2年目3月「大事件」
その翌々日。
つまり俺たちが田舎町を発つ当日になっても、再び史恩が俺の前に姿を現すことはなかった。
が、しかし――
その件がひと段落してホッとした俺を待っていたのは、俺たちの町で起きたという大きな事件のニュースだった。
「……なにが起こっているのかしらね」
車窓を叩く雨の音とともに、助手席に座った梓さんのつぶやきが車内に小さく響いた。
ガタガタというタイヤの音。
ワイパーの駆動音。
鉄也おじさんの実家を朝早くに出発した車は国道を走りぬけ、昼すぎには俺たちの町の入り口付近へと差し掛かっていた。
駅前通りは雨のせいか人通りも少ない。
いや、それにしても少なすぎるか。
その代わりにちらほらと見えたのは、どうも報道関係っぽい多数のワゴン車だった。
中にはマイクのようなものを手にしている人の姿もある。
「やっぱりこっちでは相当な騒ぎになってるみたいですね」
窓の外を眺めながらそう言ったのは直斗だ。
「でしょうね。あれだけの事件だもの」
と、梓さん。
俺はそんなふたりの会話を耳の端にとらえながら、昨晩見たニュースの内容を思い出していた。
――大量失踪事件。
俺たちが不在の間にこの町で起きたその事件は、全国区のニュースでも取り上げられるほどのものだった。
この5日間で警察に届けられた捜索願は、この町だけでも30件以上。
近隣の町を合わせると3桁に届くのではないかという数らしく、単身者などいまだ届けの出されていないものを含めれば、実際の不明者は100人を越える可能性がある、と、テレビのコメンテーターが不吉な憶測を口にしていた。
「……大量失踪、か」
報道関係者が多く、人出が少ないのはそのためだ。
なお、昨晩電話したときの瑞希の話によれば、春休み中の部活も全面的に中止になったとのことで、学校側もはっきりとは言わないらしいが、どうやら風見学園や桜花女子学園の生徒も何人か所在がつかめなくなっているらしい。
俺たちの周りの人間については、昨晩のうちにほぼ全員の無事を確認できてはいたものの――
「……ユウくん、あなたたちも気をつけなさいね」
家の前まで送ってもらった別れぎわ、いつになく神妙な顔の梓さんがそう言った。
「わかってます。鉄也おじさんはこれから忙しくなる感じですか?」
「んー、部署が違うからなんともいえないけど、これだけ大きくなるとね」
と、梓さんが運転席の鉄也おじさんをちらっと振り返る。
おじさんは曖昧にうなずいてみせたが、いつもの温厚そうな顔はそこにはなく、いかにも厳しい刑事の目をしていた。
俺は後部座席のほうに目を移して、
「由香。お前も事件が解決するまではひとりでフラフラしたりすんなよ。どっか行きたいときは俺か直斗が付き合ってやるからな」
「う、うん……」
少し不安そうにうなずく由香。
まあ、こいつはもともとひとりでブラブラと出歩くようなタイプじゃないし、その点はおそらく大丈夫だろう。
あまり深刻になりすぎても、と、俺は少しトーンを変えて、
「んじゃ、またな。……梓さん。鉄也おじさん。お世話になりました」
「お世話になりましたー」
と、後ろで歩も頭を下げる。
車内で由香たちが手を振って、大型のワゴン車はゆっくりとした速度で走り去っていった。
俺たちはほんの数秒ほどそれを見送って、
「歩、荷物大丈夫か?」
「うんー。すぐそこだし」
歩は両手で持ったカバンを引きずりそうになりながら玄関へと向かう。
「ただいまー」
「おかえりなさい、ふたりとも」
玄関のドアを開けると、すぐ目の前に雪が立っていた。
おそらくは車の排気音で気づいていたのだろう。
「おぅ、ただいま」
台所仕事でもしていたのか、雪は見慣れたエプロン姿だった。
昼すぎという時間を考えると、昼メシの片づけか、あるいは午後のお菓子でも作っていたのか。
たった5日の旅行だったが、毎日顔を合わせているのが当たり前だったせいか、ひどく久しぶりのような気がした。
歩と並んで靴を脱ぎ、荷物をとりあえずリビングに置いて、昼間にしては薄暗い家の中をぐるっと見回す。
もちろん、出る前と変わったところは特にない。
「瑞希はどこ行った?」
「お風呂だよ」
「そうか」
ウチの人間が無事なのは昨晩の電話で確認済みだったが、念のため。
「留守の間、なにか変わったことは?」
「うーん」
雨に濡れた俺の上着を受け取りながら、雪は小さく首をかしげた。
