1年目6月「無自覚の恋敵(ライバル)」
「突然だが質問がある」
「え?」
午前中の最後の授業が終了すると同時に俺は席を立ち、由香の机の前まで来て切り出した。
「仮に未曾有の大災害が起きて、地球上に生き残った人類が俺とお前と直斗の3人だけだったとする。人類存続のために俺か直斗のどちらかと結婚しなければならないとしたら、お前はどっちを選ぶ?」
きょとんした目が俺に向けられた。
少し長めの沈黙。
「……ど、どうしたの急に?」
机の上に出したばかりの弁当箱に手をかけたまま、由香は固まっていた。
まあ、当然だろう。
質問した俺でさえ、いくらなんでも唐突だなと自覚していたのだから。
「深く考えるな。素直に直感で答えたまえ」
「え、えっと……」
困り顔のまま、それでも由香は考え始めたようだ。
「それってたとえば――」
「ただし由香さんは必ずどちらかひとりを選ばなければならないものとします。どっちも嫌とか両方ともとかそういうわがままな回答は認められません」
「そ、そんな、両方なんてことは言わない、けど……」
逃げ道封鎖。
「うう、ん……」
そうして由香が真剣に考えている合間に、俺は自分の弁当箱を広げることにした。
窓の外は3日連続のくもり空。にも関わらず、今日は今年の最高気温を更新したらしい。
俺の苦手な季節がどんどん近付いてきていた。
「あのね、もしも私に選ぶ権利があったとして……」
ようやく由香の考えがまとまったようだ。
「権利ならあるぞ。なにしろ恋敵完全不在だからな」
「……そのときの私の気分次第、っていうのはダメかな?」
「気分で男を選ぶのか、お前は……」
「あ! その、別に今日は優希くんで明日は直斗くんとか、そういうことじゃないよ!」
あたふたと弁解を始める由香。
「ただ、その、そのぐらいどっちも……っていうか、どっちも私にはぜいたくすぎるっていうか」
由香はごまかすように笑って、
「だから今だったら優希くんかな? 昨日、学校の帰りにお買い物に付き合ってくれたし」
「そのレベルね。要するにどっちでもいいってことだな」
それなりに予想できた回答ではあるし、俺が確認したかった答えはそれで充分に得られていた。
つまり由香にとっての直斗は大事な友人ではあるものの、オンリーワンの相手ではないということだ。
(今のがこいつの本心だとすると、やっぱ明日香のヤツは空回りしてるってことだよな)
まあ、わかっていた。
「でもそうかぁ。今世界中に俺と直斗しかいなくなったら、お前は俺を選んでくれるわけだなー」
「え? ……う、うん、そうなるかな?」
「バカ。なに赤くなってんだよ」
指摘すると由香はますます顔を赤くして、
「だ、だって、なんか恥ずかしいよね?」
「そうかぁ? 俺は別に。ただのたとえ話だし」
俺は弁当の中身をつつきながら言った。
「それに俺だって、この世からお前と明日香以外の女がいなくなったら光の速さでお前をキープするぞ」
「せ・ん・ぱ・い?」
背後から殺気の入り混じった声。
振り返ると、この教室では見慣れない中等部の制服が見えた。
「おぅ、明日香。今日も来てたのか」
俺は驚いた振りをしてみせたが、もちろん明日香が教室に入ってきたことには気づいていた。
「こんにちは、明日香ちゃん」
「……こんにちはです」
明日香は由香にだけ挨拶を返すと、すぐさま敵意のこもった視線でこっちに向き直った。
「優希先輩。ずいぶん勝手なことを言ってくれてたみたいですね」
「なんだ? そんなに俺に選んで欲しかったのか?」
「そういうことじゃありません!」
きぃん、と、耳鳴りがした。
教室に残っていた生徒たちがなにごとかと俺たちに注目する。
が、俺や明日香の姿を目に留めると、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。
