1年目4月「はじまりの日」
水色のカーテンからわずかに差し込んでくる朝の光。
暖かな春の日差し。
しかし昨日まで心地よかったその光も、今日はどことなく鬱陶しく思えて仕方なかった。
何故かって?
その理由はおそらく俺と同じ身分――高校生の諸君であれば、誰にでもわかってもらえる単純なものだろうと思う。
4月初旬。
入学式あるいは始業式の日。
そう。
短い春休みは前日でついに終わりを告げ、今日からまた学校が始まる。
今朝はそんな絶望的な朝だったのである。
(ねむー……)
ベッドで仰向けのまま、右手の甲を額に当てて天井を見上げていた。
時計の針は7時25分。
春休みにゆるんだ生活を送ってきたせいか、この時間になってもなかなか意識が覚醒しない。
それどころか油断すると再び夢の世界に引きずりこまれそうだった。
(……おやすみー)
ほどなくして、俺の心が『遅刻の罰<睡眠の快楽』の不等式を成立させようとした、そのときである。
「ちょっと! 優希ってば!」
怒鳴り声とともに、部屋のドアが蹴り破られるかの勢いで開いた。
「これで何度目よ! 起きる時間だって言ってるのが聞こえないの!?」
そう言いながらズカズカと部屋に入り込んできたのはおふくろ――ではなく、見慣れない制服に身を包んだひとりの少女だった。
「起きなさいっ!」
少女は俺がかぶっていた布団を力ずくではぎ取ろうとした。
俺はそれに対して無駄な抵抗を続けながら、ようやくトロトロと回転し始めた頭で記憶を辿る。
「……そう言えば夢の中で誰かが、片付かないから朝メシを食えとかなんとか――」
「夢じゃない!」
俺と少女の間で繰り広げられた布団綱引きは、結局10秒ほどで少女に軍配が上がることとなった。
「うっ……さむ……」
体の熱が急に奪われていく。
春が来たとはいえ、朝晩の空気はまだまだ冷たい。
せめて熱を逃がさないようと体を丸めてみたが、どうやら無駄な抵抗のようだった。
「……まったく。世話の焼ける」
と、少女は仁王立ちでそんな俺を見下ろしていた。
こうなっては仕方ない。
「ふぁぁ……ふわぁ――ぁ」
アクビをしながらゆっくりと上体を起こす。
少女はその間に馴れた手つきでさっとカーテンを開けた。
眩しい。
細めた目で辺りを見回す。
飾り気の無い部屋だった。
目に付くものといえば漫画だらけの小さな本棚と2年前に買ったミニコンポ。それと壁にかけられた制服ぐらいだろうか。
そして――
部屋を見回した後、腰に手を当てた少女に視線を止める。
「そういやさ……」
「なに?」
少女が俺の視線に気付いて怪訝そうな顔をする。
俺は半開きの眼で少女を見つめた。
「お前……誰だっけ? ウチはこんな凶暴なペットを飼った覚えはないんだが――」
「……死ね!」
ゴスッ!
