3年目5月「兄と妹」
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御門の総本部から少し離れたところにポツンと建った小さな家屋。
そこは結界によって巧妙に隠された牢獄のひとつだった。
その日の朝早く。
空は雲に覆われ、かろうじて薄明かりに照らされ始めたぐらいの時刻。
「悪いがちょっと様子を見させてもらうぞ」
「これは光刃様」
そこを訪れた人物が光刃――竜夜であることに気づき、見張りの若い悪魔狩りはかしこまった。
ちいさくうなずき、竜夜はそのまま牢獄の中へ足を踏み入れる。
牢獄といってもひととおりの生活環境は整っていた。
そこの住人が望むなら必要なものはなんでも用意されるだろう。
入口の扉の先に、もう一枚の扉。
コン、コン。
「……誰だ?」
中から帰ってきたのは凛とした女性の声。
それはひどく厳しく、警戒感に満ちたものだった。
「美琴。俺だ」
「……」
一瞬の沈黙。
そこに続いたのはさらに険しさを増した声。
「私に殺されにきたのか、竜夜」
竜夜は苦笑して、
「今日は物騒な話はなしにしないか? わざわざお前とケンカをしにきたわけじゃないんだ」
「戯言を。その扉を開ければどうなるか保障はしない」
「そんなことをしてどうなる? お前ひとりなら逃げきれても、沙夜を連れては脱出できんぞ?」
「……」
扉の向こうの声は沈黙した。
代わりに別の女性の声が続く。
「竜夜さん。どうぞ入ってください」
「沙夜。起きていたか、早起きだな」
扉を開けると、そこにはそれなりの広さの空間があった。
畳にふすま、もともと彼女たちが生活していた場所とそう大差のない環境だ。
窓に特殊な造りの格子がはめられていて、建物の周囲に何人もの見張りがいることを除けば、だが。
「美琴」
部屋に足を踏み入れようとした竜夜はそこで動きを止め、やはり苦笑して正面の美琴を見つめる。
「気持ちはわかるがな。もっと冷静に話をしないか?」
そうして部屋中を見回した。
一見、なんの変哲もない部屋。
だが、そこにはほとんど視覚でとらえることのない特殊な糸が張り巡らされていた。
「難儀なもんだ。お前のその武器は取り上げることもできん」
ピンと張り巡らされた糸は持ち主の感情を表すかのように打ち震え、今にも竜夜を拘束せんとしているように見える。
「当時は俺も子供でよくわからなかったが、こんな恐ろしい技をわずか13歳のときに編み出した九条の姉さんはやっぱり本物の天才だったんだな」
「やめろ、竜夜。貴様の口から昔話を聞かされると反吐が出る」
「……取り付く島もないな」
だが、それでも美琴の糸が竜夜に襲い掛かることはなかった。
この御門が襲撃された際、彼女は竜夜と直接戦ってすでに敗れている。そのときのケガはまだ癒えていなかったし、冷静に考えてここで竜夜と戦うメリットはなにひとつない。
部屋中に張り巡らせた糸は、彼女の単なる意地でしかなかった。
「緑刃さん。この場は」
「……はい。光刃様」
沙夜の言葉をきっかけに、張り巡らされていた糸がようやく力を失う。
ふぅっと息を吐いて竜夜はようやく部屋の中へ足を踏み入れると、まるで友人の部屋に来たかのような気安さでドカッと腰を下ろして、
「実を言うとな。九条の姉さんは俺の初恋の人なんだ。お前が彼女に師事すると聞いたときは子供心にもうらやましいと思ったよ」
「……」
「ま、彼女はすでに結婚していたがな。4年前、彼女の旦那である空刃をこの手にかけたときは、さすがの俺も複雑な気持ちになったもんだ」
ギリッ、と、美琴が奥歯を鳴らす。
「貴様……いったいどれだけの人の気持ちを踏みにじれば気が済むのだ……!」
