3年目6月「運命の前々日」
この日の朝、ついに伯父さんが俺たち全員をひとつの部屋に呼び出した。
集まったのは6人。
俺、雪、直斗、瑞希の4人が伯父さんの前で横に並び。
その後ろで見守るように宮乃伯母さん、そして桜さん。
まるで仲のいい同級生とその保護者みたいなメンバーだが、これから話し合うのはもちろん運動会の観戦計画でもなければ、子供同士のケンカの仲裁でもない。
目前に迫った御烏や水守、そして竜夜たちとの決戦に向けた作戦会議である。
そして伯父さんは一度全員を見回すと、
「まずお前たちに、最初にハッキリ認識しておいてもらいたいことがある。向こうとこちらの目的、つまりなにをもって勝利とするか、ということについてだ」
まずはそう切り出した。
「言うまでもなく敵を殲滅することが目的ではない。むしろ、いかにして”敵を倒しすぎず”に勝利するか。おそらくは向こうも似たようなことを考えているだろう」
その理由は俺にもわかる。
悪魔に対するスタンスの違いで争っているとはいえ、元はといえば同じ悪魔狩り同士だ。どちらが勝っても戦いのあとは悪魔狩りとしての本来の役目に戻ることになるだろう。
そのときに、それを担う悪魔狩りがほとんど残っていないという状況だけは避けなければならない、ということである。
この場にいる人間は全員わかっているようで、それについて質問の声が上がることはなかった。
伯父さんは続けた。
「こちらの目的は大きく分けて3つある。御門総本部の奪還、光刃様の救出、そして神刀"煌”の確保。だが、お前たちはこのうちのひとつ、光刃様――沙夜の救出だけに全力を注いでもらいたい。他と違って、これだけは”取り返しがつかなくなる”可能性があるからだ」
取り返しがつかなくなる――その意味するところは言うまでもない。
「もちろん神刀"煌”の奪取、つまりは竜夜の身柄の確保も大事だが、それは必ずしも今回達成しなければならないわけではない。とにかく沙夜の救出が最優先事項だ」
そんな伯父さんの言葉に、雪や瑞希が小さくうなずくのが視界の端に見えた。
まず救出、と断言してくれたことは、おそらくここにいる全員にとってありがたいことだったろう。
組織的な戦いに慣れているわけではない俺たちには目的がひとつに絞られているほうがやりやすいし、"煌”や本部を取り返せと言われるより士気も上がる。
もちろん組織を束ねる者の本音としては、神刀を取り戻すことも同じぐらい大事なのだと思うが、それは各々が察していればいいことだ。あえて言う必要はないのだろう。
伯父さんはそのまま続ける。
「そして向こうの目的。これは沙夜がなぜ無事に生かされてるかという理由にもつながるが、早い話、沙夜は標的をおびき寄せて叩くためのエサだ。そしてあちらの狙いは、御門を誤った方向に導こうとしている悪魔容認派の急先鋒、その旗印である私と。そして――」
いったん言葉を切って、伯父さんは前に並ぶ俺たちの顔をひとりずつ見る。
「優希、雪、直斗……正確には楓、お前たちだ。御烏と竜夜で多少の思惑の違いはあるだろうが、まずはこの4人を捕らえるか殺すことがあちらの目的だろう」
一番右端に座っていた瑞希が、チラッとこちらの様子を窺ったのがわかった。
積極的に命を狙われるという経験が彼女にはないので、おそらく俺たちの反応が気になったのだろう。
もちろん俺も雪も、それに直斗もそういうことは初めてではない。気分のいいものではないにしろ、特別に動揺するようなことはなかった。
「さらにはお前たちも知ってのとおり、いま御門町周辺では悪魔の組織がらみと思われる事件が多発している。そういった事情も考慮すると、この1戦で確実に決着をつけ、すぐにでも鎮圧に本腰を入れたいと考えているはずだ」
標的は俺、雪、直斗(楓)、伯父さんの4人。
取り逃がすことなく確実にしとめたい。
なるべく戦力を消耗したくない。
向こうの思惑を簡単にいえばその3点ということだろう。
全員がそこまでの認識を共有したところで、伯父さんは実際の作戦部分に切り込んでいった。
