3年目6月「山茶花」
三月の里に来てからちょうど1週間目の朝。
「悪いけど、三月としては今回中立の立場を取らせてもらうことになったよ。君らにも、もちろん純くんたちや御烏にも協力することはない」
朝食を終えてすぐ、呉丸に呼ばれた俺と雪は、その場であっさりとこのたびの任務の失敗を言い渡されていたのだった。
「……理由は?」
ちなみに俺たちがここに来てやったことといえば、何日か前にやった山賊退治の他は、農作業の手伝いをやらされたぐらいのもので、具体的な交渉事なんてものはひとつもなし。
それでいいんだと伯父さんから言われていたとはいえ、じゃあなんのために連れてこられたんだという気持ちになってしまったのも仕方のないことだろう。
そんな俺たちに、呉丸は多少は申し訳なさそうな顔をした。
「理由はまあ、簡単に言うと里のみんなを説得できなかったってことなんだけどね。御烏たちのやり方に賛同できないのは確かだけど、相手は同じ悪魔狩りだ。参戦することへの心理的なハードルが高かったってことはわかってもらいたい」
とはいえ。
俺もこうなることは心のどこかで予測していたと思う。
この里の現状を見て、ここの人たちが御門という組織をそれほど信用していないことは直接耳にしていた。
そんな信頼できない相手のために、同じ悪魔狩りと戦えというのは確かに難しい要求のように思える。
だから俺も雪も、呉丸に対してそれ以上の不満を口にすることはできなかったのだった。
「……けど結局、無駄足だったってことか」
部屋に戻った俺は、早々と帰還の準備に取り掛かっていた。
とはいっても、もともとそれほど大荷物だったわけではない。俺と雪を合わせてリュック2つ分ぐらいのものである。
「仕方ないよ。その分、私たちが頑張るしかないよね」
そう言いながら雪が部屋に戻ってくる。
呉丸の部屋から戻る途中でいったん別れた雪は、台所を借りて、途中で食べる用の弁当を作っていたらしい。
「あ、私の分も片付けてくれてたんだ。ありがとね」
「いや、礼を言われるほどの量じゃねーし。忘れ物がないかだけは自分で確認してくれよ。……ん、なんだこれ?」
カバンに突っ込んだ雪の荷物の中に、木彫りの首飾りのようなものを見つけて手に取る。
雪はそんな俺に近づいてきて隣にしゃがみ込むと、
「あ、それ。ここの子にもらったんだよ」
「この家に子供なんていたか? ……まあ、精神的にちょっとアレな家主はいるが」
そんな俺の言葉に、雪はおかしそうに笑って、
「ううん。この家じゃなくてここの里の子だよ。来てすぐ仲良くなった子が記念にって作ってくれたの」
「へぇ、いつのまに」
そういやヒマなとき部屋でゴロゴロしていた俺と違って、雪はちょくちょく外に出ていた気がする。
たぶんそのときにでも交流を深めたのだろう。
と、そこへ、
「2人とも、そろそろ準備は終わった?」
ふすまの向こうからひょいっと顔を出したのは那由さんだった。
「あ、もうちょいで……ってか、帰りはもしかして那由さんの案内っすか?」
「ええ。ふもとまでだけど私が送ってく」
那由さんは肩口ぐらいまでの髪を片手で器用にまとめ、ゴムでパチンと止める。
「兄様は帰りも自分で送るつもりだったみたいだけど、さすがに止めさせてもらったの。アレでも一応当主だし、そんなポンポンと留守にされても困るから」
言いながら少しあきれ顔をする那由さん。
まあ当然の対応だろう。
「でも、ごめんね。協力してあげられなくて」
と、那由さんはすまなさそうな顔になった。
「兄はね、本当はあなたたちに協力したいと思ってるみたい。ただ、前も話したとおり、他のみんなの御門に対する印象がどうしても――」
「ああ、いや。気にしないでください。俺たちもダメ元で来たみたいなところあるし。……そういや晴夏先輩たちは?」
ふと思い出してそう尋ねると、
「あの2人なら昨日のうちに帰ったわ。彼らはどうも……目的のために何でも犠牲にしちゃいそうな危なっかしさがあったわね。個人としてはそんなに悪い子たちじゃないと思ったんだけど」
目的――か。
そこに思いをはせる。
晴夏先輩はいつも、人と悪魔が共存できる世界を作ることが目的だと言っていたけれど、先日、純から聞いた話も合わせて考えると、その根幹にあるのはやはり御門に対する復讐なのだろう。
それが誤っていると断じることはできない。
その怒りに正当な理由があることもわかっている。
ただ、そのために俺の周りの人たちに危害が加えられるというのであれば、こちらとしても黙ってはいられないだろう。
たとえ命を奪い合うことになるとしても――
