2年目3月「御烏神社」
「……神社に階段ってのは定番なのか、やっぱり」
その神社へと続く道には、俺たちの町と同じく長い階段が鎮座していた。
「なんとかと煙は高いところが好きとよく言うが……」
「優希くん、バチ当たりだよ」
と、後ろで由香が眉をひそめる。
「平気だろ。神様なら今の悪口くらいさらっと流してくれるって」
俺がそう言うと、先頭の直斗がチラッとこちらを振り返って言った。
「そうでもないんじゃない? 神様って案外しょうもないことで人間を滅ぼしたりもするからね。優希ひとりぐらいなら気まぐれで呪ったりするかも」
「そんなもんなのか? ……ん?」
ふと立ち止まる。
階段の中腹辺りには小さな踊り場が設けられていて、かなり古臭い石碑のようなものが建っていた。
そこに、ここの神社らしき名前が彫られている。
「御烏神社? みどり? いや、おんどりか?」
首をかしげた俺に、少し疲れた顔をした歩が笑いながら、
「優希さん。それ、トリじゃなくてカラスだよー」
「ああ。そういや線が1本足りないな。これ、カラスって読むのか」
「……みがらす、だね。御烏神社」
ポツリと、直斗が石碑を見ながら真顔でつぶやいた。
「ん、なんだ? 知ってんのか、直斗」
「……あ、いや。昔、学校の自由研究で全国の色々な神社を調べたことがあってね。それを思い出したんだ。この辺にあることまでは知らなかったんだけど」
「ほう?」
相変わらず博識なやつだ。
由香が興味しんしんの表情で直斗に尋ねる。
「じゃあ、直斗くんはこの神社の由来とかも知ってるの?」
「うん。簡単にだけどね。名前のとおりカラスの神様を祭っている神社だよ」
そう言いながら直斗が石碑を離れ、再び階段を上がり始める。
由香、歩、俺の順でそれに続いた。
「ヤタガラスとかってやつか? 太陽の化身かなんかだっけ」
俺が思いついたままにそう言うと、直斗は首を横に振って、
「それとは別だね。長くなるから簡単に言うけど、昔、この辺りに棲みついていた凶暴な鬼をひとりの英雄が退治するときに、その英雄に協力して道案内を務めたといわれるカラスが祭られているんだ」
「ぜんぜん長くないじゃんか」
「だから簡単にって言ったでしょ。本当はもっと色々あるんだよ。カラスはつがいで、片方が鬼に殺されちゃう話とか、残されたカラスが復讐のために英雄をこの地に呼ぶ話とか。あとは、鬼がよみがえらないように今でも番をしているって話とか。もちろん鬼退治した英雄とのお話もあるしね」
「ふーん」
まあ、どちらにしてもありがちな話だ。
「つがいって、夫婦ってことだよね。じゃあ結構かわいそうなお話なんだ……」
そんなありきたりの話でも微妙に感情移入してしまう由香は、やはりいまどき珍しい天然記念物的存在なのかもしれない。
……いや。
この場には似たような感性の人間がもうひとりいたか。
「そのカラスさん、ひとりでずっと寂しい思いをしてるんだろうねー……」
歩も由香に負けないぐらい沈んだ顔をしていた。
どちらも感受性豊かで素晴らしいことである。
「さて、と」
そんなふたりの感想はひとまず放っておいて。
俺たちはようやく階段を登りきった。
いったん立ち止まって境内を見回す。
これが俺たちの町なら三つ編みの女の子がほうきを持って掃除していたりするはずだが、残念ながらここは当初の予想通りまったくの無人だった。
とはいえ、手入れはそれなりに行き届いているようだ。
管理している人間はちゃんといるのだろう。
「とりあえず、お参りしちゃおうか」
直斗が引き続き先陣を切って歩き出した。
鳥居を抜け、正面には本殿らしき建物と賽銭箱。
左手の奥には社務所らしき建物も見えるが、そちらにも人の気配は感じられない。
最初に歩が賽銭を入れて手を合わせる。
なにやら真剣な表情で願いごとをしていた。
続いて由香、そして俺。
俺は特になにも思いつかなかったので、家内安全、無病息災とかいうのを願っておいた。
「終わった? それじゃ他に用もないし、行こうか」
俺たちが賽銭箱の前を離れたのを見て、直斗が言う。
「あれ? お前はいいのか?」
「僕はいいよ。今のところお願いごともないからね」
そこへ歩が口を挟む。
