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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第3章 三月の里
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3年目5月「ささいな変化」


 御門町を離れ、悪魔狩りの支部”見崎”へと避難してきてからちょうど1週間。


 先の戦いで負った俺のケガは順調に回復しており、今はもう普通に体を動かすには支障のない状態にまで戻ってきていた。


「それじゃ優希くん、がんばってねぇ」


 そんな中。

 この日の朝食後、俺が来ていたのは寝泊りしている建物の裏手にある山中である。


「あの、桜さん。マジでやるんですか、これ?」


 そう言いながら俺は足もとをのぞき込んでいた。


 地面は俺のつま先の20センチほど先で途切れていて、下からは急流の音が聞こえる。

 高さは15メートルぐらいあるだろうか。


 視線を正面に戻す。

 30メートルほど先には、こちらに向かって手を振っている小柄な女性がいた。


 桜さん。

 神薙桜――つまりは直斗の母親である。


 彼女が先々代の緑刃であり、御門の関係者だったというのはつい先日直斗から聞いたとおりで、彼女も一緒にここに避難していた。


「これを渡ることにいったいなんの意味が……」

「さあ?」


 桜さんの立っている向こう側の地面との間には、橋がかけられている。


 ただ、橋といってもそんなに立派なものじゃない。手すりもなければ平らでもない、靴幅よりも狭いんじゃないかという丸い鉄棒が横たわっているだけだった。


「私はよく考えもせずやってたけど……雅司ちゃんが言うには、集中力を養う効果があるみたい?」


 なんとも頼りない桜さんの回答。


 そういやこの人は昔から伯父さんのことを”雅司ちゃん”なんて奇妙な呼び方をしていた。

 今にして思うと、俺と直斗が知り合う以前からの関係、おそらくは御門における戦友だったからこその呼び名だったのだろう。


 で、まあ。

 そもそもどうして親友の母親とこんなところでこんなことをしているかというと、早い話が3月末ころからやっていた特訓の続きである。


 伯父さんに見てもらう予定だったのが多忙だったため、代わりに桜さんに見てもらっているというわけだ。


「ちなみに桜さん。落ちたらどうなると思います?」


 そう尋ねると、桜さんはあごに人差し指を当てながら、


「ん~、落ちないほうがいいと思うけど……」

「ですよね」


 やっぱやらなくていいよ、とは言ってくれそうにない。

 桜さんはのんびりとしたその見た目によらず、意外とスパルタのようだった。


(しゃーない、やるか……)


