3年目5月「状況整理その2・竜夜のこと」
「俺と直斗がどういう状況にあるかは、女皇たちのことを思い出せば理解しやすいだろう」
腕を組んで壁に背中を預けた楓は、自分たちの"特異体質"についてそう説明した。
「直斗は今も俺やお前の言葉を聞いている。見てもいる。匂いを感じることも風を感じることもできる。俺と意思疎通もできる。ただ、体を実際に動かせるのは"表"に出ているほうだけだ」
ひとつの体にふたつの人格。
女皇たち、というよりは、今の亜矢-アイラとほぼ同じ状態にあるということだろう。
「……それって生まれつき、なのか?」
「少なくとも物心ついたときからは、な」
その楓の言葉に、直斗と初めて出会ったころのことを思い出す。
あのころ――小学校低学年のころの直斗は、なにもない空間をただじっと眺めているような子どもだった。
当時の俺からすれば根暗でよくわからないやつ。
俺以外のクラスメイトもそう思っていただろう。
だから友だちといえば由香ぐらいしかいなかったし、軽いイジメの対象にもなっていた。
しかしこういう事実を知ってから考えると、それはただボーっとしていたわけではなく。
自分の中にいる楓と会話していた、ということなのだろう。
俺は改めて楓の姿を見た。
当たり前だが、直斗と同じ顔、同じ体型。
髪の色だったり雰囲気だったり、メガネを外していたりということはあるが、間違いなく直斗そのものだ。
「そういや……こういう明るいところで話すのは初めてだったな」
こうして面と向かって見れば、直斗との関係にもすぐ気づけていたかもしれない。
逆に言えば、楓はそうならないように気をつけていたのだろう。
楓はノドを鳴らすように笑って、
「どうせ時間の問題なんだから、さっさとバラすように俺は言っていたんだがな。直斗のやつはそうしたくなかったらしい」
と言った。
その直斗の気持ちはよく理解できる。
きっと俺と同じように、日常と非日常をギリギリまで分けておきたかったのだ。
楓が話を続ける。
「ま、そういうわけでな。ハーフとして生まれてくるはずだった俺たちは、片方が人間、片方が悪魔とキレイに分裂しちまった。それが当時の上の連中にとっては色々と問題だったらしい」
上の連中というのは、もちろん御門の、ということだろう。
「そして俺たちは空刃の後継者とは認められず、組織からも弾き出された。ま、俺としちゃそっちのほうが都合がよかったんだがな」
「でもお前、ずっと御門に協力してきたんじゃないのか?」
質問すると、楓はフンと鼻を鳴らして、
「御門に協力したことなど一度もない。色々あって沙夜のやつに個人的に協力してきただけだ」
「ああ……そういうことか」
要するに立場的には俺とほとんど変わらないということだろう。
「ま、これ以上の細かい話は、気が向いたら直斗のやつが話すだろう。……さて」
楓は組んでいた腕を下ろし、壁から背中を離すと、
「俺はそろそろ“戻る”ぜ。面倒くさいやつが来たみたいだからな」
そう言ってふすまのほうを一瞥した。
釣られて視線を移動させると、ちょうど廊下のほうから足音が聞こえてくる。
このリズムはおそらく伯父さんだろう。
「……ということで、優希」
視線を戻すと、いつの間にか楓は“戻っていった”らしく。
そこには見慣れたメガネの少年がいた。
「改めて、よろしく」
そう言ってスッと手を差し出した直斗は、どこかバツの悪そうな顔をしている。
なんだかんだで、隠し事をしていたことへの罪悪感があるのだろうか。
少し背中がむずがゆくなって。
「……バーカ」
俺は、そんな直斗の手をパンと払ってやった。
「……優希?」
直斗が驚いた顔でこっちを見る。
「なんも改める必要なんてねぇよ。別に俺やお前の中身が変わったわけじゃないし。お前が俺をだますなんて日常茶飯事じゃねーか。いまさらいい子ぶってんじゃねーよ」
「……」
一瞬の沈黙。
直斗は手を引っ込めると少しだけ赤くなった自分の手の平を見つめ、そして表情をゆるめた。
「そうだね。……そうかも」
肩の荷が下りたような顔だった。
そこでスッとふすまが開く。
「……よぅ、お前ら。ちょうど話は終わったみたいだな」
入ってきたのは予想通り伯父さんだった。
出で立ちは午前中と変わっていないが、無精ひげが少し伸びている。
あまり口にしないが相当忙しいのだろう。
「さて、午前中の続きだな」
伯父さんは後ろ手にふすまを閉めると、その場にどかっと腰を落とし、直斗にも座るように促した。
「なにから話すべきか――」
「あ、ちょっと待ってくれ、伯父さん。その前にこっちから聞きたいことがある」
俺は伯父さんの言葉を制し、切り出した。
「唯依たちのことなんだ」
「ユイ? 香月唯依と女皇の娘たちのことか?」
「ああ。……実は伯父さんにも隠していたんだが」
それを思い出したのは、もちろん楓が女皇の話題を口にしてくれたおかげである。
ただ、俺の言葉を待たずに伯父さんは言った。
「女皇は彼女たちの中にまだ残っている。だからお前たちのように御烏や水守の連中に狙われないか心配、ってことか?」
