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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第4章 海に行こう
25/239

1年目7月「女は別の生き物だと感じた夏休みのとある1日」


 桜花女子学園はこの近辺で唯一の女子高である。

 いわゆるお嬢様学校というほどではないが、そう呼ばれても支障がないほどの施設を備えていて、実際に有名企業の社長令嬢なんかが通っているという話も聞いたことがあった。


 生徒数は300名弱と俺たちの通う風見学園の半分程度だが、学校の敷地は同程度の広さがある。

 普通科のみだが進学クラスと一般クラスに分かれていて、そのどちらでも優秀な進学率、就職率を誇る、近隣でも随一の優良私立高である。


 なお、俺たちが通う風見学園とは創設者が同じだか親戚だかのいわゆる兄弟校であり、11月の文化祭などは両学園合同で開催するなど互いに交流がある。

 桜花女子学園は普段男子禁制だけに、文化祭のときは色々な意味でかなり盛り上がるらしい。


 と。

 まあ文化祭はまだ3ヶ月以上も先の話なので置いとくとして――


 俺は今、その桜花女子学園にいる。


 先ほども言ったようにこの学園は男子禁制で、校門には守衛が配置されている。

 無関係な人間はもちろん門前払いだし、俺のように生徒の家族であっても家族証明書を守衛に見せ、基本的には中の生徒を呼び出してもらうことになる。中に入ることはできないのだ。


