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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第4章 海に行こう
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1年目8月「捕らわれの瑞希」


 脅迫状に指定された倉庫は海のすぐそばにあった。

 廃倉庫なのか、あるいは使用される季節が限定されているのか。辺りに人の気配はなく、照明も近くを走る県道から街灯の明かりがかすかに届く程度で非常に頼りない。


 倉庫へ続く道は一本だけだった。

 明かりは少ないが身を隠す場所はないので、見張っている者がいるとすれば気付かずに近付くのは困難だろう。


 ……というのは、辺りがまだ明るいうちに近くのデパートで双眼鏡を買い、遠くから確認して得た、とりあえずの情報だ。


 そして今、時間は18時40分。

 俺はその倉庫から500メートルほど離れた公園のベンチに腰を下ろし、時を待っていた。


 ペットボトルのお茶を飲み干し、近くのゴミ箱へと放り投げる。

 コンビニで買ったおにぎりは結局食欲がわかず、ほとんど手をつけないままで捨てることになってしまった。


 海岸線を見ると、ちょうど日が沈んだところだ。


「……行くか」


 そして俺はゆっくりと腰を上げた。




-----




 広々としたその空間には小さなランプがひとつだけぶら下がっている。

 なんのために使われていた場所なのだろうか。少し生臭い匂いが残っているところから、近隣の海産物を格納、あるいは加工するために使われていた建物なのかもしれない。


 そして、そのちょうど中心辺りの柱に瑞希は後ろ手に縄で縛り付けられていた。


「……どうするの?」

「どうもしない」


 瑞希の問いに答えたのは、彼女をここまで連れ去った大学生風の眼鏡の男だ。

 男は返答するときも瑞希のほうを見ようとはせず、脇腹の辺りに包帯を巻き付けているところだった。


 薄暗闇の中、かすかに見えた男の腹にはかなり目立つ青アザがある。

 それは間違いなく瑞希のこぶしの跡だった。


「だったらどうして私を連れてきたの?」


 瑞希は質問を続けながら少しだけお尻の位置をずらした。

 倉庫の床はむき出しの硬いコンクリートで、水着姿の彼女にとっては少々座り心地が悪い。


「どうもしないってのは、お前にはなにもしないってことだ」


 眼鏡男がそう答えたところで倉庫の入り口が開く音がした。


(……外はもう暗くなっているわね。何時ぐらいかしら)