「すぐ下りちゃうんですか? せっかく上がってきたんだし、もう少し見てみません? もしかしたら直斗さんのお話の続きとかわかるかもしれませんしー」
歩はどうやら、先ほどのカラスの話が気になっているようだ。
ただ、直斗は珍しく否定的な表情で首をかしげた。
「うーん、どうかな。僕がさっき言った以上のことはあまりないと思うけど」
「そうそう、直斗の言うとおりだ。やめとこうぜ」
俺もそれに賛同する。
神社の人に尋ねれば確かに詳しい話も聞けるだろうが、正直俺はあまり興味がなかった。
長い話を延々と聞かされるハメになったらたまったものではない。
ただ、
「あ、でも、ひととおり歩いてみない? もしかしたら神社の人いるかもしれないし」
由香がそう主張して、男女でまっぷたつに意見が分かれる形となってしまった。
ちらっと直斗を見る。
どうせこいつのことだ。
きっと女性陣の意見を受けいれて付き合うことになるだろう。
……と、俺はそう思っていたのだが。
「そっか。じゃあ僕と優希は先に商店街のほうに行ってるよ。ふたりとも、道順は大丈夫だよね?」
「……え?」
びっくりした顔をする由香。
俺も少し驚いた。
別に突き放した言い方というわけではないが、直斗にしては冷たい返答である。
「いいよね、優希?」
「あ、いや……俺はもちろん構わんが」
そう返しつつも、『仕方ない、俺も付き合ってやるか』のセリフをすでに用意していた俺は微妙に戸惑ってしまった。
ただ、そんな俺の戸惑いもよそに、直斗はさっさと話を進めて、
「念のため地図を渡しておくよ。向こうでブラブラしてるから、時間は気にしなくていいから」
「えっと……でも」
困り顔の由香。
歩がすかさず言った。
「あ、あのー……やっぱやめておきましょうか。よく考えたら神社の人、お仕事してるかもしれないですし」
気を遣ったのだろう。
そんな歩の発言に、直斗が少し申し訳なさそうな顔をした。
「あ……ごめん。ちょっと無神経だったかな」
「いえいえー。駅までどのぐらいかかるかもわかりませんし、見知らぬ土地で暗くなったら大変ですからねー」
歩は気にした様子もなく笑顔でそう答えたが、直斗は申し訳なさそうにしたまま、
「うん。でもゴメン」
「わわっ、そんなに謝られるとかえって心苦しいですよー」
そうして結局、そのまま神社を離れることになった。
やはり直斗が先頭に立ち、階段に向かって歩き始める。
その後ろに続きながら、俺は密かに首をかしげていた。
(……直斗のやつ、さっきからちょっと変だな)
中腹であの石碑を見たあたりから、どことなく態度がおかしい気がする。
自分たちだけ先に商店街に行くなんて言い出すのは明らかに直斗らしくないし、わざわざ来たのに賽銭すら入れないというのもよく考えてみればおかしい。
まるで、この神社から早く離れたがっているかのように。
(むかし調べたことがあるって言ってたけど、なんか不吉な伝承でもあるんかな……)
直斗がそんなことを信じて態度を変えるようなやつとも思えないが――
……と、そのときだった。
ひゅぅっ、と、一陣の風が俺たちの周りを吹き抜ける。
「わっ……」
「ん……」
反射的にスカートを押さえる歩と由香。
そして、先頭を歩いていた直斗が急に足を止めた。
「どうした?」
問いかけてすぐ、俺はその原因に気づく。
(……誰だ? いつの間に……)
誰もいなかったはずの境内に、ひとりの男が立ちはだかっていた。
不揃いで中途半端に伸びたややクセのある髪。
ブカブカで真っ黒なトレーナーに薄手のマフラー。
身長は俺と同じぐらいで170センチ半ば。
目は細く、能面のような無表情だった。
年齢はおそらく若いが、俺たちよりは少し年上だろう。
もちろん顔見知りではない。
「なにか御用ですか?」
と、口を開いたのは直斗。
心なしか詰問するような調子に聞こえた。
「……」
男はなにも答えず、直斗から由香、歩へと視線を移動させ、最後に俺のところで動きを止めた。
そして沈黙。
階段の真ん前に立ちふさがっているものだから、直斗も先に進むことができないでいる。
かくいう俺も――
(……こいつ、なんか嫌な感じだな)
全身が熱を帯びていた。
悪魔の力が体の外に出たがっているのだ。
