1年目7月「片思い」
「直斗せんぱーい!」
数日後。
あの事件が解決した日を境に明日香の態度は元に戻っていた。
そうして今日もまた弁当を作ってきた彼女は、俺たちのクラスの中でいつの間にか"直斗の彼女"という地位を確立しつつある。
直斗は苦笑しながらその話を否定するものの、それほど強く反論することはない。
少なくとも嫌がってはいないようだ。
もしかしたら本当に脈があるのかもしれない。
俺は自分の席からそんな明日香と直斗の姿を眺めながら玉子焼きを口に運んでいた。
最近は同席することも少なくなり、ここまできたら本当に応援し続けてやろうかなんて、らしくないことまで考え始めていたりもする。
そして放課後。
「ねえ優希くん。明日香ちゃんってもしかして優希くんじゃなくて直斗くんのことが好きなのかな?」
なんて、今さらとぼけたことを言い出した由香には色々と突っ込んでやりたいところだったが、そこはあえて知らなかったふりをしておくことにした。
学校からの帰り道。
先ほどまでは直斗も一緒だったのだが、用事があるとかで途中で別れ、そこから先は珍しく由香とふたりきりの帰り道となっていた。
「優希くん、どう思う?」
「どう、ってのはどういう意味だ?」
「うまくいくかなって」
「どうだかな」
わかるはずがない。
ただ俺が知る限りは直斗に付き合ってる彼女はいないし可能性はゼロではないと思う。
「そうだよね……わからないよね」
ふと気付くと、由香はなんだか考え込むような表情をしていた。
「あ? どうした?」
「あ、ううん。ただ、ふと思ったの」
由香は小さく頭を振って、
「恋人同士になる人って最初から決まっていればいいのになって。自分が好きになる相手は絶対に自分のことも好きになるの。その人しか好きにならないの」
「は? なんだそりゃ?」
由香もおかしなことを言っている自覚があったのか、ちょっと照れくさそうに笑って、
「そうしたらたとえば片思いなんてことはなくなるし、友だち同士で同じ人を好きになったりすることもないでしょ?」
「そりゃそうだが、逆に恋愛の醍醐味みたいなものがなくなるんじゃねーの? お前が読み漁ってる恋愛マンガもこの世から消えちまうぞ、きっと」
「さ、最近はそんなに読んでないよぅ……」
「もう止めたのか。お前の部屋の本棚にそんな本が大量にあるって聞いてたが」
別に恥ずかしがることでもないと思うのだが、どうやら隠しておきたいようなのでそれ以上は突っ込まないことにした。
「で、でも優希くんには関係ないんだよね、きっと。片思いなんてしたことないでしょ?」
「失敬な。俺だって片思いぐらいあるぞ」
こいつは俺のことを感情のないカカシかなにかだと思っているのだろうか。
「ホント? どんな人か聞いてもいい?」
「幼稚園のときの先生」
「……あ」
苦笑されてしまった。
「なんだよ。お前、俺の初恋をバカにする気か?」
「あ、ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど……」
消え入りそうな声でうつむく由香。
俺はすぐに言った。
「冗談だって。怒ってねーよ。つか、そういうお前はどうなのよ? なんだか辛い経験がたくさんあるみたいな言い方だったけどよ」
「うん……たくさんじゃないけど、やっぱりあるよ」
由香はあっさりと告白した。
「ふーん。それってやっぱ片思いか? それとも友だちと同じ人をってやつか?」
「……両方、かな?」
「両方? ……へえ、ぜんぜん知らんかった」
ちょっとだけ驚いた。
直斗にしろこいつにしろ、そういうこととは無縁なのかと思っていたからだ。
が、考えてみれば俺たちはもう高校生である。
恋のひとつやふたつ、知らないほうがむしろおかしいというべきだろう。
「優希くん、そういうことに鈍感そうだもん」
「なんだよ。俺だけ子どもみたいに言いやがって」
とはいえ、実際に気づいていなかったのだからそれ以上は言い返せない。
(しっかし、こいつが片思いねえ……)
確かに性格的にはいかにもずっと言い出せなくて想い続けてそうなタイプである。
「で、どうなったんだ?」
「え?」
由香が不思議そうにこっちを見る。
「だから、ほら。振られたとかうまくいったとか、その友だちのほうに取られちまったとか」
とはいえ、こうして俺や直斗と一緒にいるぐらいだから、実はもう付き合っている彼氏がいるんですとか、そういう可能性はまずない。
「まだわかんない……かな」
「現在進行形なのか?」
「うん」
「ふーん」
表向きはそんなに興味なさそうにふるまいつつ、俺は頭の中でクラスメイトの男どもの顔を思い浮かべていた。
