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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第4章 海に行こう
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1年目8月「ナンパは相手をよく選んで」


 ビーチパラソルの下、寝そべったビニールシートからは砂の熱がじわじわと伝わってくる。

 上空は雲と青空が半々になっていた。


 隣では直斗が軽く足を抱えて座っている。

 珍しく眼鏡を外しているのは、つい先ほどまで海に入っていたからだ。


 そして――


「ねえねえ、おねーさん! 僕らと一緒に遊びませんかー?」


 聞きなれた声がすぐ近くで聞こえた。


「……懲りないな、あいつも」

「あれが将太の生きがいみたいだからね」


 将太は海にも入らず、ずっとその辺にいる女の子に声をかけて回っていた。


 時間を確認すると午後4時近くになっている。

 砂浜に出てきてからすでに3時間ぐらいはは経っているだろうか。


「ま、楽しみ方は人それぞれか……」


 ちなみに将太のナンパは今のところ成功件数ゼロのようだが、普通に遊んでいた直斗は2回ほど見知らぬ女の子から声をかけられていた。

 悲しいかな、俺たちの周りは需要と供給のバランスがあまりよろしくないようだ。


「でも、よく見ると将太みたいな人も結構いるよ。あそこまで手当たり次第じゃないけど」

「ん? あー……」


 確かに。

 それらしき姿、それらしき会話もチラッと聞こえてくる。


「まあ、海だからなぁ……」


 なんて、知ったようなことを適当に口にしながらペットボトルの炭酸飲料を飲み干す。

 と、そこへ、


「ねぇねぇ、不知火!」


 なにやら上機嫌な様子で戻ってきたのは藍原だった。

 もちろん水着姿である。


 名字に引っ掛けたわけではないだろうが、水着の色は藍色だった。

 デザインは普通というか、ヘソは出ているものの全体的な露出はそれほど多くない。


 ちなみに瑞希は競泳用をちょっとオシャレにしたような黒の水着。

 雪は正反対に白っぽい水着で腰に布のようなものを巻いていた気がする。


 昨今の女子高生にしては全員露出が控えめだったが、それなりに新鮮でもあった。


「ちょっとちょっと、聞いてよ~」

「あー……?」


 我に返ると、すぐ目の前に藍原の太ももがあった。


 普段の身のこなしから想像してはいたが、筋肉のつき方はちょっとアスリートっぽかった。

 さすがは元陸上部だ。


 ……別にちょっとドキッとしたのを誤魔化そうとしているわけではない。

 藍原ごときに俺は欲情したりはしないのだ。断じて。


「……なんだよ?」


 視線を少し横にそらしながら聞くと、藍原はその場にしゃがみこんで言った。


「あたし、さっき男の子にナンパされたんだ~。ね、すごくない?」

「……あ、そう」


 思った以上にどうでもいいことだった。


「えっ、それだけ? もっと驚いてよ~」


 藍原は不満げだ。

 仕方なく、パンッと手を叩いて大きく腕を広げてみせる。


「おおっ、それは驚きだ! まさかお前なんかをナンパするヤツがいるなんて!」

「……なんか違う~!」

「わがままなやつだな。ちゃんと驚いたじゃないか」

「そうじゃなくてさ。感心するとか、どんな人だったのとか、俺の藍原に手を出すなんて許さん! とか」

「贈呈用のリボンを用意してやろう」

「この薄情者! いいよいいよ、不知火なんかさ」


 藍原はいじけた様子で隣の直斗に向き直った。


「ねえねえ、神薙、聞いて、聞いてよ~」

「聞いてた」


 直斗は小さくうなずいて微笑む。


「でも気をつけてよ。中には変な人もいるかもしれないから」

「うん、わかってるって。……ほら、聞いた? 男の子はやっぱこのぐらい優しくないとね」


 藍原がしたり顔でこちらを見る。


「バカ。俺はそういうの安売りしねーの。俺が優しくするのはその資格があるヤツだけだ」

「シスコンだもんね」

「……お前も好きだな、そのネタ」