衝動といえるほど強烈なものではないが、触発されているのは確かだった。
危険な相手。
本能がそう告げている。
「……行こうか」
男がしばらくなにも答えないのを見て、直斗は無理やりそこを通ることに決めたようだ。
止めていた足を進め、男の脇をすり抜けるようにして階段へ向かう。
恐る恐る、といった足取りで直斗の後に続く由香と歩。
最後に俺が続いた。
警戒したまま。
そして――すれ違う。
男はピクリとも動かなかったが、その瞬間、かすかに肌があわ立った。
「……気を、つけなさい」
その声に、ピタリと全員が足を止める。
正確に言うと、先頭を歩いていた直斗だけは無視して先に進もうとしていたのだが、続く由香と歩が立ち止まったために仕方なく振り返ったという感じだ。
もちろん俺も振り返る。
男もこちらに振り返っていた。
無愛想な見た目に反し、ハスキーでどこか中性的な声。
それが一層、男の不気味さを引き立てている。
そして男は続けた。
「キミたちのそばには、オニがいる」
「オニ?」
「御烏様はすべてをお見通しになるから」
その間、まったく表情を動かすことなく。
ひゅぅ、と、再び強い風が吹いた。
ブカブカの黒いトレーナーのすそがわずかにはためいて、長いそでから意外に細い手首がのぞく。
両手首には、妙な装飾の腕輪がはめられていた。
「あなたは? この神社の人ですか?」
そう問いかけたのはやはり直斗だ。
「そう」
「名前、聞いてもいいですか?」
「暁」
男はためらうことなく答えた。
「暁、史恩。御烏様の忠実なしもべ」
「そうですか。……ご忠告ありがとうございます。気をつけます」
直斗は史恩と名乗ったその男に丁寧に頭を下げ、くるっと背を向けた。
そして今度は立ち止まることなく階段を降りていく。
かなしばりにあったように固まっていた由香と歩も我に返って、直斗の後をついていった。
もちろん俺もその後に続き……少し進んで、振り返る。
「……」
史恩は黙ったままこちらを凝視していた。
直斗を――いや、見つめているのは俺のほうか。
正面に向き直り、3人の後を追う。
階段の踊り場辺りでもう一度振り返ったとき、史恩の姿はなくなっていた。
(……オニ、か)
その言葉が耳に残っていた。
(そういう可能性もあるか……)
俺がふと思い出したのは、ここが神社であるという事実だった。
つまり、"御門"と同じ悪魔狩りの拠点である可能性に思い至ったのである。
あの史恩という男が悪魔狩りだとするなら、言葉の意味も少しはわかってくるのだ。
オニというのは、悪魔のこと。
つまり、俺のことを指してそう言っていたのではないか、と。
(……となると、俺の正体を初対面で見抜いたってことになるか)
どうやって、という疑問は浮かんできたが、可能性としては考えられることだと思った。
……あまりいい気分ではない。
あの目。
明らかに"オニ"に対して明確な敵意を抱いていた。
(あれも悪魔排除論者ってやつなのかね……)
悪魔狩りにも色々な考えのやつらがいることはよく知っている。
伯父さんや神村さんのように悪魔の存在に理解を示す者もいれば、死んだ紫喉のように根絶やしにすべきだという考えの者もいるだろう。
あの史恩が悪魔狩りなのだとすると、明らかに後者だろう。
「……なんだったのかな、さっきの人」
階段を下りきった辺りで、ようやく由香が口を開いた。
結局、4人ともずっと無言で階段を下り続けていたのである。
「オニって言ってましたよねー。どういう意味なんでしょうか?」
歩がそう続けると、直斗が取るに足らないとでも言いたげ口調で、
「神社の人だって言ってたしね。ただの常套文句なんじゃないかな」
まあ、そう取るのが普通だろう。
ただ――
(……どう考えてもタダ者じゃなかったな)
いわゆる"戦う者"の雰囲気。
神村さんや緑刃さんと同じ気配を身にまとっていた。
悪魔狩り。
おそらくそう考えて間違いないだろう。
「さ、それじゃ商店街に行こうか」
気を取り直すように直斗がそう言って歩き出す。
そして商店街につくころ、直斗たちはもうその男のことを忘れてしまっていたようだが――
俺は最後まで、あの史恩という男の能面のような顔を忘れられなかったのだった。