「~~~~~!!」
みぞおち辺りを襲った蹴りに悶絶してベッドの上を転がる。
そんな俺を見下ろし、不機嫌そうに鼻を鳴らした凶暴な少女は背中を向けた。
「て、てめ……たわいもない冗談にマジギレすんなよ……!」
「……ふん」
「あ、おい! 瑞希!」
俺は部屋を出て行く少女――瑞希の背中を呪いを込めてにらみつけたが、特に効果はなかったようだ。
バタン、とドアが閉まる。
「いてて……マジいてぇ」
俺はしばらくベッドの上にうずくまっていたが、急所は地味に外れていたようで数分後には無事に復活した。
……さて、と。
あの乱暴極まりないおてんば娘は――と、その前に、まずは自分のことから話しておこうか。
俺の名前は不知火優希。15歳。
この春に進学したばかりの高校1年生だ。
名前だけだとよく勘違いされるのだが、もちろん男である。
基本スペックは175センチの60キロ前後。
小学生の頃はクラスの列で最後尾に立っていたこともあるが、早熟だったのか中学生になってすぐに成長が止まり、結局は真ん中よりやや後ろという程度に落ち着いた。
顔は比較的どこにでもいそうなタイプのイケメンだ。
ただ、なぜかこれまでの人生でモテ期が訪れたことは一度もなく、顔を見せるだけで避けられていた期間のほうが長い。
世の中、不思議なこともあるものだ。
で、さっき部屋に来た凶暴な女が、牧原瑞希という。
俺の従姉だ。
ただ、従姉といってもあいつも俺と同じで高校1年生。
誕生日がちょっと早いというだけでいつも姉貴面をして口うるさい、いわば目の上のたんこぶ的存在である。
先ほどの様子を見てもらえばわかるように俺とはケンカが絶えないのだが、天は二物を与えずとは誰が言ったものか。
その格言をあざ笑うかのごとく、あいつには二物ところか三物も四物も与えられているらしく、ケンカがめっぽう強い上に学業の成績も上々、俺とそれほど変わらない長身でスタイルもよく、憎らしいことにかなりの美人だ。
口ゲンカどころか殴り合いのケンカでさえ勝つことができず、社会的地位も圧倒的敗北を喫している現状なのであった。
情けない。
……さて。
パジャマから着替え、2階の自室から1階に下りてリビングに顔を出すと、すぐに食卓テーブルに座っていた少女が声をかけてくる。
「おはよう、ユウちゃん。ここ、寝ぐせついてるよ」
自分の頭の右後ろを軽く押さえて微笑んだのは、いかにも女の子という小柄で華奢な体つきの少女。
妹の雪だ。
性格は先の瑞希とは正反対といってもいいほど温厚で、兄である俺が言うのもなんだがそれなりに可愛げのある妹である。
ちなみに歳は俺と同じ。誕生日も同じ。
つまりは双子の妹だ。
「寝ぐせ、直したげよっか?」
「あー、いい、いい。自分でやるわ」
手を振って洗面所に足を向けると、ちょうどそこから出てきた瑞希とはち合わせた。
すでに学校へ行く準備が整っているらしく、手にはカバンを持っている。
「やっと起きた? ホントしょーがないわね」
憎まれ口を叩いてくる瑞希にすれ違いざまに舌を出して応え、洗面所へ。
いちいち真正面から反応をしていては、いくら時間があっても足りない。
(どーせケンカになるしな)
ケンカになるイコール負けるということでもある。
俺は負けるとわかっている戦いは1日1回までしかやらないことにしているのだ。
洗面所で手ぬぐいをお湯に浸し、軽く絞って寝癖の部分に当てる。
しばらくこうしていれば何とかなるだろう。
手ぬぐいを頭に乗せたままリビングに戻って食卓につく。
そしてテーブルの上には俺の朝ご飯が用意されて――いなかった。
「あれ? 俺のメシは?」
俺の問いかけに、瑞希は『なに言ってんだこいつ』という顔をする。
「最初に起こしてからどれだけ経ったと思ってるの。もうとっくに片付けたから。食べたかったら自分で用意なさい。さ、行きましょ、雪ちゃん」
「うん」
瑞希にうながされた雪が無情にもうなずいて立ち上がる。
よく見ると雪のほうも登校準備済みだった。
「お、おい、雪! お前まで俺を見捨てんのか!?」
雪はおかしそうにくすっと笑う。
「大袈裟だよ。それにユウちゃん、いつも朝ご飯食べてかないじゃない」
「それは休み中の話だっての! 学校行くのに朝メシ食わねーと午前中に安眠できなくなるじゃねーか!」
