1年目7月「神村沙夜」
長い。
とにかく長い。
(こんな長かったっけか、この階段)
この神社を訪れるのは初めてじゃない。
ただ、初詣のときなんかは周りに人がいるからこんなにも長くは感じなかったのだ。
半分ほど上がったところで一息つく。
太陽はまだ沈んでいないが、階段の表面に伸びる影はかなり長くなっていた。
額にはうっすらと汗が滲んでいる。
この暑さも階段を長く感じる一因だろう。
上を見た。
階段の入り口付近はわずかにカーブしているが、ここから先はほぼまっすぐだ。
その頂点には鳥居が見える。
神村さんはほぼ毎日この階段を上り下りしているわけだ。
(やっぱ階段上がるときも背筋伸ばして、あんな涼しい顔をしてんのかなあ……)
どうでもいいことを考えながら俺は再び階段を上がり始めた。
もちろん俺がここに来たのは、その神村さんに会うためである。
いきなり来て会えるだろうか。
ここの神社の娘だということは知っているが、どんな家庭なのかはまったく知らない。
神社ってことは父親は神主なのだろうか。
しかしこの神社で神主らしき人間の姿を見た記憶はなかった。
結局のところ、俺は神村さんのことをまだなにも知らないのである。
ふう、ふう、と息を吐きながら階段をひとつずつ上がっていく。
上を見ると気が滅入りそうだったので、階段に張り付いた自分の影を凝視しながら上がることにした。
一歩、一歩。
小休止してからだいぶ上がった気がする。
もうそろそろだろうか。
そう思って視線を上げると――
「うわっ!」
いきなり眼前に女の子の顔があって、俺は思いっきりのけぞってしまった。
「か……神村さん、か?」
「はい」
階段は残りあと2段。
その終着点に神村さんが立っていた。
学校の制服ではなく巫女さんのような服装。両手に竹箒を携えている。
俺にとっては見慣れない格好だったが、その表情は学校でもよく見た無表情だった。
「なにか用ですか?」
「え? ああ。いや」
会えるかどうかを心配していたところにいきなり本人が現れたものだから、俺は一瞬言葉が出なくなってしまった。
「あー……」
とにかくなにか言わなくては。
とはいえ相手はあの神村さんだし、下手なことを言うとそこで会話打ち切りになる可能性がある。
そこで俺が選択した言葉は――
「い、いい天気だな」
「そうですね」
「……」
「……」
会話終了。
「あー……」
どうにか言葉を続けようとして、俺は自分がまだ階段の途中であったことに気付く。
「とりあえず上りきっていいか?」
「どうぞ」
神村さんはぴくりとも表情を動かさずにうなずいた。
上りきって一息。
辺りを見回す。
なんの変哲もない境内だった。
正面には社殿らしき建物と賽銭箱があり、大きな鈴がぶら下がっているのが見える。そこに続く道の途中には手水舎があり、反対側には社務所と思しき建物。
周囲は深い森になっている。
ごくごく普通の神社だ。
昔来たときの記憶と比べてもほとんど変わっていなかったが、少しだけ狭く感じたのは俺の体が当時より大きくなったからだろうか。
一通り眺め終えてから、俺は階段のところに立ったままの神村さんを振り返って、
「水、飲めるとこないか?」
ずうずうしくもそう尋ねた。
「……」
神村さんは無言のまま背中を向ける。
怒ったのかと思ったが、向かった先が社務所であるところを見ると、おそらくはついてこいということなのだろう。
社務所に入った神村さんはコップに麦茶を汲んできてくれた。
一息に飲み干してようやく生き返った気がする。
「サンキュ。助かったよ」
コップを返すと、それを受け取った神村さんはもう一度言った。
「なにか用ですか?」
「用がなかったら来ちゃいけなかったか?」
「はい。不知火さんの場合は特に」
即答。
これは地味にヘコむ。
「……まあ用がないわけじゃないんだが」
今日来ると決めたのはただの思い付きだったが、話をしたいと思っていたのは事実だ。
