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双子兄妹の悪魔学園記  作者: 黒雨みつき
 第5章 侵食
186/239

2年目3月「彼らの理由」

 じめっとした不快な空気。

 古臭い板張りの床。

 厚い雲に隠れた満月。


 荒い呼吸が聞こえてくる。


 生ぬるい風がカーテンを揺らしていた。


 騒がしい犬の遠吠え。

 静まり返った部屋。鎮まらない鼓動。


 黒ずくめの男たち。


 ひとつ、小さな悲鳴。

 おびただしい血液が床の隙間を流れ落ちていく。


 どうして―― 


 疑問は混乱と恐怖に飲み込まれて言葉にならず。

 ただひたすらに震えながら朝を待つ。


 ……悪く思うなよ――


 そして男のつぶやきが聞こえた。


 恨むのなら。悪魔として生まれた己の身を恨め――と。






 ……俺の意識が光を取り戻したとき、最初に耳に飛び込んできたのは幼い少女の声だった。


「あーあ、この人も災難だよね。よりにもよってこんな日に晴夏にケンカ売っちゃうなんてさぁ」


 雨音はまだ続いている。

 まぶたの裏を焼く光はおそらく蛍光灯のものだろう。


「っ……」

「お。目ぇ覚ましたみたいやな」


 辺りには複数の人の気配があった。


 うっすらと目を開ける。

 まぶしい光の後、最初に視界に入ったのは見覚えのあるメガネの男。


「体の調子はどや? 優希」

「……最悪だ」


 どうやら俺が寝かされているのはソファの上のようだった。

 体には毛布がかけられていて、感触からすると上半身は裸。下半身もどうやら下着のみだ。


 晴夏先輩との戦いを思い出しながら、さらに体の調子を探る。


 全身に鈍い痛み。

 ただ、そこまで強烈な故障箇所はなさそうだ。


「ま、調子ええわけないわな。気分のほうは?」


 笑いながら俺の顔をのぞき込んでいるのは、何度か晴夏と一緒に行動していた、大学生風でエセ関西弁の男、純だった。


「……」


 俺はひとまず純の質問を無視し、目だけを動かして周りの状況を確認する。


 洋室で広さは14畳ぐらいだろうか。

 扉がひとつのシンプルな造り。


 カーテンの隙間からのぞく外の景色はすでに真っ暗だったが、車の走る音がそれなりに聞こえることからまだ夜中ではないだろう。

 時計は見当たらなかったが、18時とか19時ぐらいだろうか。


 とすると、おそらく3~4時間は意識を失っていたということになる。


 最低限の状況だけを確認し、俺は再び純のほうへと視線を戻した。


「気分か? ……最悪だよ。たとえるなら、気が荒くて胸の貧相な先輩に強烈な一撃を食わされた後みたいだ」

「コラコラ。晴夏のやつが聞いとったら本気でタマ取られんぞ」


 俺の発言に、本気でビビったような顔をする純。

 どうやら晴夏先輩は俺以外に対してもあんな感じのようだ。


 と、そこへ、


「あはは、この人おもしろいじゃない」


 すぐ近くで少女の声がした。

 目を覚ました直後に聞こえたのと同じ声である。


 視線を動かす。


 寝ているソファのすぐ前には純が立っていて、その逆、つまり背もたれ側からショートカットの少女が俺の顔をのぞき込んでいた。


「お前は……?」


 初めて見る顔だ。

 晴夏先輩や純の仲間なのだろうが、年齢は俺よりもかなり下でおそらくは中学生だろう。


 歩とそれほど変わらないぐらいか。


「でもまー、本当のことだし、晴夏も言われてしょうがないよねー」


 ケラケラと楽しそうに笑う少女。

 歳相応というべきか、それ以上に幼いというべきか。なんとも無邪気な笑顔だ。


 そして、そんなふたりの反応からもわかるように、晴夏先輩はどうやら部屋の中にはいないようだった。


 その代わり、少し離れた場所にもうひとり。


(あいつも見たことないな……)


 小さなイスに腰掛け、黙ってこちらを見つめている少年。

 年齢は俺と同じか少し下ぐらいだろうか。


 男にしては珍しいお下げ髪。

 目が大きく、雰囲気の割に顔立ちは幼い。


(ん……?)