「そこであちらの取るであろう戦略が、まずは水守が得意とする”特殊結界”だ」
そこで俺は初めて声をあげた。
「特殊結界? 悪魔狩りがよく使う、音を光を遮断する結界みたいのとは違うのか?」
なにも言わなくても説明してくれることはわかっていたが、質問したほうが説明しやすいだろうと思ったからだ。
伯父さんはこっちを見てうなずくと、
「いや、実はああいう普通の結界との明確な違いはない。設置に時間がかかったり効果範囲や時間に大きな制約がある代わりに強力な効果を持つものを特殊結界と呼んでいるだけでな」
「ふぅん。じゃあ……たとえばあの、訓練場に使われてる”断絶の結界”みたいなのも特殊結界ってことか」
「そういうことになるな」
それなら特に難しいことはない。
伯父さんは他に質問が出ないことを確認して先に進んだ。
「他の戦力から切り離す隔離系の特殊結界に標的を追い込み、逃げられないようにしてから叩くという戦法がおそらく向こうの基本になる。そのために使ってくると考えられるのが”こもりの結界”と呼ばれる特殊結界だ」
「こもり?」
子守、あるいは引きこもりというような単語がとっさに頭に浮かんだが、そのイメージはそれほど間違いではなかったようで、
「孤独の孤に守るで”孤守”と書く。その字のとおり対象のひとりだけを数十メートル四方の結界に閉じ込めるもので、いったん発動すると効果中の1時間ほどは内からも外からも力づくで破るのは難しいとされている」
「その結界に捕まったら仲間の助けも得られず袋叩きにされる可能性があるってことか?」
それはいくらなんでも厄介すぎる。
……と、思ったが、伯父さんは小さく笑った。
「いや。世の中そんなに都合のいいものではなくてな。結界は効果が強ければそれだけ制約も大きくなるのが常で、孤守の結界は使い手も孤独を強いられる。つまり、使用者と対象者は必ず1対1になるということだ」
「そりゃまた……いさぎよいことで」
つまりはタイマン強制結界ということか。
まるで少年漫画のお約束のようだな、と、俺はついつい笑ってしまった。
「……?」
隣の雪はなぜ俺が笑ったのかわからなかったらしく、少し不思議そうな顔で俺と伯父さんを見ている。
ただ、伯父さんはすぐにまじめな顔に戻って、
「とはいえ、強力なカードが手元にあって、戦力を消耗せずに特定の相手のみを確実に潰したいという今回のような状況ではかなり有用な結界だ。それにその方法なら、向こうのウィークポイントも消すことができる」
「ウィークポイント?」
なんだろうか。
少し考えたが、パッとは思い浮かばなかった。
伯父さんは少し試すような目でこっちを見て、
「簡単なことだ、優希。向こうは――というより竜夜は、多数での混戦になると都合が悪いはずだろう?」
「……ああ」
俺もそれですぐに理解した。
「竜夜の仲間と、御烏や水守の連中は相性が悪い。そういやそうだったな」
竜夜のやつが御烏たちをどうごまかしているのかわからないが、少なくとも悪魔を毛嫌いしている彼らの前で純や晴夏を堂々と戦わせられるはずがないのだ。
しかしその弱みは、孤守の結界で周囲から隔離されることによって完全に消えることになる。
「でもそういうことなら、俺たちがそれに付き合ってやる理由はないよな? 孤守の結界とやらに捕まらないようにすれば、向こうは実質戦力ダウンってわけだ」
「まあ、そうなんだが……」
と、伯父さんは難しい顔をした。
「どうやらそうもいかんようだ。偵察に出した者からの情報によると、沙夜が捕らわれている場所が少々やっかいでな」
そう言って、伯父さんは俺たちの眼前に御門総本部周辺の地図を広げてみせる。
のぞき込んだ俺の目についたのは、総本部のあたりから少し北に記された丸印。そして、その丸印を囲む正三角形と、その各頂点に記された×印だった。
伯父さんはまず、その丸印のところに人差し指を当てる。