 しかし。

 俺は今、なぜかその桜花女子学園の校内にいた。


 周りには女子、女子、女子。

 男の影などいっさい見当たらない。

 正真正銘の、紅一点ならぬ"黒一点"といったところか。


「……で? あんたなんでここにいるわけ?」

「それはこっちが聞きたい……」


 そんな瑞希の問いかけに、俺は疲れた顔でそう答えるのが精一杯だった。


 ……事の発端は1時間ほど前にさかのぼる。






「あちー……」


 夏休みに入って、お天道様もとうとう本気を出し始めたようだ。

 あまりの暑さに深夜からまどろみと覚醒を繰り返し、なんだかんだでベッドから起き上がったのは時計の針が間もなく正午を指そうとしている時間だった。


 夏休みに入って3日目。

 まだ休みの先が長いこともあって、俺はこの3日間をゴロゴロダラダラと無駄に過ごしていたのである。


「さすがに腹減ったなー……」


 なにもする気が起きなくても腹だけはちゃんと減るものだ。

 仕方なく俺はだるい体を引きずるようにして自室を出た。


 湿気が多いせいだろうか、フローリングの上を歩くとペタペタと音がする。

 玄関にあった安物のスリッパを履いてリビングへと向かった。


「おはよ、ユウちゃん」


 リビングに入ると、雪の声と同時に全開の扇風機の音が俺を出迎えてくれた。


「おー」


 雪はリビングのど真ん中に設置してあるふたりがけソファの上で雑誌を読んでいた。

 パステルカラーのブラウスに薄手の生地のロングスカート。

 この暑さにも関わらず長袖だ。


 そんな妹の座るソファの脇を通り抜けて冷蔵庫に直行し、作ってあった麦茶をコップに注ぐ。

 一息に飲み干して、ようやく頭がすっきりした。


 なにげなく移した視線の先、庭には3本のヒマワリが咲いている。


「夏だなぁ」

「夏だねー」


 麦茶をもう一杯コップに注ぎ、ラップのかかったおにぎりをふたつ手にとってリビングに戻る。

 雪の向かいのひとり用ソファへ腰を下ろし、テーブルの上にあったテレビ雑誌を手に取っておにぎりをひとくち。


 ぶぉぉぉぉぉ……ん。

 部屋の中に響くのは扇風機の音だけだ。テレビもついていない。


 ぺら、と、雪が雑誌のページをめくる音が響く。


「そーいや、瑞希のやつはどこいった? 昨日も一昨日もどっか行ってたようだが」

「瑞希ちゃんなら夕方まで部活だよ」

「ああ、部活な。合気道部だっけ?」

「うん。……あ、そうだ」


 と、雪がなにごとか思いついたらしく、雑誌から顔を上げてこっちを見た。


「ちょっとユウちゃんにお願いがあるんだけど、いいかな?」

「サインなら後にしてくれ」


 そう答えると雪はちょっと首をかしげて、


「私のお気に入りの写真の裏でもいい?」

「いや冗談だから。暑いからって突っ込み放棄とかねーわ」


 こっちも冗談だよ、と、雪はおかしそうに笑いながら台所へ向かう。

 戻ってくると、手にはてぬぐいに包まれたままの弁当箱があった。


「瑞希ちゃんにお弁当を届けてきて欲しいの。忘れていっちゃったみたいで」

「弁当? 瑞希の?」

「うん。私が行ってもいいんだけど、今オーブン使ってるから……」


 俺はあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。

 といっても、別にあいつに弁当を届けることが嫌なわけじゃない。

 あの学園に行くのが嫌なのだ。


 先々月あたり、雪を迎えに行ってたときの気まずさは記憶に新しい。

 あの学園の前で男が待ちぼうけをしていること自体、ある種の羞恥プレイなのである。


 そこで俺は抵抗を試みることにした。


「別に持ってかなくてもいいんじゃね? 昼飯ぐらい抜いたって死にゃあしないだろ」


 素直に断るという選択肢もあるが、俺は雪の頼み事を上手く断れた試しがない。

 雪はちょっと困った顔をして、


「でも瑞希ちゃん運動してるし、お弁当ももったいないし」

「なら俺が食ってやるって」

「ユウちゃんの嫌いなもの入ってるよ?」

「うぐ……」


 それはまずい。

 雪がちょっと困った顔をして上目づかいにこっちを見る。


「どうしてもダメ?」

「……」


 ああ、いつものパターンだ。

 断れ断れ、という言葉が頭の中に浮かんでくる一方、それよりももっと深いところから『断ってはいけない』という強迫観念のようなものが急速に首をもたげてくる。


 断じて言うが、俺はシスコンではない。

 シスコンではないのだが――


「あー、もう。わかったわかった。行ってきてやるよ」


 次の瞬間にはそう答えている自分がいた。


「ホント? ありがと。おいしいお菓子作って待ってるからね」


 嬉しそうな雪の顔を見てそれなりに満足してしまう俺は、意外とお人好しだったりするのかもしれない。






「……用件は?」


 校門の入り口にあるプレハブ小屋の守衛はガッチリした体格のガードマンではなく、元気の有り余っていそうな初老の親父という雰囲気だった。 


「弁当を渡しに来ただけです」


 俺がどう見ても他校の男子高校生という見た目だったからだろうか。

 生徒の家族だといってもなかなか信用してもらえず、証明書を出しても守衛は不審そうな目つきでしばらく俺を眺めていた。


 やがて渋々といった感じで室内の受話器に手を伸ばす。


(……ったく、これだから)


 俺はため息をつきながら周囲に視線を移した。


 視界に最初に飛び込んできたのは、この町の景観には不似合いな、15階はあろうかという豪華なマンションだった。

 桜花女子学園の女子寮である。


 1ヶ月入るのにいったいどれぐらいかかるのか。寮だからそれなりの金額なのか、あるいは金持ちしか入れないような設定になっているのか――なんて、そんなことを考えながら校舎のほうへいったん視線を戻した。


 守衛はまだ受話器を相手に格闘している。

 内線の掛け方に慣れていないのか、時折首をかしげながら番号を何度もプッシュしていた。


「……」


 もうここに着いてから20分近くが経過している。

 俺はだんだん腹が立ってきて、


「あの――」


 守衛に声をかけようとした、そのときだった。


「あら? あんたなにやってんの?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、校舎のほうからこっちに向かって歩いてくる瑞希の姿が目に入った。