「勘違いしないでくれ、美琴。九条の姉さんは俺にとっても大切な人だし裏切りたくもなかった。けど、空刃は逆にどうしても許すことのできない男だった。別に恋敵だからってんじゃないぞ」
美琴が目を細める。
その隣で沙夜が少し視線をそらした。
「なんの話だ、竜夜。貴様、なんのためにここに――」
竜夜は手を出して美琴の言葉をさえぎる。
「まあ聞け、美琴。お前とも長い付き合いだ。少しぐらいは身の上話に付き合ってくれてもいいじゃないか」
「身の上話だと……?」
「竜夜さん」
そこへ沙夜が口をはさむ。
「貴方が私のもとから去ったのは、やはり父や紫喉様の行ってきた一連の事件と関係があるのですか?」
「まあ、簡潔にいえばそういうことになるな」
そう答えながら竜夜はチラッと沙夜を見て、
「そういや沙夜。お前、優希くんと仲たがいしたそうじゃないか」
「……」
沙夜は微動だにしなかった。
ただ、その瞳だけが感情を隠し切れずに揺らいでいた。
それを見抜いた竜夜は少しおかしそうに笑って、
「まあ心配するな。不知火の兄妹も、影刃の娘も、九条の姉さんも楓もうまく逃げ延びたらしい。いつかお前のことを助けに来るかもしれんな」
「……そうですか」
逃げ延びた、という言葉に、わずかな安堵が浮かぶ。
だが、竜夜の皮肉な笑みがそれをすぐに打ち消した。
「裏切った者。裏切られた者。傍観するしかなかった者、か」
「……!」
ハッとして、沙夜が竜夜を見る。
「笑えると思わないか、沙夜。そうやって殺しあった連中の肉親が、よりにもよってその元凶となった男の娘を助けに来ようってんだから」
「……」
「迎え撃つこっちだってそうさ。俺も、俺の仲間たちも結局、全員がお前の父親のせいで苦しんできたんだ」
「……なにを馬鹿な!」
反論したのは美琴だ。
「お前は神社で捨てられていたのを先代様に拾われた身ではないか! その恩を忘れたばかりか、自らの不義理の責任を押し付けようとは――」
「落ち着け、美琴」
竜夜はやれやれと首を振って、
「聡明なお前らしくもない。……お前はあれから一度も考えなかったのか? 俺がどうしてあんなにもたやすく"煌”を奪うことができたのか。その理由について」
「! それは……」
それは美琴はもちろん、沙夜も同じように抱えていた疑問である。
神刀"煌"を受け継ぐには資格が必要だ。
その資格とは、"煌”を持つ者と濃い血縁関係にあるか、あるいは"煌”を持つ者の強い意思によって特別の移譲を受けるかのどちらか。
後者の可能性がないことは、その持ち主であった沙夜がよくわかっている。
"煌"は譲ったのではなく、間違いなく奪われたのだ。
だとすれば。
「……竜夜さん。あなたはまさか」
その可能性には沙夜も美琴ももちろん思い至っていた。
だが、影刃と違い、それを裏付けるだけの情報を2人はまだ持っていなかったのだ。
結局、それについては竜夜自身の口から明かされることとなった。
「沙夜。お前は自分の名の由来を知っているか?」
「父の一夜と母の沙羅から一字ずつをいただきました」
「そうだろうな」
竜夜は笑いながら、
「俺も同じだ。”実の”父親から一字をもらっている」
「……」
そうかもしれない、と、心のどこかでそう思っていながらも。
それでも沙夜は驚きに目を見開いて、竜夜を見つめた。
続く言葉をためらう沙夜の代わりに、美琴が疑問を投げかける。
「待て、竜夜! だってお前が生まれたとき、沙羅様と先代様はまだ出会ってすら……!」
「当たり前だ、美琴」
竜夜は事もなげに答える。
直後。
周囲の空気が明らかにその質感を変えた。
「……まさか」
かすかに、だが確実に感じるそれは、沙夜も美琴もこれまでに何度も感じてきた力だ。
悪魔の――夜魔の力。
