3年目6月「それぞれの目的」
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南東の"要"へ向かった直斗と桜のチームは、優希たちと同じように、敵の妨害をほとんど受けることなくその付近へと到達していた。
この辺りは雅司の本隊と御烏たちが交戦しているであろう地域にもっとも近く、直斗たちも場合によっては混戦に巻き込まれる可能性も想定していたが、どうやらその心配はなさそうだ。
「ここから先は俺ひとりで行く」
そして直斗――いや、すでに交代を終えて表に出ていた楓は、おそらく孤守の結界が準備されているであろう辺りでいったん立ち止まり、後ろにいる桜たちにそう言った。
「どうせ俺以外は氷騎の相手にもならない。あんたたちはここでヒマでもつぶしてろ」
「……」
桜は無言で正面の楓、いや、その先の空間を見つめる。
そこには確かに結界の気配があるようだった。
そして桜はその視線をゆっくり左右へ振る。
特に異常は感じない。
少なくとも結界の外に敵はひそんでいないようだ。
「……そうねえ。じゃあ楓、あとは任せたわ」
そこまで確認して、桜はそう答えた。
言うまでもなく、楓はこちら側の最強戦力である。
単純な魔力の大きさだけなら雪もそれに匹敵するが、魔力をコントロールする技術や戦闘経験を加味すると、トータルの戦闘力にはかなりの開きがあるだろう。
そして、ここの結界内で待っているであろう氷騎もまた、相手側の最強戦力である。
その2つの最強同士がどちらも頭ひとつ抜けていて、またお互いに拮抗している場合、それをぶつけるかぶつけないかということについては意見が分かれるところだろう。
3ヵ所のうち2ヵ所を取るだけで"失路の結界"をかなり弱められるということを考えれば、氷騎の守る要をあえて捨て、他の1ヵ所を確実に取るという選択もあった。
ただ、そうしなかったのにはいくつかの理由があって、中でも一番大きな理由は、竜夜の仲間の中で氷騎だけが純粋な人間であるということだ。
つまり彼だけは、御烏の悪魔狩りたちの前でもその力を振るうことができる。こちらが勝負を避けたと気づけば、孤守の結界を捨て、この戦場のどこかで自由に戦うことも可能なのだ。
それは大きな脅威だった。場合によっては楓以外の戦力が氷騎によって各個撃破されてしまうリスクがある。
そうして戦局を読みづらくしてしまうよりは、最初から楓をぶつけ、最低でも結界内に氷騎を足止めすることが最善だろうという判断だった。
もちろんそれは、楓が氷騎に対して最低でも引き分け以上、つまり絶対に負けてはならないということが前提である。
「……楓。やはりお前が来たか」
桜たちと別れ、結界らしきものに足を踏み入れしばらく進むと、そこには予定どおり氷騎が楓を待ち構えていた。
竜夜側が策をめぐらして別の人物をぶつけてくる可能性もあったはずだが、どうやら向こうもそういった小細工は考えなかったらしい。
「ああ。決着をつけてやる」
短くそう言って、立ち止まる。
楓の全身は、すでにうっすらと闇のオーラに包まれていた。
「"虚空の闇"」
つぶやきとともに、その魔力が爆発的に膨れ上がる。
"虚空の闇"は、楓たち妖魔族の一部が得意とするテクニックのひとつで、すべての悪魔が無意識のうちに備えている魔力リミッターの一部を一時的に解除するものである。
ただでさえ膨大な魔力をもつ楓は、"虚空の闇"を使用することによって、紛れもなく最強の悪魔となる。
そしてその状態においては、氷騎の念動力の束縛にかろうじて抵抗できることを過去に証明済みだった。初手からその力を惜しみなく使ってみせたのは、短時間で決着をつけるという楓の意思表示でもある。
そんな楓に対し、氷騎はひとつ大きなため息を吐いた。
そして問いかける。
「楓。お前たち空刃の一族は、自分たちの運命を理不尽には思わなかったのか?」
「……」
その言葉に楓がピクリと少しだけ反応した。
氷騎はそのまま続ける。