 グッドタイミングだ。

 俺は守衛に言った。


「あの。本人が来たんでやっぱ呼び出さなくていいです」

「へ?」


 守衛のオヤジのとぼけた声に背中を向けて、俺は不審そうな顔の瑞希に答える。


「なにやってるじゃねーよ。お前のせいでこのクソ暑いのに余計なストレスを溜めちまったじゃねえか」

「ストレス? なんの話?」


 そう言って眉間に皺を寄せた瑞希は道着姿だった。

 いつもオシャレな服ばかり着ているせいか、その姿にはどうも違和感がある。


「弁当だよ、弁当。お前、忘れていっただろ」

「え? お弁当?」

「こいつだよ」


 俺はそう言って家から持ってきた弁当箱を瑞希の前に差し出した。


 ……差し出したはずだったが。


「あれ?」


 右手にあったはずの弁当箱がいつの間にかなくなっている。

 辺りをキョロキョロと見回し、さらにポケットの中まで探ってみたがそんなところに入るはずもなく。


 俺はハッと気づいて瑞希を見た。


「おい瑞希。お前、弁当箱盗んだな?」

「はあ?」

「しらばっくれても俺にはお見通しだぞ。……いや、待てよ。その弁当はもともとお前のものだから……おお、そうかそうか。そういうことか」


 俺はポンと手を打った。


「じゃあ、そういうことだ。弁当は間違いなく渡したぞ。後でもらってないとか言うなよ」

「……」

「んじゃ、そういうことで」

「待ちなさい」


 立ち去ろうとした肩をつかまれてしまう。

 振り返ると、片手を腰に当てた瑞希が哀れなものを見るような目で俺を見ていた。


「要するにこういうこと? 忘れたお弁当を届けに来たつもりが、そのお弁当を家に忘れてきた」

「……」


 俺は確かに弁当箱を持って玄関に出た。

 靴を履くため、弁当箱を下駄箱の上に置いた。

 靴を履いた。


 ――その後、弁当箱を手にした記憶がない。


 深いため息が聞こえた。


「あんたって、ホント……」

「……頼む。気持ちだけ受け取ってくれ」

「……」


 呆れたように俺を見る瑞希。

 針のむしろにいるかのような数秒間。


 瑞希の口からどのような罵声が吐き出されるのかと、俺は身構えていたのだが、


「……ま、いいわ。元々は私が悪いんだし、この暑い中来てくれた気持ちだけもらっておくことにする」

「へ?」


 そのときの俺はさぞや間抜けな顔をしていたんじゃなかろうか。


 今日は機嫌がいいのか。

 学校でなにかいいことでもあったのかもしれない。


「お弁当は帰ってから食べるわ。どうせあと2~3時間だしね」

「あ? どこ行くんだ、お前」

「そこのコンビニよ。さすがにお腹が減ったからパンでも買おうと思って。あんたが来るなんて思わなかったし」


 と、道路向かいのコンビニを指差す。


「金持ってるのか?」

「なかったら貸してくれるの?」

「貸せないけどな」


 ポケットがすっからかんであることをアピールしてみせると、でしょうね、と、瑞希は事もなげに言って歩き出した。


「道着のまま行くのか?」

「みんなわざわざ着替えないわ。柔道部だってこのままだし」

「じゃあ剣道部もか」

「そうだけど、防具は外すわよ。さすがに」


 ボケを先につぶされてしまった。

 俺はなんとなく瑞希の後をついていって、


「つか、柔道部に剣道部に合気道部って、女子ばっかで生徒数もそんなに多くないのにやっていけてるのか?」

「格闘系は結構人気なのよ。空手部もあるし、部員だってそれなりにいるわ」

「……ここって、お嬢様学校の皮を被った警察学校かなんかだったのか」


 そんな俺のつぶやきに瑞希はおかしそうに笑って、


「たまに同じこと言ってる子がいるわ。でも、どこもそんな本格的にやってるわけじゃないの。気軽に習える護身術って意味で人気があるだけよ」


 信号が青になり、俺は瑞希と並んで歩き出す。


「お前のは護身術の域をとっくに通り過ぎてる気がするんだが……」

「そう? ま、私の場合は護身っていうより趣味に近いから」

「趣味ねえ」


 趣味の領域もとっくに飛び越えている気がするのだが、それは言わないことにした。

 いずれにしろ、もっと女の子らしい趣味を持ってもらいたいものである。


 コンビニの自動ドアが開く。

 特に用事もないのに結局ついてきてしまった。


(……うぉっ、これは)


 自動ドアのところで入るのを一瞬ためらう。

 店内は女子高生だらけで混雑していた。


 瑞希と同じような道着姿もいれば、テニス部やバスケ部らしき格好の女生徒もいる。

 中には弓道部だろうか、袴姿の連中もいた。


 店員を含めて全員が女性。

 まるで女性専用車両に紛れ込んでしまったような、そんな居心地の悪さだった。


(これはかなりきついな……)


