2年目3月「ようこそ田舎町」
なるほど、確かに田舎だ――
大型ワゴンの外を流れる景色に、俺は素直にそんな感想を抱いていた。
朝4時半に起きて5時半出発。
そして車で走り続けること約6時間。
ちょうど正午前に到着したその町は、これまでテレビなどでしかお目にかかったことがないほどの、正真正銘の田舎町だった。
ガタンガタンと大きく揺れる車体。
そういえばしばらく綺麗なアスファルトの上を走っていない。
目の前には視界に収まりきらないほどの広大な畑が広がっていた。
「想像以上だったかい?」
窓の外を眺めていた俺に、運転席の鉄也おじさんがそう声をかけてきた。
刑事という職業のイメージとはほど遠い優しい声色。
血がつながっていないはずなのに、どことなく由香と似たような雰囲気を漂わせる温厚なおじさんである。
「いや、あたしもビックリだわ。まさかこんなド田舎だったなんて」
そんな鉄也さんの隣、助手席には梓さんが座っていた。
窓を開けて火の点いてないタバコを揺らしながら、容赦のない感想を口にする。
「やっぱユウくんとナオくんを呼んで正解だったわね。これで少なくとも退屈することはないし」
「……」
「……」
あの直斗でさえ、そんな梓さんの言葉の真意を問いただすことができなかった。
俺も直斗もこの人には絶対に逆らうことができないのだ。
幼いころから色々と刷り込まれているのである。
ちなみに、俺と直斗が座っているのは3列になったシートの最後尾。
間のシートには由香と歩が座っていた。
「ねえ、お父さん。あとどのくらい?」
と、由香が運転席と助手席の間に少し身を乗り出して尋ねる。
「んー、あと30分ぐらいかな。ただ、私もかなり記憶が古くなってるからなあ」
「30分ですかー……」
その隣で歩が少し力のない声を出した。
どうやら車酔いしてしまったらしい。
揺れもひどいし、いたしかたないといったところか。
一応心配はしたが、どうやらそれほどひどい症状ではなかったようだ。
そして、それから30分後。
ワゴン車が止まったのは、和風な門構えの立派なお屋敷の前だった。
「……へぇ」
先日妄想した由香お嬢様説がまさかの現実に……なんてことを一瞬思ったが、すぐにそうではないことを悟る。
「旅館、ですか?」
直斗の問いかけに、車のサイドブレーキを引いた鉄也おじさんが振り返って、
「そう。ここが私の実家だ」
「なるほど、旅館ね」
確かに、これなら家が広くて部屋がいっぱいあるというのも当然の話だ。
「うわー……空気が気持ちいいねー」
車から降りた瞬間、感動の声をもらしたのは歩だった。
車酔いしていただけになおさらそんな風に感じたのだろう。
顔色はだいぶよくなっていた。
そんな歩の後ろに続いて車を降りた俺に、由香が少し心配そうな顔で言う。
「優希くん、それ大丈夫?」
おそらくは俺の背中にある数人分の荷物を見て言ったのだろう。
だが、俺が返答する前に、助手席を下りた梓さんが笑いながら言った。
「平気平気。ユウくん、こう見えても男の子なんだから」
「……」
完全に虐待だ。
「……つか、梓さん。自分の着替えが入ったカバンぐらいは自分で持ってくださいよ」
「あら」
そんな俺のささやかな抗議に、梓さんは涼しい顔で答えた。
「由香や歩ちゃんの荷物が持てるんだもの。あたしの荷物ぐらい増えてもヘーキヘーキ」
「いや、こいつらは他の荷物一応持ってるじゃないスか……あんた手ぶらでしょ」
「持ってるわよ。ほら」
と、梓さんは指に挟んだ火の点いてないタバコを揺らした。
……この人は。
「まあまあ」
と、直斗が間に入ってくる。
こいつはこいつでおみやげやらなにやら色々なものを持たされていたが、それでも文句ひとつ言わないのはさすがというべきか。
要するに、言っても無駄だということを悟りきっているのである。
「さあ、ほらほら。立ち止まってないでキリキリ歩く。はいはい」
(……ったく)
そんな梓さんの号令に心の中で悪態をついて、しぶしぶ後ろをついていく。
ちなみに鉄也おじさんは、車を車庫に入れるため別行動になってしまった。
そして――
「やあ。遠いところをよくお越しくださいました」
入り口のところで俺たちを出迎えてくれた老夫婦。
おそらくこれが鉄也おじさんのご両親なのだろう。
想像よりもずっと温厚そうな人たちだった。
いや、あの鉄也おじさんの性格を考えれば、むしろこれで当然というべきか。
鉄也おじさんの結婚に猛反対したという話を聞いていたので、そこからふくらませたイメージだけが先行しまくっていたのである。
「あ、あ、あの。はじめまして!」
梓さんがなにか答えようとしたが、由香が先走って口を開いた。
緊張でガチガチになっている。
「わ、私、お父さんの娘で、ゆ、由香と申します……」
そんな由香の様子に老夫婦は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに優しい微笑みに変わる。
「そう緊張しなくていいよ。あなたは私たちの孫なんだから」
「そうそう。もっと気楽になさい」