「光刃の両翼、空刃と海刃。御門の最重要職といえば聞こえはいいが、実質はどちらも御門の奴隷のようなものだった。お前はその仕打ちを理不尽だとは感じなかったのか?」
それは楓の知らない話ではなかった。
最強の悪魔である妖魔族の力を持つ空刃の一族――つまり神薙の家は、はるか昔に交わされた契約あるいは呪いによって、光刃の一族に逆らうことのできない、とある"制約"を受けている。
ただし――
「俺には関係のない話だ」
そう。
楓は例外だった。
それこそが、楓が御門に所属することなく自由に動けている理由であり、かつて紫喉たちが楓を殺そうとするほど危険視していた理由でもある。
そんな楓の返答に、氷騎は目を細めて、
「そうだな、楓。お前は突然変異種として生まれた影響か、神薙の家で初めて呪いの効果を受けなかった。だけど、お前の子孫はおそらくまた同じ運命になる」
楓はフンと鼻で笑う。
「余計なお世話だ。それにお前が本当に気にしているのは俺の子孫の話なんかじゃないだろう」
「……そうだな」
氷騎――海刃の一族は、それよりも過酷だった。
「俺は力が強すぎたみたいでな。薬である程度抑えてきたが、もってあと2、3年ということらしい」
息を吐き、目を閉じて、氷騎は厚い雲に覆われた空をゆっくりと見上げる。
ぽつり、ぽつりと雨が落ち始めていた。
「戦うことは好きじゃないし、誰かを傷つけることも嫌いだ。だから本当はこのままどこかでひっそりと死ぬつもりだった。だけど、俺がこのまま黙って死ねば――」
言葉がいったん途切れる。
ほほに落ちた雨が、すっと肌の上を滑り落ちた。
「なにも知らない妹が、俺の代わりを果たさなきゃならなくなる。ただでさえ他人より少ない命を、そんなことのために使って欲しくないんだ」
「……」
楓はそんな氷騎をじっと見つめ、そして、
「いつになく饒舌じゃないか。死期でも悟ったか?」
「そうだな。どっちの死期かはわからないが、どちらにしてもこれが最後だ、楓。お前たちには感謝もしてる。少しの間とはいえ、あいつを笑顔にしてくれたからな」
「……くだらん」
楓はきっぱりと言い捨てた。
「お前のこともお前の妹のことも、家のことも、俺の知ったことじゃない。俺はただ、誰かに利用されることが気に入らないだけだ。だから竜夜にはその代償を払ってもらう」
「御門に利用されているとは考えないのか?」
その氷騎の問いかけを、楓は鼻で笑い飛ばした。
「逆だ、氷騎。俺が沙夜のやつを利用して、御門とやらの古いものを全部ぶっ壊してやろうとしてるんだ」
氷騎はため息とともにその考えを否定する。
「あんな細腕の女の子では無理だ。御門がいくら弱体化したといっても、裏でそれを縛っていた古い連中は全国にまだたくさん残っている。竜夜ほどの男でなければ――」
「わかってないのはお前だろう、氷騎」
楓は挑発的な笑みを浮かべたまま言い返した。
「竜夜のやつこそ、ずっと過去にこだわったまま一歩も動けない、ただの臆病な小心者さ。沙夜は確かに貧弱だが、それでも前に進もうとする意志がある分マシだ」
「……これ以上は平行線か」
氷騎が残念そうにつぶやいて、両腕を楓へ向けた。
楓は嬉しそうに口元を緩める。
「話し合いでどうにかなると思っていたのか? 俺は、お前が降参したって今さらやめてやるつもりはない」
「そうだな。今度こそ決着をつけるしかないようだ」
魔力に守られた楓と違い、氷騎の全身は少しずつ雨に濡れ始めていた。
前髪からしたたり落ちたしずくが、ぬかるんだ真っ黒な土の地面へと落ちていく。
「……」
「……」
2人はもう無駄な言葉を発することはなく。
空気が張りつめて。
そして彼らの戦いの火ぶたは切って落とされた。
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おかしい。
絶対におかしい。
純と戦闘を開始して3分も経たないうちに、俺の頭はそんな疑問でいっぱいに埋め尽くされていた。
「"炎の直球"!」
「"高貴なる蒼炎"」
2つの炎がぶつかり合う。
純粋な力比べ。傍目にはそのように見えただろう。
しかし――
(あの青い炎、絶対にまともじゃねえッ!)