瑞希が冷たい目で俺を見た。
「バカにかまってたら遅刻しちゃうから。行きましょ、雪ちゃん」
「……このアマ」
俺は瑞希を睨み付けたが、向こうはまったく気にした様子もない。
「バカは言い過ぎだよ、瑞希ちゃん」
そう言って苦笑する雪。
我が愛しの妹もどうやら否定まではしてくれないらしかった。
「じゃあ、行ってきまーす。あ、ユウちゃん。初日から遅刻しちゃダメだよー」
そうしてふたりが出て行くと、家の中は急に静かになる。
「そのまま食えるもん、なんか入ってたっけかな……」
仕方なく俺は朝メシを自分で確保するべく動き出した。
……さて。
この辺で大人はどこ行ったんだと疑問に思い始める人もいるだろうか。
結論から言うと、大人はいない。
俺の両親は物心付く前に事故で死んでいて、この家の住人は今の3人だけなのだ。
さらに言うと、この春までは俺と雪のふたりきりだった。
しかし瑞希の両親(俺の伯父伯母)が急に仕事の関係でこの町を離れることになり、すでに近くの高校への進学が決まっていた瑞希が春休みからこの家で同居を始めて3人になったのである。
瑞希の両親、つまり俺の伯父伯母夫婦には小さい頃から世話になっていた。
俺と雪が2歳で孤児になるとしばらくは彼らの家で育てられ、両親が遺したこの家で暮らすようになってからも中学に上がるまではほとんど毎日伯母が来て面倒を見てくれたのだ。
親の顔も覚えていない俺たちにとっては、親代わりというよりほとんど親そのものといっても間違いではない、そんな存在である。
だからこそ俺も、そのひとり娘である瑞希がこの家に同居することを快く了承したのだが――
「……それにしたっていきなり態度でかすぎだろ、あいつ! そりゃ同居するからって今さら遠慮するような間柄でもねーけどさ!」
「うーん」
場所は変わって通学の途中。
俺が愚痴を向けたのは隣を歩く、眼鏡をかけたちょっと中性的な容姿の小柄な少年だ。
名を神薙直斗という。
そしてもうひとり、直斗の向こう側で、俺の話をなんとも微妙な表情で聞いているポニーテイルの少女が水月由香。
どちらも小学校からの友人で、俗に言うところの幼なじみというやつだった。
ちなみに春休みが昨日で終わり、俺たちが高校一年ということはつまり今日が入学式、高校への初登校ということでもある。
直斗と由香のふたりは見てのとおり俺と同じ高校――"風見学園"の新1年生。
先に家を出た雪と瑞希の二人は、それより少し遠いところにある"桜花女子学園"という女子高に通うことになっていた。
「それってさ、結局、優希が悪いんじゃないの?」
直斗が首をかしげながら言う。
「だって寝坊したのは優希だし、起こしてもらわなきゃ絶対遅刻してたでしょ?」
「うっ、そりゃそうだが」
直斗の言葉にたじろいだ俺を見て、由香がおかしそうに笑うのが見えた。
俺は恨めしい目をして、
「由香よ、お前までもが俺の敵だったか……」
「あっ……ごめんなさい」
別に本気で怒っているわけでもないのに、由香は慌てた様子で謝った。
「今の話を聞いて優希に味方する人はいないと思うけど」
直斗と由香。
ふたりとも俺と違い、どちらかと言えば真面目でおとなしい性格である。
ただ、この二人を並べて比べてみると、これまただいぶ違う。
直斗の"おとなしい"は単に物腰が穏やかというだけで、その穏やかな口調で鋭い突っ込みを入れてきたり毒を吐いたりする、いわゆる"笑顔で毒舌"な性格だ。
それに対し、由香の方は実際のところもかなり控えめ。
反射的に口をつく『ごめんなさい』が口癖だというのだから、だいたい想像はつくだろう。
改めて考えてみると、俺を含めて性格的にあまり共通点のない幼なじみーズだったりする。
「でも良かったね。今年は3人とも同じクラスで」
と、直斗が言った。
つい先日のクラス発表で、俺と直斗と由香はそろって1年1組。
こうして3人とも同じクラスになるのは小学5年生のとき以来だった。
「だな。これで宿題もやらずに済むし」
「よく言うよ。僕らがいなくても他の人のを写すくせに」
直斗が的確な突っ込みをいれてくる。
「甘い甘い。他の奴らだと見返りが必要になるだろ? ハンバーガー1個とかジュース1本とか」
