3年目5月「白い炎」
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太陽はその身の半分ほどをすでに山間に沈めており、街灯には煌々と明かりが灯っていた。
「遅かったか」
その少年が不知火家を訪れたのは、史恩と桐生による襲撃から約30分が経ったころである。
派手な金髪。
強大な闇の魔力。
少年が不知火家の門に向かって手を伸ばすと、敷地を包んでいた結界はあっさりと破壊される。
カムフラージュされていた外観の幻影が消え、その中から変わり果てた家屋が姿を現した。
窓という窓は吹き飛び、壁の一部には大きな亀裂。
玄関のドアも一部が破壊され半開きの状態だ。
そしてなによりも異様だったのは、この季節にもかかわらず家のところどころにツララがぶら下がっていたことである。
「雪の力か? 派手にやったもんだ」
「楓さん、優希さんたちは……」
少年――楓に後ろから声をかけたのは美矩だった。
家の中はシンと静まり返っている。
桐生たちとの戦いがすでに終わっていることは明らかだ。
楓は美矩になにも答えず、庭のほうへと回った。
(……まさか御門を占領して、真っ先に優希たちを狙ってくるとはな)
ようやく雨足が遠のいた庭もまたひどい有様だ。
花壇にたくさん咲いていたスイートピーの花は跡形もなく消し飛んでおり、土にはクレーターのようにえぐりとられた跡がいくつも残っている。
庭とリビングをつなぐ大きなガラス戸も当然破壊されていて、楓はそこから屋内へと足を踏み入れていった。
家の中も想像どおりの惨状。壊れていないものはひとつもないんじゃないかという状況の中、楓は電話台のそばにふたつの黒い塊を発見した。
「優希――」
「優希さん!」
楓の横を駆け抜けて、美矩がふたつの人影に駆け寄っていく。
そこにいたのは、紛れもなく優希と雪だった。
優希は壊れた電話台を背もたれにするように座り込み――いや、結果的に座った格好になっているだけで、まるで死人のように目を閉じ、力なくうなだれている。
意識がないのはひと目でわかった。
後頭部から流れたらしい血が首筋にこびりついて固まっており、わき腹辺りの服は大きく裂け、そこからのぞく肌が赤黒く腫れ上がっている。
そしてその足もと。
そこに重なるように、雪がうつ伏せに倒れていた。
こっちの姿は優希以上に痛々しい。全身の服が自分のものであろう血で真っ赤に染まり、両手には何かで刺し貫かれたような跡がはっきりと残っている。
ただ――
「まだ生きているな。かろうじて撃退したってとこか」
「え……?」
体に触れもせずにそうつぶやいた楓に、美矩がその理由を尋ねるように視線を向ける。
楓は答えた。
「御烏や水守の連中が勝ったのなら、死体をここに置いていくはずがない。……といっても、見たところかなりのダメージだ。放っとけばそのうち本当にくたばっちまうかもしれんな」
「……すぐに治療できる場所へ運ばせます」
そう言い残し、美矩が走って外に出て行く。
家の前には2台の車が停まっており、その中には救援に駆けつけた御門の悪魔狩り数名のほか、美矩とともにここを脱出した瑞希と歩も乗っていた。
「……あの2人は車に残して正解だったか。生きてるとはいえ、このありさまじゃぁな」
そうつぶやきながら、楓は改めて家の中を見回した。
パッと見たところ、襲撃犯である御烏や水守の悪魔狩りの姿もない。
どうやら全員キレイに撤退していったようだ。
(苦戦しながらも追い払ったところで力尽き、意識を失ったってわけか)
そんな風に戦いの流れを推測しつつぐるっと視線を一周させた楓は、そこに奇妙なものを発見した。
「……なんだ?」
優希が倒れている電話台のすぐ後ろ、その陰になっているところ。
そこになにか白いものが揺らめいていたのだ。
「炎……? いや、だが――」
ゆらゆらと揺れていたのはマッチの先ほどの小さな白い炎だった。
もちろん自然の炎ではない。
優希の魔力が作り出したものだろう。
「……」
かがみこみ、楓はその不思議な炎に向けて指を伸ばした。
