3年目4月「誕生パーティ」
その翌日の夜も、俺はボロボロになって帰宅した。
「あ、お兄ちゃん。おかえりー」
「おかえりなさい、ユウちゃん」
「おー……ぅ」
出迎えた雪と歩に適当に言葉を返しつつ、そのまま風呂場へ直行する。
昨日や一昨日もそうだったが、最近では俺が疲れ切って帰ってくることを予測し、誰かが毎日この時間に風呂を沸かしてくれているようだ。
一昨日の教訓からしっかり脱衣所のドアをノックして入り、長めに湯に浸かる。
風呂から上がって時間を確認すると、21時を少し回っていた。
この時間だと、さすがにひとりメシだ。
「じゃあしりとり。私からねー」
テーブルを挟んで向かいに腰を下ろした歩がニコニコしながらそう言った。
突然しりとりをやろうと言い出すこいつも謎だが、それに付き合ってやる俺も相当のヒマ人である。
「えっと、それじゃあ、イスね」
「す」
「え?」
「酢だよ、酢。お酢」
そう言いながらキッチンのほうを指差してやると、歩は納得顔をしてまた考え始めた。
「えっと、じゃあ……スズメ」
「目」
「……目玉焼き」
「木」
むぅぅ、と、歩が口を尖らせる。
「1文字禁止ー!」
「わかったわかった」
抗議を素直に受け入れ、少し考えてから俺は言った。
「じゃあアレだ。キツツキ」
「……」
歩はまた不安そうな顔をしつつ、
「じゃあ……キウイ」
「居合い」
「い……イカダ」
「代打」
「……」
今度は泣きそうな顔をする。
「お兄ちゃん、イジワルだよー……」
「なんだよ。ちゃんとルールにのっとってるだろ? ……てか、お前。さっきからなにやってんだ?」
「うん?」
俺の言葉に振り返ったのは雪だった。
先ほどから俺の後ろをエプロン姿で忙しそうに動き回っていたのである。
「なにって? 別に新婚さんゴッコなんてしてないよ?」
「言ってねーし。つか、フツウ思いつかねーよ、そんなの」
「なにしてるように見える?」
と、雪が逆に質問してくる。
「なにって、そりゃあ……」
手に抱えていたのは大きめのボウルと泡だて器だ。
「新手のエクササイズだな。それをかき回す作業は二の腕あたりが鍛えられそうだ」
「正解」
「……いや、突っ込んでくれよ。絶対違ぇだろ」
俺がそう言うと、雪は不思議そうな顔で首を小さくかたむけた。
「だって、お菓子作りの練習だよ?」
エクササイズ――練習、けいこ。
なるほど、そういう意味では確かにそれほど間違っていないか。
雪はおかしそうにクスクスと笑って、
「なんてね。ホントは美弥ちゃんの誕生日用のケーキを作るつもり」
「ああ、明日のか。……って、なんだ? もしかしてここでやんのか?」
俺は聞いていない。
「うん。夕方ごろ由香ちゃんと美弥ちゃんが喫茶店に来てね。場所の相談されたから、じゃあウチでやろうかって」
「ふぅん、なるほどね」
確かにそこそこ広くて親がいない我が家は、そういう催しをするには最適の条件である。
歩が横から口を挟んできた。
「楽しみだよねー。美弥さんの誕生日なんて何ヶ月ぶりかなあ?」
「……12ヶ月ぶりじゃないのか?」
マジなのか計算されたボケなのか、天才ならぬ俺には判断が難しい。
そうして俺が晩メシを食べ終えると、トゥルルルル、と、電話が外線の呼び出し音を鳴らした。
「はい、不知火です」
ちょうど部屋から1階に下りてきた瑞希が受話器を取り、すぐにこっちを見る。
「優希。あんたに電話よ」
「お? 誰からだ?」
イスを立つと、歩がすぐに空になった食器を片付けてくれた。
スマン、と、軽くジェスチャーを送り、電話台へ。
「藍原さんからよ」
「ああ」
ということは、おそらく明日の誕生パーティの話だろう。
ちなみに、明日の修行を休む許可はすでに取ってあった。
瑞希の手から受話器を受け取る。
「おぅ、替わったぞ」
「ども~、不知火。今日のバイトはどうだったん?」
受話器の向こうから聞こえてきた藍原の声は、いつもに比べると少しだけおとなしかった。
自宅だといつもこういうテンションなのかもしれない。
(……そういやこいつ、なんかすげぇ金持ちのお嬢なんだっけ)