「まず礼を言っておく。この前は神村さんのおかげで逃がさずに済んだからな」
「なんのことですか?」
「来てくれただろ。学校で」
そう言うと神村さんは淡々と答えた。
「それならお礼を言われる筋合いではありません。もともと私たちの仕事ですから」
「そうなのか? 俺はその、神村さんたちのことをよく知らないからな」
「……」
神村さんは黙ってこっちを見つめている。
無表情なのに思ったほど冷たい印象がないのは、もともと穏やかな顔の造りをしているからだろうか。
「ま、どっちにしてもあいつは俺の親友の命を狙っていたんだ。礼を言う筋はあるだろ」
「ありません。あの幻魔は雪さんのときと同様に、もともと私たちが拘束していた悪魔でした。脱走させてしまったのは私たちの責任です」
神村さんがかたくなにそう言うので、俺は少しムキになって言い返した。
「だからそんなこと関係ねーの。あいつを逃がしてたら直斗がまた危険な目に合っていたかもしれねーんだし。神村さんのおかげでそれを阻止できた。だから礼を言いたいんだ」
「必要ありません」
「いいだろ別に。礼ぐらい言わせてくれよ」
「嫌です」
思った以上に強情だった。
「あのな……別に意地を張るとこじゃないだろ」
「意地を張っているのは不知火さんのほうです」
「……」
「……」
にらみ合う。
いや、険しい表情をしているのは俺のほうだけで、神村さんは相変わらず人形のように無表情だ。
そうして30秒ほど。
らちが明かない。
結局、俺は諦めてため息をついた。
「……わかった。そこまで言うのなら仕方ない」
そう言って一呼吸。
俺は神村さんに対し、体を腰からほぼ正確に45度曲げて、
「神村さんのおかげで助かりました! ありがとーございましたッ!」
ヤケクソ気味に叫んだ。
周りに誰かいたら間違いなく注目を浴びていたところだったが、幸いここはひと気のない神社の境内である。
俺はバネのように体を元に戻すと、
「どうだ、言ってやったぞ! 拒否できるものならしてみやがれ!」
「……」
神村さんはびっくりしたような顔をしていた。
表情に大きな変化があったわけではないが、ほんの少しだけ目を見開いている。
そして、
「……変わった人ですね。不知火さんは」
ぽつりとそう言った。
どうやら意地の張り合いには勝利したらしい。
「お話はそれだけですか?」
「ん? ああ、いや」
むしろここに来た理由はこれからが本番だ。
「さっきも言ったけど、俺は神村さんたちのこと……要するに悪魔狩りのことをよく知らねーんだ。だからそれを教えてもらおうと思って」
「……」
いいとも悪いとも言わず、神村さんは黙って見つめてきた。
俺の発言をどう思ったのか、心のうちは読めない。
気にせず続けることにした。
「神村さんは、その悪魔狩りとかいう組織の一員なんだろ?」
「はい」
神村さんは間髪入れずに答えた。
どうやら質問は受け付けてくれるらしい。
俺はホッとしながら続けて尋ねた。
「楓は?」
「楓さんは関係者です」
微妙な言い回しだ。少なくとも正式な一員ではないらしい。
「神村さんはどうして悪魔狩りに? いつから?」
「答えられません」
そこで初めて拒否された。
なんでも答えてくれるというわけではなさそうだ。
俺は雪の事件を思い出しながら尋ねた。
「神村さんは俺や雪のことをどう思ってるんだ? 敵か? 味方か?」
「私たちの敵は人に危害を及ぼす悪魔だけです」
「じゃあ俺たちは神村さんの敵じゃないな」
「……」
神村さんはなにも言わなかった。
無条件に信用しているわけではないということだろう。あるいはこうして質問に答えていることも、楓からの口ぞえがあったのかもしれない。
「じゃあ楓のことを教えてくれ。楓のヤツも人間じゃないみたいだけど――」
「楓さんのことは勝手には答えられません」
「だったら神村さんがあいつのことをどう思っているかは?」
「……」
それまで即答していた神村さんが一瞬だけ言葉に詰まった。