 その顔を見た瞬間、俺の脳裏に一瞬だけ別の誰かの顔が過ぎったが、それはすぐに消えてしまった。


 純が口を開く。


「今回の件、晴夏のヤツからだいだいの事情は聞いとる。……スマン。お前が怒ったのも無理ないわ。けど、口の悪さはあいつの個性みたいなもんでな。勘弁したってや」

「……」


 妙だ。


 純の言葉には答えず、俺は改めて自分の体の状態を確認していた。


 部屋の中を自由に見回すことができたように、首から上は普通に動いている。

 そして体のほうも痛みはあるが、ベッドにしばり付けられているとかそういうことはない。


 にもかかわらず。

 首から下がまったく動かないのだ。


 その感覚は、まるで――


「ああ」


 そんな俺の表情から悟ったのだろう。純は後ろを振り返って言った。


「氷騎、別にええよ。そのままじゃ優希も不便やろ」


 氷騎と呼ばれたのはイスに座っていた少年だった。


「……ああ。わかった」


 氷騎がそうつぶやくと、ふっ、と、俺の全身をしばっていたなにかが消える。


念動力(サイコキネシス)か。……そういやさっきの)


 その力の正体に気づいて俺はもう一度氷騎を見た。

 すると、先ほど一瞬頭を過ぎった誰かの顔が再び姿を現す。


 そして、俺は思わずつぶやいていた。


「……歩?」

「……」


 氷騎は無言だった。


 ……そう。

 その氷騎という男、どことなく雰囲気が歩に似ているような気がしたのだ。


「ん? なんや?」

「どしたの、氷騎兄ちゃん」


 純が怪訝そうに俺を見て、名を知らぬ少女が氷騎を振り返る。


(……いや。念動力(サイコキネシス)から連想しちまっただけか?)


 改めて見ると、そこまで酷似しているというわけではない。

 目が大きくて童顔なところは確かに似ているが――


「ねえねえ、ユーキ。そのアユミってダレ? もしかして氷騎兄ちゃんに似てるの?」


 少女が食いついてきた。


「ん? ああ……ってかお前、年下だよな? いきなり呼び捨てにしてんじゃねーよ」


 とりあえず念動力(サイコキネシス)の呪縛から解放されたので、俺は上半身を起こすことにした。

 少し体が重いが動けないほどではない。


 部屋の中は暖房が効いているのか、上半身裸でも寒くはなかった。

 下半身は――俺自身はそんなに気にしないが、初対面の女の子の前でいきなり下着姿をさらすのもまずいだろうと、ひとまず毛布をかけたままにしておく。


「呼び捨てとかそんなのどうだっていいじゃん。それより質問に答えてよ」

「……」


 どうやらこの少女は礼儀を知らないクソガキのようだ。

 とはいえ、呼び捨てぐらいでいちいち目くじらを立てるのもバカバカしい。


「歩ってのは俺の知り合いで、あれだ。ちょうどお前ぐらいのやつだ」


 と、少女の頭のてっぺんで手をヒラヒラさせる。

 身長は150センチあるかないかで、背丈もおそらく歩と同じぐらいだろう。


「ふーん。ってことはユーキはロリコン?」

「おい、ふざけんな。ただの知り合いだって言ってんだろ」


 出会いがしらにロリコン呼ばわりとは、この少女、なかなかいい根性をしているようだ。


「えーホントかなぁ? だって高校生男子が中学生女子と知り合う機会ってそんなになくない? それとも昔の先輩後輩ってやつ?」

「つまりお前は中学生か? ま、歩は一応高校生だからな。歳はお前と同じぐらいだが」

「……どゆこと?」


 少女の頭にハテナマークが浮かんでいたが、面倒なので説明は省略した。


「その歩って女の子は――」

「ん?」


 つぶやくような声に視線を移動させる。

 言葉の主は氷騎だった。


「元気なのか?」

「? なんでだ?」


 俺がそう返すと、氷騎はなにも答えずに黙ってこちらを見つめてくる。

 どうやら返答はなさそうだったので、俺は仕方なく答えた。


「まあ、元気っちゃ元気だが……」

「そうか」


 氷騎はただうなずいて視線をそらすと、それっきり口を閉ざした。


(……なんなんだ?)


