたら、ちょっと帰るタイミングを誤ってしまったのかもしれない。


「あ、お帰りなさい……」


 玄関から歩の声が聞こえてくる。

 その口調にはやはり焦りと困惑が混じっていた。


「今日はずいぶんと、その、早かった……ですね」


(……なんだ? なんか変だぞ)


 玄関から聞こえてくる歩の不自然な敬語に、俺は少しだけ嫌なものを感じた。


「仕事が早く終わったのよ」


 歩の言葉に重なるように聞こえたきたのは、想像していたよりも若い女性の声。

 おそらく歩の母親だと思うが、その口調はおっとりした歩の性格からは想像できない刺々しいものだった。


「なに? 邪魔だからそこどいて……」


 言いかけた女性の声が止まる。


「……靴? 誰か来てるの?」


 棘が強くなる。

 不穏な空気だった。


「あ、あの……お友だちが来てて……」

「友だち? 男の子?」

「は、はい……」


 続いて聞こえてきた歩の声は、明らかに震えていた。

 俺は軽く腰を浮かせる。


 空気がピンと張り詰めるのがわかった。

 俺はすぐに立ち上がり、足早に玄関へと向かう。


 そして、


「……歩ッ! おまえ――!」

「こんにちはッ!」


 女性の怒鳴り声と俺の大声は、ほぼ同時のタイミングだった。


「!」


 ふたりの視線が俺の顔で止まる。


 肩をすくめ、今にも泣き出しそうな歩。

 玄関で片足だけハイヒールを脱いだ女性。


(この人が……歩の母親か?)


 俺は信じられない思いでその女性を見つめる。


 声から受けたイメージのとおり、女性は30歳前後ぐらいに見えた。

 歩が13歳だから30歳そこそこの母親でも決しておかしくはないが、俺が違和感を覚えたのはその若さよりも外見のイメージだ。


 痩せ型でメガネをかけた、いかにも神経質そうな顔立ち。

 身なりはきっちりしているが、香水の匂いがかなりきつく、ハイヒールは派手な赤。

 歩からはまったく想像もできないイメージの女性だった。


 ちらっと歩を見る。


「……」


 歩は動揺している様子で俺の視線には気づかなかった。

 ただ、俺を家に上げたことがNGであることはどうやら間違いなさそうだ。


 俺は女性が驚きで言葉を失っている隙にと、言葉を続けた。


「俺、歩さんのクラスメイトで不知火といいます。今日は保健室の先生に言われて歩さんをここまで送らせていただきました。喉が渇いていたので飲み物もご馳走になりました。どうもありがとうございました」


 俺が深々と頭を下げると、何事か言いかけていた女性は口をつぐんだ。


「し、不知火さん……」


 おそるおそる口を開こうとした歩を、俺は視線で制して、


「俺はこれで失礼します。どうもお邪魔しました」

「……」


 女性は眉をひそめ、そして口をつぐんだままきつい視線で俺を見ていた。


 なにも言わない。

 なにも言わないが、その視線は『早く出て行け』と語っているように思えた。


 その視線を感じながら、俺は玄関に下りて靴を履く。


「……」


 歩は泣きそうな顔だったが、なにも言わなかった。


 一瞬、これで大丈夫だっただろうか、と、疑問に思う。

 もっときちんと説明して、歩が叱られないようにしたほうがいいんじゃないか、と。


 しかし――

 苛々した女性の態度を見る限り、俺が長居すればするほど歩にとって悪いことになりそうな気がした。


「それじゃあ……」


 その空気。

 その違和感。


 そこに理不尽なものを感じながらも、俺はその家に向かってもう一度、3回目の深いお辞儀をした。


「お邪魔しました」


 玄関のドアをくぐって扉を閉める間際、最後にもう一度歩を見ると、


「……」


 歩が無言で笑顔を浮かべようとし、諦めて小さく頭を下げるのが見えた。


 ……バタン。


 扉が閉まる。

 カチリと、すぐに鍵のかかる音。


「……」


 静寂。

 ドアの向こうで、ふたつの気配が遠ざかっていく。


 そして、一瞬の間。


「……養われてる身分のクセに、勝手なことをするんじゃない! この、化け物がッ!!」

「!」


 怒声。

 乾いた打音。

 小さなうめき声。


「……」


 胸が嫌な音色の鼓動を打つ。

 手が汗ばんだ。


 俺はその場に立ったまま、少し耳を澄ませた。


 ……なんなのだろう。


 怒りが胸にこみ上げた。

 少し思考が乱れる。


 ……そりゃあ、厳しい家なら友だちを連れてきちゃダメだという親もいるだろう。

 それ自体は、たとえば勉強がおろそかになるからという教育の事情があったり、家庭ごとの事情があったりして、それこそ他人がとやかく口を出せる類のものじゃないかもしれない。


 だけど、そうだとしても『養われてる身分のクセに』とか『化物が』なんて言い方があるだろうか。

 親が子を養うのは当たり前のことだ。もちろん子どもだってその庇護の上にあぐらをかいてばかりではいけないが、まだ13歳の歩に養われずに生きていけというのは難しい話だろう。


