2年目3月「秘密結社」
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「……まいったな」
帰宅してリビングに顔を出すなり、竜夜は首をひねりながら思わずそうつぶやいていた。
「お疲れさま。……もしかしてうまくいってないの?」
そんな竜夜を出迎えたのは晴夏だった。
そこは優希たちが住む町の一角に建つなんの変哲もない一軒家。
彼ら自称"秘密結社"のメンバーが使用している隠れ家のうちのひとつだった。
「んなこたぁないがね。いや、むしろ今のところは思いどおりと言ってもいい」
竜夜は一直線にソファに向かい、大きく息を吐いて腰を下ろす。
晴夏は手にしていた文庫本をテーブルに置き、遠視用のメガネを外して竜夜に疑問の目を向けた。
「じゃあなにがまいったの?」
「俺が留守の間に、この辺で大きな事件があっただろ?」
「失踪事件のこと? そういや純もかなり気にしていたわね」
部屋の片隅ではローカルのニュース番組が、相変わらず大量失踪事件の情報を流していた。
「ああ。あの事件、やはりクロウが関わっている可能性が高いようだ」
「……気にするほどのことかしら?」
晴夏はゆっくりと立ち上がって冷蔵庫に向かう。
取り出したのは缶ビールだ。
「4人の女皇はもう消滅したんだし、あいつにはロクな戦力が残っていないと思うのだけど」
そう言いながら、持ってきた缶ビールを竜夜の前に置く。
「だからこそだ。いまさらなにを企んでいるのか気になるだろ?」
プシュと、缶ビールのプルタブを開け、それに口をつける竜夜。
「ふぅ。疲れたときの冷えたビールはやっぱいいな」
「オジサンくさいわよ、竜夜」
「ふっ……お前から見れば俺は実際にもうオジサンだろ?」
「まだ20代半ばじゃない。若いくせに老化を言い訳にするのは見苦しいわ」
しんらつな晴夏の指摘に竜夜は苦笑して、
「以後気をつけるよ。……で、事件の話。ごく普通の一般市民をさらってどうするつもりなのかってことだ」
「クロウは幻魔だし、操っていざというときの人質や盾にするとか? ないかしら?」
「ないな」
と、竜夜は即答した。
「クロウが女皇という巨大戦力を失ったことは確かだが、これだけの規模の事件を起こしているところを見ると新たな仲間を得たのは間違いない。とはいえ、御門への直接攻撃がまったくないことからすると、その戦力はまだまだそれに対抗できるほどのものじゃないんだろう」
「だからこそ、人質が必要なんじゃないの?」
晴夏がそう言うと、竜夜はやはり首を横に振った。
「人質なんてほとんどなんの意味もないさ。あの御門や光刃が、たかが人質数十人のために"ゲート"を無条件で明け渡すと思うか?」
「それは……ないわね」
「だろ? なるべく助けようとはするかもしれないが、いざとなれば人質を見捨ててでも悪魔を討つさ。当然だ。あの"ゲート"を悪魔どもに渡せば、被害はおそらく数十人じゃ済まない。だから、人質で戦局を大きく動かすことは不可能なのさ。少なくとも、クロウ側に御門に匹敵するぐらいの戦力がなければな」
「じゃあ?」
「わからない。だからこそ不気味なんだ」
ふぅ、と、竜夜は困った顔でため息をついた。
「こちらの予定は順調だが、見えないところから足もとをすくわれるんじゃないかという気がしてな。気をつけて全体を眺めているつもりでも、死角ってのは必ずできるもんだ」
「でも、私たちにとってのチャンスも今しかないんでしょ?」
「そうだな。御門がここまで弱体化したのは史上初めてのことだ。今しかない。各地の不満も日増しに高まっている。特に悪魔排除派の組織はな」
「御烏……だっけ? 会いにいったんでしょ?」
「ああ。どうやらこっちの希望どおりの展開になりそうだ」
と、そこへ玄関から声がする。
