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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第3章 三月の里
233/239

3年目6月「不穏」


-----


 その日の深夜。


「今のうち、素直に引き下がりなさい」


 完全な闇と化した路地に、冷たい少女の声が響いていた。


 長い髪。

 お嬢様然とした気品のある容姿。


 だが、その両眼は氷のような冷たさで2人の男を見据えている。


 いや。


 ただの比喩ではない。

 その両眼は本当に氷の瞳だ。


 ”氷眼”。


 メリエルの力を借りた舞以の瞳は、その視界にあるものを一瞬で凍り付かせる魔力を持つ。


 そして対峙する2人の男――下級夜魔たちは、自らの体を襲う異変に気付いていた。


 足もとから徐々に失われていく感覚。


「さもなくば、すぐにその全身が動かなくなりますよ」


 女皇のひとりであるメリエルの力を振るう舞以を相手にしては、並みの下級夜魔など相手になるはずもなく。


 案の定、2人の下級夜魔たちはほどなくして背を向け、たった今さらおうとした少年を放置したまま退散していった。


「……ふぅ」


 舞以の後ろでその様子を見守っていた唯依が、安堵のため息を吐く。


 本来なら悪事を行おうとする彼らは、倒すか捕らえるかするべきなのだろうが、組織的なバックアップがほとんどない唯依たちにそれは難しかった。


 殺してしまえば後始末が必要となるし、捕らえるにしてもそのための人手と場所がない。


 竜夜と話したとおり、唯依たちの役目はあくまで邪魔をすることで敵の動きを鈍らせ、時間を稼ぐことなのである。


「唯依さん、この子をお願いします。私は彼らの仲間が近くにいないか少し警戒しておきます」

「わかった」


 舞以の後ろ、彼女に守られるように座り込んでいた少年は中学生ぐらいだろうか。気を失っていたが、大きな外傷はなさそうだった。


 唯依はそんな少年の前に腰を下ろし、その額に手をかざす。


 彼の本来の力――幻魔の力。


 唯依の主な仕事は騒ぎを大きくしないために、その力を使って被害者たちの記憶をあいまいにしてしまうことだった。


 額に手を乗せ、イメージを少年の頭に送り込む。

 ここで起きたできごとをあいまいに、ただし夜道に対する恐怖心はなるべく残るように。


「……よし」


 それを終えると、少しの間少年の様子を見ることにする。


 すぐに目を覚ませばそれでよし。

 回復しないようなら救急車を呼ぶことになるだろう。


 幸い、少年は10分ほどで目を覚ました。


「……あれ? ここは……」


 思惑通り記憶が混濁している少年に、唯依が適当な作り話を聞かせて、念のため自宅の近くまで送り届ける。


 これで、少年にとっての非現実的な一連のできごとは、夢のようなものとして彼の中で都合よく処理されるだろう。


「ひとまず、これで大丈夫かな。今日は間に合ってよかった」

「そうですね。今日はもう少し続けましょうか」


 これで通算5件目。


 自分たちのこの行動はちゃんと敵にダメージを与えられているのだろうか――と、唯依は少し不安にもなったりもするのだが、今のところこれ以上にやりようがないのも事実だった。


