3年目5月「状況整理その1・直斗のこと」
「ほ、本当? 雪ちゃんも? みんな無事なの?」
「ああ。その事故のときはみんな留守にしてたんだって。ウチがそんなことになってたなんて俺もニュースではじめて知ったんだよ」
外は夕焼け色。
受話器の向こうの由香はどうやら学校から帰ってきたばかりのところらしかった。
「そうなんだ、よかったぁー……」
力が抜けたような声。
電話越しながら、由香の安堵の表情が見えるような気がした。
(……事故、か)
俺の家は世間的にはガス漏れが原因の火事ということになっているらしい。
とはいえ、あの戦いの跡はどう見ても火事って状態じゃなかったから、誰かが情報操作をしたということになる。
やったのはもちろん、神村さんたちを襲撃した御烏だとか水守だとかいう悪魔狩りの連中だろう。
「ま、そういうことでな。色々片付くまで俺も雪もしばらく学校休むことになるから」
受話器に向かってそう言うと、由香は、うん、うん、と2度返事をして、
「伯父さんのところにいるんだよね? 大変だろうけど、なんかあったら連絡してね。後ろでお母さんもうなずいてるから」
「おぅ。梓おばさんによろしく言っといてくれ。じゃあな」
"おばさん"の一言が聞こえたのか、遠くから梓さんの抗議の声が上がったようだが、俺はもちろん無視して素早く受話器を置いた。
そして大きく息を吐く。
「……怪しまれないようにウソをつくってのは疲れるもんだな」
俺がここで目を覚ましてから半日ほどが経過しており、今は16時を少し過ぎたところ。
体はもちろんまだ布団の上にあった。
そして、そんな俺のすぐそばにはひとつの影。
「ご苦労様。由香の様子、どうだった?」
「……」
すぐには返事をせず、俺はその声の主をじろりとにらんでやった。
「気になるなら自分でかけりゃよかっただろ。平気な顔でウソをつくのはお前の得意技じゃねーか」
「あはは。その様子だと相当怒ってるみたいだね」
メガネの奥の目が少しだけ困ったような表情を作った。
「たりめーだ。いきなり前触れもなく出てきやがって」
その人物とは、もちろん直斗である。
ここは伯父さんが指揮する悪魔狩り御門の支部(見崎というらしい)が所有する建物であり、もちろん無関係の人間が自由に出入りできる場所じゃない。
にもかかわらず、なぜこいつがここに顔を出せたのか?
答えはひとつだ。
こいつも関係者だから、だろう。
「なにから話すべきかな? やっぱり僕のことから?」
直斗の語り口はいつもどおり落ち着いていた。
もともとそういう性格だとはいえ、さすがに昨日今日事情を知った人間の態度じゃない。
つまり、もともと"こっち側"の人間だった、という可能性が高いだろう。
俺は当然のように問いかけた。
「お前、いつから知ってたんだ?」
「知ってた、ってのはキミの正体のこと? それともこっちの事情のこと?」
「両方聞いとく」
憮然としてそう返したものの、実際にはそれほど怒っていたわけではない。
というのも、完全に寝耳に水のできごとだった、というわけではないからだ。
いつだったか、御門から逃げ出した悪魔が直斗の命を狙うという事件があったし、あまり接点がなかったはずの神村さんとよく一緒にいたというのも不自然なことであり。
気づいていた、とまで言うと嘘だが、心のどこかではすでにそういう状況を想定していたような気がする。
直斗が答えた。
「キミや雪が悪魔だと知ったのは割と最近のことだよ。それこそキミらが御門と関わるようになったころ。雪が御門の悪魔狩りに狙われた事件のときだ」
「ってことは、お前も御門の悪魔狩りなのか?」
「ちょっと違う」
直斗はもう隠し事をするつもりはないようで、俺の質問にもスラスラと答えを返してきた。
「その辺のことを説明するには、僕自身より楓のことを話したほうが早いかな、たぶん」
「……楓? お前、確か楓のことは覚えてないって……」
言いかけてやめた。
こいつが御門の関係者だったなら、楓のことを知らないわけがない。
「ごめん、ウソついた。知らないわけがないんだ。だって楓は、僕の"弟"なんだから」
「……はぁ?」
一瞬ふざけているのかと思った。
が、少し待っても直斗の口から『冗談だよ』のひとことが出てくることはなく。
「弟? 楓がお前の弟?」
「そう。彼のフルネームは神薙楓。父親は聡、母親は桜。両親も生まれた日も生まれた時間もまったく同じ、僕の双子の弟だよ」
そう言うと、直斗はゆっくりとその場に立ち上がった。
その姿を視線で追いながら、俺は自問する。
(……直斗の双子の弟だって? そんなバカな)
にわかには信じられなかった。
俺は小学校低学年のころから直斗の家に遊びに行っているが、そこで楓の姿を見たことは一度もない。
幼いころの楓に何度か会ったのはいつも近くの公園でのことだったし、直斗の家には靴も着るものも部屋も、直斗以外の子どもがいる様子なんてこれっぽっちもなかった。
とすると、どこか別のところで暮らしていたということだろうか。
いったいなぜ?
