3年目4月「修行の日々」
賽は投げられた。
たとえなにがあろうとも、もはや後戻りすることは許されない。
待っているのは絶望か、それとも箱の隅に残されたひとかけらの希望か。
高校生活の3年目が、始まる。
「おーっす! 不知火! デートしようぜー!」
「動物園に帰れ」
「うわっ! つれないお言葉!」
始業式の放課後。
ここから心機一転、充実した高3ライフを送ってやろうと決意を新たにしていた俺のもとにやってきたのは、この新しい門出にはいかにもふさわしくない女生徒――藍原であった。
3年生はクラス替えがないので今年もこいつは別クラスなのだが、どうやら去年に引き続き、たいした用もないのにこうしてウチのクラスに顔を出すことになりそうである。
「優希さん、一緒に遊びに行こー」
そんな藍原の後ろからやってきたのは、にへら~となにも考えてないような笑顔を浮かべた歩である。
さらにその後ろには直斗と由香も続いていた。
どうやら、放課後みんなでどこかに遊びに行こうという提案のようだ。
藍原が俺の机に両手をつき、顔を近づけてくる。
「ね、どうせヒマでしょ? 3対3のトリプルデートにしちゃ残念ながら男が足んないけどにゃー。ホントは藤井のやつも誘ってやろうかと思ったんだけど、もうどっか行っちゃったみたいでさ」
俺はそんな藍原の言葉を鼻で笑い飛ばして、
「トリプルデートってお前、由香はともかく、他がネコ娘と座敷わらしじゃ、俺たちイケメンコンビとぜんぜんつり合ってねーじゃんか」
「あー、ひどい」
と、頬をふくらませて抗議してきたのは歩だ。
「座敷わらしはおかっぱ頭なんだよー。見て見て、私、ぜんぜんおかっぱじゃないしー」
「……抗議するとこ、そこでいいのか?」
さすがの天才少女(笑)である。
「まー、不知火がイケメンかどうかはともかく。どーすんの? ……いや、果たしてどうするのか!? 不知火優希、一世一代の大博打!」
「なんのアオリだよ。……悪いけど、今日は先約があんだ」
藍原を適当にあしらってカバンを手に席を立つ。
「んにゃ? 先約かにゃ?」
「ああ」
俺は少し席を離れてから、不思議そうにしている藍原たちを振り返って、
「今日は神村さんとデートなんだ」
「違います」
「……おわッ!?」
いきなり後ろから聞こえた神村さんの声に驚いて思わず飛び上がってしまった。
それを見た藍原が口もとに手を当てて意地悪く笑う。
「うわぁ。不知火、カッコワルー」
「うっせぇ! ……つか、神村さん。いつの間に」
「日誌を提出して戻ってきたところです」
相変わらずのピンと伸ばした背筋。
そして起伏のない口調。
今日も神村さんは神村さんだった。
「では、不知火さん。行きましょうか」
そう言って神村さんが背中を向けると、藍原が驚いた様子で、
「おろ? デートってのはホントなの?」
「だからそうだって言って――」
「断じて違います」
俺の言葉に神村さんの強い言葉が重なる。
(……つか、せっかく適当にごまかそうとしているのに、かたくなに否定しなくても)
どうやら神村さん的に、そこは絶対に認めたくないところらしい。
そして、おそらくは自分で考えたのであろう別の理由を口にする。
「私ではなく、妹の美矩が。不知火さんを大変気に入っているようなので」
それはそれでもっと誤解を生みそうだった。
案の定、藍原がそれに食いつく。
「マジで!? 不知火ってば、歩ちゃんだけじゃ飽き足らず他のいたいけな幼女をも毒牙に――」
「よし、藍原。いま殴ってやるからそこを動くな」
「うわっ! 暴力反対!」
と、藍原が反射的に頭をガードする。
歩が笑いながら、
「あはは、誤解ですよー、美弥さん。私、まだ毒牙になんてかかってませんからー」
「まだとか言うな。フォローになってねえっつーの」
それではまるで、これから毒牙にかけようとしているみたいである。
「つか、そもそも幼女じゃねーし。神村さんの妹は俺らとひとつしか違わねーよ」
「あ、そうなんだ? ってか、あたしは神村ちゃんに妹がいること自体初耳なんだけど」
「だったらテキトーなこと言ってねーで黙ってろ」
「……不知火さん」
そんな俺たちのやりとりに神村さんが口を挟んでくる。
「あ、悪い、いま行くわ。……ってことでまたな。直斗、由香もまた明日」
「うん。またね」
「神村さん。優希をよろしくね」
「はい」
直斗の言葉に神村さんがうなずく。
なにをよろしくなのかよくわからないが、突っ込んでも俺の得にはならなさそうなので黙っておいた。
そんなこんなで、俺は神村さんと一緒に学校を出る。
向かった先はもちろん神社。
神村さんの家――ではなく、その奥にある悪魔狩り“御門”の本部。
俺にとっての"修行場"である。
年度末に起きた大量失踪事件についてはほとんど進展のないまま警察の捜査が続いていたが、どうやらあれ以降新たな失踪者は出ていないようだった。
小学校での集団下校などはこの先もまだまだ続きそうだが、周りはそんな空気にもいつしか慣れ、いつもの日常を取り戻しつつあった。
