2年目3月「史恩の実力」
その日の夜。
月の明るい晩のことである。
「ははっ、そりゃ大変だったな、優希」
受話器の向こうから聞こえてきたその笑い声には、一瞬とはいえ俺に殺意を抱かせるのに充分なウザさがああった。
「おい、笑い事じゃねーよ。マジで殺されかけたんだかんな?」
「いや、勘違いするな。別にお前が殺されかけたのがおもしろくて笑ったわけではないぞ」
「あたりめーだ!」
電話の向こうにいるのは言うまでもなく雅司伯父さんだ。
史恩との一件について相談しようと、鉄也おじさんの実家に戻ってからすぐに電話してみたところ、伯父さんは案の定不在だったのだが、宮乃伯母さんのほうから連絡を取ってくれて、珍しくこうしてすぐに話をすることができていた。
そして俺が旅行に来ていることや、こっちで起きた事件の一部始終を話したところ、いきなり返ってきたのがこの笑い声だったというわけだ。
「しかし暁史恩か。またやっかいなやつに目をつけられたものだな」
笑い声は止んでいたものの、その声はやはりどこか楽観的だった。
「伯父さんも知ってんのか? 何者なんだ、あいつ」
「悪魔狩りだ」
「んなことはわかってる」
俺が聞きたいのはもちろんそんなことじゃない。
だが、伯父さんはとぼけてみせて、
「それ以外になにが知りたいんだ? 趣味か? 電話番号か? それともスリーサイズか?」
「ざけんな。つか、ヤローの個人情報に興味なんかねぇよ」
「……ふむ」
電話の向こうで伯父さんが含み笑いをもらす。
そして言った。
「史恩はな。"御烏"の後継者だ」
「は?」
いきなり本題に入ったらしいが、まったく意味がわからない。
もちろん伯父さんも承知の上だったらしく、すぐに言葉をつけ足した。
「悪魔狩りの組織が全国にたくさん存在しているってのは知ってるな? "御烏"ってのは、お前が今いるその辺りに根付いた悪魔狩りの組織で、暁史恩はそこの次期当主だ」
「その"御烏"ってのは、伯父さんたちの組織とはまったく別ものなのか?」
「ああ、その辺、詳しいところまでは説明してなかったか?」
受話器の向こうで伯父さんは少し思案するような声を出した。
「我々"御門"は一応全国の悪魔狩りの盟主みたいなもんだが、組織としてはまったくの別もので、全国にはそれこそいろんな悪魔狩りがいる。今でこそ全体である程度の統率が図られるようにはなったが、ほんの100年前は盗賊と見分けがつかないようなことをやっていた連中もいたぐらいでな。ま、我々は学校で言うところの学級委員、よく言っても生徒会長みたいなものだ。各々の行動を強制できるほどの権限があるわけではない」
「へぇ、なるほどな」
今の生徒会長の名前すら知らない俺にとっては、非常にわかりやすいたとえだった。
「で、その御烏ってのはどういう連中なんだ?」
うむ、と、伯父さんはひと呼吸おいて、
「御烏はその中でもかなり古い歴史を持つ組織でな。1000年以上前からその辺りで活動していて、悪魔狩りの中でもかなりの発言力を持つ有力な組織だ」
「こんなド田舎の組織が、か?」
住んでいる人には失礼な物言いだったかもしれないが、まあ誰も聞いていないので問題ないだろう。
すると、伯父さんは受話器の向こうで笑った。
「気持ちはわからんでもないが、だったらたいした都会でもない御門に盟主的組織があるのもおかしいってことになるだろう?」
「あー、そりゃそうか」
もっともな話である。
伯父さんは続けた。
「結局、悪魔の出現頻度が高い場所に強い組織が作られて、強い組織ほど発言力が大きいということだ。悪魔が出やすい土地――"ゲート"の話は以前したな? つまりその辺にも大きめの"ゲート"がある。もちろん悪魔が多く出没する土地だし、結界で守られている御門と違って魔界の獣が出て来たりということも頻繁にあるそうだ」
「魔界の獣?」
首が3つあって、口から火を吐くようなアレを想像してしまった。
まあ、それはともかく。
「で? なんでその御烏の後継者とやらに俺が狙われなきゃならねーんだ?」
本題に話を戻すと、伯父さんはまたとぼけた。
「さあな。お前、そっちでなにか悪さをしたんじゃないのか?」
「してねーって! 見知らぬ土地に来ていきなりどんな悪さをしたってんだ!」
「向こうの当主さんの年ごろの娘に手を出したとか」
「んなわけあるか! 会ったこともねーよ!」
「……ふむ」
伯父さんはまた含み笑いをもらした。
