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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第3章 三月の里
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3年目6月「虚弱」


 うすい雲が空全体をおおっていた。

 肌に感じるのは、6月に入って急に湿り気と生ぬるさを増した風。


 そして轟音。


 ――断末魔の叫び。


「きゃぁぁぁぁッ! 優希お兄ちゃん! ダメダメッ! もうダメぇぇぇぇ――ッ!」

「お、おい! 落ち着け、歩!」


 耳元で響くけたたましいソプラノの悲鳴に、俺はそう返したつもりだったが、その俺の声も次から次へと流れる風の音にかき消されてしまったようだ。


 そして悲鳴が続く。


「いやぁぁぁッ! 優希さん、もうダメ、止めて止めてぇぇ――!」

「無茶言うなッ!」


 いくら俺だって、すでに動き出したジェットコースターを、しかも乗車した状態で止めるのは不可能というものである。


「もうヤダぁぁぁぁぁ――ッ!」


 しかしまあ。

 これだけ見事に叫んでくれれば、このマシーンを設計した人間も本望ってもんだろう。


 ……というわけで。


 御覧のとおり、俺は伯父さんから与えられた2日の猶予のうちの1日を費やし、歩を連れてふもとの町の遊園地に遊びにきていた。


 この大変な時期にどうしてと疑問に思う人もいるかもしれないが、それには一応理由もあって。


 ここに来てからの1ヵ月は当然のことながらあまり歩に構ってやる時間がなかったし、瑞希が戦いに参加することで、おそらくこいつだけが留守番ということになる。


 こいつは空気の読めるやつだから、それについて不満や不安を口に出したりすることはないが、その分こちらがある程度は気を遣ってやらなきゃならないこともあって。


 留守番のお駄賃代わりというわけではないが、少しでも気晴らしになれば、と、そう考えたのことである。


 ……まあ、考えたのは主に俺ではなく雪と瑞希だが。


 ちなみにけしかけた当人たちは来ていない。


 瑞希はギリギリまで"輝輪(きりん)"に慣れるための訓練をしたいというし、雪は『せっかくだから』というわけのわからない理由で結局ついてこなかった。


「……た、たのしかったねー」


 ようやく絶叫マシーンから地上に降り立った歩は足がガクガクで、どう見ても楽しんだようには見えなかった。


 いや、こうなることは楽に予想できたわけだが。


「お前さ。苦手ならなんで無理についてきたんだよ。待ってりゃよかったじゃねーか」


 あきれつつ、とりあえず立っているのもつらそうな歩を近くのベンチまで連れていくことにした。


「だ、だってー……」


 俺に手を引かれるまま、歩はちょっと苦笑いを浮かべて、


「優希お兄ちゃん、ひとりじゃさみしいんじゃないかと思って。たまには気の利くところお見せしようかとー」

「それでそのザマじゃありがた迷惑だっつーの」


 ぺちっ、と、濡らしたタオルを額に乗せてやる。


「あぅっ……ちめたくて気持ちいいー……」

「そこで少し休んでろ。なんか飲むか?」

「あ、ええっと、じゃあオレンジジュースを……」

「了解」


 そう言って近くの自動販売機に向かう。


 途中で園内の時計を見ると、11時40分。


 今日は15時ぐらいから雨の予報だったので、早めに切り上げる前提で10時の開園と同時に入っていた。


(もう2時間近くも経っていたか……)


 正直こういった場所はそこまで俺の好みではないのだが、なんだかんだ時間が過ぎるのも忘れて楽しんでいたらしい。俺も結構ストレスがたまっていたのかもしれない。


 最寄りの自販機でオレンジジュースを購入し、自分用のアイスココアも買って歩のところへ戻る。


 土曜日ということもあってか、天気があまりよくないにもかかわらず園内にはそこそこの客がいた。


「ほら、オレンジ」

「あ、ありがとー」


 缶を手渡しながら歩の隣へ腰を下ろす。


 そして自分の缶のプルタブに手をかけて、ふと。

 隣にいる歩の様子に妙な違和感を覚えた。


「……なあ、歩。お前、もしかして身長少し伸びたか?」

「え? ううん。実は去年から1センチしか伸びてなくてー。せめて150センチは欲しかったのに、もう絶望的……」

「そうか」

「でも、どうしたの、急に?」


 顔に当てていたタオルを取り、歩が少し不思議そうに聞いてくる。


 俺はそんな歩の顔を見返して、


「いや。なんかわからんけど、いつもと違う感じがしたんだ。気のせいかもしれんから聞かなかったことにしてくれ」

「んー……? あ、もしかして」


 少し考えたのち、歩は自分のくちびるに人差し指を当てて、


「今日、色付きのリップ使ってるから、そのせいかなあ」

「リップ? 口紅ってことか?」


 言われてみると、どことなく唇の色が……いや、そんなマジマジと見つめたことがないので、いつもと違うのかすらわからなかった。


 あはは、と、歩は笑って、


「口紅じゃなくて、リップクリームだよー。保湿とか紫外線カットのために塗るんだけど、ちょっと色のついたのもあって、前に瑞希お姉ちゃんに選んでもらったの。もしかして変だった?」