「あ、そっか。じゃあ僕らもたまには謝礼を求めたほうがいいかもね」
呆れ顔をする直斗の向こうで由香が真面目な顔をする。
「でも駄目だよ、優希くん。やっぱり宿題は自分の力でやらないと」
いかにもこいつらしいクソ真面目な発言だが、いざ見せてくれと頼めば困った顔をしながらも見せてくれる便利――もとい、友だち甲斐のあるやつである。
「ほら。まずはできるだけ自分でやって、それでわからないところがあったら私たちと一緒に考えて……」
「それは無理だ」
「どうして?」
俺は胸を張った。
「どこがわからないのかもわからないからな、俺は」
「……はあ」
直斗と由香のため息が完全にシンクロしてしまった。
俺たちの通う風見学園は、いわゆる中高一貫教育校である。
俺や直斗、由香もみんなここの中等部から上がってきたエスカレーター組で、そうなると当然のように顔見知りも多く、一般的な高校に比べると進学したという空気は薄い。
入学式が終わって教室に戻ってからも、登校初日にありがちな緊張感はほとんどなく、教室内はワイワイガヤガヤとうるさかった。
そんな中、
「よっ、優希!」
「……あー?」
机に突っ伏して睡眠体勢に入っていた俺の席までやってきた男子生徒がひとり。
顔見知りだった。
「なんだ、将太か……」
軽く顔を上げてその男を見ると、すぐに興味をなくして視線を落とす。
「なんだはないだろ、なんだは。中学からの親友だろ、俺たち。歓迎しろよ」
「親友ねえ……」
見た目からしていかにも馴れ馴れしそうで、隠し切れない三枚目オーラをかもし出しているこの男は、藤井将太。
本人の申告どおり中等部からの友人だが、どう考えても親友とは呼べないし、悪友という表現が似合う、そんな友人だ。
将太は俺の机に軽く腰かけて、
「高校に上がったっつーのに、まだ由香ちゃんと一緒に登校してるらしいじゃん。相変わらず仲の良いことだねえ」
「お前、どーせ直斗のとこでも同じこと言ってきたんだろ」
「……うっ」
カマをかけただけだったが、どうやら図星だったようだ。
見てわかるとおりこいつは俺たちの中のトラブルメーカー的存在で、うわさ話やゴシップが三度のメシより好きという困った人間だ。
いつもメモ帳を持ち歩いてて、それに色々なうわさを書き付けては周囲に広めている。
それだけならまだカワイイもの(?)だが、さらには小さなうわさを勝手に脚色してデマを流してしまうというとてつもなく迷惑なクセもあるのだ。
例えばさっきの質問を何も考えずにただ肯定しようものなら、おそらく明日には俺と由香が付き合っているとかいううわさが学校中に流れてしまう。
そういうヤツなのである。
厄介なのは、こいつから直接吹き込まれたヤツはそれほど真に受けなくても、人から人へと伝わっていくうちに、いかにも真実っぽくなってしまうというところにある。
人のうわさとはかくも恐ろしいものなのだ。
俺はため息をつきながら体を起こして、
「いいか、将太。俺たちは今までどーり3人で学校に来たんだからな。そこんとこ間違えんなよ」
3人で、というところを強調する。
実際、いかにもそういう関係を勘違いされそうな俺たちが誤解されずにいるのは、ほぼ3人一緒に行動するからという理由が一番大きい。これで俺か直斗のどちらかがいなければ、事実がどうであれ"学園公認カップル"が誕生していることだろう。
ちなみに、少し前までは妹の雪が加わって4人組だった。
俺が何かやらかそうとするたびに雪と直斗が止め、由香がひとりでおろおろする。
そんな光景を何度となく繰り返してきたものだ。
「ちぇっ。お前ら、なかなかボロを出さないからなあ」
「誰が好きこのんでお前のデマ話のネタになったりするもんか。ほら、あっち行け」
しっ、しっ、と厄介者を追い返す。
「しゃーない。一番素直な由香ちゃんにでもインタビューしてくるか」
軽く両手を広げて去っていく将太。
どうせ無駄なことだ。
今のあいつに必要なのは由香のような素直な証言者ではなく、嘘つきなトラブルメーカーである。
そうこうしているうちに帰りのホームルームが始まった。
俺たちの担任は岩上という50代後半の男性教師だ。
背は低く頭もかなり禿げ上がっていて、テンションの低いしゃべり方をする、いかにも覇気のなさそうな先生である。
