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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第3章 俺たちの恋愛事情
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1年目6月「ランチタイムのアクシデント」


 予期せぬ事件が起きたのは、その翌日のことだった。


(昨日の雪のアドバイスで少しは上達したかな、あいつ)


 今日は俺も少しだけ明日香の弁当を楽しみにしながら直斗のもとへ向かっていた。


「あれ、優希? どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないだろ。俺がこれから勉強でもするように見えるか?」


 そう答え、持ってきた弁当箱を直斗の机に置く。


「教科書を持ってきたとしてもそうは思わないけどね」

「……」


 そのとおりなのだが、ストレートに言われるとそれはそれで納得できないものがあった。


「でも珍しいね。優希のほうから来るなんて」

「そうか?」


 明日香の弁当がどうなったかが楽しみで――なんてことはおくびにも出さず、空席となっていた前の席のイスを反転させて座る。


 ちなみに我らが風見学園では、昼食は教室以外の場所で食べるのが一般的である。

 屋上や中庭がかなり広い上にちょっとした公園のようになっていて、ランチを食べるのに絶好のロケーションとなるよう整備されているからだ。


 竜二のヤツは学食に行ったし、由香は女友だちに連れられていなくなった。

 いつもうるさい将太と藍原も姿が見えないところをみると、どうやら学食に向かったようだ。


 そんな中。


(……お、来たな)


 それほど待たされることなく、教室の入り口に明日香の姿を発見できた。

 が、しかし。


「?」


 すぐに様子がおかしいことに気づく。

 いつもならやってくるなりすぐに直斗のところに駆け寄ってくるはずが、なにやら元気なさそうに静かに入ってきたのである。


 顔も暗い。心ここにあらずといった表情だ。


「こんにちは、直斗先輩」


 やってくるなり明日香はいつも通りにそう言った。

 が、言葉にもやはり覇気がない。


「こんにちは、明日香ちゃん」


 直斗は何事もなかったかのように挨拶を返した。


 異変に気付いていないのだろうか。

 それとも単に俺の気のせいなのか。


「どうしたんですか、優希先輩?」

「ん?」


 明日香の問いかけに、俺は思考から現実の世界へと引き戻された。


「いや、なんでもない」

「そうですか? ……あ、直斗先輩。これお弁当です。今日のは自信作なんですよ」

「いつもありがとう。助かるよ」


 やり取りに不自然なところはない。


(……やっぱ気のせいかな)


 そのときだった。


「っ……!」


 耳の奥にチリチリとした軽い痛みが走る。

 いや、これは――


("耳鳴り"――!)


 今度は気のせいじゃない。

 俺はとっさに辺りを見回した。


 教室。

 窓の外。


 何も変化はない。


「どうしたの、優希?」

「優希先輩?」


 怪訝そうな直斗と明日香の視線が俺に向けられていた。


「あ、いや……」


 そう答えながらも軽く耳を押さえる。


 前にも言ったが、この"耳鳴り"自体は決して珍しいものじゃなかった。

 悪いことが起きる前兆だったり、そうじゃなかったり。悪いことが起きるとしても、それがなんなのかを察知することは難しいし、そのすべてにいちいち反応していたら普通の生活は送れない。


 だが、それでも。

 今回のは、明日香の態度に感じた違和感と重なって少し気になるものだった。


 が、気になったからといってなにをできるというわけでもなく。


「……いや。その辺を虫が飛んでいたように見えたんだが気のせいだった」

「?」


 直斗は首をかしげていたが、やがて明日香から受け取った弁当箱に視線を戻した。


「じゃあ、いただくよ」


 蓋を開く。

 俺も耳鳴りは忘れることにして弁当箱を覗きこんだ。


「ん……ずいぶん変わったな」


 それが最初の感想だった。

 先週まではところどころに隙間があったのだが、今日はかなりしっかりと詰め込まれていて彩りも鮮やかになっている。


「綺麗だし、おいしそうだね」


 直斗も俺とほぼ同じ感想を口にして、箸を手に取った。

 だが、


「……」


 明日香はなにやらボーっとしていてあまり聞いていなかったようだ。

 俺の感想はともかく、直斗の言葉には相当喜んでもおかしくないはずなのだが――


(……やっぱ変だな、こいつ。あれか? いわゆる女の子の日ってやつなのか?)


