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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第5章 侵食
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2年目3月「焦燥」


 ホテルで純たちと別れた俺が自宅に到着したのは22時半すぎだった。


「あれ? おかえりなさーい……」


 玄関のドアを開けて最初に耳に飛び込んできたのは、水洗トイレの水が流れる音と、ちょうどそこから出てきた歩の寝ぼけた声である。


「おう、歩。もう寝るのか? こんな時間に珍しいな」


 歩はこう見えても我が家では俺と1、2を争う夜更かしだ。

 日が変わっても起きていることなどザラである。


「うんー……旅行の疲れかなぁ? 今日はもう眠くて眠くて……」


 歩はそでの余ったブカブカのパジャマ――かなり前に成長期だからと大きめのサイズを購入して、いまだにこの状態である――で、言葉どおり眠そうに目をこすっていた。


「……あ、そうそう。雪お姉ちゃんが、お兄ちゃんの帰りが遅いって怒ってたみたいだから、後で謝ったほうがいいかもー」

「ああ。それはさっき瑞希から電話で聞いた」


 俺がホテルを出たのが22時ジャスト。想像していたよりもかなり遅い時間だったため、ホテル近くの公衆電話からすぐに家へ連絡を入れたのだが、雪は例の失踪事件のこともあってかなり心配していたそうで、俺が無事だと知るや否や怒った様子で、電話が終わる前に2階の自室へ引きあげてしまったそうだ。


 もちろん俺としても止むに止まれぬ事情があったのだが、それは電話口に出た瑞希に説明できる内容ではなかった。


「雪のやつは部屋か?」

「たぶん……でも静かだし、もう寝てるかも」


 歩は話している間も左右にユラユラしていて、今にもその場に座り込んで寝てしまいそうだ。


「わかった、サンキュ。じゃ、お前も寝てくれ」

「うん……おやすみぃー」

「おぅ、おやすみ。階段気をつけろよ」

「ふぁーい……」


 フラフラと階段を上がっていく歩を見送って、俺はリビングへと足を向けた。


 リビングに点いていた明かりは豆電球だけで、1階はしんと静まり返っている。

 瑞希のやつもすでに自室に戻っているようだ。


(こりゃ説明は明日かな……)


 寝てるかもしれないところをわざわざ部屋に訪ねるのも悪いし、それに事情を説明するのが遅れても、せいぜい俺の朝メシが抜きになるぐらいだ。慌てることでもないだろう。


 俺は気持ちを切り替えて、3人がけソファの上にあお向けに転がった。


「ふぅ……」


 疲れが全身を包む。


 目を閉じると、そこに晴夏先輩の顔が浮かんだ。

 ……いや、晴夏先輩だけじゃない。


 純。紅葉。それに氷騎。

 今日会った4人はいずれも強烈な力の持ち主だった。


 そして今、そんな彼らにとっても予想外なできごとが、俺の知らないところで起こりつつあるという。


 ……よみがえってくる。

 ホテルを出たときに感じたあの焦燥感が。


 俺はこのままでいいのだろうか、と。


(……いいわけないよな)


 全身のにぶい痛みが今日の敗北を思い出させた。

 晴夏先輩の正体不明の力に、俺は結局手も足も出せなかったのだ。


「……あー」


 今さらながらに悔しさが募る。


 ……ダメだ。

 この暗い部屋で考えごとをしていたら気が滅入ってしまいそうだ。


 俺はとりあえずソファから身を起こし、生乾きの服を着替えることにした。


「あーっと……」


 リビングをぐるりと見回すと、ソファの陰に俺の洗濯物がたたんであった。

 俺はそこから下着だけを一式抜き取り、そのまま風呂場へ向かう。


 確か旅行から帰ってきたときに瑞希が入っていたはずだ。

 熱いお湯を足せばまだ充分入れるだろう。


 ……やっちまった、と、後悔したのはそれから約3秒後のことだった。


「えっ?」


 きょとんとした雪と視線が重なる。

 そして俺も一瞬の思考停止。


 驚いた顔で互いに見つめあうふたり。


 たとえばこれが恋愛映画で、引き裂かれた恋人同士の再会シーンなんかだったとしたら、ここでドラマチックなBGMでも流れ出すところなのだろうが、残念ながら俺の耳には、自分の毛穴から冷や汗が吹き出す音しか聞こえてこなかった。


「……」


 雪も驚きで完全に思考停止している。


 風呂から上がったばかりだったのだろう。まだ髪の毛の先から水滴が糸を引いているような状態で、なによりもタイミングの悪いことに、ちょうどバスタオルを手に取ろうとしている瞬間だった。