 落ちても死ぬことはないだろう。万が一のときは悪魔の力を解放すればいい。


 ザァァァァ、という急流の音にほんの少しだけ尻込みしながらも。

 俺は鉄棒の上に向かって一歩を踏み出したのだった。






「それでどうなったの?」

「サーカス団員じゃねーんだぞ。落ちたに決まってんだろ」


 桜さんとの特訓がひとまず終わって昼食の時間。


 俺と一緒にテーブルを囲んでいたのは雪、瑞希、歩の3人。

 つまりは自宅にいたときと同じメンバーだった。


「でも最近あたたかくなってきたよね。私もユウちゃんと川遊びしたかったかも」

「遊んでねーよ。お前、他人事だと思って」


 冗談だよ、と、そう笑う雪はまだ病衣姿だ。


 俺よりもダメージの深かった彼女は治癒にもやはり時間がかかっているようで、襟からのぞく胸元や病衣のそでから見える両腕にはまだ痛々しく包帯が巻かれたまま。


 それでも一昨日ぐらいからひとりで建物内を歩いたり、こうして自力で食事をとれるぐらいにはなっていた。


「あれ? でも優希お兄ちゃん、川に落ちたにしては戻ってきたときぜんぜん濡れてなかったね?」


 と、不思議そうに聞いてきたのは歩だ。


「ああ。結果的には桜さんが空中で”止めて”くれてな」


 見えない糸のようなものでぐるぐる巻きにされて。

 その技が今の緑刃さんが使っているのと同じもので、それを編み出したのが桜さんであるということも直斗から聞いていた。


「……しかし、まさかあの桜さんがなあ」


 だし巻き卵をひとつ口に運ぶ。


 口の中に広がる懐かしい味。

 どうやら今日の昼食は宮乃おばさんの手によるものらしい。


「ただののんびりした母さんだと思ってたのに、すっかり騙されちまってたよ。もう10年以上の付き合いだってのにな」


 軽い気持ちで言った俺の言葉に、


「あんたが言うの、それ?」


 あきれ顔でそう口を挟んできたのは瑞希だった。


「あん? どういう意味だ?」

「あんただって10年以上も私のこと騙してたんじゃない。そもそも従弟でもないっていうし」

「……うっ」


 そういえば、と、思い出す。


 なし崩しにこんな状況にまでなってしまったが、雪のケガや記憶のことに気を取られてしまって、瑞希に対してはここまでなんのフォローもできていなかった。


 傷ついた美矩が家に来て、史恩たちの襲撃があって、この見崎に逃げ込んで。


 悪魔、悪魔狩り、両親のこと、俺たちのこと。

 ここ数日で起きた激流のような出来事にもっとも翻弄されていたのはこいつだったかもしれない。


 ただ――


「まあ別にいいけどね。パパもママも共犯だったわけだし、悪魔とか言ったってあんたのマヌケ顔に鬼のツノが生えてくるわけでもないみたいだし」

「……誰がマヌケ顔だ」


 俺が瑞希のフォローをしなかったのは、別に後回しでいいと考えていたからではない。

 それを忘れるほどに、こいつがこれまでと変わらない態度を貫いてくれていたからだ。


 肉親が関係者だったからとはいえ、ずっと日常に生きてきた瑞希にとって、今回の出来事はそうたやすく消化できるものではなかっただろうに。


 ……もしもこいつが俺たちの正体を知って、いつかの木塚のような反応をしていたなら。


 きっと今ほどには心穏やかではいられなかったに違いない。


 それについては素直に感謝するしかなかった。

 口にこそ出さないが、雪もきっと同じ思いでいるだろう。


「それにしても悔しいわね。もっと前から知ってたら、雪ちゃんをこんなひどい目に遭わせたりしなかったのに」

「瑞希。お前、心臓にプレートアーマーでも着込んでんのか?」


 あの襲撃を体験してなお、真顔でそんな言葉を口にできるとは。

 いくらなんでも豪胆すぎる。


「当たり前でしょ、私が最年長なんだし。雪ちゃんも歩も本来なら私が守るべきだったんだから」


 事もなげにそう答える言葉の端々には、ほんのわずかに自尊心が見え隠れしていた。


 こいつが最初からこっちの世界の人間であったなら。

 本当に俺たちとはそういう関係であったかもしれない。


「ところで、雪お姉ちゃん……」


 と、そこで。


 少し遠慮がちに、歩が”毎日の確認事項”を切り出した。


「優希さんのことって、なにか思い出した?」

「……」


 その言葉に俺と瑞希は同時に箸の手を止め、雪の顔を見る。


 そんな俺たちの視線を受けて、雪は少し考えながら答えた。


「うーん? 恋人だったような気もするし、夫婦だったような気もする?」


 はぁ、と、俺と瑞希は同時にため息を吐く。


 雪の奇妙な記憶障害は、今日になっても特に改善されていないようだった。