それが俺の頭を埋め尽くす疑問の正体だった。
俺の"炎の直球"を飲み込んだ青い炎が、まるで弾丸のようにこちらに飛んでくる。
かろうじてそれを回避し、次の攻撃を準備しながら俺は脳みそをフル回転させていた。
純の操る青い炎がいわゆるテクニックなのか、あるいはレア能力――ギフトであるのか、それは見た目にはわからない。
自然界にある炎は一般的に赤や橙よりも青のほうが高温らしい、というのは俺も一応知っている。
ただ、そもそも俺たちの扱うものは自然界の炎ではない。あくまで魔力を用いたエネルギーのイメージである。
だから練習さえすれば、おそらく俺だって炎を青くすることはできるが、それで威力が上がるかといえばそうとは限らず、むしろ下がる可能性が高いだろう。
なぜかというと、青よりも赤や橙のほうが、俺にとって炎としてのイメージが強いからである。
だったらなぜ、純の炎は青いのか。
現状で考えられる可能性は2つある。
純の持っている炎のイメージがもともと青かったか。
あるいは、あれが通常の炎とは別の性質をもった特殊能力――ギフトであるか、のいずれかだ。
そしてそのどちらが正解なのかといえば、おそらくは後者だろう。
実際、こうして魔力同士をぶつけあっている感触だけでいえば、純の魔力は上級炎魔としては並程度だ。今日の俺と比べれば同等かやや下ではないかと感じる。
にもかかわらず。
「"降り注ぐ火雨"!」
純に向かって降り注ぐ、幾筋もの炎の矢弾。
「"高貴なる蒼炎"――」
それに応じた純は、まるで砂でもまくかのように広範囲に青い炎を散らした。
どう見ても、俺の放った"降り注ぐ火雨"の威力のほうが勝っている。
油断でも慢心でもなく、確かにそのはずだった。
なのに――
「……!」
青い炎に包まれた俺の"降り注ぐ火雨"が、なんの抵抗もなく消滅する。
いや、それだけではない。
"降り注ぐ火雨"を相殺した純の青い炎が、空中で急にその性質を変え、炎の矢弾と化したのだ。
「またか……!」
お返しだと言わんばかりに。
無数の火雨が今度はこっちに向かって降り注いできた。
それはまるで、"降り注ぐ火雨"のように。
(ってことは、この能力……)
あるていど予測していたとはいえ、無数に降ってくる火弾を避けるのは容易ではなかった。
大きな火弾だけを確実に避け、小さなものは多少のダメージを覚悟でガードする。
体の各所に焼ける痛みが走った。
辺りから幾筋かの水蒸気が立ちのぼる。
「っ……ちっくしょう」
どうにか火雨をやり過ごし、俺は追撃を警戒したが、純はもとの位置からは動いていなかった。
それを確認し、次に体の状態をチェックする。
軽く動かすと何ヵ所かに痛みが走ったが、戦いに支障があるほどのダメージではないようだ。
ふぅっと息を吐き、俺は純を見据えて問いかける。
「……どんなイカサマを使ってやがるんだ? まるでこっちの攻撃をそのまま跳ね返してるみたいじゃねーか」
「お、気づいたか。まあ、自分の技なんだから気づいて当然だよな」
純はそんな俺の推測をあっさりと肯定した。
そして指先に青い炎をともす。
「俺のこの"高貴なる蒼炎"はその名のとおり、炎の上に立つ炎、ってなもんでな。こいつの前では誰の炎だろうと、どんなに強力だろうと、すべて俺の意のままに従うようになるのさ」
「……」
普通ではありえない性質。
やはりレア能力――ギフト、ということだろう。
そして、純の今の言葉がすべて本当だとすれば――
「だから言ったんだ。俺と当たった以上、お前の勝ち目は絶対にない、ってな」
メガネの向こうの瞳が確信の色を宿している。
少なくともその態度からは、ハッタリをかましているようには感じられなかった。
(……マジか)
もしそれが本当だとすれば、俺の攻撃は純に対して無力どころか、すべてが自分の身に返ってくるということになる。
(クソゲーかよ……)
戦う前からすでに絶体絶命の状況に追い込まれていたのだということに、俺はこのときようやく気がついたのだった。