 なんて、口に出したら間違いなく非難の集中砲火を浴びそうなことを考えていると、


「……えっ?」


 今度は直斗が妙な声をあげた。


「どうした、直斗?」


 見ると、直斗の手は弁当のおかずに箸をつけようとしたところで止まっていた。

 なにがあったのかと直斗の視線の先を見たが、そこには彩り豊かなおかずが並んでいるだけだ。


 もう一度、直斗の顔に視線を戻す。

 すると一瞬だけ目が合って、


「あ、そうだ」


 直斗は急に箸を置いた。


「食べる前になにか飲み物でも買ってこようか。優希も明日香ちゃんも、なにか飲むでしょ? 買ってくるよ」

「は?」


 唐突な申し出に驚く。


「ああ、飲まないことはないが……」

「優希はお茶だったよね。明日香ちゃんも。お茶でいい?」

「……え? あ、はい」


 上の空だった明日香も今度はきちんと答えた。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね」


 そして急いだ様子の直斗が席を立とうとして――


 ……ガンッ!


「あっ!」


 かなり慌てていたのだろうか。

 立ち上がろうとした直斗の膝が机を直撃した。


「危ねぇッ!」


 俺はそう叫んだが、時すでに遅し。

 直斗に蹴り上げられた机はななめに傾いてしまい、上にあった弁当箱はぜんぶ教室の床に投げ出されてしまった。


「あっ……」


 ワンテンポ遅れて、明日香がそれに反応する。


「ごっ、ゴメン!」


 直斗が慌てて机を元に戻した。

 が、しかし。


「……ゴメン明日香ちゃん。せっかくのお弁当……」


 蓋を開けていなかった俺の弁当は中身がシェイクされただけで済んだが、明日香が作ってきた直斗の弁当は中身がすべて床の上にぶちまけられてしまい、ティッシュを駆使して残骸を回収したものの食べられる状態ではなくなってしまっていたのだった。


「あ……いえ、気にしないでください」


 平謝りする直斗に、明日香は空になってしまった弁当箱を胸に抱えながらそう答えた。

 表情は暗かったが、これは今のできごとがどうこうではなく最初からである。


「……本当にごめん」


 直斗が重ねて謝ると、明日香は今日初めて笑顔を見せた。


「いいですってば。私また作ってきますから。本当に気にしないでください。……あ、それじゃ今日はこれで失礼しますね」


 明日香はそう言うと、弁当箱を手に教室を出て行ってしまった。

 そんな彼女の後ろ姿を見送って、


「……ゴメン」


 再び直斗は小さく呟いた。


「……?」


 そこでもう一度。

 今度はそんな直斗の様子に俺は違和感を覚える。


(……なんだ?)


 しかしその正体に気づくことはできず。

 その日、直斗は結局昼食を食べないままだった。






 その夜。


 トゥルルル、トゥルルル……


 我が家の電話の呼び出し音が鳴ったとき、俺は2階の自室でベッドに転がってマンガの単行本を読んでいた。


 ウチの電話は1階のリビングに親機が設置してあり、2階の廊下に子機が1台置いてある。

 外線はどちらからでも取ることができるが、1階にはまだ雪と瑞希が残っているはずだったし、わざわざ部屋を出て電話を取る気はなかった。


 やがて下で誰かが取ったのだろう。

 呼び出し音が止まって、そして数秒後。


「優希ー! 電話よー!」


 階下からそんな瑞希の声がした。


(……電話? こんな時間に誰だ?)