「ただいまー」
竜夜は一瞬だけ言葉を止めて玄関のほうを見た。
晴夏も同じく玄関に視線を向けながら、
「……大丈夫なのかしら? あいつらは御門よりもさらに極端な悪魔排除派でしょ? あとでやっかいなことにならない?」
竜夜たちの目的は、以前優希に対して説明したように、悪魔と人間とうまく共存させること。
その仕組みをこの地に構築することである。
だが、今回竜夜が手を結ぼうとしている相手は、明らかにその目的と反する存在だった。
「問題ないさ。俺が御門の中枢と"ゲート"を握ってしまえば御烏程度はどうとでもなる。そうなるまで、多少はあいつらの意見を尊重するフリもしてやる必要はあるが……おかえり、瑠璃さん」
「あら、帰ってたんですね、竜夜さん」
玄関に続くドアを開けて入ってきたのは、両手に買い物袋を抱えた女性――瑠璃だった。
晴夏がすぐに駆け寄っていく。
「瑠璃姉さん、私が運ぶわ。車にも荷物あるんでしょう?」
「うん。ごめんなさいね、晴夏ちゃん」
「気にしないで。竜夜も疲れてるでしょ。座ったままでいいわ」
と、晴夏は立ち上がりかけた竜夜を制止した。
「そうか。悪いな、気を遣わせて」
「たいしたことじゃないわ。姉さん、車のカギ貸して」
「はい。お願いね」
そうしてカギを受け取った晴夏がリビングを出て行く。
少し間があって、玄関のドアの閉まる音がした。
それを見送った瑠璃は視線を移して、
「例のお話ですか? どうでした?」
「順調だよ。このままいけば御門が崩壊するのは時間の問題。……そうだな、あと2~3ヶ月だろう」
「……そうですか」
瑠璃は小さくうなずき、上着をエプロンに取り替えて台所へと向かった。
その背中に竜夜は付け加えて言う。
「あとは沙夜がすべての罪を背負って消えてくれれば、それですべてうまくいく」
「……」
ぴた、と、瑠璃の足が止まった。
一瞬の空白。
「竜夜さんは……それでいいんですか?」
ゆっくりと振り返った瑠璃の視線は、ほんのわずかに憂いを帯びていた。
「なにが?」
不思議そうに聞き返す竜夜。
とぼけているようにも見える。
「……沙夜さんは悪い子ではないと思います」
「わかってるよ」
竜夜は苦笑した。
「けど、あいつは非力だ。なら可哀想だが、俺が開く道の犠牲になってもらうしかない」
「でも……本当は彼女を殺したくはないのでしょう?」
「心の底から殺してやりたいと思う人間なんて、そうそういるもんじゃないさ」
「……」
瑠璃の問いかけはもちろん、そのような一般論の話ではない。
ただ、竜夜が取り違えたのではなく、あえて曲解して答えたのだということもわかっていた。
そんな瑠璃の心の動きを竜夜も即座に察し、言葉を付け足す。
「なにもあなたが気にすることじゃない。これは俺が決めた俺のやり方だ」
「……」
瑠璃は沈黙したままだった。
そこへ玄関のドアが開く音がして、ふたつの足音が入ってくる。
「あー、なんで俺、こないにタイミング悪いんやろ……」
「つべこべ言ってないでさっさと運びなさい」
そんなことを言い合いながらリビングに姿を現したのは晴夏と純だった。
どうやらちょうど帰宅した純が、荷物持ちを手伝わされているようだ。
純は抱えた大荷物の向こうから竜夜の姿を目に留めて、
「お、竜夜、帰ってたんか。首尾はどうやった?」
「マズマズだ。そういやお前ら、昨日は優希くんにちょっかいを出したらしいな」
「なんや、氷騎にでも聞いたんか?」
荷物を台所へと運びながら純がそう聞き返す。
その後ろから小荷物を持って入ってきた晴夏は、少しバツが悪そうな顔をしていた。
竜夜はちらっと晴夏を一瞥し、すぐに純のほうへ視線を戻すと、
「別に責める気はない。いずれ接触するつもりだったからな。で、彼の反応はどうだった?」
「せやなー……あ、ねーさん。荷物ここでええんか?」