 たまに冗談で『俺も女子高に行きたかった!』なんてことを言う男子生徒がいるが、実際のところこんな空気の中で3年間を過ごすのは拷問以外のなにものでもないだろう。

 俺なら絶対に無理だ。


 と。


「あら、瑞希も来たのね」

「あ、先輩。お疲れ様です」


 話しかけてきたのは瑞希と同じ格好の女生徒だった。

 おそらくは合気道部の先輩なのだろう。


 長めの髪を後ろでひとつに束ねていて、長身の瑞希よりもさらに背が高い。

 ただ体の線自体は細く、道着姿にもどこか違和感があって、普通の格好をしていればどこぞのお嬢様といった風情の女の子だった。


「先輩もお昼ですか?」

「ええ。お腹が空いては膝行しっこうもできないしね」


 上品に微笑んで、その女の子はさらに瑞希といくつか言葉を交わした。

 そうしてようやく、瑞希の後ろにいた俺のほうに視線を移動させる。


「ところでそちらの男の子は――」

「彼氏とかじゃないですよ。私の従弟です」


 間髪入れずに瑞希が釘を刺した。


「あら。違うの?」

「違います」


 瑞希はきっぱりと答えた。


 ……まあ、俺とてそんな勘違いをされるのは本意ではないが、そこまで力強く否定されるとそれはそれでちょっと悔しい。


 なんてことを思っていると、瑞希がそっと耳元に口を寄せてきて、


「そういう話が好きな人なの。下手なこと言ったらどんなうわさが立つかわからないから、あんたもいつもの調子で適当なこと言わないでね」

「なるほど」


 そう言われると逆に"下手なこと"を言ってやりたくなるが――


 なんて。

 そんな企みを考える間もなく、次の波がやってきた。


「ぶちょー。どうしたんですかぁー?」


 店内にいた数人の、これまた同じ道着をまとった女の子たちが次々に集まってきたのである。


(……部長か、この人)