そして、
「入学式お疲れ。あー、えー、今日はもう帰っていいぞ」
教室に入ってくるなりそう言ってきびすを返す岩上先生。
教壇に立っていた時間はわずか2~3秒だった。
一瞬あっけにとられて静まった教室だったが、先生が出て行くと同時にワッとざわめきだす。
「……ずいぶん変わった先生だね」
そう言いながら俺の席までやってきたのは由香だ。
「まー、そうだけど。変に熱血されるよりやりやすくていいわ」
「うん、そう……かな?」
由香は少し笑ってカバンを持ったまま後ろに手を組む。
「じゃあ、帰ろっか?」
「ん? あー……直斗は?」
「えっと……」
由香が不思議そうな顔をして辺りを見回す。
速攻で帰った連中もたくさんいて、教室内の人数はかなり少なくなっていた。
「席にいないみたいだね。どこ行ったんだろ?」
由香が首をかしげた。
「ちぇっ、直斗の奴」
「どこ行くの?」
教室を出ようとした俺を見て、由香が声をあげる。
「俺、直斗の奴に用があるんだ。お前、先に帰ってていいぞ」
「あっ、優希くん?」
俺はそのまま由香を残して教室を飛び出した。
「……ふぅ」
飛び出した勢いのまま走って、ある程度進むと足を止めて息を吐きだした。
(……初日から話のネタになるのは、さすがにな)
エスカレーター式とはいえ、もちろん高等部からの新顔も何割かはいる。
将太相手にあんなやりとりをしたばかりで、あえて地雷を踏む必要もないだろう。
うわさを気にして避け続けるようなまねは中学のうちに卒業したが、かといって何の考えもなしに付き合えるほど鈍感でもないつもりだ。
高校生ってのは、周囲も俺たちもまだまだ多感な年ごろなのである。
(さて、どうすっかな)
もちろん直斗に用があるというのも嘘だが、どうせやることもなかったので本当に探すことにした。
(直斗が行きそうなところ、ねえ)
あいつは友だちが多いから他の教室に顔を出してることも考えられるが、すぐに姿を消したところを見ると、なにか大事な用があって職員室辺りにいる可能性のほうが高いかもしれない。
まあ、とりあえずその辺をぶらぶらしていれば見つかるだろうと軽く考えて歩き出す。
(高校、か。なんか実感ねーよな)
ふと考える。
基本的には中等部と同じ敷地内の建物だし、顔ぶれもそんなに変わらない。
高校に進学したという実感がいまいち薄いのも仕方ないだろう。
しかもエスカレーター式で受験でそれほど苦労したわけでもないから、なおさらだった。
(……なんだかなぁ)
特別に変化を望んでいるというわけではない。
ただ、少しぐらいは変わったことが起きてもいいんじゃないかな――と。
そんなことを考えて歩いていると、見慣れた後ろ姿を見つけた。
直斗だ。
「おい、なお――」
しかし、呼びかけようとして止まる。
(……お?)
直斗の隣には別の人影があった。
女生徒。
当然だがこの学校の制服だ。
(ふむ……これは)
珍しい光景だった。
直斗はいわゆるカワイイ系の顔立ちをしていて、実のところ学内の女子にかなり人気がある。
ただ、本人はそっち方面にはまだあまり興味がないようで、由香以外の女生徒と話すことはそんなに多くないというのが現実だ。
これまでは。
(……あの娘、誰だっけな。見覚えがあるよーな、ないよーな)
女生徒のほうは後ろ姿だけなので誰なのかわからない。
あるいは高校からの新顔という可能性もあるだろうか。
様子を見るか、話しかけるか。
悩んでいたのはほんの数秒だったが、その間に直斗は女生徒に手を振って別れ、こっちのほうに歩いてきた。
「あれ? どうしたの、優希?」
俺に気づく。
女生徒は反対側に去ったため、結局誰かはわからなかった。
「ん? いや、お前と一緒に帰ろうかと思ってな」
そう言うと直斗は驚いた様子で目を大きく開いて、
「珍しいね、優希のほうからそんなこと言うなんて」
「そうか?」
「うん。……ああ、もしかして」
なにやら思いついた顔をする直斗。
「由香に帰り誘われて逃げてきた、とか?」
「……」
図星だが、肯定するのも悔しかったので黙っていることにした。
「まあいいけどね。由香はもう帰ったの? じゃあ僕らも帰ろうか」
幼なじみってのはこういうものなのだろうか?