……いや、それよりも。
「待てよ、直斗。楓のやつは悪魔だぞ? それも飛びっきり強力な」
「うん。闇の力をあやつる妖魔族。悪魔としても最強の一角に数えられる種族らしいね」
「じゃあ……お前も悪魔なのか?」
さすがにそれは信じがたい。
が、ここまで来るとそう考えるしかないのだろうか。
ただ、そんな俺の疑問に直斗は首を横に振った。
「僕は正真正銘ただの人間だよ。……いや、正真正銘とまではいえないかな。でも、少なくともキミや雪のように悪魔の力を使えたりはしない」
「それじゃ、つじつまが合わないだろ」
俺はさらに疑問をぶつけた。
人と悪魔の混血なら、兄弟で力の有り無しが分かれるケースはあるだろう。
ただ、楓の力の大きさを考えるとそれなりに濃い悪魔の血を持っていることは間違いないし、だとすると直斗がまったく力を使えないというのも考えにくいことだ。
「それを今から説明するよ」
直斗は含みを持たせた笑みでそう言うと、後ろに下がって襖を少しだけ開けた。
夕日が射し込んできて逆光になる。
まぶしい。
「そもそも神薙の家は、御門に代々協力してきた一族なんだ。"空刃"って聞いたことあるかい?」
「空刃? ああ、光刃の側近だか右腕だかだっけ?」
かなりのうろ覚えだったが、直斗は小さくうなずいて、
「そう。神薙の家は空刃の一族なんだ。そしてどういう仕組みかは知らないけど、神薙の家系はどれだけ人間と交わっても生まれてくる子どもは必ず人間と妖魔のハーフになる。その手法は門外不出の御門のトップシークレットらしい」
「……」
俺は逆光に目を細めながら直斗の話を聞いていた。
(空刃の一族……御門のトップシークレット、ね……)
こいつがこんな話をしているという違和感。それがいまだに拭いきれていなかった。
なんとも現実味がないというか。
(ま、由香のやつが実は――、ってのよりは、まだリアリティがあるけどさ……)
頭の片隅でそんなことを考えながら、思いついた質問をぶつける。
「桜さんは? お前のこととか悪魔狩りのこととか知ってるのか?」
直斗は笑って、
「知らないわけないよ。もちろん全部知った上で父さんと結婚したんだ」
「……だろうな」
我ながらマヌケな質問だった。
「そもそも母さんもそれ以前からの関係者だからね。キミは緑刃さんのこと知ってるよね?」
「ああ。神村さんの護衛してる女の人な」
そういえば神村さんと緑刃さんは無事だろうか。
まだまだ確認しなければならないことが山ほどある。
「緑刃が役職名なのも知ってる? あの人の本名は神楽美琴さんっていうんだけど、母さんは美琴さんの前の前にその緑刃をやっていたんだ」
「……は?」
色々と考えることが多いせいか、うまく聞き取れなかった気がする。
「なに? 桜さんが、なんだって?」
俺の脳裏に浮かんだのは、いつも眠そうにしながら、まるで彼女の周りだけ時間の経過が遅くなってしまっているのではと疑いたくなるような、直斗の母親の姿。
それこそ、あの凛々しい緑刃さん――美琴さんとはまったく正反対の雰囲気を持った人だ。
「信じられない気持ちもわかるけどさ」
直斗は苦笑しながら答えた。
「母さんは先々代の緑刃を務めていたんだ。そこで父さんと結ばれて僕や楓が生まれた」
「……聞き間違いじゃなかったか」
とはいえ、ここまできて直斗の言葉の真偽を疑う意味もないだろう。
事実は小説よりも奇なり、というやつか。
「僕も現役時代は知らないけど、キミの伯父さん――雅司さんはよく知ってるはずだよ。……で、そういう家柄だから、僕も楓ももちろん悪魔狩りになる……はずだった」
「けど、ならなかったんだな。どうしてだ?」
俺の知らないところで悪魔退治をしていた、ということではないらしい。
「それは、僕と楓が特殊な体質を持って生まれてきたせいなんだ。……これは実際に見てもらうのが早いね。ちょうど準備も整ったみたいだし」
「準備?」
俺の問いかけに直斗はなにも答えず、その表情が急に真剣な色を帯びた。
そしてゆっくりと目を閉じる。
――直後。
「!」
ズン、と、急に空気の密度が濃くなった。
(これは……魔力……! 直斗の力か……!?)
さらに、重く。
(この、力……!)
ドクン、ドクン、と、心臓の鼓動が自然と速くなる。
俺の警戒心を、闘争本能を刺激する強大な魔力が直斗の全身からあふれ始めていた。
と同時に、その外見も変貌していく。
俺や雪が悪魔の姿になるときと同じく、髪の色が妖魔族の特徴である金色に変化し、自らの魔力によって微かに揺れる。
耳が大きくとがり、異形の姿へと。
そして、数秒。
「ふぅ……」
完全に悪魔へと変貌した直斗は小さく息を吐き、縁なしのメガネを外した。
人間だったときの穏やかな眼差しはその面影を完全に隠し、それとは真逆の突き刺すような鋭い瞳が俺を見据えている。
「直斗、お前……」
雪も姿を変えることでだいぶ雰囲気が変わるが、こいつのそれは雪以上かもしれない。
言うなれば、“まったくの別人”だ。
驚く俺を見つめながら。
直斗は再び口を開いた。
「突然変異種ってのはもちろん知ってるだろ? 通常とは違う特性を持って生まれてくる悪魔のことだ」
「あ、ああ……」
口調もだいぶ変わっている。
……いや。
(この声、しゃべり方……)
そこで俺は、ひとつの符合に気づいた。
「俺たちはその中でもかなりレアなケースでな。一応、悪魔と人間のハーフにはこういうことが起こりうるという記録は残っているものの、真偽を確認するのが困難なほど古い文献にかろうじてある程度だそうだ」
「……お前」
雰囲気が変わったとかじゃない。
これは完全に別人だ。
そして俺は、この語り口調の人物を知っていた。
「もともとふたつだったものがひとつの体に収まったのか、ひとつだった心がふたつに分かれたのか。詳しいことは俺たち自身にもわからんが、な」
俺はその名を呼ぶ。
「お前、楓、なのか?」
そんな俺の問いかけに、直斗――いや、楓は口もとに薄い笑みを浮かべたのだった。