「沙夜はおそらくこの丸印の場所に捕らわれているが、この辺りは御門が大昔に作った結界に守られていてな。”失路の結界”と呼ばれるもので、方位感覚を狂わせる類の結界だ。まずこれをどうにかしないと、沙夜のもとへたどり着き、そこから脱出するのは難しい」
そして――と、伯父さんは3ヵ所の×印を指した。
「この”失路の結界”の発生装置……私たちは”要”という呼び方をしているが、それがこの×印のところにある。できれば3ヵ所すべて止めたいが、最悪2ヵ所でも止めれば結界の効果をかなり弱めることができる」
「なんだか面倒くさい話になってきたな」
俺は眉間にしわを寄せて、じっと地図を見つめる。
「要とやらを止めてから結界内に入って神村さんを助け出すってのはわかるが、その要ってのはどんなんだ? 破壊でもすりゃいいのか?」
「いや、残念ながら、要そのものは地中深く埋まっていて、そう簡単に破壊することはできない。だから、要が埋まっている地点まで行って一時的に無力化させるための作業が必要になる。……いずれにしても」
伯父さんは地図から顔を上げた。
「敵がこちらの動きを読んでいれば、間違いなく要の付近に孤守の結界を準備してくるだろう」
「……そういうことか」
そうなると、孤守の結界とやらを完全に回避するのは難しいのかもしれない。
「この”失路の結界”はもともと御門の要人を外敵から守るためのもので、その仕組みは御門の上層部にいた者しか知らない。この作戦は竜夜が考えたものだろうし、色々な事情を考えても、3ヵ所の要を守るのはあいつの仲間である可能性が高いだろう。……ここまではいいか?」
伯父さんはいったん言葉を切って質問の声を待った。
そして誰からも声が上がらないのを確認すると、
「では、具体的にどう戦うかという話に入ろう。私たちの目的は沙夜の救出だから、もちろん要の攻略を行っていくわけだが、どうせ1対1の戦いがメインとなるこの場所に一般戦力をたくさん送る必要はない。そこで――」
伯父さんは丸印の位置から指を大きく動かす。
止まった先は、御門総本部の建物があるあたりだった。
「まず私が本隊を率い、総本部目掛けて攻め入る」
「陽動、ですか」
直斗が確認するように尋ねる。
伯父さんはうなずいてみせて、
「陽動とはいっても実際に戦力の大半が向かうし、最大の標的である私がそこにいれば、御烏たちもこっちに戦力を向けざるを得ないだろう」
「そんなにうまくいくか?」
俺は疑問の声を上げる。
「少なくとも竜夜のやつは俺たちが神村さんを優先するとわかってそうだし、気づかれる可能性が高くないか?」
「そうだな。ただ、竜夜のやつが果たしてその気づきを御烏たちに伝えるか、ということだ」
と、伯父さんは少し不敵に笑ってみせて、
「竜夜にしてみれば、御烏たちの大部隊が近くにいることはデメリットも大きい。孤守の結界を利用する予定とはいえ、近くで大規模戦にでもなればやりにくいはずだ」
「ああ……そりゃそうかもな」
「ねえ、パパ」
納得した俺に続いて瑞希が質問する。
「私はあまり詳しいことはわからないんだけど、もし向こうにとってのデメリットが大きいんだったら、あえて要のほうに全員で攻め込んでしまうっていうのはどうなの?」
伯父さんはひとつうなずいてみせて、
「敵を倒す手段としては悪くないな。ただ、それだと要にたどり着く前に戦力の削りあいになってしまう。最初に言ったとおり、こちらの目的は相手を殲滅することではない」
そう答えてから、一度全員を見回した。
「もともとこの戦いは作戦の読みあいではなく、暗黙のうちに用意された舞台でいかにして竜夜たちを倒すかだと私は考えている。上級悪魔級同士の戦いでほぼ決まるとお前たちに言ったのはそういう意味だ」
伯父さんはいったん言葉を切る。
「私が陽動を行うのは、その邪魔になる御烏たちの本隊――特にやっかいな桐生と史恩の2人を引きつけ、孤守の結界に突入する者の負担を極力減らすためだ。私はそこで、なるべく悪魔狩り同士が消耗しないように立ち回る」
そう言って伯父さんが問いかけるように俺を見る。
それを受けて俺は言った。
「その間に俺らが竜夜の仲間どもをぶっ飛ばし、神村さんを救出すればとりあえず第一目標は達成ってことか」