 先ほどあいつの顔で歩のことを連想したこともあって、その氷騎の態度がどうも気になった。

 が、それを問いただすヒマは与えられず、


「ほんなら、世間話も一段落したところで本題にいこか」


 と、純が切り出す。


「本題?」

「せや。ホンマは晴夏のやつが伝える予定やったんやけど……」

「ああ……」


 そういや晴夏先輩も話があると言っていた。


「単刀直入に言うけどな。優希。お前、俺らの仲間にならんか?」

「……は?」


 いきなりの申し出に、俺の頭はその言葉を理解するまでに少し時間がかかった。

 が、理解した瞬間、ほぼノータイムで答える。


「バカバカしい」

「……」


 即答が意外だったのか、あるいは予想通りであったのか。

 純は黙って俺の顔を見つめていた。


 俺は続ける。


「個人的にはお前や晴夏先輩のことは嫌いじゃない。……けど、お前らのリーダーってのは、あの青刃なんだろ?」

「……せや」

「だったら答えはノーだ。誰があんなやつの仲間になるかってんだ」

「なるほど。ま、当然っちゃ当然やな」


 俺の返答に純は小さく笑いながらゆっくりとうなずいた。

 縁なしのメガネが蛍光灯の光を反射して、一瞬だけ純の目の表情が隠れる。


「……けどな、優希」


 そして再び現れた視線は、先ほどまでおどけていた男とは思えないほどに鋭かった。


「お前だって考えたことぐらいはあるやろ? なんで俺らが悪魔狩りと敵対して、どうして晴夏があんなにも光刃のことを憎んでいるのか」

「……そりゃ、な」


 かつて神村さんが口にした言葉が頭の中によみがえる。


『……あなたの両親は私が殺しました――』


 もちろん俺はその言葉を額面どおりには受け取っていない。

 ただ、それが組織の長として出てきた言葉なのであれば、俺の両親の死に悪魔狩り"御門"が関与しているのは間違いないだろう。


 だとすれば――


 さっき目覚める前に夢で見た光景を思い出す。


 単なる夢だったのか、あるいはここにいる誰かの精神に無意識に同調していたのか、それはわからない。

 ただ、純の問いかけの意味を想像することは容易だった。


 ……おそらく彼らは、かつて悪魔狩りに迫害された悪魔たち、その一族や関係者なのだろう。


 それは迫害されたほうにも罪があったのか、悪魔狩りの一方的な暴挙だったのか。

 いずれにしても――


「……けど」


 少しだけ迷いそうになる心を叱咤し、俺は答えた。


「過去になにがあったかは知らん。けど、俺はお前らが憎む今の光刃――神村さんが、信頼に値する人間だと思ってる」

「……」


 純の視線は厳しいままだったが、反論はなかった。


「晴夏先輩にも言ったけどな。神村さんは悪魔狩りっつっても他の連中とは違う。だから俺は彼女の味方になる約束をしたんだ。だから悪いけど、お前らの仲間には――」

「バッカじゃないの」


 腹立たしげな口調。

 それは純のものではなかった。


 振り返ると、先ほどまで歳相応に笑っていた少女が、晴夏先輩と同じ憎しみの目で俺をにらんでいた。


「……なんだよ」


 おとなげないとは思ったが、俺はそんな少女を真っ向からにらみ返した。


「あんた、ぜんぜんわかってないよ。わかってないくせに……!」

「紅葉、やめとき」


 純がたしなめる。

 紅葉(くれは)というのが、どうやらこの少女の名前のようだ。


 俺は紅葉に言い返した。


「……ああ、そうかもな、紅葉。わかってねぇよ。お前らの込み入った事情なんかはな。だから俺は、俺がわかってる範囲で俺の敵味方を判断してる。その上で俺は神村さんを信用した。それのどこが悪い」