 ゆっくりとベッドから身を起こし時計を見ると、夜の9時を少し回ったところだった。


 廊下の子機が先ほどまでとは違う呼び出し音を鳴らしている。

 これは外線ではなく、親機からの呼び出し音だ。


 俺は廊下に出て子機を取ると、


「この電話番号は現在使用されておりません……」

「バカ。つなぐわよ」


 俺のお約束のボケは受話器の向こうの瑞希にさらっと流されてしまった。


「……もしもしー。電話代わりましたがー」


 相手が切り替わったのを確認してそう呼びかける。

 すると、


「相変わらず間の抜けた声だな」

「ん?」


 いきなり失礼な第一声だった。

 しかもあまり聞きなれない声である。


 ……ああ、思い出した。


「お前、隣のクラスの野口だな? どうした野口? また女にフラれたか? まあ気を落とすな。人生楽ありゃ苦もあるさ」

「悪いが」


 電話の向こうの野口は冷たい声でそう言った。


「お前のおふざけに構っている暇はない。用件だけ言わせてもらうぜ」

「……相変わらずノリの悪いやつだな、お前」

「お前ほど暇じゃないんだ」


 野口――もとい、楓は淡々とそう言った。

 もう向こうから接触してくることはないと思っていたので、この電話はかなり意外だった。


「久しぶりだな。楓」

「ああ、1ヶ月半ぐらいか」

「で、用件ってのは? やっかい事か?」


 楓の口調から、世間話をするためにかけてきたんじゃないことはわかる。

 ということは例の組織か、少なくとも悪魔絡みの話だろう。


 楓は言った。


「今井明日香。知ってるな?」

「……明日香?」


 思わず反応が遅れた。

 意外すぎる名前だった。


「知ってるけど、なんでお前が?」


 逆に質問したが、楓はそれには答えようとせず、 


「その女自身、あるいは女の周りでなにか異変が起きてないか? ……いや、異変ってのはおおげさだな。もっと些細なこと、違和感と置き換えてもいい。心当たりはないか?」


 違和感。

 それはとてつもなくタイムリーな表現だった。


「ある。けど先に聞かせろ。お前はなにを探ってるんだ?」


 もう一度逆質問した。

 数秒の沈黙。


「毒だ」

「……なに?」


 聞き慣れているようで、現実ではあまり聞かない単語が受話器の向こうから飛び込んできた。


「毒って言ったか? なんの話だ?」

「あの女が作ってきた直斗の弁当から毒物が検出された。それもただの毒じゃない。こっちの世界では簡単に手に入らない特殊な遅効性の毒物だ」

「はあ?」


 あまりにも非現実的な話に、一瞬だけ思考が停止してしまった。


「……おい、待てよ。つまりアレか? 明日香が直斗の弁当に毒を仕込んで持ってきたってことか?」

「いや、別の誰かが隙を見て入れた可能性もある。ただ、どちらにしても、その明日香とかいう女に殺意があるわけじゃない」

「言ってる意味がわからんぞ」


 再び沈黙。

 受話器の向こうから面倒くさそうなため息が聞こえ、言葉がすぐに続いた。


「優希。お前は"精神操作"の力を持つ悪魔のことを知っているか?」

「幻魔族のことだろ。そのぐらいは知ってる」


 そういうことは伯父さんから聞いて多少の知識があった。


 幻魔の力は炎魔や氷魔といったわかりやすいものとは違い、人の心の隙間に入り込んでその記憶や精神状態を操るというものだ。

 強い力を持つ幻魔は人の行動そのものを操ることができるらしいが、通常は錯覚や軽度の混乱を起こさせる程度だと聞いている。


 俺はハッとして、


「その件に幻魔が関わってるってことか?」

「でもなきゃ、俺がわざわざ調べるはずがないだろう?」

「そうかもしれんが……ちょっと待て。ってことは、その幻魔とやらに直斗が狙われたってことか?」

「……」


 今度は長い沈黙だった。


「楓?」

「……そうだな。お前には教えておいたほうがいいか」


 楓は独り言のようにそうつぶやくと、


「詳しい事情までは話せんが、直斗のヤツには命を狙われる理由がある。今回だけじゃない。これから先もこういうことが起きる可能性はある」

「……そんな説明で納得しろってのか?」

「別に納得しなくてもいい。そのうちわかる。それに――」


 受話器の向こうで楓が薄い笑みを浮かべたのがわかった。


「納得してもしなくても、お前は直斗の命を救うためなら動く。そうだろう?」

「……」


 もちろん不満だったが、それは楓の言うとおりだった。