 少し驚いた。

 おっとりした印象で活発そうには見えないし、ぶっちゃけて言うとあまり強そうではない。


「あ、うん。なんか瑞希が彼氏さんを連れてきてたからちょっとお話をね」

「ええーッ!?」


 背後の女の子たちが過剰な反応をみせて、視線が一斉に俺に集まる。


「違いますって!」


 すぐさま否定した瑞希だったが、女の子たちは興味津々な様子で"なんか遊んでそう"だの、"意外と尻に敷かれてそう"だの、好き勝手に俺を評価し始めた。

 中にはストレートに"カッコイイ"と言ってくれる声もあって、その点に関しては俺としてもまんざらでもない。


 しかし、瑞希が最初から釘を刺していたにも関わらずこの誤解の広まりよう。

 俺が企むまでもなかったようだ。


 瑞希は火消しに必死だった。


「だからさっき言ったじゃないですか! 従弟ですって! 雪ちゃんのお兄さんです!」

「……え、雪ちゃんの?」

「お兄さん?」


 ピタリ、と。

 急に騒ぎが止んで、全員の視線が再び俺の顔へ集中した。


「?」


 どうして合気道部の人間が雪のことを知っているんだろう――なんてことを疑問に思っていると、


「へー、これがウワサのお兄さんかぁ」

「あんま似てないんだねー」

「でも、そう思って見てみるとちょっと印象変わるかも」


 なにやらさっきとは違った寸評が口々にささやかれ始めた。


「……つか」


 そこでようやく俺の発言ターンが回ってくる。

 相手が年上か同い年かわからず敬語にするかどうか迷ったが、かしこまる雰囲気でもなかったので普通にしゃべることにした。


「あんたら、なんで雪のこと知ってんだ? まあ同じクラスのヤツとかもいるんだろうけどさ」


 その問いかけに部長さんが答えてくれる。


「雪ちゃんはウチの部によく差し入れとか持ってきてくれるのよ。所属はしてないけど私たちにとってはマネージャみたいな感じかな」

「へえ」


 容易に想像できる話ではあった。

 なにしろ雪のヤツは俺的おせっかいランキングにおいて堂々の2位にランクインしている。そのぐらいのおせっかいでは驚きもしない。


 ちなみにおせっかいランキングの1位は由香である。


「さ、みんな。買うもの買ったらそろそろ出ましょうか」


 部長さんがそう言うと、女生徒たちはハーイと素直に返事をしてぞろぞろとコンビニから出て行った。

 そして部長さんは俺を振り返ると、


「お兄さん――えっと3年生かしら? だったら私と同じなんだけど……」

「あ、いえ。双子なんで。1年っす」


 とりあえず部長さんにだけは敬語っぽくしゃべることにした。


「あら、そうなの? ……へぇ。結構年上に見られない?」

「少なくとも年下に見られることはあまりないっすね」


 部長さんと話しながら外に出ると、一足先に出た女生徒たちが待ち受けていた。


「ねえお兄さん。名前。名前はなんていうの?」

「名前? 優希だけど」


 短くそう答えると、その女生徒は笑って、


「違う違う。雪ちゃんじゃなくてお兄さんの名前」

「ん?」


 意味が一瞬理解できなかったが、やがて勘違いされたことに気づいて言いなおす。


「ゆ・う・き、だ。俺の名前。"ゆき"じゃなくて"ゆうき"な」

「うわ、なにそれ! ややこしい!」


 おかしそうにケラケラと笑う女生徒。

 釣られて周りの子たちもワイワイと騒ぎ始めた。


「……」


 そんなお腹を抱えて笑うほど面白いかどうかは疑問だが、まあ悪意のあるものではないので笑わせておけばいいだろう。


「でもいいよね~。雪ちゃんと一緒に暮らしてるんでしょ?」

「あ? まあそりゃそうだが」


 いいって、なにがだ――と、そう聞き返す前に、


「ああ……毎日雪ちゃんと顔を合わせて、毎日雪ちゃんの作った料理が食べられるなんて。なんて幸せなんでしょう……」


 女生徒はうっとりとした表情でそう言うと、両手を組んで上空を見上げた。


(……まさか"そっち系"じゃなかろうな)


