3年目5月「オキテ」
争いあう炎魔の一団は全部で4人だった。
とはいえ、どうも本気の殺し合いという感じではない。
あるいは仲間内のケンカのようなものなのだろうか、ときおり見せる炎の力も互いに手加減しているように見えた。
ただ――
「お願い! 行かせてッ!」
「うるさい! オキテ破りは重罪だぞ!」
どうやら3対1。
しかもひとりのほうは俺より少し年下らしき――声色からすると女の子で、それが3人の大人相手に立ち回っていたのだった。
「世話かけさせやがって!」
少女は必死に男たちの包囲を抜けようとしていたが、人数の差に加えて体格も違う。
間もなく3人の男たちに取り押さえられた。
「離してッ! はなしてぇぇぇッ!」
うつ伏せにされた少女が必死に抵抗する。
「うるさい! おとなしくしろ!」
3人の男たちも最初は手で押さえつけるだけだったのだが、やがておとなしくならない少女の態度に業を煮やしたのか、そのうちのひとりが少女のわき腹に蹴りを浴びせた。
「……ぐふッ!!」
ゴスッというにぶい音がして少女が体を丸める。
手加減はしているのかもしれないが、あの小さな体には充分な衝撃だっただろう。
「反省しろ! このッ!」
そんな少女のわき腹に、男がさらに蹴りをくわえていった。
「……う……ぐぇッ!」
悶絶とともに、少女が口から汚物を吐き出す。
その直後。
4度目の蹴りが少女の顔面を捕らえた。
「あぁぁッッ!」
少女が目を押さえ、先ほどまでとは明らかに質の違う悲鳴をあげて地面をのたうち回る。
そこで俺の我慢は限界に達した。
「おい! てめえらッ!」
「!」
男たちが驚いた様子でこちらを振り返った。
……なぜ御門の管理するこの山に炎魔の一団がいるのか。
……どうして炎魔同士で争っているのか。
事情はまったくわからない。
わからない以上、うかつに手を出すのは望ましくない。
ただ、目の前で繰り広げられていた暴力は――大人と子どもの3対1という状況も加味すると――黙って見過ごせる範囲を越えていたのだ。
まずはぶちのめす。
それから事情を聞くとしよう。
力を解放する。
髪がその一団と同じ真紅の色に染まった。
「!」
そんな俺を見て、男たちがさらに驚いた顔をする。
相手は3人。
ただ、感じる魔力はそれほど強くはない。おそらくは下級悪魔だろう。
(とりあえず……あいつだッ!)
俺は少女にしつように蹴りをくわえていた男に照準を定め、右手に炎を灯した――。
相手が3人とはいえ、さすがに下級炎魔に遅れを取る俺じゃない。
戦いの行方は1分と経たずに決していた。
「……おい、お前。大丈夫か?」
俺は地面に倒れた男たちが戦意を失っており、なおかつ命に別状がなさそうなのを確認すると、少女のほうへと近づいていった。
うずくまっていた少女が、雨と泥に汚れた顔を上げる。
右目のあたりが少しだけ腫れていた。
おそらくは先ほどの蹴りが当たったところだろう。
「あなたは……?」
少女は驚きに目を見開き、俺の真紅の髪、そして大きく尖った耳へと視線を動かして、
「上級炎魔……? どうしてこっちの世界に上級炎魔が……」
「んなこたぁいい。とりあえずほら、立ち上がれるか?」
手を差し出すと、少女は少しためらってから俺の手をつかんだ。
間近で見ると、思っていたよりも幼い。
歩なんかよりもおそらく下、こっちの世界でいうと小学校の高学年ぐらいだろうか。
ゆっくり引き上げてその場に立たせ、改めて体の状態を確認してみたが、どうやら深刻なダメージは負っていないようだ。
そこまで観察し、俺は少女に質問した。
「で? お前はどうしてこんなとこに? なんで追われてた?」
「……」
少女が少し警戒した様子で口をつぐんだ。
まあ、当然だろう。
ただ、事情を聞かないことには話が進まないし、この状況、少女のほうに非があった可能性もある。
たとえ本人が嫌がろうと、聞かないわけにはいかなかった。
俺は両手を広げ、ひとまず害意がないことを示しながら、
「とりあえず自己紹介でもしとくか。俺は優希。不知火優希。見てのとおりの悪魔だが、生まれたときからこっちの世界に住んでるモンだ」
「ユーキ……?」
「で? お前はどこから来た?」
「……あ、私は」
少女は倒れる3人の男と俺の顔を交互に見ながらさらに悩んでいたようだが、やがて決心したようにギュッとくちびるを噛むと、顔をあげ鬼気迫る表情で言った。
「お……お願いです! 助けてください、ユーキさん!」
「助ける? いま助けてやっただろ?」
「そうじゃなくて……私ッ……漂流したお兄ちゃんを捜しに来たんです! でも、オキテを破ったから村の人が追いかけてきて……!」
「……漂流? お兄ちゃん?」
いまいち理解できずに眉をひそめると、少女はせきを切ったような勢いで言葉を続けた。
「昨日のお昼なんです! 遊ぶのに夢中になってて……次元の穴に落ちそうになった私の代わりに……だから私、お兄ちゃんを捜しに……ッ!」