「いや、別に変じゃねーけど」


 いわゆる化粧とは違うのだろうか。

 よくわからない。


 というか、こいつが化粧する姿なんて想像したこともなかった。


(けど……本来の学年で考えてももう中3か。3年前の俺と同じなんだよなあ)


 当たり前の話だ。

 だが、そういう風に考えてみると、思ったより年の差はないんだなと感じてしまう。


(3年経てば今の俺と同じ。なんか信じられんけど……)


 5年後。

 10年後。


(……うーん)


 どうにも歩の未来の姿を想像するのは俺には難しいようだ。


 出会ったときからずっと妹、ヘタをすれば娘みたいな感覚で見ているから、こいつはずっと、いつまでも子供っぽいままなんじゃないかと錯覚してしまうのである。


 もちろんそんなことはないだろう。


 事実、1センチとはいえ去年から身長も伸び、おそらくそう遠くない未来には本物のメイクもするようになって、そしていつかは我が家からも巣立っていくのだ。


(……って。なにをセンチメンタルになってんだか)


 そんな自分の思考がおかしくて仕方なかった。


 もしかすると俺は、歩を通して父親というものを疑似体験してしまっているのかもしれない。


「よしっ。……全快しましたー」


 そんなことを考えているうちに、歩がそう言ってパッと勢いよくベンチから立ち上がった。


「時間もったいないし、そろそろ次行きましょうー」

「おい、ホントに大丈夫かよ」

「心配ないよー。大丈夫、大丈――」


 ぶ――、と、言いながら、歩が足をもつれさせた。


「わっ……わわっ……」

「ばっ……おい!」


 ベンチから腰を上げ、慌てて駆け寄る。


 間一髪、俺はバランスを失って後ろに倒れかけた歩の体をなんとか抱き留めていた。


 触れた背中に、少しだけ汗の湿り気を感じる。


「あ、あれれ……?」


 仰向けのような体勢で、歩は不思議そうに空と俺の顔を交互に見上げていた。


「あ、あはは、言ったそばからつまずいちゃった……」


 ごまかすように笑う歩。

 そんな歩の態度に、俺は眉をひそめる。


「……」


 さっきの違和感の正体。


 どことなく大人っぽい……というか、おとなしいように感じたのは、もしかするとこれが原因だったのかもしれない。


「お前、ちょっと」


 そう言いながら額に手を伸ばそうとすると、歩はハッと両手で額をガードした。


「……歩」

「うう……」


 強い言葉を出すと、観念して歩が手をどける。

 額に触れた。


 ……熱い。


 いや、触れる前からわかっていた。

 左手で支える体からも明らかな熱が伝わってくるし、かなり発汗している。


 絶叫マシーンで疲労しただけが原因ではないだろう。


「歩……」


 俺が目を細めると、歩は慌てた様子で言い訳した。


「ち、違うんですー。具合悪いの隠して遊びにきたわけじゃなくて、さっき急に調子が悪くなっただけでー……」

「……」


 ふぅっ、と、ため息を吐く。

 今はその真偽を問い詰めても仕方ない。


「わかった。とりあえず救護室まで行くぞ。ほら」

「うん……あー……優希さんの手の平、なんか冷たくてきもちー……」

「そりゃさっきまで冷たいジュースの缶を握ってたからな」


 体勢を変え、完全に力の抜けた歩を背中に負う。


「優希さんの背中も、なんかきもちいー……」

「わかったわかった」


 首筋に熱い呼吸。

 言葉も熱に浮かされたようになっている。


 背負ったまま歩き出すと、やがて静かになった。


 ……おそらくはいつものやつだろう。


 以前より元気になったとはいえ、やっぱり普通の人間よりはるかに体が弱いのだ。


(……これ、どうにかならんもんなのかな)