とはいえ、由香は男子とあまり接点がないし、俺が知る限りじゃ仲がいい男子なんて俺と直斗、あとはせいぜい将太ぐらいのもの。
色々考えてみたが、それらしき相手は思い当たらなかった。
「で、お前の友だちとはどっちが優勢なんだ?」
そう聞きながら、今度は由香と仲がいい女子を頭に思い浮かべてみる。
これは候補がかなり多い。
ただ、その中でも特に仲がいいといえば藍原のヤツか。
あるいは――
(……雪? まさかな)
確かに由香にとってあいつは未だに一番の親友であるといえなくもない。
けど――いや。
俺は考えるのをやめた。
妹の恋愛事情なんぞ、考えてもなんの得にもならない。
少し考え込んでいた由香が言った。
「……たぶん私のほうが有利かな? ちょっとだけ」
「あ、お前のほうが優勢なの?」
意外だった。こいつのことだから、また自分を過小評価して相手が有利とかなんとか言い出しそうな気がしていたのだ。
となると、ライバルは容姿的にあまり恵まれていないとか、なにか致命的な欠点があるのかもしれない。
「……あはは。優希くんとこんな話するのってなんだか変だね」
「そうか? 高校生ならそんな話をしたってなにもおかしくないと思うけどな」
「うん。そうなんだけど……でも優希くんとするのは、やっぱり変な感じがするかな」
由香は妙に照れくさそうだ。
そんなにも俺は恋愛に縁がなさそうな人間に見えるのだろうか。
(……まあ、実際ないわけだが)
空しい。
由香のヤツもなんだか変な雰囲気だし、この話題はそろそろやめるとしようか。
(……あ、そうだ)
俺はふと思い立って足を止めた。
「由香。俺、寄り道していくわ」
「え? どこに?」
「ちょっとな。ってことであっち行くわ」
「あ、うん」
由香は特に追及してくることもなかった。
「じゃあ、また明日ね」
「おう」
由香の後ろ姿を見送ると、俺は普段の帰り道を外れて歩き出した。
足を向けたのは北西の方角。
この町唯一の神社がある方向だった。
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神社は町から見るとかなり高い位置にある。
そこへたどり着くための階段は200段以上の長さがあり、初詣などのイベントがない限りその階段を登ろうとする酔狂な人間はおそらくほとんどいないだろう。
普段からひと気がないことも納得の立地であった。
「珍しいな。誰か来たようだぞ、沙夜」
その境内にいた楓は、長い階段を上がってくる人間の気配を即座に感じ取り、沙夜に対して酔狂な来訪者の存在を告げた。
その言葉の先にいた沙夜はいつものように竹箒を携え、いつものように無感情な視線を無言のままに楓へと向ける。
「誰が来たのかは知らんが顔を見られるのは都合がよくないな。俺はそろそろ退散するとしよう」
「……」
沙夜はなにも言わずにじっと楓の顔を見つめていた。
それに気付いた楓が問いかける。
「なんだ? なにか言いたそうだな」
「先日のことです」
「先日? いつのことだ? お前にしては曖昧な物言いじゃないか」
おそらくはわかっていて聞き返した楓に対し、沙夜は間髪いれずに答えた。
「今井明日香さんの一件です。どうしてあそこまで幻魔を放置したのですか? 楓さんはあの幻魔が誰と接触していたか気付いていたはずです」
「それは違うな、沙夜」
楓は笑って、
「はずじゃない。気付いていたさ。妹を監視していて、兄の周りをうろちょろしている小ネズミの存在に気付かないわけがないだろう?」
「では、なぜ?」
「優希のヤツを試したんだ。今後使えるかどうかをな」
「……」
「賛同できない、って顔だな?」
そんな楓の言葉に、沙夜は視線を横に流した。
「不知火さんのことは楓さんほどには知りません。下級炎魔だという話もあれば、上級炎魔に匹敵する力を見せたとの話も聞きます」
「そうだな。俺も本当のところまでは知らん。だからお前が知らないのは当然だ」
「……」
無言を返した沙夜に、楓はチラッと神社の奥に視線をやった。
「俺が優希のヤツと結託してなにか企むかもしれんしな。ついでに上級氷魔の雪もいれば、これはもう悪魔狩りにとって無視できない戦力だ」
「そう考える人が少なくはないです」
「まあ、わかってるさ。せいぜい企みがバレないように注意しよう」
はぐらかすようにそう答えた楓は、階段のほうには向かわずに神社を囲む森林の中へと消えていった。
「……」
沙夜は無言のままその背中を見送ると、視線を階段のほうへ向けた。
そこを上がってくる者の気配が、すでに彼女にも感じ取れていたのである。