やがて、
「楓さんは、私の味方です」
「……なるほど」
今までで一番人間味を感じる回答だと思った。
"私たちの"ではなく"私の"と言い換えたのは、意図的だったかそうじゃないかはともかくとしておそらく意味のあることだろう。
「悪魔狩りってのは全国どこにでもいるのか? 外国とかにも?」
「答えられません」
「俺みたいな悪魔が悪魔狩りをやってるってパターンは?」
「答えられません」
「普通の人間は悪魔とか悪魔狩りの存在を知らないよな? そういうことを隠しとおせるってことは、国とか警察とかそういうところにも繋がりがあったりするのか?」
「答えられません」
組織に関することはだいたい答えられないらしい。
俺は矛先を変えることにした。
「じゃあアレは? こないだ神村さんも使ってただろ。あの変な……空気が重くなる感じの」
「それは音と光や一定量の物理的・魔力的な力を遮断する結界です。一般への影響を極力抑えるために使用しています」
「結界、ね」
その回答はほぼ想像していたとおりだった。そういうものがなければ、一般人に気付かれずに任務を遂行することはほぼ不可能だろう。
さらに突っ込んで言えば、それがあったとしても完全に隠しとおすのは難しいはずで、それでも悪魔や悪魔狩りの存在が一般に隠されていることを考えれば、彼らは一般世界の権力者、つまりは国家の組織ともある程度協力関係にあるはずだと想像できる。
あるいは、悪魔狩りそのものが国の機関の一部という可能性もあるだろうか。
そう考えると、それにケンカを売ろうとしていたのは我ながら背筋が寒くなる話だ。
さて。
神村さんは次の質問を待っているのか、微動だにせずこちらを見つめている。
(……こんなところか?)
パッと思いつく疑問についてはだいたい聞き終わった。
悪魔狩りのことで聞きたいことは他にもいくつかあったが、組織に関して神村さんからこれ以上のことを聞くのは難しそうだ。
とりあえず、わかったことを推測も含めて簡単にまとめてみるとこんな感じか。
1.悪魔狩りは、基本的には人に危害を加える悪魔のみを退治する組織である。
2.ただし、それ以外の善良な悪魔の命を狙う連中も組織内には存在する。
3.神村さんはおそらく項目の2には該当しない。
4.楓は悪魔狩りの一員ではないが、神村さんとは協力(信頼)関係にある。
5.神村さんはツンデレだ。
「……意味がわかりません」
「心のつぶやきに突っ込むとは、神村さんもエスパーだったか」
「不知火さんが口に出しただけです」
神村さんは呆れたように小さく息を吐いて目を閉じた。
「……本当に変な人ですね、不知火さんは」
「そうか? 神村さんも充分変わってると思うぞ」
そう返しつつ空を見ると、太陽も半分沈みかけていた。
思ったよりも長居してしまったようだ。
「ま、いいや。でも助かったよ。楓のヤツはなにも話してくれないもんでさ」
「……」
神村さんはなにも言わない。
なにを考えているのか推測することも難しかった。
そのうちもっと打ち解けることができるのだろうか。
……自信はない。
「んじゃ、また明日学校で」
軽く手を上げて神村さんに背中を向ける。
「不知火さん」
「ん?」
呼びかけに振り返ると、神村さんは少しだけ迷ったような顔をした後、
「組織から逃げた悪魔は、あと3名います」
「え? ……ああ」
少し考えて神村さんの言わんとしていることがわかった。
雪の件、そして明日香の件。
そのどちらもが悪魔狩りから逃げだした悪魔が起こした事件らしいことは俺もわかっている。
かつそのどちらもが俺の周りに関わってきていた。
つまり、その残った3人もそうなる可能性があるという忠告なのだろう。
「わかった。サンキュ、神村さん」
「何度も言いますが、お礼を言われる筋合いではありません」
「実証しただろ? 言ったもん勝ちだって」
笑いながらそう返すと、神村さんはまた少し戸惑ったようだった。