いつもの態度を見ているとすっかりそのことを忘れてしまう。
「どうだったもなにも、別に変わったことはなにも。ああ、休みはちゃんともらっといたぞ」
「あー、サンキュね。……で、その明日のことなんだけどさ。ちょっとやっかいなことになっちゃってて」
「やっかいなこと? どうした?」
声のトーンがおとなしいと思ったのは、なにか他の理由があったようだ。
「うん、それがね……。ウチの父親が、明日はここで誕生パーティをやるとか突然言い出しちゃって」
「はぁ? ここってお前んちってことか? なんでまた突然?」
前に聞いた話だが、藍原の親父は末娘であるこいつに対しては完全に放任状態で、あまり私生活に口を出してくることはなかったらしい。
仕事が忙しいということもあって、これまでも誕生パーティのようなことはほとんどやったことがないそうだ。
「うん、急な話であたしもよくわかんないんだけど、なにか理由があるんだと思う。……でさ。明日って普通に学校もあるし、そっちでパーティやってそれからってわけにはいかないじゃない?」
「ま、時間的に無理だわな。ってことは延期か?」
「いや、それだとバイト休んでくれた不知火に悪いからさ。だからいっそ、みんなにこっちに来てもらおうかと思ってて」
「お前んちに? いいのか?」
驚いて聞き返す。
こいつの家にはまだ一度も行ったことがなかった。
「うん。まー、知ってたと思うけど、あんま呼びたくなかったんだ。好きに騒いだりできないからさ。でも、せっかくみんなで集まれる機会をダメにするのも悔しいじゃん? で、明日学校でいったん解散して、5時半ぐらいに車で迎えに行くことになりそうなんだけど、どうかな?」
「あー、俺は別に構わんけど……」
気づくと、女性陣3人の視線がこちらに集まっていた。
「……実はな」
受話器を押さえて、簡単に事情を説明する。
「私はそれで大丈夫ですけどー……」
と、歩が隣の雪を見る。
俺は雪に視線を移動させて、
「雪。お前、明日バイトか?」
「うん。準備だけ今日中に済ませて、アルバイト終わってから参加しようと思ってたんだけど、17時半に移動だとちょっと無理かな」
「そっか。瑞希、お前は?」
「私? 雪ちゃんが行かないならやめとこうかしら」
「りょーかい」
歩OK、雪と瑞希がNG、と電話の向こうの藍原に伝えると、
「……えー、雪ちゃんダメかぁ。ゴメン。たぶんもう明日の準備してくれてたんだよね?」
「あー……いや」
雪がこっちに向けて、人差し指で軽くバツ印を作っていた。
おそらくは会話内容を察したのだろう。
「心配すんな。まだなんもやってないみたいだぞ。……で、他の連中はどうなってんだ?」
「あ、うん。由香と藤井は問題ないってさ。神薙んとこはこれから電話する」
「そっか。んじゃ、お前んち行くのちょっと楽しみにしとくわ」
そう言うと、受話器の向こうから少し乾いた笑い声が聞こえた。
「不知火にとっていいことはなんもないと思うけどね。……とにかくそういうことだから。雪ちゃんと瑞希ちゃんにゴメンって言っといてね」
「おー。別に気にしなくていいと思うぞ」
妙にしおらしくて少し調子が狂う。
今回のことは、それだけこいつにとっても予想外かつガッカリなできごとだったということだろう。
「……んじゃ明日ね~」
「おぅ、じゃあな」
受話器を置いて、雪たちのほうを振り返る。
「藍原のやつ、お前らに謝っといてくれってよ。なんか珍しく落ち込んでるみたいで気味悪かった」
雪が小さくうなずいて、
「美弥ちゃん、そういうとこ気を遣う子だから」
「ま、そーかもな」
否定する気はなかった。
めちゃくちゃやっているように見えて、案外そういうところはしっかりしているやつなのだ。
「けど、あいつんちか……豪邸なんだろーな、きっと」
「服、どうしよっか? タキシードとか必須だったりして」
「かもな」
冗談だと思って雪のその発言を笑い飛ばしたものの。
翌日それが現実になってしまうなどとは、さすがにその時点ではまったく予想していなかった。