それもそのはず。
なにしろ俺たちはこの10日ほど、ずっと似たようなやり取りを繰り返していたのだから。
「なんの騒ぎ?」
聞きつけた直斗もこっちにやってきた。
手にはここ数日のうちに見慣れてしまった柄の弁当箱がある。
俺はその弁当箱と明日香の顔を見比べて、
「まだ続いているのか?」
「そりゃそうです」
明日香は胸を張った。
10日ほど前の"直斗に弁当を作ってくる宣言"。
あれから明日香は宣言どおりに毎日弁当を作って持ってきていた。
その中身はといえば、驚くほど美味しいわけでもなく、バカにできるほどまずいわけでもなく、見栄えは悪いが食えないことはないという、なんとも面白みのない、ある意味リアルなできあがりの代物だった。
はっきり言ってつまらん弁当である。
とはいえ。
(まあ、よく続くもんだよな……)
内心、ちょっとだけ感心してもいた。
なにしろ明日香はバスケ部でもある。
毎日のように朝練があるはずだし、前日に準備をしておくにしても朝起きるのは大変だろう。
「私だってお料理ぐらいできるんです。わかっていただけましたか?」
「まぁ……」
おそらくは料理の本かなにかを参考に作っているのだろうが、続いてもせいぜい2~3日だろうと思っていた俺からすれば、これだけ続いただけでも驚きの結果である。
……しかし、だ。
ここで俺はあえて心を鬼にしてみようと思う。
なぜなら、素直に褒め称えることが明日香本人のためにならないからだ。
明日香の最終目標である直斗は、由香の存在を抜きに考えても非常に競争率の高い物件である。
特に下級生からの支持率は学年ナンバーワンと言っても過言ではないのだ。
学業優秀、運動神経抜群、面倒見も良く(一部の人間を除いて)誰にでも優しいとなれば、人気があって当然。
欠点といえば身長が低いこととやや中性的な容姿であることぐらいだが、それすら人によっては長所に見える場合もあるだろう。
そんな直斗を狙う魑魅魍魎たちの中で、努力家であること以外になんの取り得もない明日香が生き残っていくためには、この程度のレベルで満足してもらっては困るのである。
――と、いうわけで。
「明日香よ!」
びしっと指差すと、明日香はビクッとしてこっちを見た。
「な、なんですか、急に……」
「お前は勘違いをしているぞ! 料理を作るだけなら誰にでもできるんだ! 俺だって料理の本を見て作ろうと思えば作れる! 問題は人をうならせるほどの美味い料理を作れるかどうかなのだ!」
「……うっ」
そんな俺の説得力のない主張にも明日香は怯んだ顔をした。
おそらくは彼女自身、自分の料理があくまで及第点レベルでしかないことをわかっているのだろう。
そんな明日香の努力は認めたい。
だが、俺は彼女の恋を後押しする立場としてあえて心を鬼にしなければならないのだ。
「お前程度の料理なら誰でも作れるわ! お前の根性はその程度か!」
「うう、それは……」
「別にいいんじゃない? 料理ってそういうものじゃないと思うけど」
「!?」
スポ根調の展開に、マッタリとした調子で直斗が口を挟んできた。
「だって明日香ちゃん料理人を目指しているわけじゃないんでしょ? だいたい家庭料理っておいしいだけじゃなくてコストとか栄養とか大事なこと他にもたくさんあるし、それを毎日続けるってことが一番大変なんだから。そういう意味じゃ明日香ちゃんのお弁当は満点だと思うよ、僕は」
「ほ、ホントですか!?」
ぱぁっと明日香が顔を輝かせる。
予期せぬ展開に俺は慌てて、
「ま、待て、直斗! だったら、ほら、えっと……」
まずい。
このままでは平穏に終わってしまう。
それではつまらな――じゃなくて、明日香のためにならない。
(なにかいい方法はないものか……ん?)