「ああっと……ちょいちょい。ちょい待ってくれ」
興奮気味にまくし立てる少女をひとまず止める。
必死であることは充分に伝わってくるのだが、まずは整理が必要だ。
確認する。
「家族を捜しにこっちに来たってのはわかった。で、そこで倒れてる3人は村の人って言ったか? つまりお前の近所の人ってことだな?」
「……」
少女は黙ってうなずいた。
なるほど、どうやら大きな陰謀に巻き込まれてとかそういう話ではないらしい。
それなら、彼らが互いに殺す気でなかったらしいこともうなずける。
俺は続けて聞いた。
「で、お前の兄ちゃんは次元の穴ってのに落ちたんだな? "漂流"って言ったか? それでお前がこっちの世界に捜しに来たってことは……」
頭の中を整理しながら続ける。
「その次元の穴とやらはこっちの世界とつながっていて、お前の兄ちゃんは自分の意志とは関係なしにこっちの世界に来ちまった。だからそれを捜しに来た。そういうことでいいんだな?」
「……は、はい!」
少女は再び強くうなずいた。
「なるほど……」
魔界に住む悪魔が誤ってこちらの世界に来るケースがあるというのは、前に伯父さんから聞いたことがある。
それがこの少女の言う"漂流"という現象なのだろう。
そして漂流してしまった兄を捜そうとこっちの世界にやってきたこの少女は、その過程で所属する集団のオキテとやらを破ったらしい。
だからこうして大人たちに追われていた、というわけだ。
俺は地面に倒れる3人の男たちを見た。
かなり手加減をしたから、それほど深いダメージではないはずだ。しばらくすれば意識を取り戻すだろう。
その前にもう少し情報を集めておきたい。
俺は再び少女に尋ねた。
「お前の兄ちゃんってのは、歳はいくつだ?」
「10歳……私と同じ」
「同じ? 双子ってことか?」
「うん」
10歳。
悪魔とはいえ精神構造は人間とそう大きく変わらない。
その年ごろの悪魔がひとり、突然こっちの世界に放り出されたりしたら、どうなるか。
パニックになって事件でも起こせば悪魔狩りに退治されてしまう。
あるいは人間の町に近づくこともできずにさまよって、そのまま衰弱死してしまう可能性もあるだろう。
(いなくなったのは昨日の昼、か……)
だいたい丸1日。
時間的にはまだ間に合いそうなタイミングだ。
「オッケー。事情はわかった」
そう言いながら俺は頭上を見た。
雨は弱まる気配がない。
気を失っている悪魔たちもこのまま放置してはおけないし、いずれにしても御門の誰かに連絡して事情を説明しなければならないだろう。
そこで俺は少女に提案した。
「とりあえず移動すっか。このままじゃ風邪ひいちまうからな」
「あ、ユーキさん。お兄ちゃんは……」
少女は不安そうにしている。
その顔には強い疲労の色も見えた。
(……必死だったのかもな)
向こうからこっちの世界にやってくるのがどのぐらい大変なことなのか、俺にはわからない。
ただ、さっきまでのいさかいの様子を見る限り、オキテとやらを破るのがそれなりに覚悟のいる行為だったことは間違いないだろう。
と、なれば。
できる限りの力にはなってやりたい。
「まあ任せとけ」
俺は不安そうな少女の頭をポンポンと叩いて、
「この辺はちょうど俺の知り合いの縄張りでな。とりあえず、お前の兄ちゃんらしき悪魔がこの近くに来てないか聞いてやるよ」
「ほ、本当ですか!」
少女はそう言ったあと、泣きそうな顔をしながら、お願いします! と言って大きく頭を下げた。
「あー、待て待て。礼を言うのは見つかってからにしろって。とりあえず、そこの3人はあとで回収してもらうとして、まずは俺たちだけで移動を――」
背後からガサガサという音が聞こえてきて、俺は言葉を止めた。
振り返ると、深い木立の向こうから覚えのある顔が近づいてくる。
「優希兄様? そこでなにを……?」
「よぅ、美矩。ちょうどよかった」
おそらくは戦いの気配に気づいて引き返してきたのだろう。
まさにグッドタイミングだ。
「詳しいことはあとで話す。とりあえず人を呼んでくんねーか? 気絶してる大人の悪魔3人を回収できるだけの人数を――」
俺は途中で言葉を止めた。
「……」
美矩が険しい表情で、俺の背後に倒れる3人の炎魔を見つめていたのだ。
「おい、美矩。どうした?」
怪訝に思い問いかけると、美矩は片目を閉じて少し苦い表情を作った後、ゆっくりと息を吐き出して、
「不知火さん……それ、ちょっとマズったかも」
「マズった? なにがだ?」
「……」
ガサガサと、美矩の背後から複数の人の気配が現れる。
御門の悪魔狩りたちだった。
どうやら異変に気づいたのは美矩だけではなかったらしい。
「ええっと……」
美矩は困った様子でチラッと後ろに視線を送りつつ、
「とりあえず、みんなまとめて本部に来てもらわなきゃ、かな……」
「……?」
美矩がどうしてそんな険しい表情をしていたのか。
そのときの俺には、事情がまったく理解できていなかったのである。