 とにかく今はひとりでも被害者を減らすことだ、と、自分に言い聞かせる。


「それにしても――」


 と、再びパトロールに戻ったところで舞以が少し不審そうに言った。


「唯依さん。今日の敵はずいぶん簡単に引き下がったと思いませんか?」

「え? ああ、そうかも」


 唯依自身が彼らと対峙したのはこれで3度目だったが、過去2回は少なからず交戦し、そのうえで追い払ったものだった。


 まったく戦わずに相手が逃げ出したのはこれが初めてのことだ。


「でも、あれだけの力を見せつけられたら、僕だったら戦わずに逃げるよ。それが普通だと思う」


 と、唯依は苦笑する。

 だが、舞以は難しい表情を崩すことなく、


「だといいのですが。もしかすると、そろそろなにか反撃の手段を講じてくるかも――」


 ……と。

 その言葉が終わる前に。


「……あれ?」


 唯依は妙な感覚を覚えて足を止めた。

 同じように舞以も足を止め、周囲を見回す。


 それは過去に何度か体験したことのある感覚だった。


「舞以。いまなにか……」

「はい。これは結界です」


 警戒する声色。


 遮断の結界。


 結界内の音や光が外に漏れないようにする、悪魔狩りがよく使用するタイプの簡易結界である。


 でも、誰が――と、唯依が疑問を口にする前に、その答えは自ら彼らの前に姿を現した。


「唯依さん」


 舞以がさらに強い警告の言葉を発する。


「……うん。わかってる」


 その視線の先。


 彼らの前に姿を見せたのは、つい先ほど追い払ったばかりの下級夜魔たちだった。


 ただ、今度は2人ではない。


 もうひとり。


(なんだ、あれ……?)


 彼らが連れていたのは、赤っぽい布のようなもので目隠しをされた異様な風体の男だった。


「風魔……? でも」


 舞以がいぶかしげな声色でつぶやく。


 外見的な特徴からそれが風魔であることは唯依にもわかったが、発する魔力は小さい。おそらくは下級風魔だろう。


 言うまでもなく、下級悪魔が2人から3人に増えたところで、女皇の力を振るう舞以にとってはたいした敵ではない。


 ……にもかかわらず、なぜわざわざ戻ってきたのか?


 当然の疑問だった。


「舞以……なんか、嫌な感じがする」


 とてつもなく嫌な予感。

 それは同様に舞以も感じていたようだった。


 やがて、下級夜魔のひとりが笛のようなものを手にする。

 そしてもうひとりが風魔の目隠しを取り去った。


 笛を口にする。


 音は――鳴らなかった。

 少なくとも唯依たちの耳にはなにも聞こえなかった。


 ……だが。


「……うガァァァァァァァ――ッ!!」

「!」


 目隠しを外された風魔が突然大きな雄たけびを上げた。

 そのまま、真正面に立つ唯依と舞以を視界にとらえる。


 そして、一瞬。


「!」


 その姿が消えた。


 ……いや。


「え……?」


 油断していなかったといえば嘘になるだろう。


 舞以と下級悪魔たちの力量差は誰が見ても決定的で、それはどうやってもひっくり返せるようなものではなかったから。


 そのはず、だったのだ。


 だが――


 短い悲鳴。

 鈍い衝撃。


「……え――」


 その光景を、唯依はどこか他人事のように見つめていた。


 逆巻く風の音。

 パッと赤黒いしぶきが宙に舞って、なまあたたかいその液体が唯依の頬にも飛んでくる。


 その視線の先で、舞以の体がまるで木の葉のように宙に浮いていた。


「……舞以?」


 唯依がその状況を理解するよりも先に、空中に打ち上げられた舞以の体は大きな放物線を描くと、その先にある電柱へしたたかに打ち付けられる。


 ゴキッ……っという、嫌な音が唯依の耳に届いた。


「……舞以ッ!!」


 そこでようやく舞以が攻撃されたのだということを理解し、瞬時に力を解放する。


 姿が悪魔のそれへと。

 熱が頭を支配した。


「……やめろぉぉぉぉ――ッ!」


 そして、舞以に追撃を加えようとしていた風魔の眼前へ飛び出していく。


「ぐ……? ぐるぅぅ……」


 乱入者の存在に気づいた風魔は動きを止め、その視線を唯依に合わせて低いうなり声をあげた。


「……!」


 その風貌に唯依は言葉を失った。


 大きく見開かれた目。

 獣のようにらんらんと光る瞳。


 ……とても正気とは思えない顔だ。


 風が渦を巻く。

 どうやら標的が唯依へ移ったようだ。


「くっ……」


 思わぬ圧力に唯依の足はその場に縫い止められた。


 暮れの戦い以来、母の力である”狂焔”の力は失われたままだ。唯依が持つ幻魔の力は直接の戦いに適したものではなく、そのためのノウハウもない。


 現在の彼が使えるのは、悪魔としての身体能力ぐらいだった。


 そして――


「えっ……?」


 風魔の姿が眼前に迫る。


 まるで瞬間移動。その動きに、悪魔としての力を解放していてもなお、唯依の感覚はついていけていなかった。


 ……背筋を駆け上る恐怖。

 首筋から脳天までしびれるような悪寒が走り抜けた。


(殺される……!)