「……気づいてたのか?」
驚いて聞くと、伯父さんはニヤリと笑って、
「当然、と言いたいところだが、その話は雪に聞いた。あいつも心配だったらしくてな。……結論を言えば、おそらく緊急性はないだろう。彼女らの中に残ったという女皇の存在に気づかれさえしなければ、だが」
「じゃあ……目立つようなことをするなって電話で忠告しといたほうがいいか?」
「いや、電話は盗聴の危険がある。それに彼らには昨日、信頼できる部下を送ってすでに忠告した」
さすが、というべきか。
普段はおちゃらけていても、やるべきことはやってくれる。
「とはいえ、彼らが女皇の子どもたちであることは御門の記録にハッキリと残っているからな。今はやつらもそこまで手を回す余裕がないだろうが、地盤が固まればいずれ排除しにかかるだろう。唯依くんたちに限らず、悪魔の匂いがする連中を根こそぎ、な」
「それまでには、どうにかしてあいつらを追い出さなきゃならない、ってことか」
「そうだ。……正直、こちらには戦力が足りない。お前や雪には少し無理をさせることになるかもしれん」
少しトーンを落とした伯父さんの言葉を、俺は鼻で笑い飛ばした。
「いまさら遠慮してどうすんだよ。なにもすんなって言われてもやるぜ、俺は」
「……悪い、優希。その代わり、こちらも話すべきことは包み隠さずすべて明かすことにしよう」
そしてひと呼吸。
伯父さんはゆっくり視線を動かし、俺と、隣に座る直斗を見た。
「じゃあ続きだ。まずは、竜夜について話をしておくか」
「ああ。俺もあいつの行動には色々と疑問があるんだ」
元神村さんの側近で、青刃と呼ばれていた男――竜夜。
美矩の話によれば、今回の一件はまたあいつが裏で糸を引いているらしい。
ただ――
竜夜の仲間である、晴夏先輩の顔が頭に浮かぶ。
「あいつは悪魔寄りの思想を持ってる人間だったはずだ。なのに今回、あいつはよりにもよって御烏とか水守とかいう、悪魔排除派を手引きして御門を襲撃した。……どう考えてもおかしくないか?」
「そうだな」
伯父さんは静かにうなずいて、
「その理由を考えるために、まずは竜夜の正体についてお前に話しておきたい」
「正体?」
「素性、というべきか。これは私の推測も混じっているが、おそらくほぼ間違いはない」
素性。
元御門の悪魔狩りで神村さんの護衛だったという以外に、なにかあるということだろうか。
チラッと横を見ると、直斗は黙って伯父さんを見つめている。
疑問を口にする素振りがないところからすると、直斗は先にこの話を聞いているのかもしれない。
そして伯父さんが口を開く。
「先に結論から言っておこう。……竜夜はおそらく、沙夜の実兄。つまり光刃の直系の血筋にあたる男だ」
「……」
どんな話であっても驚かないようにと身構えてはいたが。
さすがに少し意外な言葉だった。
「兄妹……ってことか? あいつと神村さんが?」
確かに裏切る前の竜夜と神村さんはそれなりに通じ合っているように見えたが、少なくとも神村さんがその事実を知っていたようには思えない。
それに、もし伯父さんの言葉が本当だとすれば、実の兄が妹を傷つけ、大事な神刀とやらを奪っていったということになる。
それは、俺の立場からすると考えられないことだった。
が、伯父さんはそのことについて確信を得ているようだ。
「竜夜が光刃の血筋であることはとっくにわかっていた。あいつが沙夜から奪った神刀"煌"は光刃の血族にしか宿らない性質だからな」
「だからって、親戚がまったくいないってわけじゃないだろ? 兄貴だっていう根拠は? そもそもそんなやつがいたのか? 神村さんからは聞いたことないぞ」
「沙夜も知らんことだ。その存在を知る人間は、もう片手で数えられるほどになってしまった」
一瞬遠い目をした伯父さんは、少し長い話になるが、と、前置いた。
「これは近年の御門において最大の禁忌とされた話だ。そして優希。お前が最近絡んだ事件の、すべての始まりともいえる。この出来事がなければ、今のこの状況も、暮れの戦いも、10数年前の女皇たちとの戦いもなかったかもしれん」
「……」
さすがに少し身構える。
が、もちろんその先を聞くことにためらいなどあるはずもなく。
「話してくれよ。長くたっていいぜ。どうせしばらく布団の上で退屈してんだからさ」
意図的に軽口を叩いた俺に、伯父さんは一瞬だけ表情を緩めて。
すぐに引き締める。
「兄、とは言ったがな。より正確に言うと、竜夜は沙夜の異母兄になる。父親は先代の光刃である一夜。母の名は珊瑚」
「珊瑚……?」
初めて聞く名、だろうか。
「珊瑚は、かつて女皇たちの一団がこちらの世界にやってきたとき、我々御門との交渉役を担った女性だった」
「交渉役? ……ってことは、その珊瑚って人は」
神妙な顔で伯父さんがうなずく。
「女皇たちの仲間、つまりは悪魔だ。キレイな赤い瞳の夜魔だった。……竜夜は、よりにもよって悪魔狩りの盟主たる光刃の血を引く、人間と悪魔のハーフだったのさ」
「……」
その話が御門の禁忌であるという理由が、その時点で俺にもあっさりと理解できていた。