 もちろん医者ではない俺がどうこうできるはずもないのはわかっているが。


 やがて完全に意識を失ったらしい歩を背に、俺は救護室への道を急いで。


 結局この日の息抜きは、残念ながらこのまま打ち切りとなってしまったのだった。




-----




「……大丈夫か?」


 少し薄暗い部屋。

 ふとんの上。


 窓の外からは先ほど降り始めた雨の音が聞こえていた。


 部屋の中には2人だけ。


「……大丈夫」


 ふとんの住人はゆっくりと上半身を起こし、それから少し不思議そうに自分の手のひらを見つめていた。


 短いおさげが揺れ、そして静かに言葉を発する。


「また、倒れてたのか」

「ああ」

「……すまない。こんな大事な時期に」

「かまわんさ、氷騎。お前が悪いわけじゃない」


 と、竜夜は静かに首を横に振った。


「……」


 氷騎はゆっくりと部屋を見回す。


 落ち着いた雰囲気の和室。

 見覚えのあるそこは、御門総本部内の一室だった。


「薬はどうする?」


 竜夜がそう問いかけると、氷騎は首を振って、


「今日から戦いの日までは飲まないようにする。それで力を押さえていたら楓のやつと戦えない」

「そうか」


 竜夜はうなずくと、手にした薬のふくろを枕元に置いてゆっくりと立ち上がった。


「すまないな、氷騎。すべて終わったら、お前には望むものをなんでも用意してやる。……なにか希望はあるか? 時間のかかるものなら今のうちに言っておいたほうがいい」


 そんな竜夜の問いかけに、氷騎は戸惑ったような顔をする。


 そして迷った末、答えた。


「会いたい人がいる」

「誰だ?」


 最初から理解している顔で、それでも竜夜はそう聞き返す。


 氷騎は言った。


「神崎歩に」

「……紅葉では不満か?」


 冗談めかした竜夜の言葉に、氷騎は少しも笑わずに自分の手のひらを見つめた。


「話ができなくてもいい。少し触れるだけでも」

「……」

「変なことを言ったか?」


 少し不安そうな顔をした氷騎に、いや、と、つぶやいて竜夜は言った。


「きっと叶えてやる。頼むぞ、氷騎。ウチの戦力で楓に対抗できるのはお前だけだ」

「大丈夫だ、竜夜。……御門の古い歴史はここで断ち切る。そのために身をささげる覚悟はできている」

「そうか」


 満足そうに。

 そして少しだけ申し訳なさそうにしながら。


 竜夜は背を向けその部屋を後にしたのだった。




-----




 救護室に運ばれた歩はすぐに意識を回復したが、もちろん俺たちは少し休んでそのまま帰路に就くことになった。


 ちょっとめまいがしただけなのに――なんて、歩は最後までゴネていたが、もちろんそんな主張を認めるはずもなく。


 見崎に戻り、歩を部屋に帰して雪に看病を依頼したあたりで雨が降り始めた。


 時刻は14時。

 少し早めだが、だいたい予報どおりだ。


 現代の天気予報ってのは本当にたいしたもんだな――なんてことを考えながら歩いていると、


「優希」

「……お?」


 瑞希が廊下の向こうから歩いてきた。


「よう。これから特訓か?」

「いえ、休憩でいったん戻ってきたところよ」


 その身にまとっているのは先日と同じ戦闘衣装だった。


 最初に見たときは違和感しかなかったが、早くも目になじんできた気がするのは、やはり神村さんの従姉という血統の成せる業なのだろうか。


 瑞希はそのまますれ違おうとして、ふと思い直したように足を止めると、


「ねえ、優希。……あんたは緊張してる?」


 急にそんなことを言い出した。


 俺はその問いかけの意図を察し、一瞬だけ瑞希の顔色をうかがってから、


「そりゃまあ、少しはな。戦闘マシーンじゃない限り、誰でも緊張するんじゃないのか?」


 それはもちろん本心だった。

 そしてすぐに付け加える。


「といっても、たぶんお前ほどじゃねーけど」


 そう言って俺は笑った。


 瑞希の顔には確かに、先日の試合のとき以上の緊張が見て取れたのだ。


 それに対して反論が来るかとも思ったが、どうやらそれは自覚していたようで、特になにも言わなかった。


 逆に俺のほうから問いかけてみる。


「戦うのが怖くなってきたのか?」


 怪我をするかもしれない。

 もしかしたら命を落とすかもしれない。


 それは普通の人間なら当たり前に考える不安だろう。


 だが、瑞希は少し考えて、答える。


「怖いわね。どちらかというと、本気で相手を傷つけなきゃならないってことが怖く感じるわ」

「なるほどな」


 こいつらしいといえばらしい。


 俺も最初はそうだった気がする。

 もちろん今だって慣れきったわけではなかった。


 純や晴夏先輩たちと命のやり取りをすることには、いまだに割り切れない思いがあるし、回避できるものなら回避したいとも思っている。


 そして瑞希は言った。


「でも、迷っているわけじゃないのよ。私はたぶん、自分の大切な人たちのためならいくらでも戦える。ただ、初めてはどうしてもね」

「……」


 本当にそうだといいのだが。


 俺だって初めて人間――正確には血の暴走を起こした悪魔だが、その命を奪ったときには立ち直るのにそれなりの時間を要した。


 強いメンタルの持ち主ではあるものの、少し繊細な部分も併せ持つこいつのことだ。今回そこまで割り切った戦いができるかどうかは少々疑問に思っている。


(……できれば、こいつが誰かの命を奪うような展開にはならないでほしいもんだが)


 パラパラと強くなり始めた雨音。

 こもごもの不安を残しつつも。


 戦いの日は確実に目前まで迫っていた。


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