 とっさに唯依の脳裏をよぎった予感。

 それは完璧に正しい予感だっただろう。


 唯依のノド元には鋭い風の刃をまとった風魔の手刀が迫っていた。


 ほんの十数センチ。

 それは何事もなければコンマ何秒かの時間で、のどを切り裂いて骨を断ち、皮一枚も残すことなく唯依の首を切断していたに違いない。


 だが、幸いにしてそうはならなかった。


「そこまで……です……」

「!」


 風魔の伸ばした手は、数センチ手前のところで止まっていた。


「う、うあ……?」


 風魔が戸惑いの表情を見せて身をよじる。


 あと半歩踏み出せば、手刀が唯依の首まで届く距離。

 だが、風魔の足はそれ以上先に進まなかった。


 吐く息が白くなる。


「舞以……!」


 風魔の奇襲で吹き飛ばされた舞以がその場に立ち上がり、”氷眼”で風魔の足元を凝視していたのだ。


 風魔の両足は完全に凍り付き、地面に縫い付けられている。


「唯依さん、はやくこちらへ……!」

「う……うぁぁ、うがぁ……ッ!」


 風魔は自分の足が凍り付いていることにも気づいていないようで、窮屈そうに何度も何度も体をよじっている。


 唯依はそのしぐさに不気味さを覚えながらも、その脇を抜けて舞以のもとへ走り寄った。


 もちろん舞以は無傷ではなかった。

 それどころか――


「……舞以! そのケガ……」


 まるで無数の刃物で何度も切りつけられたように、舞以は全身ボロボロになっていた。


 切り裂かれたブラウスからわずかにのぞく肌、頬、右腕、太もも……あらゆる箇所から流血し、春色のブラウスは赤黒い色に染まっている。


 右腕は力なくぶらりと垂れたままで力が入っていないようだった。叩きつけられたときに骨折したのかもしれない。


 肩は大きく揺れ、いつもはピンと張っている背筋も丸まっていて、立っているのがやっとという状態に見える。


 だが、舞以は気丈に言った。


「……大丈夫です」

「大丈夫なはずないよ! 早く手当てを――」

「唯依さん……今はそれどころではありません」


 舞以は左手を唯依の口元に向けて冷静にそう言った。


「まずはあの風魔をどうにかしなければ……」

「!」


 唯依はハッとする。


「見た目は下級悪魔としか思えないのに……この、力」


 油断していたから、というだけの話ではないのだ。

 そもそも舞以と下級悪魔たちの間にある差は、本来その程度のことでひっくり返るものではない。


「あの風魔、もしかして……」


 そして舞以には、なにか心当たりがあるようだった。


「舞以、どういうこと?」

「唯依さん。あの風魔はおそらく――」


 舞以の言葉はそこでいったん途切れた。


「……オォォォォォォ――ッ!」


 混乱の中にあった風魔が、ようやく自分の両足を縛っている氷の存在に気づき、怒りの咆哮を発したのだ。


 風が足もとで渦を巻き、束縛が一瞬にして破壊される。


 舞以がかろうじて言葉を続けた。


「……狂悪魔(ベルセルク)です、唯依さん」

「べ……狂悪魔(ベルセルク)?」

「唯依さん! 離れてください!」


 風魔が再び突風と化して突っ込んでくる。


 意識していたおかげか、あるいは氷眼による凍結の効果が残っていたのか、今度は動きを追えないほどではなかった。


 とはいえ――


「くっ……」


 舞以はその動きについていける状態ではなかった。

 避けるのを諦め、氷眼による攻撃を続けながら正面から受け止めるための魔力を両手に集中させる。


 突進してくる風魔の両腕にも、先ほど彼女を切り刻んだ風の渦が生まれていた。


「舞以!」

「唯依さん、離れて!」


 いや、そんな猶予はなかった。


 そして2つの力が正面からぶつかり合う――ぶつかり合おうとした、その刹那。