 気絶していた瑞希には時間の感覚がない。

 が、外の暗さを見ると、少なくとも午後6時は回っていると考えていいだろう。


 入ってきたのは予想通り、昨日も眼鏡男と一緒にいた短髪の男だった。


「来たぜ。少し早いが」

「そうか」


 眼鏡男がそう言って上着を羽織る。


「ちょっと待って。私には、っていうのはどういう意味? なにをするつもり?」


 瑞希の脳裏にとっさに浮かんだのは雪のことだ。

 このふたりが昨日彼女をナンパしようとした連中だったことを思えば、彼らが雪に対してよからぬことをするのではないか、と、瑞希がそう考えたのは当然だった。


 だが、そんな瑞希の問いかけに対し眼鏡の男は少し考えて、


「自由を手に入れるのさ」


 わざとらしく、芝居がかった口調でそう言った。


「自由? どういう意味?」


 あまりに突拍子のない回答に、瑞希は眉をひそめて聞き返した。


「ちょっと事情があってね。こうすることで俺たちは自由の身になれる。ま、過去の清算ってところか」

「……それと私と、どういう関係があるの?」

「あんたには直接関係ない。あんたはただ、こうして連れ去るのに一番適任だっただけさ」


 そう言ってから眼鏡男は苦笑してお腹をさすった。


「……想定外の苦戦をさせられたけどな。あの一撃はかなり効いた。もう少しまともに入ってりゃ本気でダウンだったな。普通の人間だと思って気を抜いたのがいけなかった」

「私に言わせれば、あれで起き上がれるあなたの方が普通じゃないわ」

「ふっ……そうだな。つまり普通の人間じゃないんだろう」


 笑いながら言った男の言葉はまさにその通りだったのだが、瑞希に本当の意味がわかるはずはなかった。


「おい、そろそろ行くぞ」

「……ああ」


 眼鏡男がゆっくりと立ち上がって瑞希を見下ろす。


「明日の朝早くには誰か来るだろう。そうしたら縄を解いてもらうといい」

「どういうこと? どこに行くの?」

「あんたの用はもう済んだってことだ」


 そう言って男は吊るしていたランプの明かりを消した。

 建物の中が真っ暗になる。


「済んだ?」


 瑞希は先ほど短髪男が言っていた『来たぞ』という言葉を思い出した。

 そして、自分が誰かを呼び出すための人質として使われたのだと悟る。


「待って! もっとちゃんと説明なさい!」


 立ち去りかけていた眼鏡男は瑞希の呼びかけに足を止め、少し意外そうな顔をした。


「もうあんたの用は済んだ。無事に帰してやるってことだ。余計な詮索はしないほうが身のためじゃないか?」


 少し脅すような口調だったが、瑞希は怯まずに言い返す。


「こんなところに勝手に連れてきておいて、用が済んだとか言われて、はいそうですか、って言えるわけないでしょ! 来たって誰のこと!? その人になにをするつもり!?」

「……」

「……」


 ふたりの男は沈黙のまま互いの顔を見合わせる。

 瑞希はそんな男たちをにらみつけた。


 外から入り込んだ風に、ランプを吊るしたロープがきしんだ音を立てる。


 やがて、短髪の男が小バカにしたような笑いを浮かべて言った。


「こんな状況で威勢のいい女だ。なんならそんな口が利けないようにしてやろうか?」

「よせ」


 眼鏡の男がそれを制し、それから瑞希を一瞥して言った。


「お前には手を出さない。一般人を傷つけると依頼主からクレームがついて、俺たちの求める自由がなくなるからな。だから俺たちが用があるのは"一般人"じゃなくて、俺たちと同じアウトローだ。ま、俺から説明できるのはそんなとこか」

「……」


 回りくどい物言い。

 ただ、その言葉はおそらくは男の目論見どおり、瑞希に一定の安心を与えることとなった。

 なにしろ彼女は、彼女と一緒だった友人の一部が"一般人ではない"ことなど知りもしなかったのだ。


「おいおい。やけに親切じゃねえか」


 男たちはもう入り口のほうへ歩き始めていて、その話し声は瑞希から少しずつ遠ざかっていた。


「いや。実はああいう女は俺の好みでな。……なあ、あんた」


 眼鏡の男が声を張り上げ、最後に瑞希を振り返る。


「もっと時間があればゆっくり口説いてやりたかった。残念だよ」

「どれだけ時間があってもお断りだわ」


 瑞希がにらみつけてそう答えると、眼鏡の男は苦笑して再び背中を向けた。

 倉庫の扉が閉じられる。


 しん、という静寂が訪れた。

 今まで聞こえなかった風の音が急に大きくなる。


(……なんだったのかしら、あいつら)


 男たちの言葉が真実なら、瑞希はこれで解放されたことになる。

 そのことに彼女が安堵しなかったかといえばそれは嘘だ。ただ、男たちの言葉は瑞希にとってあまりにも意味不明で、なんのために連れてこられたのかもわからなければ喜んでもいられなかった。


 少し手首をひねってみる。縄はかなりしっかりと結ばれていて、その試みは彼女の肌を傷つけただけで終わった。

 力ずくで解くのは難しそうだ。


 諦めて、瑞希は暗い天井を見上げる。

 そこまで寒くはなかったが、水着姿ではやはり心細かった。


(……優希たちはどうしてるかしら)