 逆にいえば、まだバスタオルすら手にしていない。

 完全に、アレな状態だ。


「……」


 そしてようやく時間が動き出す。

 雪がバスタオルを手に取って後ろを向き、俺は黙ってドアを閉めた。


「……ふぅ」


 背を向けて大きく息を吐く。

 そのままリビングに戻って先ほどのソファにうつ伏せに倒れこんだ。


 しばらくして、脱衣所のほうからガーッというドライヤーの音が聞こえてくる。


(……やっちまった)


 一応、言い訳をしておこう。


 何度も言っていることだが、我が家は男ひとりに女が3人、しかも全員が思春期という特殊な環境である。

 相手が妹と従姉と妹もどきとはいえ、生活に色々と配慮が必要なのは当然のことだ。


 先ほどのようなアクシデントの可能性は常に頭にあるし、それを防ぐためのルールもいくつかある。

 トイレや脱衣所、各部屋でのノックはもちろんのこと、自分以外の洗濯物には極力近づかないとか、風呂上がりでも脱衣所を出るときはそれなりの格好でとか、これでもかなり気を遣っているつもりだ。


 それでも以前の歩のときのように、風呂場から出るのと脱衣所に入ってくるタイミングが偶然かち合ってしまう(あのときは俺が裸だった)なんてケースもあって、それ以降はさらに気を遣ってきたつもりだ。


 そう。

 普段は本当に気をつけているのだ。


 じゃあなぜ、今回に限ってノックを忘れてしまったのか――


 原因ははっきりしていた。

 今日のできごとについての考えごとをしていて注意力が散漫だったことに加え、1階にはもう誰もいないと思い込んでしまっていたことだ。


 瑞希は昼間にすでに風呂に入っていたし、歩は先ほどおやすみの挨拶をした。雪は俺が電話をかけたときに怒って部屋に戻ったはずで、もう寝たんじゃないかという歩の証言もあった。


 雪のほうから見れば、おそらく風呂場でシャワーを使っていて俺の帰宅には気づかず、誰も入ってくるはずがないと油断していたと考えられる。


 これらの条件が重なった上で、さらに最悪のタイミングで脱衣所に入ってしまったというのだから、これはある意味奇跡的なできごとだ。

 ここまでくると神の陰謀としか考えられない。


 もう一度言おう。

 これは神の陰謀だ。


 ……そんな支離滅裂な言い訳を自分にしていると、静かに脱衣所のドアが開いた。


 パチ、とスイッチの音がしてリビングの明かりが点く。歩く気配が近づいてきて、どうやら俺がうつ伏せに寝転がっている向かい側、ひとりがけソファのほうに腰を下ろしたようだった。


 神の陰謀だったとはいえ。

 これは俺のほうからなにか言わなきゃならんだろう。


 ゆっくりと顔を上げ、まずは密かに雪の表情をうかがってみた。


「……」


 雪はソファの上で体育座りのようにひざを曲げ、クッションを抱えて顔を埋めていた。

 残念ながら表情はまったく見えない。


 そこで、ひとまず軽いジャブを入れてみることにした。


「あー……なんだ。ちょっと……あれだな。その、タイミング悪かったな……」

「……」


 雪はピクリとも動かなかった。

 これはまずい雰囲気だ。


 俺は即座にその空気を察し、言い訳よりも平謝りするほうへ方針転換した。


「悪い。ノック忘れてた。完全に俺が悪かった。許してくれ」

「……」

「それと帰りが遅くなったのも悪かった。こっちは色々理由があるんだが、あとでちゃんと説明するから」

「……」


 やはり返事はない。

 俺は一呼吸置いて、


「……怒ってるのか?」


 そりゃ怒っているだろう。

 帰りが遅くなったことはともかく、ノックしなかったことは100パーセントこちらのミスだ。


 ここは素直に土下座でもするべきだろうか。

 それとも発想の逆転で、ヌード専門のカメラマンよろしくスタイルとかを褒めてみようか。


(……いや、殺されるな)