「ええ。ありがとね、純くん」
台所に荷物を置いた純がリビングに戻ってくる。
「脈なしとは思わんけど、光刃の嬢ちゃんをかなり信頼しとる。今んとこ厳しいんとちゃうかな」
「そうか。……いや、そうだろうな」
竜夜はかつて青刃として優希と沙夜のやり取りを間近で見てきている。
彼らの間に一定以上の信頼関係があることは承知の上だった。
そこへ晴夏が口を挟む。
「本気で彼を仲間にするつもり? だったらいい加減、本当のことをいろいろ話すべきじゃない?」
「いや、それはまだ早いな」
「どうして?」
詰め寄る晴夏に、竜夜はテーブルの上に手を組んで答える。
「彼はまだ沙夜と光刃というものを切り離して考えている。そんな状況で光刃や御門についての真実をいくら語ったところで、沙夜だけは違うと割り切っておしまいだ」
「それは……そうかもね。でもそれじゃ、いつだったらいいわけ?」
「さあ」
「さあ、って、悠長やなぁ」
純が呆れ顔をする。
竜夜は笑って、
「近いうちに必ずチャンスはある。御門の状況が苦しくなればなるほど、光刃は次々に厳しい判断を迫られることになるからな。時には非情な決断を下さなければならない場面も出てくるだろう。彼がそれで沙夜に多少なりとも不信感を持ってくれれば、チャンスはそのときだ」
晴夏がさらに問いかける。
「彼にそこまで手をかける価値がある? もちろん戦力は多いに越したことはないけど、そこまでの実力者ってわけでもないでしょ?」
「ま、確かに本人の実力は未知数だが、それだけじゃない。彼を味方につければ、周りの人間……最低でも上級氷魔の妹がついてくる。それだけでも充分さ」
「……ふーん。私は戦ったことないんだけど、妹のほうは強いの?」
竜夜は小さく笑って答えた。
「あれは臥竜だ」
「臥竜? 眠っている竜ってこと?」
晴夏は一瞬冗談だと思ったようだが、竜夜はいたって真面目だった。
「クロウの手下との戦いぶりをちらっと見たが、上級炎魔相手でもおそらく本気を出していない。性格的なものもあるんだろうが」
「……」
竜夜が本気だと悟って、晴夏は眉間にしわを寄せた。
純が納得顔で口を挟む。
「そういや竜には逆鱗っちゅーものがあるそうやな? 触られると激高して触れた者を即座に殺すとかなんとか……」
純の言葉に、竜夜は意を得たとばかりにうなずいた。
「あの娘の逆鱗はおそらく兄貴だ。そういう意味でも、あのふたりは味方か、最低でも中立にしておきたい。そういうことさ」
「……ふーん。ま、純はともかく竜夜がそう言うなら間違いないんだろうけど」
晴夏はまだ少し納得し切れていない様子で、
「でも正直、あたしには優希くんが仲間になる可能性があるとは思えないわ」
「どうしてそう思う?」
竜夜が怪訝そうな顔で問いかけると、晴夏はさらりと答えた。
「勘よ」
「勘、か」
竜夜は困った様子で頭をかいた。
「悪いことに、お前の勘は外れることのほうが少ないからなあ」
純が笑いながら言う。
「ま、ダメならそんときはそんときやろ。ひとまず風呂入ってくるわ」
と、話の輪から抜けてそのまま風呂場へ向かった。
台所からは瑠璃の包丁がまな板を叩く音がしている。
時計は17時を指そうとしていた。
「……ああ、そうそう。晴夏」
純の背中を見送った竜夜が、同じくリビングから出て行こうとしていた晴夏を呼び止める。
そして振り返った彼女に、軽い調子で言った。
「調べて欲しいことがあるんだ。どうもこの町の中で正体不明の大きな力を発したやつがいるらしくてな。結構前のことなんだが」
「それだけ? それじゃなにを調べればいいのかわからないわ」
「ああ、わかってる。お前に調べてもらいたいのは……」
竜夜は目を細めた。
「この前の戦いで消滅した――いや。消滅したはずの女皇たちについて、だ」