 ――雷鳴が轟いた。




「!?」

「え……っ?」


 白い閃光。

 幾筋もの白い帯が唯依たちの背後から伸び、風魔の体をからめとる。


「うぁ……? うがぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ――ッ!!」


 獣の叫び声。


 白い帯によってからめとられた風魔の体は、その場で閃光を放ちながら激しく痙攣した。


 雷撃だ。


 やがて風魔の体は焦げた匂いをまき散らしながら、戦いを静観していた2人の下級夜魔のところまで吹き飛んでいく。


 地面に打ち付けられ、そこでさらにぴくっと痙攣すると、そのまま動かなくなった。


(……この力は)


 一瞬あぜんとしていた唯依もすぐに気づく。


 これだけの強力な雷撃を放つ悪魔は、おそらくただひとりしかいない。


「……無様ね、メリエル。こんなザコを相手に」


 背後から聞こえてきたのは、もちろん知っている声だった。


「……アイラさん!」

「アイラ……うっ」


 唯依と舞以が振り返って同時に声をあげる。


 亜矢――いやアイラが右手を正面に向け、左手を腰に当てた体勢でそこに立っていた。


「舞以ちゃん、大丈夫!?」


 その隣にいた真柚が、舞以の様子を見て心配そうに駆け寄ってくる。


 だが、舞以はそんな真柚の動きを制止して、


「大丈夫です、真柚さん。それよりも気を付けてください。もしかするとまだ……」

「いいえ」


 だが、真柚のあとからゆっくりと近づいてきたアイラはそんな舞以を一瞥すると、すぐ正面に視線を向けて言った。


「無理をする必要ないわ。敵はもう逃げてしまったもの」

「え……?」


 唯依が正面に向きなおると、アイラの言うとおり2人の下級夜魔も、雷撃で大きなダメージを受けたはずの風魔もすでにその姿を消していた。


 今度こそ勝ち目がないことを悟ったのか。

 それにしても鮮やかな引き際だった。


 それでも唯依はホッと安堵の息を吐いて。


 再び舞以を振り返る。


「……舞以。大丈夫?」


 その言葉で、舞以もようやく緊張が解けたようだ。

 深い息を吐いてその場に腰を落とす。


 そして右腕を軽く抑えた。


「ええ……平気です。止血は自分でできますし、深い傷を受けたわけでもありません。ただ、打ち付けられたときにうまく受け身を取れなかったようです」


 舞以は無数の傷よりも力の入らない右腕を気にしているようだった。


 そんな舞以を見て、アイラが不審そうな顔をする。


「なにがあったの? メリエル……いえ、舞以」


 アイラは少し厳しい口調だった。


「見たところ下級風魔よ。いくら油断していたにしても、あなたがあんなザコに後れを取るなんてありえない。絶対に」

「ア、アイラさん、いまはそんなことよりも……舞以をまず病院に――」


 唯依がアイラを止めようとすると、舞以が逆にそれを制止した。


「いえ、大丈夫です、唯依さん。それよりも……まず場所を変えましょう。結界が切れて、ここは人目につくかもしれません」


 右腕を押さえながら舞以はゆっくりと立ち上がった。


 その主張に異論をはさむものはなく。


「……わかった。じゃあ舞以、これ着てて」


 全身血まみれのまま歩かせるわけにもいかず、唯依は自分の上着を脱いで舞以に貸した。もちろん全身を隠せるわけではないが、夜闇にまぎれればアパートぐらいまではたどり着けるだろう。


「ありがとうございます、唯依さん」


 ふぅっと、舞以が小さく息を吐いて。


 そして4人は彼女をかばうようにしながら、アパートへ引き返したのだった。


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