 それに――

 さっきの歩の顔を思い浮かべる。


 本気でおびえていた、と、思う。

 それにあの、親に対するものとは思えない言葉づかい。


 今日、俺を家に上げたからとか、そういうことだけではなく。

 それは明らかに以前からの問題だ。


 ドアの前に立ったまま、さらに耳を澄ませる。

 次にあの女性が歩に手を上げるような気配があれば、怒鳴り込んで行ってでも止めるつもりだった。


(いったい、どういう――)


 再びこみ上げる怒り。

 だが、今はなにもわからないし、なにもできない。


 ……どのぐらいそこに立っていただろうか。


 幸いなことに、それ以降家の中から歩を折檻する音が聞こえてくることはなく、俺はしばらくしてようやくそのドアの前を離れることにしたのだった。






「だぁぁぁぁぁ!! なんなんだよ、あのババアはッ!」

「……どうしたの、ユウちゃん」


 家に帰ると、ためにためた怒りが我慢できずに爆発した。

 雪が心配そうな顔で理由を尋ねてくる。


「どーもこーもあるかッ!」


 と、俺は歩の家で起きた一部始終を雪に話すことにした。


「ふぅん……」


 紅茶をいれながら話を聞いていた雪は、珍しくちょっとだけ眉をひそめて、


「それは確かにひどい言い方だよね……」


 と、俺の目の前に紅茶のカップを置く。

 俺は怒りが収まらず、口調を荒らげたままで、


「だろ? それどころか、自分の娘を捕まえて"化け物"だぜ!? そりゃ確かに、俺もあいつに会う前は、中学生が高校のテストで満点取るなんて人間じゃないみたいなこと言ったけどよ……」


 俺は紅茶を一口すすると、怒りに任せてテーブルを叩く。


「あいつを目の前にして平気であんなこと言えるなんて、あのババアこそ人間じゃねえよッ!」

「落ち着いて、ユウちゃん」


 雪がなだめるように言う。


「私、その子に会ってないからなんとも言えないけど、ユウちゃんがそこまで言うんだからきっといい子なんだね」

「いいヤツだよ。あいつは」


 俺は別れ際、無理に笑顔を作ろうとしていた歩の姿を思い出す。


「少なくとも、親にあんな扱いをされて、それで仕方ないと思えるようなヤツじゃない。……あー、腹が立つ! こんなことならあそこでぶん殴ってくりゃぁよかった!」

「……」


 雪はそんな俺の顔を黙って見つめていたが、ふと思いついたような顔をして、


「ねぇ、ユウちゃん」

「あん?」

「私よりも、その子のこと好き?」

「……はあ?」


 唐突な質問に呆気に取られたが、雪はマイペースに続ける。


「だって妹みたいな女の子なんだよね? 同じ妹キャラとしてはちょっと妬けちゃうな、私」

「妹キャラって、お前なにを……って、あー……」


 穏やかな笑顔。

 俺は的外れな質問の裏にある雪の真意に気づき、ゆっくりと深呼吸した。


「……そうだなぁ」


 なんの事情も知らない雪に怒りをぶちまけたところで、どうにもならないのだ。


 なにかしたいなら。

 なにかしてやりたいなら、まずは冷静になって考える必要がある。

 雪が強引に話題を変えようとしたのは、それを俺に気付かせるためだろう。


 俺はそんな雪の配慮に感謝しながら、ひとまず話題に乗ることにした。


「妹ってのは普通年下だろ? ってことは、妹度は歩のほうが間違いなく上だな」

「ひどい。実の妹なのに」

「お前が自分で妹キャラとか言い出したんだろーが。……ただ、今月の小遣い次第では逆転する可能性がないとも言い切れんぞ」


 雪は不思議そうに首をかたむけて、


「なにか欲しいものあるの?」

「小遣いがたくさん欲しい。ついでに言うと、木陰から俺をじっと見つめる可愛い転校生との出会いも欲しい」

「あ、それなら簡単」


 雪はポンと手を打つ。


「瑞希ちゃんに転校してもらって、ユウちゃんのことをずっと監視してもらえばいいんだよね?」

「おいやめろ。恋愛ものかと思ったらいつの間にかバトルが始まってるクソマンガだろ、それ」


 結局わけのわからない話になるのはいつもどおり。


「……さて、と」


 完全に毒気の抜けた俺は、空のティーカップをテーブルに置いて立ち上がった。


「部屋に戻るわ。晩メシになったら呼んでくれ」

「うん」


 雪の返事を背中に聞いてリビングを出ようとすると、


「ユウちゃん」

「ん?」


 振り返ると、雪が少しだけ真剣な面持ちでこちらを見つめていた。


「あのね。他人のおウチのことだからあまり無闇に口を出しちゃいけないと思うんだけど……」


 そう前置きしてから言った。


「きっとなにか事情があるんだと思う。だから、もしもその子がユウちゃんを頼ってきたら、力になってあげないとダメだよ」

「……わかってる」


 言われなくてもそのつもりだ。

 いや、たとえあいつから頼ってこなかったとしても、できる限りのことはやってみようと思っている。


 雪は微笑みながら小さくうなずいた。


「じゃあ晩ご飯になったら呼ぶからね。すぐおりて来なきゃダメだよ」

「わーってるよ」


 そうして俺はリビングを後にする。


(……まずは山咲先生に話をしてみるか)


 雪の言葉で決意を新たにした俺は、とりあえず歩と一番関係が深そうな山咲先生に相談することを決め、階段を上がっていった。


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