今日に限らず、まるでこちらの心を見透かしたかのような発言、行動が非常に多い。
とはいえ、俺のほうはあまり読めてないので、ただ行動パターンが単純なだけかもしれない。
世の中というのはなんて不公平なのだろう。
「あれ? 優希、カバンは?」
玄関に向かって歩いていると、直斗が俺の手元を見て聞いてくる。
「……忘れてた」
「優希――」
「取ってくる」
呆れられる前に素早くきびすを返し、慌てて教室に向かう。
階段を2段とばしで駆け上がり(1年生の教室は2階だ)教室に戻った。
すると――
「あ、優希くん」
「お前、何やってるんだ?」
先に帰れと言ったにもかかわらず、由香は俺が教室を出たときと同じ場所に立ったままだった。
「うん、カバン持っていかなかったから、また戻ってくるかなと思って」
由香はそう言いながら、机の上に置いたままの俺のカバンを差し出してくる。
「待ってたのか?」
「うん。直斗くんと3人で帰ろ?」
「……暇な奴だなぁ、お前」
そんなわけで、結局はいつも通りの3人で帰路につくことになったのだった。
階段を下り、ゲタ箱から玄関を抜けて校門を出る。
学校に面した大きな道路の横断歩道を渡り、住宅地のほうへと足を向けた。
俺たち3人の家はそれぞれかなり近いところにあり、全部の家を順番に回ってもせいぜい10分程度しかかからない。
昔は何かイベントがあるたびに誰かの家に集まって騒いだものだが、最近は勉強や部活などが忙しくてそういう機会も少なくなりつつあった。
とはいえ。
この歳までこうして3人仲良くやっていること自体がきっと珍しいことだろう。
全員男とか全員女だというならともかく、こうして男女が混ざり合っているグループだと、思春期を迎える中学辺りで疎遠になるケースが多いそうだ。
実際、俺たちも中学生のほんの一時期、やはり疎遠になりかけたことはあった。
そこで完全に切れなかったのは互いの関係が強かったというのもあるが、それ以上に妹の雪の存在が大きかったのだろう。
俺と直斗、雪と由香の同性同士はずっと変わらずに付き合い続けていたし、兄妹である俺と雪の関係はどうやったって切れるものではないからだ。
「じゃあ優希。また明日」
「優希くん。またね」
最初の分かれ道でふたりが手をあげる。
俺もそんなふたりに軽く手を振り返し、そしていつもどおりの帰宅路を家に向かっていった。
「あら、遅刻しなかったの? あんたってほぼ毎日遅刻してるものだとばっかり」
「んなわけねーだろ」
家に戻って夕食の時間。
今朝のことで再びケンカを売ってきたのは、もちろん瑞希である。
しかし今回は本格的な応酬が始まる前に、雪がさりげなく間に入った。
「ナオちゃんと由香ちゃんが迎えに来るから大丈夫なんだよ、ね?」
「ナオちゃんと由香ちゃん? って、誰?」
瑞希が不思議そうに首をかしげる。
そういや瑞希がここに来たのは春休みだ。
それまで何度も遊びに来たことはあるのだが、直斗や由香とはち合わせたことは一度もなかったかもしれない。
「ユウちゃんの幼なじみなの。あ、私の幼なじみでもあるよ」
「ふーん」
瑞希は少し興味を持ったようだった。
「雪ちゃんはともかく、優希にそんな長い付き合いの友だちがいるなんて。驚き」
「おいこら、瑞希。てめー、ケンカ売ってんのか」
「え、ケンカ? 買いたいなら売ってあげてもいいけど?」
「……くっ」
余裕で返されて言葉に詰まってしまう。
実を言うとこの瑞希という女は小さい頃から各種武道を習っていて、現在は空手、柔道、剣道の有段者である。しかもどの種目でもトップを目指せると周りに言わせるほどの逸材らしい。
つまり立場上とか気性がとかじゃなく、ガチで強いのだ。
どうしてこんな凶暴な性格の女にそんなものを習わせたのか――と、こればかりは彼女の両親である伯父伯母夫婦の教育方針が間違っていたとしか言いようがない。