 直斗が本当に命を狙われているのなら、そんなことを議論している場合じゃない。


 仕方なく俺は受話器を手にしたままうなずいて、


「わかったよ。で、どうすればいい? 幻魔をつかまえることはできるのか?」

「すぐには無理だ。色々調べるのに少し時間がかかる」

「けど、お前の話が本当なら明日持ってくる弁当にも毒が入っているんじゃないか?」

「だろうな」

「だったらどうすんだ?」


 毒が入っていることを直斗は知らない。

 かといって、毒が入っているから食べるのをやめろなんてことを忠告するのも難しい。それで本当に毒物が検出されたらおおごとだ。


 しばらく考えた後、楓は言った。


「まずお前は明日香とかいう女と接触しろ。話をするだけでいい。そしてその女の状態を俺に報告するんだ。明日の夜にはまた俺のほうから電話する」

「お前は?」

「俺は幻魔がその女に接触しないかどうかを監視する。幻魔がかかわっているなら必ずどこかのタイミングで女に近づくはずだ」

「おい、待てって。明日の昼にはまた弁当が……」

「その点は心配ない。直斗は明日から3日間風邪で学校を休む」

「風邪で休む?」


 どういう意味だろうか。

 しかし楓はそのことについて説明する気はないようで、


「リミットは週明けの月曜日だ。それまでに決着をつける」

「……わかった」


 納得できないところはいくつもあったが、とりあえず俺はそう答えた。


 楓はおそらくこういうことにかけてはプロだ。素人同然の俺がアレコレと口を出す必要はないと思ったし、なんと言っても直斗の命がかかっている今回は間違いがあっては困る。

 すべて楓に任せたほうがいいだろうとの判断だった。


 そして俺は、俺のできることをやるのだ。

 わからないことが多すぎる現状ではそれが一番いい。


「任せたぞ、優希」


 楓は最後の最後にようやく殊勝な言葉を残し、電話を切った。


「……お前に頼まれなくてもやるっつーの」


 ツー、ツー、という受話器に憎まれ口を返して、俺は部屋に戻った。

 ゴロン、と、ベッドに転がる。


 考えるべきことはたくさんあった。

 どうして直斗が狙われたのか。

 楓はどうやって明日香の弁当の中身を調べたのか。


 いや、それだけじゃない。


 だいたい直斗が今日弁当を食べなかったのは、誤って弁当箱をひっくり返してしまったためだ。

 いわば偶然。しかも慌てて机に膝をぶつけてひっくり返してしまうなんて、あいつらしくないミスのおかげだった。


 だが、不思議と楓はそのことについて言及していない。


 もし以前から明日香の周辺に気を配っていたのなら、もっと早くに行動を起こしていて、今日のことだって未然に防げていたはずではないのか。


 楓は『直斗には狙われる理由がある』と言った。

 だったら、あらかじめもっと直斗の周辺に注意を向けていたはずだ。


 なのに、直斗が助かったことはあくまで偶然。


(偶然、か)


 ……本当に偶然だったのだろうか?


 俺は今日の昼のできごとを思い出す。


 直斗はあのとき一度弁当箱の中身に箸を伸ばした。そこで何事か思いついたかのように箸を止め、そして突然飲み物を買いに行くと言い出したのだ。


 そのときの直斗の態度は明らかに不自然だった。


 そして立ち上がろうとした直斗は机に膝を引っ掛け、弁当の中身を床にぶちまけてしまう。

 それもいつもの直斗らしくない失敗だった。


 そりゃ、あいつだって人間だ。

 たまには失敗もするだろうが――


(……直斗が気づいていたとしたら?)


 その可能性に思い至る。


 明日香の弁当に毒が入っていることに食べる直前で気づいたのだとしたら。

 そう仮定すると、びっくりするぐらい今日の直斗の行動が説明できるような気がした。


 しかし。


(……考えすぎかな)


 後輩が作ってきた弁当に毒が入っているかもしれないなんて、普通の人間の感覚では思いつくことさえないだろう。

 いくら直斗の勘が常人をはるかに超えるほど鋭いとしても、だ。

 常日頃から狙われていることを自覚しているのならともかく――


(まさか、な)


 俺はすぐにその考えを打ち消し、なんとなくすっきりしない気分のまま寝返りを打った。

 そして、とりあえずその先を考えることを封印する。


(今はまず、やるべきことをやるだけだ……)


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