 俺のことを忘れたわけではない。

 俺と親しい間柄であることも理解できている。

 なにかを忘れているという自覚もある。


 なのに、俺と自分が”兄妹である”という事実のみが認識できない。


 いったいこいつの身になにが起きたのだろうか。


 一般的に言うところの記憶喪失と別物であることは間違いない。

 ただ、俺が使用した”万象の追跡者(オールトレーサー)”の影響なのか、あるいは別の要因があるのかは不明のままだった。


 そして、そんな雪が現在の俺との関係をどのように消化しているのか。


 その答えは先ほどのセリフの中にある。


 つまり〇〇だから親しい、ではなく、これだけ親しいのだからきっと自分たちは〇〇だろう、という、通常とは逆の流れで理解しているのだ。


 そんな馬鹿なと思うが、今のところこいつの中で矛盾は起きていないらしい。


「そもそも恋人と夫婦ってのもぜんぜん別物だと思うけどな、実際……」

「そう? 同じだよ。私は私で、ユウちゃんはユウちゃんなんだから」

「……よくわからん」


 そんな雪に対して、俺たちがはっきりと事実を伝えられないことにも理由があって。


『原因がわかるまで当面は余計なことを言わないようにしよう。とりあえず話を合わせておけ』


 という、伯父さんの助言に従っているため。


『どうせもともと夫婦みたいなもんだし特に問題はなかろう。……とはいえ、兄妹に戻れなくなるような行為は慎めよ』


 ニヤッと笑った伯父さんの顔を思い出す。


「……あの野郎、絶対面白がってやがるだろ」

「どうしたの、ユウちゃん?」


 相変わらず不思議そうな顔をしている雪。

 俺はもう一度ため息をついて話題を変える。


「いや、それよりケガのほうはどうなんだ? 痛みは?」

「もうだいぶよくなったよ。ただ瑞希ちゃんがなかなか歩き回るのを許してくれなくて」

「当たり前でしょ。無理する必要のないときは無理しない。それで治りが遅くなったら意味がないんだから」


 と、瑞希がいかにも運動部らしいことを言う。


「そうそう。無理することもねーよ」


 そんな瑞希の言葉に賛同しながら。


 桐生との戦いで"泡影(あわかげ)"に何度も貫かれ、血まみれになっていた姿を思い出す。


 そしてふと、


「そういやさ。その包帯の……傷ってちゃんと治るもんなのか?」

「傷?」

「跡が残る……みたいな。いや」


 瑞希から向けられた非難の視線に気づき、言葉を止める。

 少しデリカシーに欠ける質問だったかもしれない。


 ただ、雪は特に気にした様子もなく、


「わからないけど、ユウちゃんのせいじゃないよ」


 俺の心情さえも見透かしたように、続けた。


「それにもし傷跡が残ったとしても、ユウちゃんはそんなことで私のこと嫌いになったりしないでしょ?」

「そりゃまあ……当たり前だけど」

「じゃあどっちでも平気。だって私はもうユウちゃんのお嫁さんだし」

「……ん? なんか言ってること微妙に変わってきてねーか、お前」

「そうだっけ?」


 そう言って雪は悪戯っぽく笑う。

 どこまでが本気でどこまでが冗談なのかわからなくなってきた。


 ただ――


(……そういやこういう冗談って、前からだっけ)


 もともと夫婦みたいなもんだろう、という伯父さんの言葉が脳裏によみがえる。


 その意見にはこれっぽっちも賛同できなかったが、実際のところ俺たちの関係というのは、兄妹という枠を取り外してもそんなに変わらないものなのかもしれない。


(そうだよな。今となっちゃ、別に妹だから守ってやりたいとかじゃねーし……)


 仮に妹じゃなくてもこいつはこいつだ。


 瑞希もたぶんそう。

 従姉という関係の枠がなくなっても、俺たちのことは大事に思ってくれている。


 そう割り切ってしまえば、この記憶障害もとりあえず大した問題ではないような気がしてきた。


 ……とはいえ。


「そうだ、ユウちゃん。ご飯終わったみたいだし体拭くの手伝ってもらっていい? 少し汗かいちゃって……」

「うぉぉぉぉっと、悪い! 午後の特訓、行ってくるわ!」


 ためらいもなく病衣をはだけようとした雪を高速で制し、俺は慌てて部屋を飛び出した。


「えっ、ユウちゃ――」


 呼び止める声を無視し、後ろ手にふすまを閉める。


(……いや、やっぱ少し問題だわ、これ)


 同じように思えても、やっぱ微妙に距離感がアレだ。

 やはり一刻も早く記憶を取り戻わなければならない。


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