そしてにらみ合う俺たちを見て、雪が一言。
「ほら、ふたりとも。仲良しさんはそのぐらいにして、晩ご飯にしよ?」
「どこが仲良し!?」
打ち合わせていたように、俺と瑞希のツッコミがハモる。
あまりのタイミングのよさに互いに顔を見合わせると、ほらね――と、雪が微笑んだ。
「本当に仲が悪いとケンカもしないんだって。一言もしゃべらなきゃケンカにもならないもんね?」
「……」
再び瑞希と顔を見合わせ、やはり一緒にため息を吐いた。
俺たちのやり合いもいつもどおりなら、雪の仲裁に毒気を抜かれてしまうのもいつもどおりだ。
それに雪の言うことはもっともでもある。
少なくとも赤の他人より近い存在なのは確かだ。
(……けど、いつか倒す)
多分。
いや、きっと。
「そうそう。話は変わるけど」
瑞希も次の言葉が思い浮かばなかったのか、話題を変えた。
「ふたりとも知ってる? 怪奇事件のこと」
「……」
無言の雪と視線が合った。
小さくうなずいて俺が答える。
「ああ、知ってる知ってる。昨日一晩で3人殺されたんだっけ? 別々の場所だけど、同一犯っぽいとかなんとか……けど、どうせすぐ捕まんだろ」
軽く答えると、瑞希は真剣な表情で首を横に振った。
「殺されたのかどうかもまだわかんないらしいの。なんせ全員の死因が焼死なんだもの。焼死よ? ひと気のない夜中とはいえ道端で、しかも別々の場所で一晩に3人。ガソリンが撒かれたとかそういう痕跡もなかったみたいだし……おかしいと思わない?」
俺は興味のない素振りで聞き返す。
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「だからさ。その……」
瑞希が声をひそめた。
「いわゆる、妖怪とか超常現象の類じゃないかって……」
「は? ……ぷっ」
その言葉に吹き出す。
「ばっかじゃねえの、お前。妖怪? 超常現象? そんなもんあるわけねーだろ」
「そ、そんなのわかんないでしょ!」
瑞希はむっとした様子だった。
こいつはこう見えて、霊とか超能力の類を信じてしまうタイプの人間なのである。
ついでに言うと(本人は認めないが)そういうものを非常に怖がる。
俺は両手を広げて大袈裟にため息をつくと、
「瑞希さん、今年おいくつですか? いつまでもそんなこと言ってるから、彼氏のひとりもできねーんだぜ? 高校生にもなって真面目な顔で霊だの超能力だの語り出した日にゃあ、千年の恋も冷めちまうってもんだ」
「……ユウちゃん」
言いすぎだよ――と、困ったような、小さなつぶやきが聞こえた。
「ん? どうした、雪?」
そう言いながら、ふと瑞希の方に目を向けると――
「……うげ」
オーラが見えた。
怒りに拳を震わせる瑞希の背後に、世紀末の覇者がまとってそうな巨大なオーラが。
「死ね!」
「……ぶへッ!」
バチーン! と、空手有段者のビンタをくらって、俺は派手な音を立てて椅子ごと後ろに転がってしまった。
「大きなお世話! 私に彼氏が出来ようと出来まいと、あんたには関係ないでしょっ!」
バタン、とドアが閉まって、階段を上る足音が聞こえてくる。
「……いてて。あの野郎、思いっきりやりやがって」
「もう……あんなこと言ったら、そりゃ怒るよ」
カーペットの上に倒れた俺に、雪が手を差し伸べてくる。
「さんきゅ……よっと」
雪の手を借り、殴られた頬を押さえながら俺はゆっくりと上体を起こした。
拳ではなく平手だったのは、瑞希のせめてもの情けだろうか。
「あんだけ凶暴でも男がいるとかいないとか気にするもんか」
「うーん、そういうことだけじゃないと思うけど……」
「ふぅん。まあいいや」
困った顔の雪をちらっと見て、
「それはともかく……今夜も出るぞ。わかってるな?」
「うん。大丈夫」
雪はうなずいて表情を引き締めた。
「今回は私に任せて」
そう言って、やや緊張した面持ちでテーブルの上の食器を片づけ始めたのだった。