 ムキになって反論すると調子に乗るのはわかっていたので、俺はできるだけ冷静に返した。

 すると藍原は急に思い出したように、


「そういえば雪ちゃんずっといないね。瑞希ちゃんもだけど」

「あれ? お前一緒にいたんじゃないのか?」

「最初だけね。あたし、いきなりあっちの島まで泳いだりしてたから」


 と、藍原は遠くにある小島を指差した。


「いきなり遠泳かよ……」


 さすがは元陸上部である。


「直斗、お前は?」

「僕も見てないよ」


 と、直斗。


 辺りを見回す。

 とりあえず俺の視界の中ではあのふたりの姿を見つけることはできなかった。


「もしかしたら、あたしみたいにナンパな人に捕まってたりして。あのふたり並んでたら目立ちそうだし~……あ、今ちょっと顔色変わった?」

「別にそんなんじゃねーよ」


 俺が藍原の軽口を適当に流すと、直斗が立ち上がって言った。


「でもちょっと心配だし、探してみようか。優希、どうする?」

「ん? ……ま、面倒だが、どうせ暇だし行ってみるか」


 俺も直斗に続いて立ち上がる。


「じゃ、あたしは荷物番してるよ。藤井はどうしてんの?」

「その辺で延々と素振りしてる」

「素振り? ……あー。瑞希ちゃんを口説くのは早くも断念したのか。ああいう実らない努力って見てて切なくなるよね」


 藍原にまで哀れまれるようになったらおしまいである。


 そうして俺は直斗と一緒に雪と瑞希を探すことになった。


 といっても、正直俺は藍原が言っていたようなナンパだのなんだのについては心配していない。

 雪も瑞希もその場の雰囲気に流されてしまうようなタイプじゃないからだ。


 心配があるとすればそっちではなく、水の事故のほうである。


(瑞希のやつ、確か昔は泳げなかったはずなんだよな……)


 小学生のころの話だから、今どうなっているかはわからない。

 ただ、もし当時のままだとするなら、水に入ってなにか事故がある可能性もないわけじゃなかった。


(あいつらのことだからそんな無茶なことはしないはずだが……)


 そんなことを考えながら、ひとまず海の家周辺のにぎやかなスペースを探してみる。

 が、パッと見それらしき人影は見当たらなかった。


「僕はもうちょっとこの辺を探してみるよ。優希はあっちの浜辺を探してみて」

「あっち? ああ。了解」


 直斗の言うあっちとは、人の少ない浜辺の端っこのほうらしかった。

 そっちは岩が多くて遊びづらいため、ほとんど人がいないと聞いている。


「適当に探していなかったらいったん藍原さんのとこに戻ろうか。雪たちも戻ってるかもしれないし」

「ういーっす」


 そうして俺は直斗といったん別れた。


 夏休みだからか、辺りは大学生と思しき客が多かった。

 中には黒人かと思うほどに日焼けした連中もいる。


 そんな連中の間を、俺はまっすぐに突っ切っていった。


 喧騒がどんどん離れていく。

 途中でいったん振り返ってみると、


(この辺はあっちから死角になってるのか……)


 俺たちのビーチパラソル辺りからだと、いくつかの大きな岩が邪魔になってこっちのほうはよく見えないようだ。


「よ、っと」


 行く道をさえぎる、俺の背より少し低いぐらいの岩を乗り越えていく。

 この辺りまでくると岩と砂浜の比率が半々ぐらいなっていて、とても遊べるような環境ではなかった。


 さらに進む。

 すると、


「……あれ?」


 岩の群れを乗り越えると再びきれいな砂浜が広がっていた。

 そこはちょっとした入り江みたいになっていて、波も向こうより穏やかだ。


(……へぇ、こんなところがあったのか)


 向こうの混雑していたところと違って人影はまばらだ。

 穴場というやつなのかもしれない。


(いいな……花火はここでやるか)


 いい場所を見つけた、と思ったが、さすがに雪も瑞希もこんなところにはいないだろう。

 適当に見回して戻ろうか――


 と、そのときだった。


「しつこい! 行かないって言ってるでしょ!」


 聞きなれた怒鳴り声に、俺は思わず身をすくめて振り返った。


(瑞希の声だな……)