ただ、御門ではこの事件を、悪魔が絡んだものとほぼ断定し、かなり危機感を募らせているそうだ。
裏でなにかが動いている。
周りの景色はいつもどおりに戻りつつあっても、俺の中に芽生えた焦燥感は消えることはなく。
あれ以来、俺はほぼ毎日御門の本部に通い、自分強化のための修行を続けていた。
「……ぐぇ、吐きそう」
学校を出てから約8時間後。
美矩との濃密な修行を終えた俺は、グロッキーになりながらフラフラと帰宅した。
「ただいまー……」
玄関のドアを開けてそうつぶやく。
珍しく歩が迎えに出てこなかった。
靴を脱ぎ、ひとまずカバンを玄関に放置してリビングのドアを開ける。
「あら」
振り返ったのは、エプロンをつけて食卓に皿を並べていた瑞希だった。
「おかえり。今日も遅かったのね」
「おかえりなさい、ユウちゃん」
続いて、キッチンにいた雪がカウンターテーブル越しにこっちを振り返る。
「おぅ、ただいま」
そんなふたりに軽く手をあげて返事をし、時計を見ると19時半。
我が家にしては遅い晩メシの準備だが、あるいは雪が俺を待つために少し遅らせたのかもしれない。
ただ、残念なことに食欲はそれほどなかった。
あまりにも疲れすぎると、どうやら食欲すらなくなってしまうようだ。
そんな俺の様子を見た瑞希が少しいぶかしげな顔をして、
「またずいぶんくたびれてるわね。あんた、最近遅くまでなにやってんの?」
「世界の平和を守ってる」
適当に返事をして、そのまま風呂場に直行する。
「あ、わりぃ、雪。メシの支度終わってからでいいから着替え出しといてくんねーか?」
「うん。いいよ」
一方の雪のほうは特に事情を聞いてくることもなかった。
「あ、でもユウちゃん……」
脱衣所のドアに手をかけた俺に、雪が思い出したように言う。
「お風呂なら、いま歩ちゃんが入ってるよ」
「……はよ言ってくれ」
危ない危ない。
この前ミスったばかりなのに、同じ過ちを繰り返すところだった。
……と思っていると、脱衣所のドアが向こうから開く。
「あ、お兄ちゃんおかえりー。もうちょっとだけ待っててね」
と、ドアの隙間から歩がひょこっと顔を出した。
髪は濡れたまま。
むき出しの肩が少しだけのぞいている。
……勢いで開けていたら大変なことになっていたかもしれない。
「んじゃ、とりあえず自分で着替え取ってくっかな……」
俺は鉛のように重い体をひきずってリビングを出ると、玄関に放置したカバンを手に階段を上がった。
ひざに手を置いたまま1段ずつ上がり、壁に手をつきながら部屋までたどりつくと、電気をつけ、カバンを放り投げてクローゼットへ向かう。
そのままベッドに倒れこみたい誘惑をこらえ、着替えを手に再び1階へ。
リビングではちょうど歩がドライヤーを手に脱衣所から出てきたところだった。
「歩。それ、シャワーか?」
「ううん。お風呂沸いてるよー」
ドライヤーの音に混じって歩の返事が聞こえてくる。
ありがたい――と、今度こそ風呂場へ。
途中、雪がフライ返しを手にしたままちらっとこちらを見る。
「ユウちゃん。そんなに疲れてるなら背中流そうか?」
「あー……」
そんな雪の冗談に俺は苦笑して、
「今の俺にゃ本気で魅力的な提案なんだけどさ。瑞希に怒られそうだからやめとくわ」
「当たり前でしょ。……でもホントに疲れてるみたいね」
瑞希はちょっと考えた顔をして、
「なにやってきたのか知らないけど。お風呂上がったらマッサージでもしてあげましょうか?」
「……マジか?」
こっちは現実的な提案だった。しかもかなりありがたい。
「部活でたまにやってるから。質の保証はできないけど」
「命の保証はしてくれるんだろうな?」
「……今の発言でわからなくなったかもね」
「冗談です。お願いします、瑞希さん」
素早く方針転換し、90度の角度で頭を下げる。
今はプライドよりも実利優先だ。
「……最初からそんな憎まれ口を叩かなきゃいいのに」
そんな俺の態度に瑞希が苦笑する。
どうやら今日は機嫌がいいようだ。
そうして、俺はそのまま風呂場へ向かった。
「ふぅ――ッ」
湯船に入ると、極限にまで疲労した筋肉にじわりと熱が浸透してくる。
そして体中のあちこちがヒリヒリと痛んだ。
気づかずにできた切り傷やスリ傷。
我ながら、ナマケモノの自分がよくこんなことを続けていられるものだと感心してしまった。
こんな修行が必要になる状況がやってくるかどうかもわからず。
やってきたとして、それが役に立つかどうかも定かではないというのに。
ただ、それでも今は、これを続けていくことに迷いはなかった。
「ふぅぅぅ……」
ため息ともあくびともつかない息がもれて、頭の中がぼんやりとしてくる。
修行を始めて10日あまり。
体のほうは多少慣れてきたとはいえ。
(この眠気は……いかんともしがたいな……)
そうして疲れ果てた俺は、結局、長風呂をいぶかしむ雪が様子を見にやってくるまで、湯船の中でウトウトと船を漕ぐことになったのだった。