「俺の母は珊瑚。誰よりも美しい髪と、誰よりも意志の強い瞳と、誰よりも優しい心を持った夜魔の女性……っと、この辺はある人からの受け売りだがな」
その告白は、竜夜が沙夜の異母兄であるという事実以上に美琴を狼狽させた。
「馬鹿な……それが本当なら一夜様は……」
「お前たちが知らないのも無理はない。その出来事も、結末も、闇に葬られた。いまだにこの事実を知るのは、御門の中じゃ影刃のところの夫婦ぐらいだろう」
ほかの連中はほとんど片付けたからな――、と、竜夜は笑った。
「沙夜。俺とお前の父親は実に最低な男だったよ。愛した女のひとりも守れず、その事実すらも守れず、その無力感をごまかすように戦いを広げ、憎しみをまき散らした。お前が必死に守ろうとした御門も光刃も、しょせんはその程度のものさ」
「……」
沙夜はゆっくりと目を閉じ、うなだれる。
返す言葉も見つからず、またその気力もとうの昔に尽き果てているようだった。
「……守ろうとしていたわけじゃない! 沙夜は変えようとしていたじゃないか!」
代わりに美琴が食い下がる。
隣の沙夜を必死にかばおうとするかのように。
「お前だってそのことは知っていたはずだ! なのになぜ、お前は最後まで沙夜の味方でいてくれなかった! お前が沙夜の兄だというなら、なおのこと!」
「……」
はじめて、竜夜は返答しなかった。
視線がぶつかる。
口を開きかけ、思い直したように閉じる。
答えられなかったのか、答える必要がないと考えたのか。
「……竜夜さんは、私を信頼できなかったのですね」
口を開いたのは沙夜だった。
竜夜と美琴が同時に彼女を見る。
「貴方は……私の弱さを誰よりも理解していた。だから……」
「ああ、そうだ」
先ほどまでの軽薄な口調は完全に消え。
竜夜は冷たくきっぱりとそう言い切った。
「お前では力不足だ、沙夜。非情になり切れないお前には、これだけ長く続いた組織のしがらみを断ち切る力はない」
「……私は」
ぽとり、と。
透明なしずくが一滴、畳に落ちた。
「沙夜……」
それを見た美琴は、心臓をわしづかみにされたような感情を覚える。
――沙夜は泣いていた。
人目をはばかることもなく。
光刃という役目を引き継いで以来、一度も見せたことのない涙。
長く、長く我慢し続けてきたものが、完全に崩壊した瞬間だった。
「私は……それでも……それでも私に力を貸してくれた人に、期待してくれた人に、信じてくれた人に応えたくて……」
「沙夜……沙夜、落ち着くんだ」
美琴は力強く沙夜の肩を抱きしめた。
まるで手のひらから気力を分け与えようとするかのように。
竜夜は無言で、無表情にそんな2人を見つめていた。
「でも……やっぱりうまくできなかった。……私は、もう……っ!」
「沙夜!」
肩を震わせて泣き続ける沙夜には、もういつもの凛とした面影はみじんも残っていない。
まるで無力な幼い子供のようだった。
「お前は――」
竜夜が口を開く。
美琴がキッと彼をにらみつける。
だが、竜夜は動じた様子もなく続けた。
「お前はもっと普通の家庭に生まれるべきだった。それならお前の努力が報われる日もあっただろうに」
「……出て行け、竜夜。貴様の顔は二度と見たくない」
美琴は彼をにらみつけたまま、冷たくそう言った。
まるで決別を告げるかのように。
「出ていくさ。もともと最後の別れを言いに来ただけだ」
竜夜もまた、淡々とそう返し背を向ける。
そして、
「美琴。……沙夜」
ぽつり、と、つぶやくように言って。
「……いや、なんでもない」
竜夜はそのまま部屋を出ていった。
なにを言いかけたのか。
どんな心境だったのか。
結局その真意が明かされる日は、最後の最後まで訪れることはなかった。