 少し背筋が寒くなる。


「……お兄さん!」

「いや。だから俺の名前は優希――」


 俺の言葉をさえぎって女生徒は力強く言った。


「いえ、あえて"お義兄さん"と呼ばせてください!」

「冗談でもやめてくれ!」


 100パーセント冗談だと言い切れないその恍惚の表情がおそろしい。


「心配しないでください! 雪ちゃんは私が必ず幸せにしますから!」

「むしろ心配しかねーよ!」

「まあまあ」


 そこへ部長さんが割って入ってくる。


「その辺の話はあとでゆっくりしましょう。ねえ、優希くん」

「ゆっくり? ……へ?」


 いつの間にか俺の周りには合気道部員たちの壁ができていた。

 そこから一歩引いたところで、瑞希がなぜか視線をそらしている。


「つか、あの、用も済んだし、俺はもう帰るつもりで……」

「ウチの部、見学はいつでも大歓迎だから」


 部長さんはそう言って、年上とは思えないほど可愛らしくウインクを――じゃなくて。


「いや! 見学もなにも、俺ここの生徒でもねーですし! つか女じゃねーし!」

「大丈夫大丈夫。あの守衛さん、お昼はいつもうたた寝してるから」

「話を聞いてくれ――ッ!!」






 ……と、いうわけで。


「合同文化祭が不安すぎる……」


 結局、俺は瑞希の部活が終わるまで見学させられてしまったのだった。


「あんたも案外流されやすいのね。見知らぬ女の子が相手だとやっぱり勝手が違う?」


 隣を瑞希が歩いている。

 部活後にシャワーを浴びた髪はまだ完全には乾ききっていないようだった。


「あの人数だともはや女の子じゃねーよ。制圧力を有した兵器的ななにかだ」

「その割に、ちやほやされて満更でもなさそうだったじゃない」

「……絶対俺のこと見てなかっただろ、お前」


 図星だったらしく、瑞希は少し視線をそらした。


「ったく。とりあえずあの変態女には、雪はやらんぞって言っとけよ」

「大丈夫よ、いつもの冗談だから。……たぶんね」

「笑えねーって」


 腕時計の針は16時を示そうとしていた。

 夏至を過ぎたとはいえ、まだまだ日は高い。


「けど、あれだな。俺は合気道とかよくわからんが、あんま殺伐とした感じじゃないのな」

「言ったでしょ? あくまで楽しく護身術の基礎を学ぶのが目的なのよ。……まあウチの部活はだいたいみんなそんな感じだけど」


 確かに、適当にやっているというわけじゃないが、どちらかというと仲良しクラブ的なそんな雰囲気だった。

 桜花女子の体育系の部活が大会で活躍したという話も聞いたことがない。


「でも、あの部長さんは見た目と違ってなかなか貫禄ある動きだったな」

「なによ。なんだかんだ言いながらしっかり見てるじゃない」

「ん? そりゃ女子高の部活動なんて滅多に見れるもんじゃないからな。あそこまで来たら見ないと損だろ」


 瑞希がジト目で俺を見る。


「イヤラシイこと考えてなかったでしょうね?」

「はあ? ちげーよ。俺はただ純粋にスポーツとして見てただけだ」

「ホントかしら。言っておくけど部長はいいところの娘さんよ。あんたじゃ相手にされないんだから」

「だから違うって! だいたい俺は強引に連れて行かれたんだぞ! いわば被害者だ!」


 どんだけ信用ないんだ、俺は。


「ま、いいけど。……でも、そういやあんたって彼女いないわよね?」

「は?」


 突然の質問に思考が一瞬止まってしまった。


「は、じゃなくて。今日もそうだけど、あんた休みの日はいっつも暇そうじゃない。部活やってるわけでもないし」

「……まあな」

「だから彼女作ったりしないのかなって。……あ、他意はないわよ」


 他意ってのはもしかして、瑞希のやつが実は俺のことを好きで、興味なさそうな振りをしながら探りを入れてくるというアレのことだろうか。


 ありえない。

 たとえこの世が俺を主人公としたラブコメ世界だったとしても、それだけは絶対にない。


 なので、俺は普通に答えた。


「彼女ねえ。そりゃ欲しいけど、どうも俺様の眼鏡にかなうような子がいなくてな」

「雪ちゃんみたいな?」

「はあ?」


 不審な顔をしてみせると、


「だからね。雪ちゃんみたいにできた妹がいると、女の子を見る目が厳しくなるのかなってこと」

「いや、そんなの意識したこともねーよ」


 当然だ。彼女にする相手をいちいち妹と比べるヤツはいないだろう。


「ま、正直いえば彼女いなくても楽しいしな。高校生になったからって無理して彼氏彼女作る必要もないだろーし」


 そう答えると瑞希はなんだか複雑そうな顔をした。


「……あんたって20年後も同じこと言ってそうよね」

「うるせーなあ。そういうお前こそどうなんだよ」

「私?」


 瑞希は意外そうな顔をした。


「考えたことないわ。そんな機会もなかったし」

「機会もないってことはないだろ。告白されたことぐらいはあんだろが」


 確かに、最初から中身を知っていればこいつに手を出そうなんて無謀な男はそうそういないだろう。

 言葉でなじられるのがなによりも好きだとか、1日に1回は肉体的苦痛を受けないと悶々として夜寝られないとか、そういう特殊な性癖を持ったヤツぐらいだ。


 しかしそういうことに目をつぶれば、こいつは外見だけはいいのである。

 外見だけは。


「……あんた、なんか失礼なこと考えてない?」

「いや、まったく。むしろ底なし沼の中からひとかけらの宝石を見つけ出そうとしていたところだ」

「? まあいいけど……」


 変な顔をしながらも、瑞希は深く考えないことにしたらしい。


「告白もされたことないわ。同年代の男の子自体ほとんど知り合いいないもの」

「へ?」


 俺は少し驚いた後に思い出して、


「あ、そっか。そういえばお前って女子中だっけ?」

「ええ。小学校でも男の子の友だちはひとりもいなかったしね」


 それは意外な話だ。


「お前って男友だちのほうが多そうなイメージだったなぁ」

「どうしてそう思ったかは聞かないでおくわ。たぶん手が出るから」

「俺も言わないでおく。死にたくないからな」


 ほとんど言ってるようなものだが、幸い手も足も飛んでこなかった。


(……けど、俺って意外と瑞希のこと知らねーんだな)


 従姉で幼い頃から知っているとはいえ、去年までは顔を合わせるのはほぼ休日限定だった。

 その辺、直斗や由香とは基本的に立ち位置が違うのである。


「ま、でもちょうどいいじゃんか。海、行くんだろ? 一応俺の友だちがふたり来るし、これを機会に男友だちも作ったらどうだ? ナンパされるかもしれんし」

「ナンパとかはお断りだけど、あんたの幼なじみの……神薙くんだっけ? あの子とは仲よくなれそうな気がするわ」

「直斗ねぇ」


 直斗と瑞希……美男美女といえなくもないが、想像するとどことなく違和感のあるカップルだ。

 あと、一応将太のことも忘れないであげてほしい。


 そしてこの日の夜、その将太から連絡があって旅行の日程が正式に決定した。


 メンバーは俺、直斗、将太、雪、瑞希の5人(由香は家の都合で不参加となった)と、将太が誘ってくるという見知らぬ女の子がひとりの計6名である。


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