 おそらくは瑞希辺りに。


 となると、やはり土下座するしかない。

 俺はそう決意し、ソファの上に正座して土下座(?)の体勢に入った。


「おい、雪……」


 そして、せめて顔だけでも上げてもらおうと声をかける。

 すると。


「……ダイエットの途中だから」

「へ?」


 くぐもった声がクッションの向こうから聞こえて、俺はついマヌケな声を出してしまった。


 雪は少しだけ顔を上げ、恨めしそうな目でこっちを見ている。


「なに? お前いま、なんつった?」

「私、昨日ダイエット始めたばかりだったの」

「……ホワット?」


 半土下座の体勢で停止する俺。

 まったく意味がわからない。


「……だから」


 雪は抱えたクッションにギュッと力を込めて、


「ユウちゃんがさっき見たのは、一番ダメなときの私だから。……だから今すぐ忘れて」

「……は」


 それでようやくこいつの言いたいことがなんとなく理解できた。

 と同時に、安堵のため息をつく。


「……お前なあ。ガチ切れかと思ってマジで焦ったじゃねーか」


 俺がそう言うと、雪は不服そうに、


「見てのとおり本気で怒ってるし。ホント、ユウちゃんタイミング悪すぎだよ……」

「いや、俺が言ったのはそっちのタイミングじゃなくてだな。脱衣所のドアを開けるタイミングが……」

「……私が気にしてるのはそっちのタイミングだもん」


 じっと俺を見つめて(にらんで?)くる雪。

 鼻から下がクッションの陰に隠れているせいで表情がほとんどわからず、いつも以上に本気か冗談かの区別がつかなかった。


 こいつ、もしかして本当にそんな理由で怒っているのだろうか――と。


 また俺が少し不安になったところで、


「……なんて、ね」


 ちら、と、いたずらっぽい上目づかいに変わり、クスクスといういつもの雪の笑い声がクッションの向こうから聞こえてきた。


「お前なあ……」


 やはりからかわれただけのようだ。


「ノック忘れた罰だよ。……おかえりなさい」

「……ったく。ただいま。あと、ホントに悪かったな」


 遅くなった件とノックの件を改めて謝ると、雪は満足そうにうなずいた。


「もう気にしてないよ。お腹空いてるよね? 今おかず温めるから」


 そう言ってクッションを離し、ソファから立ち上がる。

 顔が赤いままだったのは風呂上がりだからか、あるいは冗談を装いながらもやっぱり気にしているのか。


 ただ、もちろんそんなことを突っ込むほど俺は悪趣味ではない。


「ああ、メシはとりあえずいいわ。今ちょっと食欲なくてな。明日にする」

「え?」


 雪は少し不思議そうに首を傾け、すぐに、


「なにかあったの? ……もしかしてケガしてる?」


 相変わらずの洞察力。

 もちろん隠すつもりはなかったので、俺は今日の晴夏先輩との戦いと、ついでに旅行中の史恩とのやり取りについてすべて話すことにした。


「……そっか」


 と、雪が話を聞きながら作っていたホットココアを持ってくる。


「うん。実はね。旅行中になにかあったみたいなのは、歩ちゃんからちょっとだけ聞いてたの」

「ああ、そっか。直接話してはいねーんだけど、あいつ、無駄なところで変に鋭いんだよなあ」


 マグカップを受け取ってココアをひと口。

 少し甘めで、冷えて疲れていた体が癒されるようだった。


 無駄かどうかはわからないけど――、と、雪は再び向かいのソファに腰を下ろして、


「それで、ユウちゃんはなにを悩んでたの?」

「ん。まあ、悩んでるっつーか……立て続けに強いやつと当たって、ちょっとな。調子が悪かったわけでもねーのに手も足も出ないってのは今までなかったからさ」

「強くなりたい、とか?」

「強くなりたいっつーか、もうちょっとどうにかならねーかな、って感じかな」


 ふぅん、と、雪は包むように両手でマグカップを持って、


「私のことも、もっとアテにしてくれていいんだよ? ユウちゃん、いつも自分だけで頑張ろうとするから」

「んー、まあ、だけど、お前がいつも一緒にいるわけじゃねーしな」

「いつも一緒にいようか?」

「無茶ゆーな」


 それにまあ、正直なところを言えばあまりこいつには頼りたくない。

 そこは兄貴としてのささやかなプライドというか、見栄というやつだ。


 雪は少し考えて、


「うーん。じゃあ伯父さんに相談してみるのはどうかな?」

「伯父さんに? ……まあ、やっぱそうなるか」


 もちろんそれは俺も考えていた。

 俺たちのことをよく知っていて悪魔に関する知識も豊富。ついでに最近判明したことだが、悪魔狩りの中でも結構重要なポストにいるらしい。相談する相手としてはこれ以上ない条件だろう。


 ただ、最近はどうも忙しくしているようで、なかなか連絡が取りづらいというのが気になる。


「ま、どっちにしても事件のことも含めて話をしなきゃなんないし、とりあえず連絡してみるか……」


 こうして、俺は自分強化への道を少しずつ探り始めることにしたのだった。


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