 思わず挑発的な口調になる。


 イライラしていた。

 晴夏先輩と同様、神村さんのことを徹底的に否定しようとするこいつらに対して。


 そんな俺の言葉に紅葉の表情がゆがんだ。


「私の――」


 窓も開いていないのに、部屋の中を風が渦巻いた。


「紅葉」


 もう一度、純が制止する。

 だが、紅葉は止まらずに爆発した。


「……私のお父さんとお母さんは、悪魔狩りに殺されたッ!」


 俺は表情を動かさず、黙って紅葉を見つめ続けた。


「私だけじゃない! 純も、晴夏も、みんな家族をあいつらに殺されたんだッ!」

「……」


 彼女の口から出たその言葉は、俺の想像の範囲内だった。


 もちろんそれが軽い事実でないことはわかっている。

 ただ、神村さんのあの発言から想像するに、俺だっておそらくは同じ立場だ。


 それでも俺は、神村さんを信じることにしたのだ。


「それに、それに……!」


 俺が黙っていると、風がさらに強さを増した。

 窓を覆っていたカーテンが水平近くに躍り、どこかでなにかの割れる音が響く。


(……この子も、か)


 抑えきれない力の余波でこれだとすると、どうやら彼女も上級悪魔クラスの力を持っているようだ。


 そして紅葉の姿も、いつの間にか風魔のそれへと変わっていた。


「兄ちゃんだって……氷騎兄ちゃんだってあいつらの身勝手で、普通の半分しか生きられない体にされちゃったんだ! あいつらの自分勝手で!」

「……半分しか生きられない体?」


 意味が理解できなかった。

 半分しか生きられないというのはどういうことだろうか。


 しかも、それが悪魔狩りのせいだというのは――


「おい、それは一体――」

「紅葉!」


 俺がその意味を尋ねようとしたところへ、純の鋭い言葉が飛んだ。


 見ると、純の姿もいつの間にか変わっている。

 真っ赤に染まった髪が重力に逆らって跳ね上がり、メガネの奥の穏やかだった瞳は怒りの色で燃え上がっていた。


「……ええかげんにせぇ、紅葉」


 ほとばしる威圧感。


「ッ……!」


 部屋の風が止まった。


(……純も、か)


 最低でも上級炎魔相当の力。

 それも紅葉を一瞬で黙らせたところを見ると、あるいは晴夏先輩よりも格上かもしれない。


「……ふん」


 目を赤くして薄っすらと涙を浮かべた紅葉はキッと純をにらみつけ、そのまま足音荒く部屋を出て行ってしまった。


「……すまん、優希」


 と、純が頭を下げる。

 姿は人間のものに戻っていた。


「あいつの言ったこと、あまり気にせんといてくれ」

「……気にするなってのは無理だろ」


 そう言った俺の視線の先。

 イスに腰掛けた氷騎は身じろぎひとつしていなかった。


 俺は純に視線を戻して、


「さっきの紅葉の言葉、どういう意味なんだ? 半分しか生きられないとか……」

「あー、それはやな……」


 純が苦虫をかみ潰したような顔をする。

 どうやらあまり答えたくないようだ。


 と、そう思った直後。


「お前をしばり付けたあの力。その代償だ」


 氷騎がつぶやくようにそう言った。


「……代償?」


 氷騎はこちらを見ようとはせず、横を向いたままで淡々と続ける。


「俺は生まれる前から悪魔狩りにそう宿命付けられていた。ただそれだけだ。紅葉は心配してくれるが、別に自分の寿命のことで悪魔狩りを恨んだことはない」

「……」

「もうええやろ、優希。……なんや。ま、さっきの提案。あれ、もっぺんじっくり考えてみてや」


 と、純が俺の肩に手を置く。


 氷騎は目を閉じていた。

 どうやらそれ以上のことを話すつもりはなさそうだ。


「……ああ」


 俺は純が差し出した生乾きの服を受け取り、着替えて純とともに部屋を出た。


 俺がいたのはどうやら駅の近くにあるホテルの一室だったようだ。

 純はロビーまで俺を送ってくれて、そして別れ際、


「今こっちでも想定外のことが起こっとる。……ともかく周囲に気ぃつけや。守りたいもんがあるならなおさらな」


 と、真剣な表情で小さく言った。


 想定外のできごと。

 それは、ここ最近俺が感じている漠然とした不安と関係があるような気がして。


(……どうにかしないと、な)


 このままじゃいけない――


 俺の胸に芽生えたのは強い焦燥感。

 それは結局、家にたどり着くまで消えることはなかった。


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