3年目5月「侵略者」
「――美矩!?」
庭に倒れていた悪魔狩りの正体は美矩だった。
少し時代がかった装束には血のようなものがにじんでいる。
それが戦いの痕跡であることに疑いはない。
「歩ちゃん! タオルケットと毛布をお願い! 瑞希ちゃんは救急箱!」
雪が即座に指示を出し、瑞希と歩もすぐに動く。
そして俺は、さらに早く庭に飛び出していた。
「おい、美矩! なにがあった!?」
「待って、ユウちゃん! 動かさないで!」
美矩を抱き起こそうとした俺を、遅れて庭に出てきた雪が制止する。
雪は美矩のそばにかがみこむと、そっと肩に手を当てた。
「美矩ちゃん。聞こえる? ……美矩ちゃん?」
「っ、ぁ……」
雪の呼びかけに美矩の目がうっすらと開いた。
眼球が小さく動き、俺と雪の顔をどうやら認識したようだ。
「あ、優希、さん……私……」
「……うん。とりあえず意識はあるみたい。ユウちゃん、優しく運んであげて」
「おぅ」
どうやら雪のほうが冷静だ。
俺はその言葉に従うことにして、美矩の体をそっと抱き上げた。
雨でびしょぬれになった装束の向こうにはしっかりとした温もりと鼓動。
間違いなく生者の感触だ。
見たところそこまで大きな外傷もない。
家の中に運び込むと、歩が毛布とタオルケットを両手に抱えて心配そうな顔をしていた。
「歩ちゃん、タオルケットそこに敷いて。うん、その上に寝かせてあげてね。……あ、瑞希ちゃん。救急車はちょっと待って。たぶん大丈夫だから」
と、救急箱を片手に受話器を取ろうとしていた瑞希を制止する。
意識はあるようだし、美矩の素性を考えるとひとまず正しい判断だろう。
その間に俺は、歩が床に二重に敷いたタオルケットの上に美矩をそっと寝かせた。
「ぅ……優希さん……」
「動かないで、美矩ちゃん」
そう言って雪が美矩の横にひざをつく。
パッと見たところ、目立つ外傷は左腕の10センチ前後の裂傷ぐらいか。
ただ、まだ血は止まっていない。
かなり新しい傷だ。
「腕の傷、私がやるわ」
受話器を置いた瑞希が救急箱からガーゼを取り出し、慣れた手つきで止血の処置を始める。
歩は邪魔しないようにと考えたのか、少し離れて状況を見守っていた。
「美矩ちゃん、左腕以外に怪我してるところは? 苦しくない?」
「優希さん……優希さんは……」
雪の問いかけには答えず、美矩は必死の様子で俺の姿を探していた。
「美矩――」
なにがあったのか、という言葉を寸前で飲み込む。
気になったのは瑞希の存在だった。
どう見てもただごとではない。腕の傷は明らかに刃物によるものだし、まさか美矩ほどの使い手がその辺の通り魔にやられたというわけではないだろう。
となると、起こったその"なにごとか"は、瑞希に聞かせるべきものではないはずだ。
……が、そんなためらいも一瞬のこと。
「どうした、美矩。なにがあった?」
俺は意を決し、雪と同じように美矩のそばにひざをついた。
「は、い……」
美矩が俺の顔に焦点を合わせ、少しホッとしたような顔をした。
ただ、その表情はすぐに歪み、両目からは雨とは違う雫がこぼれ落ちる。
「沙夜様が……沙夜様と緑刃様が……」
「……どうした?」
この様子を見れば、そのふたりの名前が出ることは容易に想像できた。
問題はどの程度の事態か、ということだ。
美矩が続ける。
「御門の本部が、急に大勢の敵に襲われて……」
「敵? 悪魔か?」
だが、意外にも美矩は首を小さく横に振った。
「敵も味方もわからないぐらい混乱して……私も緑刃様も守ろうと、でも!」
悔しそうに表情を歪める。
「青刃様が、緑刃様を……」
「青刃……そうか、あいつらか」
青刃……つまり晴夏先輩たちの一派が一枚かんでいるということだ。
「それに青刃様だけじゃなくって……あのふたりは、暁と雨海の――!」
「待って、美矩ちゃん」
興奮して起き上がろうとした美矩を、雪が優しく押しとどめる。
そして雪はチラッとこっちに視線を送ってきた。
「ユウちゃん、いいかな? まず濡れた服替えないと。風邪引いちゃう」
「……ああ」
どうやら少し美矩を落ち着かせたいようだ。
俺もその意見には賛成だった。
「美矩、ちょっとタンマな。すぐ戻ってくる」
そう言い残して立ち上がり、リビングのドアへ向かう。
「……」
そんな俺に瑞希の視線がずっと刺さっていたが、ドアを開けても瑞希は無言のままだった。
どうやら今すぐに問い詰められることはなさそうだ。
ひとまず、ありがたい。
バタン、と、ドアを閉める。
その向こうからは、歩と瑞希に指示を出す雪の声が聞こえてきた。
「……ふぅ」
気持ちを静めるべく、ゆっくりと大きく息を吐く。
神村さんや緑刃さんの安否。
瑞希への説明。
考えなきゃならないことはいくつもあったが、ただひとつ、すでにわかっていることがあった。
(とうとう、この日が来ちまったか)
それなりにハッキリしていた日常と非日常の境界が、ついに破られてしまったのだ、ということ。
ここまでの状況になってしまっては、おそらく瑞希をごまかしきることはできないだろう。
どこまで説明することになるのか。
俺たちの正体まで明かさなくてはならなくなるのか。
正直、どうなるか想像もつかない。
あるいはここでこうして4人で暮らすのも、今日が最後になるのかもしれない。
けど、とりあえず今はそれよりも、神村さんたちのことを考えるのが先だ。
(……宮乃伯母さんに連絡してみるか)
美矩に話を聞けるようになるまではおそらく少し時間がある。
伯父さんはゴールデンウィークの途中に御門を離れてまだこちらには戻っていないはずだった。
すぐに連絡が取れるかどうかはともかく、まずはコンタクトしてみるべきだろう。
そうして、俺は2階への階段を上がっていった。
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神社の奥の森。
雨に閉ざされた建物。
戦いはすでに終わっていた。
投降した者。逃げ出した者。主を変えた者。
そして命を落とした者。
侵略は比較的スムーズに行われた。
侵略者たちが守りを突破し、そのトップである光刃を捕らえるまでに要した時間は、わずか1時間強。
不意を突かれたこと。
組織自体が大幅に弱体化していたこと。
その要因はいくつか考えられたが、なによりも大きかったのは、その侵略者たちが本来味方だったはずの者たちであったこと。
そして彼らに、御門のトップシークレットさえも知る人物が協力していたことだろう。
本来ならば御門の幹部しか知らない抜け道も、結界に閉ざされたどり着くことが困難な秘密の建物も、そのすべてが侵略者たちには筒抜けになっていたのだ。
「悪魔狩りの盟主"御門"はいま、ようやく解放された!」
ただ、侵略者たちはそれを侵略とは表現しなかった。
彼らを束ねるのは、丸めた頭に長くて白いアゴひげをもつ初老の男。
「当代の影刃……牧原雅司による御門の乗っ取りは我らの手によって未然に阻止され――」
その名を暁史厳という。
「そしてようやく正当なる後継者、光刃様がこの地に戻ってこられたのだ!」
そんな史厳の隣には竜夜がいた。
その手には光刃であることの証。
光り輝く神刀"煌"があった――。