「さっきも言ったが、もともとは別組織だからな。全国の悪魔狩りは盟主である御門の方針に従う努力をすることにはなっているが、あくまで紳士協定だ。お前も気づいているだろうが、御烏はその組織自体が全国でも1、2を争う悪魔排除派でな。表面上はともかく、実際には我々の方針に反することもかなりやっている」
「……ってことは、俺が狙われたのは、なにか勘違いや誤解があったからってわけじゃないか?」
「おそらく、たまたま目に留まってお前が悪魔だと見抜いたからだろう。御烏の当主には代々悪魔を見抜く特殊な力があるらしいからな」
「冗談じゃねーよ」
その言葉を聞いて怒りがフツフツと沸き上がってきた。
いくらなんでも理不尽すぎる。たまたま目に留まっただけで殺されてたまるか。
だが、そこで伯父さんの声が真剣になった。
「意見してやろうとか考えているなら、絶対にやめておけ」
「!」
驚いて口をつぐんだところへ、伯父さんが言葉を続ける。
「御烏の連中は融通が利かない。それに、今回はいくらお前でも相手がちょっとヤバすぎる」
「……やっぱ強いのか、あいつ?」
「かなりな」
伯父さんにしては珍しく、なんのごまかしもない素直な回答だった。
「多少でも戦ったならわかるだろう? 暁史恩は、全国の悪魔狩りでも10本の指に入る実力者だ」
「10本ってのは……どのぐらいなんだ?」
「沙夜や緑刃のレベルでは到底及ばない、と言えば多少は想像できるか?」
「……ああ」
神村さんや緑刃さんよりも明らかに強いという事実だけで、大体は理解できた。
つまり、戦略的撤退という選択をした今日の俺の判断は完全に正しかったということだ。
「もっと言えば、今の御門にも史恩に対抗できるような実力者はひとりしかいない。そういうレベルだ」
「盟主なのに意外としょぼいんだな」
「昔はもっといたんだ。ただ、今はな」
と、伯父さんが少し寂しそうな声をもらす。
なにがあったのかを聞いていいものかどうか迷っていると、伯父さんはすぐにいつもの口調に戻った。
「ちなみに、そのひとりというのは私のことだ」
「おい。冗談は顔だけにしとけよ?」
「疑り深いやつだな。本当のことだぞ?」
伯父さんは発言を撤回するでもなく、真面目な声でそう言った。
「んなバカな」
あの伯父さんが、そんな人間離れした力の持ち主だなんてあり得ない。
……と、思ったものの、ふと思いなおす。
(……待てよ)
よくよく考えたら、その言葉が正しいことを証明するかもしれない存在が近くにいるのだ。
それは言うまでもない、伯父さんのひとり娘、瑞希のことである。
これまでにも散々語ってきたとおり、あいつの身体能力や格闘術は一般の女子高生の領域を明らかに逸脱している。
いつぞやの夏の海水浴では、結果的に不意打ちで敗れたとはいえ夜魔に素手で一撃食らわせたらしいし、人間離れしているという点ではあいつだってその枠に入るだろう。
そしてそれが伯父さんからの遺伝、あるいは幼いころからの指導のたまものだったのだとしたら――
「……あいつ、どうして伯母さんのほうに似てくれなかったんだ……」
「なんの話だ?」
さすがの伯父さんも、俺の頭がどういう思考をたどったのか理解できなかったらしい。
「いや、こっちの話。ま、その話が本当かどうかはどうでもいいや。で、史恩の件はどうすりゃいい?」
「そうだな。一応私のほうからも働きかけてみるが、あまり期待はするな。それよりも常に誰かと一緒に行動することだ。御烏のいいところは、一般人、特に土地の人間には絶対に危害を及ぼさないところだ。由香ちゃんや歩ちゃんと一緒にいれば、お前がよほどの悪さをしない限り襲われることはないだろう」
「なるほど、了解」
なんとなくわかってはいたことだが、伯父さんの保証もあればさらに心強い。
いざというときにも、由香や歩を巻き添えにするリスクがないというのはありがたいことだ。
そこで俺はふと思い出して、
「そういや話は少し変わるけどさ。その史恩が俺のことを『影刃の手先』とかなんとか言ってたんだ。影刃ってのは御門の偉いやつのことだろ? 知ってるか?」
すると、伯父さんはあっけらかんと答えた。
「それは私のことだ」
「……は?」
「ま、細かいことは気にするな。そっちにはあと3日か? とりあえずおとなしくしてろ。なにか困ったことがあればまた私か沙夜に連絡すればいい」
「お、おい――」
「じゃあな」
ガチャン、と。
電話は一方的に切られてしまったのであった。