すると、
「っ……!」
指先に鋭い痛みが走る。
「……なんだと」
強い闇の魔力に覆われた楓の体。
残り火のような小さな炎が、その体にダメージを与えたのだ。
いや、驚いたのはそれだけではない。
「凍ってる、のか……?」
炎が楓の指先に残したのは火傷ではなく、凍傷だった。
「……おい。どんなイカサマを使いやがった」
楓は優希に向かってそう問いかけたが、もちろん返事はなく。
再び視線を向けたとき、白い炎はすでに消えてしまっていた。
「……」
眉をひそめて立ち上がる楓。
その背後からせわしない複数の足音が聞こえてくる。
「……まあいい。なんにせよ、この町とはしばらくお別れってことになりそうだな。……いよいよ、か」
家に上がりこんできた御門の悪魔狩りたちと入れ違うように、楓はその家に背中を向けた。
――その後、優希たちを乗せた2台の車はひっそりと立ち去り。
近所の住人が不知火家の変わり果てた姿に気づき、パトカーや消防車などが周囲に集まり出したのはそれから約30分後、ようやく長い雨が上がって雲間に星が見え始めたころだった。
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その翌々日の月曜日、風見学園高等部3年の各教室は異様な雰囲気に包まれていた。
「……おい、聞いたか? 一昨日、1組の」
「ああ。なんかガス爆発があったとかだっけ? あんまよく知らねーけど」
直接関係があった者、ほとんど関係がなかった者。
それぞれが一昨日の夕方に近所で起きた事故の話題を口にしていた。
そこの住人が、同じ学校のそこそこ名前の知られている生徒の自宅であったことはすでに誰もが知るところとなっていて。
「ちょっとちょっと! 由香ぁッ!」
登校してくるなり1組の教室に血相を変えて飛び込んできた藍原は、まっすぐに窓から2列目の先頭にある水月由香の席へと駆けつけていた。
「やっぱホントなの!? アレ、マジで不知火んち!?」
そう言ってバンと机の上に両手を置く。
「うん……」
由香は小さくうなずき、正面に立つ藍原を見上げた。
その表情は暗く、見るからに不安そうだった。
「私、昨日実際に見に行ったから……警察が来ててすぐ近くまではいけなかったけど、遠くからでもわかるぐらいメチャクチャになってて……」
「それで! 不知火たちはどーしたの!?」
「そ、それがわかんなくて」
そう言って由香は視線を落とした。
「ただ、その、お母さんとかが聞いてきた話だと、家の中からは誰も見つかってないみたい。だから、あの、爆発に巻き込まれたとか、そういうことは、たぶん……」
「そ、そっかぁ……土曜だし出かけてたんだね、きっと」
藍原はホッと肩の力を抜く。
「……あれ? でもそーすると不知火たちはどこに? 今日来てないんでしょ?」
「それが……どこにもいなくて。それで、もしかしたら事故じゃなくて事件で、誘拐されたんじゃないかって言ってる人も……」
「誘拐? 全員まとめて? ……まさかぁ、ただのウワサでしょ?」
藍原はバカバカしいといわんばかりに両手を広げたが、由香は泣きそうな顔をして、
「で、でも無事だったら連絡くらいあってもいいでしょ? 今日学校休むなんて言ってなかったし、急な用事があったんだとしても、そのタイミングで家が偶然あんなことになっちゃうなんておかしいし……もう、私どうしたらいいか……」
「ちょっ、ちょっと由香。そんな落ち込まないでってば! きっと大丈夫だから!」
由香の疑問に対する回答は持ち合わせていなかったものの、藍原は努めて明るい声を出した。
「あの不知火がさ! そんな簡単にどーにかなるわけないじゃん! ……あ、ほら、だったら神薙は? あいつだったらなんか聞いてたりするんじゃないの?」
「それが――」
由香はそう言いながら、ゆっくりとななめ後ろを振り返る。
「直斗くんとも、今朝から連絡取れなくて」
「……へ?」
由香の視線の先。
教室の真ん中あたりにある直斗の座席は、ホームルームのチャイムが鳴る直前になっても、確かにまだ空席のままであった。