机の上に視線を落とし、自分の弁当箱をつついていて閃いた。
「直斗。そこまで言うなら質問するが」
「なに?」
怪訝そうな直斗と、不安そうな明日香と、よくわからない顔の由香。
3人の視線が俺に集まった。
俺は明日香を指差して、
「こいつの料理と」
次に由香を指差す。
「こいつの料理。どっちがうまいと思う? 2択だ」
「え?」
直斗は意表を突かれた顔で言葉に詰まった。
が、その近くでそれ以上の反応を見せた者がいる。
「……!」
言うまでもない。明日香だ。
きっと俺の言葉の真意を悟ってくれたのだろう。
そう。
そもそも料理を作ってくることになった理由は、明日香が恋敵である由香を越えるためなのだ。
つまり直斗に満足されるだけではまだ足りない。
由香の上を行って初めてその目的は達成されるのである。
(……ま、越える必要がないってのはさっき立証されたんだけどな)
しかし料理が上手になって損をすることはないだろう。
これもすべては明日香のため。
決して俺が楽しいからやっているわけではない。
「もっと頑張ります!」
案の定、決意の表情で明日香は立ち上がった。
「私、絶対に由香さんよりおいしいお弁当を作ってみせますから!」
「え? 由香よりって……明日香ちゃん?」
「明日また来ます!」
直斗の言葉も聞かず、明日香は昼食も中途半端のままで走り去ってしまった。
(……面白いヤツだ)
俺としては満足すぎる展開である。
「私より……、って?」
由香は完全に置いてけぼりだった。
俺はとぼけて、
「お前、明日香のやつに敵対心を持たれてるらしいぞ」
「ど……どうして?」
「気付かないところでなにかやったんじゃないか?」
もちろんそんなことはないのだが、由香は本気にしたようだ。
「どうしよう……謝ってきたほうがいいかな?」
「由香。たぶんそんなんじゃないよ」
そう言ったのは直斗だ。
「単に明日香ちゃんのほうになにか理由があるんじゃない? 由香に負けたくないって」
「お?」
意外な発言だった。
もしかすると直斗はその理由にも気づいているのだろうか。
「たとえば明日香ちゃんに好きな男の子がいてさ」
「……」
黙って直斗の言葉を待つ。
「それで、その男の子はきっと由香と仲がいいんだよ。だから」
言いながら直斗はなぜか俺のほうを見た。
「あ、そっか……そういえば明日香ちゃん、優希くんといるといっつも楽しそうだもんね」
由香も閃いたようだ。
……たぶん的外れな仮説を。
(こいつら。なんでこんなときだけピンポイントで鈍感になるんだ……)
俺はなんだか明日香のことが本気でかわいそうになってきてしまった。
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生ぬるい風が神社の境内を吹き抜けていく。
普段であれば夕日のオレンジに染まっている時間帯だが、朝から空が厚い雲に覆われている今日はずっとくすんだ景色のままだった。
「沙夜」
そんな灰色の風景の中に、半袖のTシャツにジーパンというラフな格好の少年がいる。
金色の髪、鋭い視線、口元にたたえた薄氷のような笑み。
楓だった。
そしてそんな楓と向き合う少女。
「お久しぶりです、楓さん」
神社の巫女服に身を包んだお下げの少女は神村沙夜。
日本人形を思わせる黒髪に純朴そうな作りの顔立ちをしているが、その顔は表情に乏しく、じっと楓を見つめる視線も、その来訪を歓迎しているのかあるいは迷惑がっているのか、真意がまるで読み取れない。
手には竹箒を携えていたが、彼女が境内に出ているときはいつもこの箒を手にしているので、掃除の途中だったのか別の理由で境内に出ていたのかも不明である。
「相変わらず暑苦しい格好だな」
楓は最初にそう言った。
「その割に汗ひとつないのもお前らしい」
「……」
沙夜はピクリとも表情を動かさず、近づいてくる楓の動きだけを目線で追いながら言った。
「かいてます」
「なんだ?」
「汗。かいてます」
そう言って沙夜は襟の部分をパタパタとやってみせた。
その間も、やはり表情は動かない。
楓は怪訝そうな顔をして、
「だったらもっと涼しい服を着て掃除をすればいいだろう?」
「決まりですから」
「くだらん決まりだな」
「それでも決まりは決まりです」
起伏のない口調でそう答えると、沙夜は手にしていた竹箒を動かし始めた。
どうやら今日は本当に掃除の最中だったらしい。
「……」
楓は近くの鳥居に背中を預けると、腕を組んで掃除を続ける沙夜の姿を眺めていた。
(よくやるものだ……)
沙夜の身長は150センチ程度で、高1の女子としてはやや小柄な部類だろう。
そんな彼女がひとりで掃除しているのを見ると、境内がよりいっそう広々として見えた。
沙夜は朝夕と毎日この境内を掃除している。