 瑞希がいなくなったことにはとっくに気付いているだろう。

 みんなで探しているか、警察に届け出ているか。


 この場所があの砂浜からどの程度遠いのか瑞希にはわからなかった。

 眼鏡の男の言葉を信じるなら、朝には誰かがやってきて彼女を解放してくれることになるが、それだって本当かどうかを確かめる術はない。


 このまま何日経っても助けが来なかったら――そう考えると少し恐ろしくはあったが、とりあえず今は我慢するしかない。

 もし誰も来なければなんとか自力で脱出する方法を考えよう、と、そう心に決めて時が経つのを待つ。


 ……そうして、風の音を聞きながらどれほどの時間をじっとしていただろうか。

 少なくとも1時間。もしかすると2時間以上経っていたかもしれない。


 キィィ……


「!」


 倉庫の入り口がゆっくりと開いて、来訪者は驚くほど早く現れた。

 薄い街灯の明かりが重い扉の隙間から差し込んでくる。


「やれやれ、生きていたか」


 その言葉から一瞬優希が来たのかと思ったが、別人の声だった。


 姿を現したのはひとりの少年だ。

 いや、おそらくは少年――と言い換えるべきか。


 瑞希の縛られている位置からはまだ遠く、逆光にもなっていて顔は見えない。

 彼女と同じかそれより年下の少年であろうと考えたのは、その人物の声とシルエットからの推測だった。


「牧原瑞希だな。助けに来た」

「助け……?」


 ずいぶんと早い。

 いや、それよりも、と瑞希は問いかける。


「誰? どうして私の名前を知ってるの?」

「……」


 少年は答えず、それどころか入り口で立ち止まってしまった。

 瑞希は怪訝に思って、


「助けに来たのなら、縄ほどいてくれない?」

「ああ、そのつもりだが」


 少年は思案しながら言う。


「顔を見られるのは少し都合が悪いのでな。どうしたものかと考えている」

「……」


 その悠長な物言いに瑞希は顔をしかめたが、どうやら相手は本気のようだった。


「いいわ。じゃあ目をつぶっていればいい?」


 得体の知れない相手ではある。が、今の瑞希はいずれにしても身動きが取れない状態だ。

 仮にこの少年が悪意を持った人間だとしても、目をつむっていたからといって状況は大して変わらない。


「ああ、それでいい」


 少年は瑞希の言葉をあっさり信じ、すぐに足音が近付いてくる。

 5メートルほどの距離まで気配が近付いたところでさすがの瑞希も少し緊張したが、目を開けることは我慢した。


 そんな彼女の不安をよそに、近付いてきた足音はすぐに彼女の背後に回ると、ブツッと音がして縄が切れる。


「……目、開けてもいいかしら?」

「振り返らなければな」


 瑞希はゆっくりと目を開けた。

 両腕は自由になっていた。


「……ありがとう」

「運が良かったな。てっきり殺されてるかと思ったが」

「縁起でもないこと言わないでちょうだい」


 言いながら瑞希は軽く両手を振る。

 両手首には縄の跡ができていた。


「で?」


 少年が遠ざかっていく気配。

 しばらくして扉の開くような音が聞こえた。


 瑞希は気付かなかったが、どうやら反対側にも出口があるようだ。


「お前を連れてきたやつらはどこへいった?」

「どこかに行ったわ」

「ふたりともか?」

「ええ」


 そう答えてから、どうしてふたりだとわかったのだろう、と、疑問に思ったが、そもそもあのふたり組の正体も少年の正体もわからないのだから、考えるだけ無駄だと気付く。

 少年の態度からすると、おそらくは聞いても無駄だろう。


 それよりも――そう。

 呼び出された"誰か"が危険な目に遭っている可能性がある。


「そうだ。誰かを呼び出したような話をしていたわ。……ねえ、あなたは――いえ、それは言えないのよね? でも私のことを知ってる。じゃあ私の友だちのことも知ってるかしら? 私と一緒にここに来た友だちは無事? それだけでも知っていたら教えて」

「……思ったより冷静だな。いきなり誘拐されてビビってるかと思ったが」

「ビビってるわ。もしかして私の大事な人たちが危険な目に遭ってるんじゃないかと思って。だから教えて。あなた、私を誘拐した連中のこと知っているんでしょ?」


 少年は少し間を置いて答えた。


「それは知ってるが、お前の友だちとかいうのは知らんな。お前が誘拐されたのは、一般人なら誰でも良かったんだろう。ただの偶然だ」

「本当に?」

「本当だ」

「……そう」


 本当かどうかはわからない。

 が、あのふたり組も一般人には手を出さないと言っていた。そう考えると本当の可能性が高い、と、瑞希はそう考えてとりあえずホッと胸を撫で下ろした。


「あなた、少なくとも警察の人じゃないわよね」

「いや、似たようなものさ。……さて、おしゃべりは終いだ」


 少年が再び足を進める気配がする。


「ひとりで帰れるな?」

「場所がわからないと無理よ……」


 瑞希がそう答えると、少年は平然として、


「外に出ればだいたいわかる。わからなければ交番に行くかタクシーを拾えばいい」

「……助けてもらっといて文句は言えないけど、自力で帰れる場所なんでしょうね?」

「おそらくな」


 そう言った少年の声が遠くなって消えていく。

 気配が消えたのを確認して、瑞希はゆっくりと立ち上がった。


「っ……!」


 みぞおちの辺りに鈍い痛みが走る。

 いまだに正体のわからない"なにか"の攻撃をくらった場所だ。


(……なんだったのかしら、本当に)


 現実感のないできごとに、瑞希はまるで狐に化かされたような気分になっていたが、今はとりあえず皆のところに戻り、無事であることを知らせなければならない。


 そうして瑞希は帰路を急ぐことにしたのだった。


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