「あ――」
一瞬、言葉に詰まって。
「は、はい!」
由香はひどく嬉しそうな顔をした。
……どうやら、俺たちが心配するまでもなかったようだ。
「どうも。お久しぶりです」
タイミングを見計らって梓さんが改めて前に出る。
ここに来るのは初めてらしいが、どうやら初対面ではないようだ。
そしてさすがの梓さんも、義理の両親の前では真面目にならざるを得ないらしい。
「今日はひ孫の父親候補をふたりほど連れてきました。じっくり吟味してやってください」
……いや、訂正。
やはり梓さんはそんなタマではなかった。
「ちょっ、ちょっとお母さん。おじいちゃんたちに適当なこと言わないでって」
「後ろの方々は、由香のお友だちかい?」
老夫婦も少しは梓さんの性格を理解しているのか、それほど戸惑うことなくこちらに話を向けてきた。
「はい。しばらくごやっかいになります」
代表して直斗が挨拶する。
「お世話になりますー」
と、歩。
俺もそれに習って頭を下げた。
「おやおや。ご丁寧にどうも」
老夫婦もまた、由香に向けたのと同じような温厚な笑顔で応えてくれる。
結局、事前に想像していたような気まずい展開などはこれっぽっちもなく。
その後すぐに鉄也おじさんも合流して、終始なごやかな雰囲気で俺たちの旅行は幕を開けたのだった。
歩くたびに、靴の底を通して大きなデコボコを感じる。
空に輝く太陽と、わずかに冷たさを残した風の調和が肌に心地よかった。
舗装されていない土のあぜ道に4つの影。
「ホント空気がキレイだよねー。向こうも都会じゃないけど、ここに比べるとやっぱり空気が汚れているのかなあ?」
そんな感想をもらしたのは由香だった。
じゃり、じゃりという足音。
「空気もスッキリしてるが、視界もスッキリだな」
すかさずそう返す俺。
右を見れば一面の緑と、かすかな起伏の丘陵。
左を見ればどこまでも広がる田園風景。
障害物はほとんどない。
遠くにはポツリポツリと民家も見えたが、住宅地らしきものはまったくなかった。
「駅前まで行けば商店街もあるみたいだけど」
借りてきた町の地図を見ながら、先頭を歩く直斗がそう言った。
「乾電池売ってるかなぁ?」
と、歩が少し不安そうな顔をする。
持参してきた携帯音楽プレイヤーの充電器を忘れたため、単3の乾電池を求めているらしい。
「そのぐらいはあると思うよ、さすがに」
苦笑する直斗。
当たり前だ。未開の地でもあるまいし。
直斗は俺たちのほうを振り返って、言葉を続けた。
「とりあえずどうしようか? 先に商店街に向かう? それとも色々歩いてみてから最後に行く?」
「うーん……」
水月本家にて昼食をごちそうになった後、鉄也おじさんと梓さんはご両親やら旅館を切り盛りしている妹夫婦だかと積もる話があるそうで、俺たち4人はその邪魔にならないようにと、ひとまずアテもないまま外に出てきたのだった。
残念なことに、歩いていける範囲には観光名所といえるようなところもないらしい。
「とりあえず買い物は荷物になっちまうし、商店街は最後でいいんじゃないか」
そんな俺の提案によって、まずはその辺りをウロウロすることになった。
「あ、見て見てー。あそこ、なにか植えてますよー」
「なんだろね? キャベツとかかな?」
「あっちは小学校かなあ? ちょっと変わった形してるけど……」
「変わってるっつーか、単にボロいだけじゃないか?」
なんて、自分たちの町じゃなかなか見られない光景に好き勝手なことを言い合っていると、なにもない割に退屈することはなかった。
そして延々と、どこまでも続く土の道を歩いて……だいたい30分ほど経っただろうか。
「えっと……」
先頭の直斗がいったん立ち止まる。
目の前にあったのはふた股の分岐路だった。
地図を片手に直斗が指で示す。
「左に行くと、ぐるっと回って駅前の通りにつながるね。商店街に行くならこっち」
「右は?」
「右は特になにも……あ、山のほうに向かうと途中に神社があるみたい」
「神社ねぇ」
あまり好奇心が刺激されない。
祭りや受験の願掛けシーズンならともかく、春休みのこんな時期なんて人っ子ひとりいないに決まっているのだ。
ただ、意外なところから神社ルートへの賛成の声が上がった。
「はいはーい! 私、神社に行ってみたいでーす!」
勢いよくそう言ったのは一番後ろを歩いていた歩である。
「実は先ほどお話を聞いたのですが、ここの神社は厄払いのご利益があるそうで。せっかくなので健康祈願でもと」
「ああ」
納得の理由だった。
個人的には神頼みの効能なんて信じているわけではないが、こういうのは気持ちの問題でもある。
「じゃあ、行ってみる?」
直斗や由香も反対することはなく。
歩は嬉しそうにうなずいて言った。
「最近なにもないところでよく転ぶので、まずはそれを直してもらうことにしますー」
「……それは単なる不注意だろ」
たぶん神様にもどうにもできまい。
そうして俺たちは、特に深いことを考えることなく、右のルートにある神社――"御烏神社"へ向かって歩き出したのであった。