「特には……あ、昨日の夕方ごろ、唯依くんから電話があったよ」
「俺あてに? ……そうか」
用件はなんとなく予想できた。
……俺が帰りの車内で密かに考えていた、この事件に関する"とある可能性"。
唯依も同じことを考えて、それで電話してきたんじゃないだろうか、と。
「雪。ワリィけど荷物片づけといてくれるか?」
雪はほんの一瞬だけ俺の顔を見つめた後、心得たとばかりに大きくうなずいた。
「うん、わかった。お昼は?」
「もう食ってきた」
そう答えながら受話器を手に取り、メモリーに入っている唯依の家の電話番号を呼び出す。
呼び出し音。
1回、2回……
そんな俺を横目で見ながら、雪は玄関付近に置いてあった荷物を手に取って、
「歩ちゃん、荷物2階に運ぶの手伝ってくれる? あと、向こうでのお話とか聞かせて?」
「……あ、はいー」
歩は俺の行動がちょっと気になっていたようだが、雪の言葉には素直に従い、ふたり並んで2階へと上がっていった。
ちょうどそのタイミングで電話がつながる。
「はい。白河です」
「……その声は真柚か? 俺だ。優希だ」
「先輩? あ、ちょっと待ってて」
すぐに察したらしく、唯依くーん、という大きな声が受話器の向こうに聞こえた。
バタバタと足音がして数秒。
「あ、優希先輩。僕です。唯依です。すいません、わざわざ」
「いや、悪かったな、留守にしてて。さっそくだけど、そっちは全員無事か?」
用件を確認する前に、まずそう尋ねた。
「あ、はい。それは大丈夫です……けど」
と、声のトーンが沈む。
「クラスメイトがひとりいなくなったらしくて。ウチにも確認の電話が来てました」
「……やっぱウチの学校にもいたか」
それらしき話は瑞希から聞いていたが、残念ながら事実だったようだ。
唯依が少し声をひそめる。
「実は、ちょっと気になることがありまして。……先輩、先月の初めごろに僕と亜矢が夜魔に襲撃されたことを覚えていますか? あの連中、目的はわかりませんけど、もしかしたら今回のことと関係があるんじゃないかと思って」
「ああ。実は俺もそれを考えていた」
やはり唯依もそこに行き着いていたらしい。
今回の失踪事件は人数からしてまず普通じゃない。
もしかしたら悪魔がかかわっているんじゃないかというのは、ニュースを見た瞬間から俺の頭の隅にチラついていた。
そこで思い当たったのが、2月の初めごろ、ほぼ同じタイミングで俺や唯依を襲った夜魔たちの存在である。
あのときの態度からすると、あいつらは俺たちの素性を知らずに襲ってきたようだった。
つまり俺たちが襲われたのはただの偶然で、逆に言えば、俺たち以外が襲撃されていた可能性もあったということだろう。
そして今回発覚した大量失踪事件。
あの俺たちのケースが、そもそも氷山の一角でしかなかったのだとしたら。
唯依が受話器の向こうで続ける。
「いなくなったクラスメイトは女の子で、実は亜矢とちょっと仲よくしてた子なんです。みんなも心配してて……優希先輩、なにかわかりませんか?」
俺は思考をいったん中断して答えた。
「わりぃ。こっちも昨日のニュースで初めて知ったぐらいなんだ。けど、お前や俺が襲われた件と関係があるかもってのは同じ意見だ。……これからちょっと情報集めてみる。なにかわかったら連絡するから待っててくれないか?」
「あ、はい。すみません。お願いします」
唯依の声を聞きながらいったん受話器を置き、すぐに別の番号を――こちらはメモリーに登録してなかったので、記憶の中から番号を引っ張り出してボタンをプッシュした。
呼び出し音。
5回、10回……
「……出ないか」
それは緑刃さんから教えられた、御門本部への直通電話だった。
誰も出ないということは相当忙しくしているのかもしれない。
20回目の呼び出し音を聞いて、俺は諦めて受話器を置いた。
今度はメモリーに登録してある神村さんの表向きの家へかけてみたが、こちらも反応なし。
(このタイミングであっちもバタバタしてるのだとすると……)
やはり今回の件、悪魔がらみの可能性が高い。
「……」
不安とも焦燥とも知れぬ感情がじわりと胸に染み出してきた。
突如町を襲った大量失踪事件。
今まで非日常世界の存在だったものが、ついにこちら側に顔を出し始めたのではないか、と。
(……直接、行ってくるか)
体は少々疲れていたが、神村さんたちの無事を確認するという意味でも、どうやら御門の本部へ足を運ぶ必要がありそうだった。