 自慢じゃないが、俺はあいつの怒鳴り声をこの世でもっとも多く浴びてきた男である。

 聞き間違えるはずはない。


 声のした方角へ足を運ぶと、100メートルも行かないうちにその姿を見つけることができた。


 瑞希と、雪。

 それと――


「だから嫌だって言ってるの!」


 案の定、というべきか。


 雪と瑞希を囲むように大学生らしき男がふたり。

 瑞希たちに向かってなにか言っているみたいだが、まだ遠くてその内容までは聞き取れない。


(藍原の言うとおりになってたか……)


 さて、どうしたものか。


 ああやってナンパするのが悪いことだとは思わない。

 そういう風に出会ってうまくいくヤツらはたくさんいるだろうし、節度を守ってさえいればそれは構わないと思う。


 ただ、こうして見る限り瑞希は感情をむき出しにして明らかに怒っているようだ。

 あいつが俺以外にあそこまで怒りを見せるということは、相当しつこくされているのだろう。


 と、そのとき。


「……いいよ。じゃああんたは諦めるって。ただそっちの子は別に嫌がってないじゃん。な?」


 短髪の男がそう言って雪の腕を取った。


「……!」


 雪が一瞬だけ嫌悪感を表情に出す。

 その瞬間。


「触るなッ!」


 鋭い声。

 途端、雪に手をかけた男の体がクルリときれいに回転した。


「え……?」


 見ていた男も回転した男も、同時に呆けた声を出す。

 ドスン! と、男が背中から砂の上に落ちた。


「てっ……!」

「……」


 瑞希は砂の上に転がった男を見下ろしながら、ポンポン、と手を払う。


(……やばい、かな)