(……いっそ、同情の余地もない凶悪な連中なら、もっと簡単でよかったのにな)
正直、彼らと再び相まみえるときのことを考えると、さすがに晴れ晴れとした気持ちではいられなかった。
「ああ、そうそう」
考え込む俺に、那由さんがふと思い出したように言う。
「帰る前に兄からあなたたちに話があるそうよ。あとでこっちに来るらしいから――」
「や、準備は終わったかい?」
そこへちょうど、まるで友人を訪ねるような気やすさで呉丸がふすまの向こうに姿を現した。
「あら、いいタイミング。じゃあ、兄様。私は出てるから、話が終わったら呼んで」
「ああ、わかってるよ、那由」
那由さんが部屋を出ていく。
入れ替わりに入ってきた呉丸は、よっこいせ、と、年寄りくさい掛け声で俺たちの前に腰を下ろすと、
「短い間だったけど、ここの生活はどうだった? たまにはこういう生活も悪くなかっただろう?」
「ま、そこそこ。堆肥を運ぶのだけは慣れなかったけどな」
そう返すと、呉丸はそうかそうか、と笑って、
「雪くんは? どうだった?」
「はい。楽しかったです」
雪のほうは特にお世辞でもない様子でそう答える。
「なんだか、子供のころに戻ったような不思議ななつかしさがあって。ね、ユウちゃん?」
「ね、って言われても、俺は別に」
俺はそっけなく返した。
確かにこういう時代がかった村特有の魅力があったことは否定しないが、なつかしいのとはまた違う気がする。
だいたい俺たちは生まれも育ちも御門町だ。
田舎のじいちゃんばあちゃんがいるわけでもないし、なつかしいなんて感情が湧くはずもないのである。
すると雪はきょとんとして、
「ユウちゃんはそうなんだ? ……なんでだろう、私、すごくなつかしい感じがしちゃって」
「いや、俺に聞かれても――って」
そこで俺は、呉丸がいつになく真剣な表情で雪を見つめていることに気づいた。
「どうした、呉丸?」
「……ん? ああ、いや」
だが、声をかけると呉丸はすぐにいつもの調子に戻って、
「そうそう。実は君たちふたりにプレゼントがあるんだ」
そう言うと、腰につけていた小さな袋をゴソゴソとやり始める。
「ほら、これさ」
おもむろに取り出したのは、小さなアクセサリーだった。
形は円形で大きさは直径2センチもないぐらい。
真ん中には大きな穴が開いていて輪っかのような形をしている。
「指輪……かな?」
雪が首をかしげながらそう言うと、呉丸はうなずいた。
「厳密に言うと違うけど、まあ似たようなものさ。2つあるから、君たちにそれぞれひとつずつあげよう」
「いや、意味がわからんのだが……」
そう言いながらも差し出されたそれを手に取った。
確かに指輪のような形をしているが、一般的なそれよりはじゃっかん幅と厚みがあるだろうか。
材質はなんだろう。色を見る限り一番近いのは銀。ただし俺のイメージのそれよりはだいぶ白色が強い。
表面にはなんらかの模様が描かれているが、それがなにを表しているのかはわからなかった。
「こんなもん俺たちに持たせてどうしようってんだ?」
「まあまあ。とりあえず指にはめてみてよ」
はめてみろと言っても――戸惑いながら隣を見ると、雪は薬指につけようとして首をかしげている。
どうやら小さくてサイズが合わないらしい。
それを見た呉丸は笑って、
「違うんだ、雪くん。三月の里ではこれを必ず右手の小指につけるんだよ」
「右手の小指?」
言われたとおり右手の小指に通してみると、ほぼピッタリのサイズだった。
どうやら雪のほうも同じらしい。
「……で? これはなんなんだ?」
改めて呉丸に説明をうながす。
呉丸は答えた。
「これは"山茶花”という、三月の里に昔から伝わるお守りだよ。意味は君らの知ってるエンゲージリング的なものとそんなに変わらない。いわゆる約束の証。右手の小指にはめるのは、この――」
そう言って呉丸は右手と左手の小指同士を絡ませてみせた。
「指切りげんまんって知ってるだろ? 三月の指輪はこうやって小指同士が絡まっている状態を表しているんだ。この約束が永遠の誓いになりますようにって」
「……いや、意味とかじゃなくてさ。なんでこんなもんを俺たちに――」
「さ、2人とも手を出して」
俺の質問をわざとらしく聞き流して、呉丸は俺たちの右手を取った。そして雪のほうの手をくるっと裏返し、俺の指輪と雪の指輪を並べるようにしてくっつける。
そしてゆっくりと目を閉じて。
「2つの魂に――永遠の絆を」
「っ……」
きぃ……ん、と、指輪が振動し、一瞬だけきゅっと指が締め付けられる感覚があった。
「さ、これでいい」