参拝客がたくさん訪れるわけではなく、ゴミといえば風に乗って飛んでくる枝葉やたまに混じるビニール袋ぐらいのものだが、それでも彼女は毎日念入りにここの掃除をしていた。
そのおかげか沙夜と会うときには事前にアポを取る必要がない。
朝と夕、決まった時間にこの境内にやってくればほぼ間違いなく彼女と話をすることができるのである。
「……楓さん」
しばらくして掃除がひと段落したらしい沙夜が、竹箒をそばの木に立てかけ、静かに楓のほうへと歩み寄ってきた。
「なんだ?」
楓が無愛想に返事をすると、沙夜はそんな彼をまっすぐに見つめて、
「急な御用だったのですか?」
「どうしてだ?」
「楓さんがここにいらっしゃるのは、なにか用事があるときだと思います」
「お前の顔を見に来ただけだ」
「楓さんでも、冗談を言うことがあるのですね」
沙夜は間髪いれずにそう言った。
しばしの沈黙。
楓は答えた。
「ああ、そうだ。俺だってたまには冗談を言うことはある」
「……そうですか」
「意外と正直だな、お前は」
楓は小さく笑った。
沙夜は顔を上げて、
「なんですか?」
「いや。急ぎの用事があったわけじゃない。急がない程度の話があったのと、あとは暇だったからな」
「暇だったから、ですか」
沙夜は少しだけ視線を流して、
「楓さんはあまり無駄なことはなさらない方だと思っていました」
「無駄だと思ってないから来たんだぜ?」
「……」
沙夜は少しの沈黙の後、ゆっくりと目を閉じた。
「……よくわからない人です。楓さんは」
「気まぐれなのさ」
「そうですね」
即座にそう返して、沙夜は再び目を開く。
「それで、"急ぎではない"お話というのはなんですか?」
「あのふたりのことだ」
楓は腕を組んだまま右手の人差し指と中指を立てた。
「不知火優希さんと雪さんですか?」
「優希のやつはお前になにか聞きに来たか?」
「なにかというのは?」
「ああ。そういえば言ってなかったか」
楓は思い出したように、
「先日の事件の後、優希のやつに言っておいたのさ。なにかあったらお前に相談しろってな」
「……」
本当に初耳だったらしく、沙夜は少しだけ戸惑った様子だった。
「そういえば楓さんはあのふたりと知り合いだったのですね」
「言ってなかったか?」
「初耳です」
「で。その初耳は誰からの情報だ?」
「影刃様です」
「やっぱあいつか」
確認するまでもないことだった。
楓と優希たちが古い知り合いであることを知っている者は非常に限られている。
「不知火さんからは特になにもありません。……それと話は変わりますが」
「なんだ?」
沙夜はチラッと後ろ――神社の本殿、いやおそらくはそのさらに奥の空間――へと視線を送った。
「楓さんにお知らせしなければならないことがあります」
再び楓に視線を戻す。
相変わらずの無表情だったが、目元には若干ながら険があるようにも見えた。
「前回脱走した悪魔はどうやらひとりではなかったようです」
「前回? ああ……雪のときのか」
「はい。気をつけてください」
「……」
楓はすぐにその言葉の意味に気付いて、
「狙いはやっぱり俺か? それともまた雪か? ……いや」
途中で言葉を切った。
沙夜はなにも答えない。
答えられない、答えにくい質問であることはわかっていた。
だから楓は別の質問をした。
「いいのか? 俺のような部外者にそんな情報を与えても」
「楓さんは部外者ではありませんから」
「俺のほうは関係者だと思ってないんだがな」
楓はそう言って小さく笑うと、
「だが、助かった。欲をいえばもう少し詳しい情報が欲しい」
「はい」
一瞬だけ申し訳なさそうな表情を見せて、沙夜は小さくうなずいた。
「脱走した悪魔は全部で5名。"炎魔"、"幻魔"、"風魔"、そして"夜魔"が2名です。幻魔と夜魔は"中級悪魔"で、炎魔は先日の事件で死亡した悪魔です」
「ってことは残り4人か。けど、中級幻魔と中級夜魔ってのは思ったよりレベルが高いな。紫喉のやつも思い切ったことをしやがる」
「……」
沙夜は黙って楓を見ている。
ひとつ息を吐いて楓は組んでいた腕を解いた。
「まあいい。精神操作の中級幻魔は厄介だが、どちらにしても雑魚の集まりだ」
「……楓さん」
「わかっている。油断じゃない。俺はただ力関係を冷静に分析しただけさ。そうだろ?」
「はい」
沙夜がうなずく。
「さて、と」
楓は背中を預けていた鳥居から離れると、
「そろそろ退散するとしようか。お前は明日も学校か?」
「はい」
「ご苦労なことだな。たいして役にも立たない授業を」
「私はそう思っていませんから。それを言うなら楓さんのほうではないですか?」
沙夜がそう返すと楓は鼻で笑い飛ばして、
「俺はどうせ寝てるだけだ。そういう面倒ごとはあいつに任せておくさ。じゃあな」
背中を向け、楓は神社の階段を下りていった。