なるほど、そう考えると意外に単純な話だ。
俺たちはただ3か所の要に向かい、孤守の結界に入って待ち受けているであろう竜夜の仲間を倒し、失路の結界を無力化して神村さんを救出すればいい。
となると――そう。
まず決めなければならないのは、誰が孤守の結界に入るかということだろう。
そんな俺の考えを見て取ったのか、
「そして孤守の結界に入って敵を倒すのは――」
伯父さんがそう言って、3人の顔にそれぞれ視線を止めた。
「優希。雪。それに直斗。お前たちだ」
「……」
妥当だ。
瑞希にはさすがに荷が重すぎる。
チラッと隣にいる雪の様子をうかがうと、雪も少し心配そうにこちらを見ていた。
……おそらく考えていたことは同じだろう。
だが、今回は戦力を固めるメリットがあまりないし、別行動になるのは仕方のないことだ。
「そしてこの3人にはそれぞれサポートを付ける。なるべく万全の状態で孤守の結界に入るためにな」
そんな俺たちのやり取りには気づいていたようだが、伯父さんはそのまま言葉を続けた。
「瑞希。お前は雪と一緒だ」
「……わかったわ」
瑞希は少しほっとした様子で静かにうなずいた。
たぶん伯父さんも、初陣の瑞希が一番戦いやすい状況を考えたのだろう。
瑞希はもともと雪を守るために戦いに参加しているようなものだし、この組み合わせが最善であろうことに異論はない。
ただ――
そのあとに続いた伯父さんの言葉に、俺は驚いた。
「宮乃、お前は優希を助けてやってくれ。それと桜、お前は直斗とだ」
「ちょっ……待ってくれ、伯父さん!」
「どうした? 逆のほうがよかったか?」
腰を浮かした俺を見て、伯父さんが怪訝そうな顔をする。
もちろん俺が言いたいのはそんなことじゃない。
「いや、そうじゃなくて! まさか宮乃伯母さんと桜さんもこっちに参加するのか!?」
てっきり後ろの2人は、保護者的な立ち位置でこの話に参加しているものだとばかり思っていたのだ。
そりゃ俺だって、桜さんが元緑刃として戦っていたことは知っているし、宮乃伯母さんだって光刃の一族だから悪魔狩りとして戦っていたこともあるのかもしれないが――
俺の知っている2人はあくまで、ただただ優しい聖母のような伯母さんと、タンポポの綿毛のようにフワフワとつかみどころのない親友の母親なのだ。
つい驚いてしまったのも当然だと思う。
だが、伯父さんは不思議そうに、
「いまさらなにを言っている。長いブランクがあるからフォローしてやってくれと、この前おまえにも言っただろうに」
「おぅ……マジか。マジかよ……」
もちろん覚えてはいた。
が、まさかこの2人のことだとは思わなかった。
「足手まといにはなりませんよ、優希さん」
「けど……」
振り返った俺に、宮乃伯母さんがいつもの優しい声色で静かに言った。
「まさかこんな日が来るとは思いませんでしたが、私の腕もそう錆び付いてはいないはずです。桜さんはどうですか?」
「そうねえ」
桜さんは相変わらずのとぼけた様子で、
「私の場合はもともとなまくら刀なんだけど、息子のためにやれと言われたらやるしかないわよねえ」
やる気満々というようには見えなかったが、それでも参戦することには異論はないようだ。
「……マジすか」
なんだろう。
いまさらながら、これまで培ってきた俺の中での常識がどんどん崩されていっているような感じ。
いや、本当にいまさらの話なのだが。
「もういいか? 全員納得したらもっと細かい話をしようと思うが」
「……納得はしてねーけど、先に行ってくれ」
そんな伯父さんの言葉にかろうじてそんな返事をすることしかできず。
その後、こちらに配置されるその他の戦力の紹介や、不測の事態に備えた連絡体制、緊急時の撤退ルート、その他もろもろのことを話し合い、半日ほどで会議はお開きとなった。
――作戦決行は明日の夕方から翌日の朝にかけて。
決着の日であり。
そしておそらくは新しい始まりの日。
運命のその日はもう、すぐ目前にまで迫っていたのだった。