 俺は走った。

 瑞希も本気ではやっていない。が、手を出してしまえば向こうも黙ってはいられないだろう。


「てめえ……!」


 最初に怒りをあらわにしたのは、ひっくり返された短髪の男だった。

 パッと立ち上がると、瑞希に向かって手を振り上げる。


「……」


 瑞希は冷静に構えた。

 そこへ、


「ちょーっと待ったぁぁぁぁッ!」


 ギリギリ、間一髪。

 俺がその間に割り込んだ。


「!」


 突然の乱入者に驚いたのか、瑞希を殴ろうとした短髪男の手が止まる。


「……優希?」

「ユウちゃん?」


 瑞希たちもびっくりした顔だった。

 俺はそんなふたりに背中を向け、すかさず短髪男に頭を下げる。


「すいません。こいつら俺の連れなんです。手を出したことはこのとおり謝ります。だから許してやってください」


 一息でそこまで言った。


「ちょ、ちょっと優希……」


 戸惑ったような、怒ったような瑞希の声。

 俺はそれを無視して頭を下げ続けた。


 短髪男が口を開く。


「あぁ? なんだよてめえ。俺は……」

「お願いします!」


 その言葉をさえぎるように、もう一度そう言い放った。


「……」


 そんな俺の態度に怒りを削がれたのか、短髪男が無言になる。


 少しの沈黙。

 やがて口を開いたのは、短髪の後ろにいたもうひとりの男だった。


「いいよ。俺らもちょっとしつこかったみたいだしな。……おい、行こうぜ」

「え? あ、ああ……」


 短髪男はまだ納得できない様子だったが、もうひとりが背中を向けると、渋々といった様子で立ち去っていった。


「……」


 さらに10秒ほど。

 男たちの気配がなくなったことを確認して、俺はようやく頭を上げた。


「ちょ、ちょっと優希。あんたなんで……」


 言いかけた瑞希の言葉を手でさえぎって、俺は言った。


「戻ろうぜ。直斗が心配してる」

「……」


 瑞希は少し納得できないような顔で。

 雪がそんな瑞希の肩にそっと手をかける。


「瑞希ちゃん。……ごめんね。守ってくれてありがと」

「え? あ、ええ……」

「行こ? ナオちゃんが心配してるって」


 雪がうながすと、瑞希はようやくそれに従った。






 その夜。

 旅館の1階にある小さな個室で、俺たちは夕食の席を囲んでいた。


「……へぇ、そんなことがあったのか」


 そう言って将太が鳥のから揚げを口に運ぶ。


 話題になっていたのはもちろん雪と瑞希がナンパされた事件のことである。

 最初は黙っていようと思ったのだが、他の連中が巻き込まれる可能性も考慮して一応話しておくことにしたのだった。


「まあ正直、このふたりが一緒にいたら仕方ないよね~。あたしが男だったら絶対声かけるもん」


 そう言ったのは、妙に行儀よく箸を進めていた藍原である。


「ああ、でもどっちにするかは迷うな~。雪ちゃんとのほんわかした夫婦生活もいいけど、瑞希ちゃんとの耽美で刺激的な新婚生活も捨てがたい! ねえ、不知火はどっちがいい?」

「知らんわ」


 というか、瑞希のヤツは確かに美人だが、別に耽美な世界の住人ではないと思う。


「でもよかったね。結局大ごとにならなかったみたいで」


 と、直斗。

 将太がすかさず口を挟んできた。


「俺だったら間違いなくそいつらを殴り倒してふたりを助けたんだけどなぁ。男子たるもの、女の子を守るためには体を張らなくちゃイカンだろ」

「バーカ。お前なんか逆にボコられんのがオチだっての。それにあいつらが地元の悪い連中だったらどーすんだよ。明日もあんのに面倒だろ」

「む……まあそれもそうか」


 将太が納得したあたりで話題はそこまで。

 その後はわいわいと今日のできごとや明日の予定なんかを話し、食事後はいったんそれぞれの部屋へ引き上げることになった。


 雪と一緒に部屋に戻るとすでに布団が敷かれていて、なんの嫌がらせか、敷き布団の端が重なるぐらいにくっつけられている。


「そういやお前ら、どうしてあんなひと気のないとこに行ってたんだ?」


 布団を離しながら雪に聞く。


「うん……ちょっとね」

「泳ぎの練習に付き合ってたのか?」


 どうやら図星だったようで、雪は困ったような顔をしながら、


「……やっぱりわかっちゃった?」

「まぁな。ってことは、あいつまだ泳げないのか」


 昔の瑞希は水に顔をつけることすら危うい状態だった。

 それが6年ほど前の記憶だ。

 

「昔よりは平気になってるみたいだよ。でもやっぱり苦手みたいで……」

「ふーん。それでよく海に来る気になったな、あいつ」

「克服したいって気持ちはずっとあったみたい。いい機会だと思ったんじゃないかな」

「なるほどね」


 あいつのことだから、天敵である俺に弱みを見せたくなくてひと気のない浜辺を選んだのだろう。


 ……にしても暑い。

 俺は窓を開けるため、部屋の奥へ向かった。


「ねえ、ユウちゃん」

「ん?」


 窓を開けると、潮の香りを乗せた涼しい風が中に吹き込んできた。


「明日はユウちゃんが教えてあげてくれない?」

「はぁ? 瑞希に? 泳ぎをか?」


 怪訝な顔で雪を振り返る。


「うん。私も泳ぐのあまり得意じゃないから。でもユウちゃんだったら色々教えてあげられるでしょ?」

「そーかもしれんが、あいつが嫌がるだろ。なんたって犬猿の仲だからな、俺たちは」

「犬猿の仲なの?」


 雪はおかしそうに笑って、


「じゃあ犬と猿は本当は仲がいいんだね、きっと」

「……なにが言いたい」

「素直になれない犬と猿のお話だよ」

「……」


 俺が憮然としていると、雪はいつもの穏やかな微笑みで言った。


「大丈夫。瑞希ちゃんには私から言っておくから。だから、ね? お願いユウちゃん」

「……」


 俺はとりあえず返答を保留し、真っ暗な波間に浮かぶ半月を眺めていた。


 そうして1日目の夜は静かに更けていったのである。


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