と、呉丸は手を離した。
「君たちの魂はこれでより深く強固につながったはずだ。なにかあったとき、きっとこの"山茶花"が加護を授けてくれるだろう」
「魂が……なんだって?」
なんともうさんくさい単語が飛び出してきて、俺は眉をひそめる。
本当にただのお守りなんだろうか。
顔を近づけて改めてその指輪を見つめる。
特にさっきまでと変わったところはない。
なにげなく外そうとする。
「っと……あれ?」
妙にきつかった。
装着するときは少し余裕があるぐらいだったのだが――
そして……気づく。
「……は? なんだ……?」
どれだけ力をこめても指輪はピクリとも動かないのだ。
まるで皮膚と同化してしまったかのように。
無理やり外そうとすると小指の関節が抜けそうになった。
「なんだこりゃ! おい、はずれねーぞ!」
当然のように俺が抗議の声を上げると、
「はずせない? ……そうか。やっぱりはずれないか」
なぜか呉丸は、まるで自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。
そしてパッと明るく笑う。
「あはは、そりゃそうだよね。永遠の誓いなんだから、そう簡単にはずれても困るじゃないか」
あっけらかんと言う。
「なんだそりゃ! 呪いのアイテムかよッ!」
「まあまあまあまあ。別に呪われたりはしないから安心してよ。はずすのに少し条件が必要ってだけでね」
「なんだよ、その条件ってのは!」
そう言って詰め寄ると、呉丸はやはり笑いながら事もなげに答えた。
「簡単なことだよ。さっきの誓いが破れればいい。つまり君と雪くんの間の縁が切れれば指輪は外れる。どちらかの愛が失われるか、あるいは死別するか」
「……はあ?」
「逆に言うと、それが外れない限り、君たち2人の絆は強く固く結ばれたままということだね」
そう言うと、呉丸はニヤリと笑みを浮かべる。
「いやあ、でもそれが外せなくなるのを見るのは私も初めてだよ。冗談でも試してみるものだね、ははは」
「……」
どこまでが本当でどこまでが冗談なのかわからない。
ただ、この"山茶花”とかいう呪いの指輪が簡単に外せないことだけは本当のようだ。
顔をしかめながら指輪を軽くこする。
呉丸が俺たちに危害を加えようとしているとも考えにくいから、無理に外す必要はないのかもしれないが――
呉丸は少しだけマジメな顔に戻って、
「さっきも言ったように"山茶花"は君たちの間の見えない絆を強めるお守りだよ。きっと君たちの役に立ってくれるはずだ。今回協力できないことのお詫びだと思って受け取ってくれないかな」
そんな言葉に俺はため息を吐いて、
「……まあ、いいか」
これが左の薬指とかだったら誰かにからかわれそうな気もするが、右手の小指ならたぶん大丈夫だろう。
そんなことを考えながら、さっきから黙っている隣の雪に視線を送る。
「おい、雪。お前のほうもやっぱ外せないのか?」
「……」
「おい」
呼びかけに反応せず、雪はじっと指輪を見つめたまま固まっていた。
「……雪? どうした?」
「え? あ……」
3度目の呼びかけで、雪はようやく反応した。
ゆっくりとこちらに視線を向けると、右の小指を大事そうに左手で包むようにする。
そして、
「あれ……?」
「は? おい、どうした急に……」
戸惑う。
雪の目に、あふれんばかりの涙がたまっていたのだ。
それが一筋、頬に流れ落ちる。
「……おい、なんだ? どっか痛むのか?」
唐突すぎて意味がわからなかった。
だが、それは雪自身も同じだったようで、
「あ、あれ……ごめんね。どうしたんだろ、私」
困惑した様子で涙をぬぐう。
「なんだかわからないけど、すごく……なんだろう。ホッとしたような、うれしいような気持ちになって」
「……はあ?」
「なんだろうね?」
そう言って小首をかしげる雪は、あふれ出してくる涙を何度も拭っていたが、その表情を見る限り、確かに痛いとか苦しいとかで泣いているわけではなさそうだ。
そして――なぜだろう。
そんな雪の様子を見て、俺もどことなく気分が高揚するような感じを覚えていた。
あるいはこれが、絆を強めるという"山茶花"の力なのだろうか?
「……さて、と。それじゃあ2人とも、そろそろ出発したほうがよさそうかな」
そんな俺たちのやり取りを、相変わらず嬉しそうに見ていた呉丸がその場に立ち上がって言う。
「できればまたどこかで会おうじゃないか。君たちに――君たちの未来に、幸あらんことを」
そうして俺たちは、ちょうど1週間に及ぶ三月の里での滞在を終え、見崎への帰路へとついたのだった。